星 田 妙 見 宮 |
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当霊山は平安時代の弘仁年間(810〜824)に弘法大師空海上人が 私市の獅子窟寺の岩屋で仏眼仏母尊の修法をされたときに当霊山に 七曜の星が降臨し大師自ら「三光清岩正身の妙見」と称され、北辰妙見 大悲菩薩独秀の霊岳、神仏の宝宅諸天善神影向来会の名山、星の霊場 としてまつられました。又、当宮を一点として、当村内の光林寺と星の森 の三点に一辺を八丁として降臨するを以て「八丁見所」と云われ、当村を 三宅庄星田村と称されました。当御祭神は神道にては天之御中主大神、 仏教にては北辰妙見大菩薩、陰陽道にては太上神仙鎮宅霊符神と申さ れます。 |
星祭り 2月8日 七夕祭 7月7日 星降り祭 7月23日 |
伝・家康ひそみの藪 |
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天正十年六月二日(1582年)織田信長が京都本能寺において
明智光秀の反逆によって自害した。そのとき少人数の近臣を連れて
堺に滞在していた徳川家康は、いち早くその情報を入手するや身の
危険を感じ即刻堺を出て本国三河へ帰ることにした。その日の深夜
家康はこの竹藪にひそみ、村の長、平井氏に連絡して、山城方面に
出るため道に精通する農民を道案内人として出すよう依頼した。 平井家では沢山の握り飯を鶴の絵を描いた大皿に盛って提供し、 信用のおける二人の農民を選出して無事に道案内の大役を果たさ せたといわれている。 |