2007年10月31日(水)

** 椿井大塚山古墳 **



9:59 天王寺 (\820-) 〔JR大和路線〕
10:57 奈良 〔JR奈良線〕
11:12 棚倉(タナクラ)

11:17 涌出宮(ワキデノミヤ)
11:47 鳴子川・新鳴子橋
12:00-25 椿井(ツバイ)大塚山古墳
12:40-47 松尾神社
12:52-13:10 玉台禅寺&狛弁才天
13:27 上狛(カミコマ)駅着

13:38 上狛 (\820-) 〔JR奈良線〕
13:59 奈良 〔JR大和路線〕
14:33 天王寺



鳴子川・新鳴子橋 (振り返って)

椿井大塚山古墳が見える!

椿井大塚山古墳
東(後円部)西(前方部)方向の墳丘主軸に対して、
ほぼ中央を
南(右手)北(左手)にJR奈良線が分断している

後円部下からの西方向の眺め

後円部墳丘頂

史跡 椿井大塚山古墳
(平成12年9月6日 国史跡指定)
 椿井大塚山古墳は、木津川を望む段丘上に立地する古墳時代前期初頭の 前方後円墳です。墳丘の規模は、全長約175m、後円部直径約110m、前方部長約80m、 前方部墳端幅約76mを測り、高さは後円部約20m、前方部約10m程度であったと考えら れます。築造時期は、奈良県桜井市の箸墓古墳を頂点とする定型化した前方後円墳の 出現時期(3世紀後半)にあたり、いわゆる邪馬台国の時代の古墳です。
 昭和28年 (1953)、古墳後円部を横断する鉄道の改良工事が実施され、偶然に発見された竪穴式 石室から、三角縁神獣鏡三十数面を含む四十面近くの銅鏡や、おびただしい量の副葬品 が出土しました。三角縁神獣鏡については、邪馬台国の女王卑弥呼が中国の魏の皇帝 から賜った鏡とする有力な説があります。
 椿井大塚山古墳は、邪馬台国の所在地 論争ともからんで、古墳時代成立の鍵を握る記念碑的遺跡です。
平成13年3月 山城町教育委員会


後円部から前方部を望む(西方向)
前方部には民家が数軒建っている

後円部から生駒山を望む

松尾神社
「天武天皇が吉野山より東国へ向かう時、この地で大山咋神の
化身であるという樺井翁と軍議を談じ、翁が姿を消したあとに
残された宝珠をこの地の後の鎮めとし、のち大宝元年(701)
に秦都理が霊夢によってこの宝珠を得て、これを神体と
して宮殿を創建したのがはじまりと伝える」……とある

竹林の小径を玉台寺へ向けて…

狛弁才天社
「弁才天は、もとインドの川を神格化したもので、日本でも
竹生島など水辺や水に関係する地によく祭られている。
狛弁才天社は、室町時代初め頃に上狛から椿井にかけて
広がっていた興福寺領狛野荘の利水や水害に関連して、
興福寺との関係によって創建されたものと考えられる…、
この社は、狛氏一族の守護神であるとされ…、云々」とある

臨済宗 霊宝山 玉臺禅寺
弁才天社に隣接するこの寺は、もとは弁才天社の
宮寺として建立されたものであろう、とある

狛弁天社の在る山から下りて、奈良方向を望む