1994年に発見された北側のものは一辺2.2mの四角く深い穴に、直径60cmものケヤキの巨木を
立てていました。 1995年に発見された南側のものは一辺1.4mの穴に直径40cmのマツの柱を 立てたものでした。 池上曽根遺跡にある立柱は、春分秋分には池上曽根の神奈備山(カンナビヤマ) である信太山からさす朝日によって、北の柱の影が刳り抜き井戸に落ちます。井戸を女性の象徴とする のは世界共通で、春分秋分の日の出の光景はまさしく女性を貫く男性の姿を想起させます。これらの ことから北の柱は男性を示し、南は女性を示す柱と考えました。 春にまかれた一粒のモミが、秋には 数百倍に増えることを実感していた弥生ビトにとって、再生と繁栄は切実な祈りの対象だったのです。 二本の柱は祭祀空間を明示するとともに、再生と繁栄を象徴的に示すものだったのでしょう。 |
約千年余り前、今の大阪市阿倍野の里に阿倍野保名が住んでいた。 父は豪族であったが、人にだまされ所領を没収されたので、保名は家の 再興を願い、当地信太森葛葉稲荷に日参していた。 ある日のこと、 数人の狩人に追われた一匹の白狐を助けた。そのとき、保名は手きずを受け その場に倒れた。 白狐は葛の葉という女性に化け、保名を介抱して家まで 送りとどけた。それから数日後、葛の葉は保名を見舞い、やがて互いの心が通じ 合い、妻になり、童子丸という子供をもうけた。 その子が五歳のとき、正体が わかり、 「恋しくば 尋ねきてみよ 和泉なる 信太の森の うらみ葛の葉」 の一首を障子に書き残して信太の森へ帰ったといい伝えられる。 この葛葉伝説にまつわる狐がおまつりされているのがこの神社で、今も人々の 信仰をあつめている。 |