2007年10月5日(金)

** 巻向古墳群 **



9:57 難波 (\670-)
10:15 上本町 〔近鉄大阪線〕
10:59 桜井 (\180-) 〔JR桜井線〕
11:09 巻向

11:20-33 巻向石塚古墳
11:35 巻向勝山古墳
11:40 巻向矢塚古墳
11:45 東田大塚古墳
12:30 箸墓古墳
12:55 ホケノ山古墳
13:08 堂ノ後古墳
13:40 JR三輪駅通過
13:48 初瀬川・出口橋
14:08 桜井駅着

14:29 桜井 (\670-) 〔近鉄大阪線〕
15:21 難波



纒向石塚古墳
 昭和46年以後の調査で、纒向三式〜四式期(3世紀後半)以前に築造された 発生期の前方後円墳として貴重な遺跡である。
 墳丘は、後円部長径64m、短径61mの 不整円形で、東南方向に前方部幅32m、長さ32m、括れ部幅約15mの前方部が付くいわゆる 纒向型の前方後円墳である。周濠は墳丘に添った形で、幅約30mの濠を巡らせ、前方部前面は 幅5mの濠で区画する。
 周濠から弧文円板・鶏形木製品などが出土している。
桜井市教育委員会


巻向勝山古墳から(東方向)巻向山&三輪山を望む
右の建物(巻向小学校)の向こう側に石塚古墳がある

纒向勝山古墳
 纒向勝山古墳は、東面する全長約110m、後円部の高さ約7mの 古墳時代前期の前方後円墳で、周囲にはかっての濠の痕跡を残すように、 逆台形の池がある。詳しい調査が行なわれていないため、築造の時期や 主体部の内容など、詳細は不明だが、墳丘の築造企画は纒向石塚・纒向矢塚・ 東田大塚・ホケノ山などの古墳、と同じ築造企画を持つ纒向型前方後円墳の 一つと考えられ、箸墓古墳に先行する古墳になる可能性も指摘されている。
桜井市教育委員会


巻向勝山古墳から南方向
左:巻向小学校  右:巻向矢塚古墳

纒向矢塚古墳
 纒向矢塚古墳は、西面する全長約96m、高さ約5mの古墳時代前期の 前方後円墳で、墳丘の築造企画が纒向石塚・纒向勝山・東田大塚・ホケノ山などの 古墳と同じ企画を持つ纒向型前方後円墳の一つと考えられている。昭和47年に 周濠の一部が調査され、幅17m〜23m、深さ60cmの濠を持つことが確認されました。 また、この時の出土土器より、纒向矢塚古墳は箸墓古墳より先行する可能性も 高くなっている
桜井市教育委員会


纒向矢塚古墳付近から(南南西方向)東田大塚古墳を望む

東田大塚古墳
 東田大塚古墳は、全長約96m、後円部の高さ約7mの古墳時代前期の前方 後円墳で、墳丘の築造企画が纒向石塚・纒向勝山・纒向矢塚・ホケノ山などの古墳と 同じ企画を持つ纒向型前方後円墳の一つと考えられている。詳しい調査が行なわれ ていないため、築造の時期や主体部の内容・周濠など、詳細は不明だが、地元では 後円部墳丘より石製の椅子が出たとの伝承を持ち、纒向古墳群の中で、墳丘の残り の最も良いものである。
桜井市教育委員会


東田大塚古墳より(北北東方向)纒向矢塚古墳を望む

東田大塚古墳より(東南東方向)三輪山&箸墓古墳を望む

巻向石塚古墳を望む

ホケノ山古墳
 この古墳はホケノ山古墳と呼ばれる三世紀後半に造られた日本でも最も古い 部類に属する前方後円墳の一つです。古墳は東方より派生した緩やかな丘陵上に 位置し、古墳時代前期の大規模集落である纒向遺跡の南東部に位置します。
 また、古墳からは以前に画文帯神獣鏡と内行花文鏡が出土したとの伝承がありますが、 その実体は良く解っていません。平成七年以降、古墳の史跡整備に先立って二次に亙る 発掘調査が行われ、様々な事柄が解っています。
 合計十二本設定された調査区の 中では周濠や葺石・周辺埋葬に伴う木棺の跡・沢山の土器片などが出土しました。
 葺石は墳丘側の総ての調査区において確認されています。葺石の構造は地山を 削り出しによって整形した後、二層の裏込め土を盛った上に、付近から採取できる河原石を 小型・中型・大型の順で葺いています。ただし、前方部側面は墳丘の傾斜が三十度前後と、 後円部の四十〜五十度という急傾斜に対して極端に緩やかにつくられていました。
 また、周濠や墳丘は前方部前面が旧巻向川によって削平されており、本来の規模や形状 などははっきりとしませんが、全長は85m前後と考えています。今回復元している前方部に ついては調査において確認された地山の削り出しに、本来あったはずの裏込め土や葺石を 括れ部のデーターを基にして復元したものです。
桜井市教育委員会


ホケノ山古墳より
手前の堂ノ後古墳&箸墓古墳を望む

堂ノ後古墳
 纒向地域から南の茅原の地域にかけての丘陵部には、有名な珠城山古墳群や 箸墓古墳、茅原大墓古墳まどがあるが、この地域にはほかに二十数基の中・小規模の 古墳が散在している。数基の方墳のほかは古墳時代後期の円墳と見られ、中には 前方後円墳を呈するものもいくつかあるようだ。堂ノ後古墳もこれらの古墳群の中の 一つで、調査が行われていないため詳細は不明だが、径35m程度の円墳のようだ。
桜井市教育委員会


堂ノ後古墳より
ホケノ山古墳
巻向山&三輪山を望む

三輪山を望む

大和三山&金剛・葛城山を望む




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== (2006年03月24日 読売新聞) ==

奈良 桜井・纒向石塚古墳


馬蹄形周濠


同型全国へ 王権 波及か

 前方後円墳の原形となった「纒向(まきむく)型」と呼ばれるタイプの古墳でも最古級とされる奈良県 桜井市の纒向石塚古墳(3世紀前半、全長96メートル)で、墳丘を囲む周濠(しゅうごう)が馬蹄(ばてい)形 だったことが確認され、市教委が23日、発表した。被葬者は初期大和王権の有力者とみられ、同型の周濠 がその後、全国に広がっていることから、王権が地方に与えた影響力を考える上で重要な成果となる。
馬蹄形の周濠が確認された纒向石塚古墳(奈良県桜井市で、本社ヘリから)
 同古墳の前方部北東側470平方メートルを調査。これまでの成果を合わせると、のちの大型前方後円墳 のような外堤はなく、市教委は、周囲を掘って土を盛った弥生時代の簡素な墳丘墓から、巨大古墳に移行する 過渡期の周濠の原形とみている。

 纒向型は、前方部の墳丘が低く、長さも後円部の半分程度しかないのが特徴。3世紀前半に出現した初期 大和王権の中心地とされる纒向遺跡では纒向石塚を含む5基が確認され、4世紀初めにかけて関東や九州など にも普及、全国で四十数基が築かれている。馬蹄形の周濠は、千葉県市原市の神門(ごうど)4号墳などで見つ かっていたが、纒向遺跡の古墳で確認されたのは初めて。

 纒向石塚古墳では過去、周濠から出土したヒノキの板材が、年輪年代測定法で200年ごろの伐採と確認 された。現地説明会は25日午前10時と午後1時。

 寺沢薫・奈良県立橿原考古学研究所調査研究部長の話「周濠は墳丘と被葬者を外界 から遮断するため設けられた。纒向型が大和を頂点として他地域に普及した過程の起点を示す」


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