2008年3月8日(土)

** 小 関 越 え **



10:05 天満橋 (\400-) 〔京阪線〕
11:03 三条
11:11 三条京阪 (\250-) 〔京都地下鉄東西線〕
11:20 山科

11:32 諸羽神社
== 疏水沿いの歩道を歩いていく ==
11:47 疏水・柳山橋
(柳山橋は東山自然緑地ジョギングコース・スタート&ゴール地点)
12:10 普門寺(浄土真宗本願寺派)
12:30-35 小関峠・喜一堂
12:50 長等神社&三井寺観音堂
13:02-10 琵琶湖疏水&三尾神社
13:21 小関天満宮
13:25-45 長等公園&(昼食)
14:10 大津市営乗馬練習場
14:26-36 大谷駅〔京津線〕&蝉丸神社
== ここからは京津線路沿いに歩いていく ==
14:58 浄土宗光明山 摂取院
15:03 追分駅〔京津線〕
15:27-32 山科地蔵&徳林庵
15:40 山科駅着

15:43 山科 (\250-) 〔京都地下鉄東西線〕
15:52 三条京阪
16:04 三条 (\400-) 〔京阪線〕
16:51 天満橋



普門寺の横を通り
小関峠へ向う…

小関峠・喜一堂

喜一堂
峠の地蔵さん
 こヽは北国街道、京都から近江路を湖北に通ずる小関峠の頂きに 安置されて居る御地蔵さんの御堂です。喜堂(ヨロコビドウ)なんと素晴らし 御堂の名称でしょう。そのルーツの詳細は知る由もありませんが、十数 年前大津に通じる道路の拡張工事が行われた際、叢に放り出されて居た 御地蔵さんを見つけて今の地に安置されました。それよりこの人里離れた 峠へ毎日供花をかヽす事なく、近郷近在からのお詣りも絶えず、延々数千 人の方々の一円からの御奉謝により、こヽに立派な御堂が建立される事 になりました。皆様の心が一つになって建立された喜びを忘れず御堂の 名称といたしました。末永く庶民の暮しと交通の安全をお祈りいたします。
峠の地蔵さん保存会一同


小関峠・喜一堂を振り返る

大津市指定文化財
  有形民俗文化財
石造小関越道標
(大津市小関町)
 北国街道(西近江路)から別れて藤尾で東海道に合流する約五キロメートル の道は、かつて東海道の間道として利用され、小関越と呼ばれていました。
 この道標が立つのは、小関越から園城寺(オンジョウジ)(三井寺)へ向かう道の 分岐点にあたります。江戸時代中頃の建立で、高さは約95センチメートルあります。 三面には「左り三井寺 是より半丁」「右小関越 三条五条 いまくま 京道」「右三井寺」と刻まれています。
 三井寺は西国三 十三所観音巡礼の第十四番札所として多くの参詣者がありました。刻銘の「いまくま」 は第十五番札所の京都今熊野観音寺のことで、この道が巡礼道であったことを示す 資料ともなっています。
 昭和50年(1975)1月、大津市の有形民俗文化財に 指定されました。
大津市教育委員会
 平成16年(2004)8月




琵琶湖疏水

天台寺門宗 総本山
園城寺総門

長等(ナガラ)公園

現在、修復工事中です

蝉丸神社の由緒
当社は天慶九年(946年)蝉丸を主神として祠られております。
蝉丸は盲目の琵琶法師と呼ばれ、音曲共通の祖神として平安末期の 芸能に携わる人々に崇敬され、当宮の免許により興行したものです。
その後、万治三年(1660年)現在の社が建立され、街道の守護神猿田彦命 と豊玉姫命を合祀してお祠りしてあります。
  こ れ や こ の ゆ く も か へ る も
   わ か れ て は し る も
  し ら ぬ も あ ふ さ か 乃
               せ き    蝉丸


京津線・大谷駅〜追分駅の途中

大津算盤(ソロバン)の始祖・片岡庄兵衛
江戸時代、東海道筋のこの付近で売られていた大津算盤は、慶長 十七年(1612)、片岡庄兵衛が、明国(ミンコク)から長崎に渡来した算盤を 参考に、製造を始めたものと伝える。同家は以後、この碑の西方にあった 一里塚付近(旧今一里町)で店を構え、幕府御用達の算盤師になったという。 なお昭和初期まで、この碑の場所にも同家のご子孫が住まわれていた。


京津線・追分駅方向を望む