死を賜った大津の遺体が、どこに埋められたかは不明だが、その後
二上山に遷された。 皇太子草壁が病弱なため、皇后鵜野讃良(ウノノサララ) は皇太后の地位で全権を握り、草壁の健康を念願したが、草壁は689年4月 天皇位に即くことなく死亡した。時に草壁は28歳だった。 皇太后鵜野讃良 は翌690年に即位した。漢風諡号は持統天皇である。持統が草壁の死を大津の 怨霊の祟りだ、と恐怖心に駆られたのも無理はない。(中略) 大津の墓が 黄泉の国への正門ともいえる二上山に遷されたのは、たぶん草壁の死亡直後で、 大津の怨霊を封じるためであろう。 |
平 林 古 墳 |
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平林古墳は全長55mの前方後円墳で、墳形は前方部が後円部
より高く、前方部の幅が広い点に特色があります。後円部には大型の
横穴式石室が南側に開口しています。石室の規模は、奥にある玄室
の長さ 5.7m・幅 3.3m・高さ 3.8m。羨道(センドウ)は長さ 8.8m・幅 1.9m・
高さ 2mで、その前に前庭部がつながり、その全長は20.1mと長くて大
きなものです。 石室に使用された石は、1辺が150cmくらいの巨 大な花崗岩で、これをいくつも積み上げて造られています。発掘調査に より、石室内はすでに盗掘を受けていることがわかりましたが、出土し た遺物は豊富で、直刀(チョクトウ)・鉄製の槍(ヤリ)・矢じりなどの武器や馬 具一式、鉄斧などの工具、金環・ガラス玉などの装身具、銅鏡、さらに 多量の土器(須恵器・土師器)などがあります。以上のような特徴から、 平林古墳はこの地域における6世紀後半頃の代表的な古墳として、学 術的にも貴重な文化財です。 |
平成6年 3月 當麻町教育委員会 |