2008年4月15日(火)

** 吉野路散策 **



8:50 阿部野橋 (\950-) 〔近鉄南大阪線〕
10:25 吉野

10:58 黒門
11:15 金峯山寺(キンプセンジ) 蔵王堂
11:30-40 吉水神社
12:10-25 (昼食)
13:13 吉野水分(ミクマリ)神社
13:45 金峯神社
14:00 西行庵
===== (戻り) =====
14:21 金峯神社
14:35-45 高城山(702m)・展望台
14:54 吉野水分神社
15:15 (食事をした所)
15:32 蔵王堂
15:55 吉野駅着

16:08 吉野 (950-)
17:43 阿部野橋



七曲坂を上って行く…

七曲坂の桜(下千本、又は、七曲りの桜)

この日は日本全国、晴れ渡り、
日曜でもないのに、この人の多さ!…

黒 門
 黒門は金峯山寺の総門で、いうなれば吉野一山の総門でも あります。
 こういう様式の門を高麗(コウライ)門といい、城郭に よく用いられています。昔は公家大名といえどもこの門からは、槍 を伏せ馬をおりて通行したという格式を誇っていました。
 ちな みに金峯山というのは吉野山から大峯山に至る峰続きを指し、修験 道関係の寺院塔頭が軒を連ねていました。それらの総門がこの黒門 だったのです。
 現在の黒門は昭和六十年秋、金峯山寺本堂 蔵王堂の大屋根大修理にあわせて改築されたものです。


竜門岳を望む

金峯山寺・仁王門

金峯山寺・蔵王堂

概 要
 創立年代不詳。寺伝によると白鳳年間(7世紀)に修験道の開祖役行者によって 創建されたという。金峯山寺は平安時代(794〜1192)からの修験道の隆盛により、天皇 家をはじめ公家や武家からの厚い帰依を受け、数多い末葉寺院や広大な寺領を誇って いたと伝えられている。
 この本堂は、山上ヶ岳頂上にある山上蔵王堂(大峯山寺) に対して山下蔵王堂と呼ばれ、修験道の霊場である吉野・大峯の中心的伽藍として信仰 を集めてきた。文献上では康和5(1103)年に存在したことが確認されるが、現在の建物は 、天正20(1592)年に再建されたものである。高さ33.9m、桁行7間25.8m、梁間8間27.3m の一重裳階付入母屋造り檜皮葺の木造建築で、修験道の中心寺院として相応しい威容を 誇っている。堂内には修験道の本尊である金剛蔵王権現の巨像三体(国指定重要文化財) や役行者などを安置している。堂内の柱は全部で68本あり、一本として同じ太さのものは なく、すべて自然木を素材のまま使用している。柱の材質も様々で、杉、桧、欅などの他に 梨やツツジの柱もあり一定しない。
 この堂では、本尊に桜花を供えて人々の罪科を 懺悔する「花供懺法会(花供会式)」や、神仏を侮ったために蛙の姿に変えられた男が懺悔 して、僧侶の法力によって人間の姿に戻されたという伝説に基づいた「蓮華会蛙とび行事」 などの伝統行事が、毎年盛大に行われている。


吉 水 神 社
 元は吉水院といい、天武天皇の白鳳年間に役の行者が創建したものと 伝えられ、格式の高い僧坊であったものが、明治八年寺号を廃して吉水神社と 改め、後醍醐天皇・楠木正成・吉水院宗信法印を合祀しています。
 当社 は吉野の歴史を代表する殿堂で、文治元年(1185)源義経が兄頼朝の迫害を逃 れて、最愛静御前・弁慶らと共にここに身を隠されて、世にその純愛物語を伝え ています。
 また延元元年(1336)後醍醐天皇が京の花山院を逃れて吉水院 宗信の援護のもとに当社を行宮とされ、血涙の歴史を記された南朝の大舞台で もあります。降っては文禄三年(1594)豊太閤が当社を本陣として大花見の盛宴を 催し、天下にその権勢を示したのは有名です。したがって当社に所蔵する宝物は すこぶる多く、百二十数点を展観しており、重要文化財の宝庫といわれています。
 この神社を有名にしたのは、その由緒もさることながら、実は現存する書院で あってわが国書院建築史の第一頁に位する本格派の建物で、初期書院造の代表 的傑作とされています。
 いまもなお書院内に「義経潜居の間」、「弁慶思案の 間」、「豊太閤花見の間」等が残されています。


吉水神社からの眺め(1)

吉水神社からの眺め(2)

蔵王堂の上空を飛ぶ飛行船…



吉野水分神社

西 行 庵
 この辺りを奥の千本といい、この小さな建物が西行庵です。鎌倉時代の 初めのころ(約八百年前)西行法師が俗界をさけて、この地にわび住まいをした 所と伝えています。
 西行はもと、京の皇居を守る武士でしたが、世をはか なんで出家し、月と花とをこよなく愛する歌人となり、吉野山で詠んだといわれる 西行の歌に
  とくとくと落つる岩間の苔清水
     汲みほすまでも なきすみかかな
  吉野山去年(コゾ)の枝折の道かへて
     ま だ見ぬ方の花をたずねむ
  吉野山花のさかりは限りなし
     青葉 の奥もなほさかりにて
  吉野山梢(コズエ)の花を見し日より
     心は 身にもそはずなりにき
 この歌に詠まれた「苔清水」はこの右手奥にあり、 いまなおとくとくと清水が湧き出ています。
 旅に生き旅に死んだ俳人松尾 芭蕉も、西行の歌心を慕って二度にわたり吉野を訪れ、この地で
  露とくと く試(ココロミ)に浮世すすがばや
と詠んでいます。
吉 野 町 観 光 課


満開まだまだの高城山の桜…

高城山(702m)展望台より
高見山(1249m)を望む