2007年2月21日(水)

** 恩智越〜平群周辺 **


9:41 難波 (\340-)
9:57 上本町 〔近鉄南大阪線〕
10:25 恩智

10:43 恩智神社
11:28 恩智越(峠)
11:35-40 展望台
11:53 のどか村(農業公園)
12:20-13:15 信貴山真言宗 朝護孫子寺
12:53-13:15 空鉢堂 雄嶽(433m) =ここで昼食=
13:47-55 信貴山 奥の院(多聞院)
14:42 平群駅横通過
14:53 三里古墳
15:02 長屋王墓(天武天皇皇孫)
15:10 吉備内親王墓(長屋王妃)
15:28 元山上口駅着

15:32 元山上口 (\480-) 〔近鉄生駒線&奈良線〕
16:18 難波



信貴山朝護孫子寺本堂を望む

信貴山 朝護孫子寺 本堂(毘沙門天王)
今から千四百年余年前、蘇我−物部戦争において、
聖徳太子はこの山に来て、戦勝の祈願をすると
頭上に毘沙門天王が出現し、必勝の秘法を授けられた、
奇しくもその日は寅年、寅の日、寅の刻であった、とある。

信貴山雄嶽(433m)にある空鉢堂から
葛城、金剛山方向を望む

奥の院への道
…梅はまだつぼみ…

信貴山 奥の院
開基は聖徳太子 本尊は汗かき毘沙門天王

近鉄平群駅へ向けて…
向こうの山は矢田丘陵

三里古墳
石棚のある横穴式石室をもつ古墳で
築造年代は六世紀後半と推定されている

三里古墳は左手奥



長屋王墓
長屋王は高市皇子の長子で、天武天皇皇孫であり、
母は、天智天皇の皇女であり元明天皇の同母姉である御名部皇女

727年:聖武天皇の妃藤原光明子、基皇子を出産、立太子とする
728年:基皇子没
729年:左大臣長屋王、謀反を密告される(長屋王の変)
二日後、長屋王、正室・吉備内親王、その子四名らが自殺

聖武天皇の妃、光明子は藤原不比等の娘であり、
聖武帝の母は藤原不比等の養女、宮子(海人の娘)である
皇位継承権は尊き血筋から見て長屋王の方がはるかに優位!
「長屋王の変」はこうした情勢に危機感を抱いた
藤原(房前)氏の陰謀であると想像されている