皇 子 山 一 号 墳 |
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皇子山の頂上に造られた前方後方墳・全長約60m、後方部
長さ約35m、前方部長さ25m、前方部先端部幅約28mの大きさをもち、
斜面に葺石がふかれた立派な造りの古墳です。(略) 発掘調査 は、昭和45年に行われ、地面を削り出したうえに盛り土をした古墳で あること、後方部に四カ所、前方部に一カ所の遺体を埋葬した施設で あったこと、などが判明しました。(略)葺石の間などから見つかった 土器から、四世紀後半頃の築造年代が考えられています。これにより、 皇子山一号墳は近江で最も古い時期の古墳であることが明らかになり ました。しかし、どのような人物が埋葬されているかについては、残念 ながらわかっておりません。 昭和60年3月 大津市教育委員会 |
近江神宮 |
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近江神宮は、滋賀県大津市に鎮座する神社。皇紀2600年にあたる
昭和15年(1940年)に鎮座した、新しい神社である。 667年に飛鳥から 当地へ近江京として遷都した由緒に因み、遷都を行った天智天皇を祭神とし て設営された。 社殿は「近江造」と呼ばれる独特のもので、国の登録 有形文化財として登録されている。 天智天皇が日本で初めて水時計 (漏刻)を設置した歴史から境内には各地の時計業者が寄進した日時計や 漏刻などを飾ってあり時計博物館が併設されている。 また、小倉百人 一首の一首目の歌を詠んだ天智天皇にちなみ、競技かるたのチャンピオンを 決める名人位・クイーン位決定戦が毎年1月にここで行われている。 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 |
弘文天皇長等山前陵 |
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大津市役所の裏手にある森。弘文天皇(648-672)は天智天皇の皇子
である大友皇子です。天智天皇が大津京で没すると、皇位継承をめぐって実
の叔父である大海人皇子(?-686)と古代最大の内乱・壬申(じんしん)の乱
(天武元年・672)で争い悲惨な最期を遂げました。享年わずか25歳でした。
勝利した大海人皇子は、飛鳥に遷都して天武天皇となりました。 大友 皇子は長らく皇統に認められなかったらしく、日本書紀にもその名がありませ ん。しかし、明治時代初期になってようやく39代弘文天皇と追称されました。 それからすぐに、長等山麓の一古墳が陵墓に選定され、死地である「山前」 の名をとって長等山前陵(ながらやまさきりょう)と命名され、現在にいたって います。 (滋賀県観光情報) |
新羅善神堂 |
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堂は三間四方の流れ造り、屋根は桧皮葺きの美しい建物で、
国宝に指定されている。暦応3年(1339)足利尊氏が再建した。 新羅明神は園城寺開祖智証大師の守護神で、本尊新羅明神坐像 も国宝。源頼義の子義光がここで元服し新羅三郎義光となのったの は有名である。 大津市 |
三 井 寺 (天台寺門宗総本山) |
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三井寺は正式には園城寺と称し、創建以来千三百年の歴史と数数の史実や
伝説に満ちあふれた巨刹である。平安時代には四箇大寺(東大寺・興福寺・延暦寺・
園城寺)の一つに数えられ、現在も山岳寺院として長等山山腹に広大な境内地を有し
ている。 境内に散在する国宝や重文の建物をはじめ、諸堂宇の景観はさながら 建築博物館の様を呈している。なかでも金堂(1599年建立)は桃山建築の粋をこらし、 桧皮葦の入母屋造りがすばらしい。また近江八景の一つ三井の晩鐘や、西国第十四 番の霊場である三井寺観音堂などもよく知られ、多くの参詣者で賑わっている。 |