2008年2月6日(水)

** 鳥谷口古墳〜平林古墳 **



9:50 阿部野橋 (\480-) 〔近鉄南大阪線〕
10:30 二上神社口

11:10-20 鳥谷口古墳
11:25 當麻山口神社
11:50 當麻寺
12:21-30 芭蕉旧跡 綿弓塚
12:47 芝塚古墳
13:03-12 平林古墳
13:20 神明神社
13:32 南阪奈道路・下通過
13:54 屋敷山古墳
14:12 神明神社
14:15 新庄駅着

14:18 新庄 (\540-) 〔近鉄御所線〕
14:26 尺土 〔近鉄南大阪線〕
15:06 阿部野橋



鳥谷口古墳を望む



鳥谷口古墳は、天武天皇の死の直後、謀反の罪を着せられて
686年、25歳で処刑された、大津皇子の墓だと言われている。
黒岩重吾氏は小説、『天翔る白日』の中で次のように述べている。

 死を賜った大津の遺体が、どこに埋められたかは不明だが、その後 二上山に遷された。
 皇太子草壁が病弱なため、皇后鵜野讃良(ウノノサララ) は皇太后の地位で全権を握り、草壁の健康を念願したが、草壁は689年4月 天皇位に即くことなく死亡した。時に草壁は28歳だった。
皇太后鵜野讃良 は翌690年に即位した。漢風諡号は持統天皇である。持統が草壁の死を大津の 怨霊の祟りだ、と恐怖心に駆られたのも無理はない。(中略)
 大津の墓が 黄泉の国への正門ともいえる二上山に遷されたのは、たぶん草壁の死亡直後で、 大津の怨霊を封じるためであろう。


當麻寺境内から二上山を望む
大津皇子の臨終の歌  万葉集(416)

ももづたふ磐余(イワレ)の池に鳴く鴨を
今日のみ見てや雲隠(クモガク)りなむ

大津の姉大伯皇女(オオクノヒメミコ)、弟をしのんで…

うつそみの人にあるわれや明日よりは
二上山を弟世(イロセ)とわが見む
万葉集(165)

芭蕉旧跡 綿弓塚



芝塚古墳を振り返る

平 林 古 墳
 平林古墳は全長55mの前方後円墳で、墳形は前方部が後円部 より高く、前方部の幅が広い点に特色があります。後円部には大型の 横穴式石室が南側に開口しています。石室の規模は、奥にある玄室 の長さ 5.7m・幅 3.3m・高さ 3.8m。羨道(センドウ)は長さ 8.8m・幅 1.9m・ 高さ 2mで、その前に前庭部がつながり、その全長は20.1mと長くて大 きなものです。
 石室に使用された石は、1辺が150cmくらいの巨 大な花崗岩で、これをいくつも積み上げて造られています。発掘調査に より、石室内はすでに盗掘を受けていることがわかりましたが、出土し た遺物は豊富で、直刀(チョクトウ)・鉄製の槍(ヤリ)・矢じりなどの武器や馬 具一式、鉄斧などの工具、金環・ガラス玉などの装身具、銅鏡、さらに 多量の土器(須恵器・土師器)などがあります。以上のような特徴から、 平林古墳はこの地域における6世紀後半頃の代表的な古墳として、学 術的にも貴重な文化財です。
平成6年 3月  當麻町教育委員会


石室内部

前方部から後円墳部を望む

平林古墳を振り返る