飯豊(イイトヨ)天皇埴口丘陵 |
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第22代清寧天皇と第23代顕宗天皇との間の期間、執政者だったと伝えられ、
女帝の先駆的存在として注目される(時代的には、神功皇后と推古女帝をつなぐ
位置にある)。『日本書紀』によると、男性と経験を持ったのは生涯1度だけであった
という(格別に記紀には何も書かれてないがもしかしたら男勝りな性格だったのかも
知れない)。 葛城埴口丘陵(かずらきのはにくちのおかのみささぎ、『延喜式』 諸陵寮には埴口墓)に葬られた。同陵は奈良県葛城市北花内の北花内大塚古墳 (前方後円墳・全長90m)に比定される。ただし『日本書紀』は「陵」と表記し、天皇 扱いし、「墓」ではないことは注目される。 |
置 恩 寺 |
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正式には医王山・布施山安養院置恩寺と号し、高野山真言宗。
本尊は本堂に安置する薬師如来坐像です。 寺伝には神亀年間(724〜29) に行基の開基とありますが、奈良時代〜平安時代初めに置始(オキゾメ)氏の氏寺 として建立され、中世には「布施寺」とも称されたように、布施氏の氏寺として 栄枯盛衰を共にしました。 … … … |