2007年12月30日(日)

** 伏見稲荷大社〜泉涌寺 **



11:13 天満橋 (\390-) 〔京阪線〕
11:58 伏見稲荷

12:05 伏見稲荷大社
13:00 稲荷大社・田中社(稲荷山ほぼ山頂)
13:20 五社之瀧
13:30 泉涌寺
13:53 東福寺駅着

13:58 東福寺 (\390-) 〔京阪線〕
14:49 天満橋



伏見稲荷大社・楼門

 稲荷社の神は山の神で、もともと秦氏の権力の 及ばないところにあった。それなのに、秦伊呂倶が餅を的にして矢を射ったところ、 その餅は鳥となって稲荷社の峰に飛んでいき、稲荷社ができたという。社伝では このときを和銅四年とし、その鳥となった餅の飛んでいったところを山上の下社と する。それは、この神社が農耕民である秦氏の支配下に入ったことを示すのであ ろうが、しかしそれ以後、秦伊呂倶の子孫はその行為を悔いて、社の木を家に植 えて、それがつくと吉、つかぬと凶と占ったというのである。この『山城國風土記』 逸文にははっきり書かれていないが、それは山の神の祟りを意味すると思われる。 稲荷山の峰を占領し、そこを田とすることに対して山の神が怒って祟りをしたので、 その祟りを鎮めるために地上にも木を植えることにしたというわけであろう。
梅原猛著「日本の神々」より


伏見稲荷大社・本殿

 稲荷大社の神は単なる農耕民、弥生人の神 ではなく、農耕人、弥生人と妥協した狩猟採集民、縄文人の神と考えられ るべきであろう。狩猟採集の人々、縄文の人々がもっとも愛し、もっとも神 として尊敬するのは樹木なのである。弥生人は、森林を伐り倒して田を 開拓したその罪の償いを、今でも毎年初午の日に杉の苗を神社から分け てもらって家に植えることで償おうとしているのである。
梅原猛著「日本の神々」より


 問題は稲荷社の神の使いはなぜ狐かということ である。 …… 秦大津父は、伊勢へ商売にいって帰る途中に二匹の狼が 闘っているのを見て、「おまえは尊い神だから」と言って逃がしてやったという 話を天皇に語ったところ、天皇は「きっとよい報いがあるであろう」と言われた。  この『日本書紀』の「欽明天皇即位前紀」の記事が正しいとしたならば、秦氏 と関係のある獣は狐ではなくて狼である。狼は文字通り「オオカミ」すなわち 偉大なる神であり、狩猟採集民によってもっとも厚く崇拝された神である。 … … 
 空海が高野山に金剛峰寺を建てるときに、空海を高野山に導いた のは狩場明神という神であるが、それは山伏の姿をしている。山伏はすなわち 狼と考えても差し支えないであろう。高野山の山神もオオカミであったとすれば、 稲荷山の山神もオオカミであり、狐はオオカミが少し穏やかな動物の形に変身 したものではないか。
 こういうふうに山の神の正体を狼と考えると、初午 の日にこの山に絵馬を献上する風習の意味がよく分かるのである。おそらく昔 は生きた馬を、その正体がオオカミである山の神に捧げたのであろう。 ……  そしてその日に山の神がもっとも好む山の樹木を家に植える。それが森を壊 して田を作った弥生人の縄文人に対する贖罪の行為であったのであろう。
梅原猛著「日本の神々」より


稲荷山山頂(233m)は一ノ峰(神之社神蹟)であるが
ここは田中社神蹟に近く、京都市内がよく見渡せる…

伏見稲荷大社・本殿を見下ろす

京都市内を眺望する(1)

京都市内を眺望する(2)

泉涌寺