上梓【2009.09.30】
パ リ 日 誌

Il y a longtemps que je …


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  9 月  

1981年9月1日(火) 晴。 22℃(夕)
 9月から10時45分からの授業に変更。授業料も値上がり、先月から続いて受ける生徒に関しては450フランと変らず(但し、12時30~だけは400フラン)、それに新学期で新しい Carte 料として50フラン。12時30~にすればよかったのだが仕方がない。500フラン払う。50フランの誤算である。クラスは25名もいて多すぎる。先生は女の人で、声が細く速く話すので聞き取りにくい。よほどしっかりと頑張って勉強しないと流されてしまう……ぞ!
 マビヨンで食事。アリアンスに引き返すと、菅野さん、京都からの青年、弥生女史に会う。その後男3人でリュク公園で話す。そこへドイツでアラブ人らしき者数人に襲われて現金をみんな盗まれたという30歳位の日本人が近づいて来て、日本へ帰りたいのだが300ドルしかない、安い航空券はないかと尋ねられる。左目の縁が青く腫れ上がっている。昨夜遅く人通りの少なくなった繁華街を連れの女性と歩いている時にやられたと言う。その連れの若い女性もそこにいた。日本大使館へ行って相談してはどうかと言うしかなかった。これまでにあのような被害に遭った日本人観光客は調べれば相当の数になるのではないか……。
 ベトナム青年アイウェイ君は昨日で辞め、今日は居なかった。速くやれとせかされるのが嫌になったのではないか、と誰かが言っていた。
 社長が僕を呼び出し、9月から、よく働いてくれるのでということで100フラン昇給するとのこと。赤字の額が少しは少なくなるだろう。
 部屋探しはすぐにでも始めないといけない。
 菅野さんが今日から烏君の部屋に引っ越して来る。烏君は今日は誰か友達の部屋に泊っているのか帰って来なかった。石井さんの車で送ってもらう。石井さんが上がり込んで4人でポーカー。終ったのが2時を少し過ぎていた。後1ヶ月でこの部屋ともお別れだ。早く一人になりたい。
9月2日(水) 晴。
 授業、聴き取り難い。もう、ゆっくりと喋ってくれない。もっと聴き取る力をつけないとだめだ。作文の方は何とかやっている。小さなフーズ(?)を使って小会話を創る。これは案外短時間で出来、先生も少しは見直してくれたような表情であった。
 2時少し過ぎ、マビヨンから帰ってくると、管野さんと佐々木さんに出会う。喫茶店で少し話す。佐々木さんとゆっくり話が出来て良かった。彼女は40歳位の仏人の男性と同じアパートに暮らしているとか。両親は大反対だった。日本人の感覚ではちょっと理解出来ない契約の考え方である。そのフランス人は日本に憧れているようで、彼女に日本食を作って貰うことを条件に、部屋を無料で提供し、アリアンスの授業料を出し、ピアノも近々借りてくれるのだと言う。こちらが少し心配顔をすると、そんなことが少しでも感じられたら、すぐ出ます、と――。契約だし、仕事として割り切っているとはっきり言っていた。別に心配はないとは思うが。ダニエルさんのことを菅野さんが話したらしい。交換教授する人を紹介して欲しいと頼まれる。ダニエルさんに近々会わないといけない。
 その後、管野さんと二人でモンパルナスへ。「1998年、ニューヨーク」という映画を観る。仏語に吹き替えてあって、全く聴き取れなかった。しかし映画の良し悪しは映像を追っているだけでも判るもので、全くくだらないものであった。見終った後の二人の気持は冷えていた。今後は、良い映画を事前に調べてから観に行かないといけない。
 彼と別れて、フナックに立ち寄る。ポール・フォールの詩集、先日セーヌ河岸で買ったⅦと一緒にⅥがあった。どちらも1冊14フラン60と格安。作者の署名はなかったが、早速Ⅵを買う。先生が喜ぶだろう。
9月3日(木) 晴。 22℃(夕) 19℃(夜)
 朝6時、シャーがベッドに上がってきて起こされる。不快。その後、9時前迄浅い眠り。
 学食後、ポンピドーへ。ギッシングに関する評論を読むが、眠気が襲って来る。昨夜の寝不足が原因。
 前川氏が西江さんに昨日、部屋を出なくてもよくなるかも知れない――と。2ヶ月前に大家から通知が来るべきなのにその通知がまだ来ないからそう思うと言っていた、と西江さんの言。僕の心の奥には本当に大家が出て欲しいと言ったのだろうか?という疑念が今もなお在る。しかし、いい機会だ。何処か部屋を何としても探して、来月引っ越すつもりだ。一人になって、仕事をしないといけない。
 帰り、石井さん、菅野さん、西江さん等と4人でドラッグへ。菅野さんのおごり。
9月4日(金) 快晴。 22℃(夕) 20℃(夜)
 マビヨンから学校に引き返すと、丁度門の所で神谷君に出会う。一緒に日本大使館へ住宅情報を見に行く。神谷君は現在下宿探しの最中だとか。画家はお断りだと断られた部屋を彼は僕に教えてくれたのだが、その控えは持っていない。その部屋は大使館で紹介された部屋なので、それじゃもう一度大使館へ行ってみようということになった訳である。大使館は午後3時から開館。少し時間があるのでモンソー公園のベンチに腰をかけて話をして時間をつぶす。その部屋については明日の朝9時までに電話を入れないといけない。部屋代は1ヶ月600フラン。入居時に2,200フラン必要(2ヵ月の caution 1,200 + 1ヶ月分 600 + 電気代の caution 300 + securité 100)。出費大だが、静かな環境が何よりの取り得。それに一人になっていろいろ考えたいこともある。10月から入ることが出来ればいいのだが……。
9月5日(土) 快晴。 22℃(夜)
 朝8時半に電話するが、結局「来週電話下さい」と、体よく断られてしまう。年齢や研究対象は何かと尋ねていたから、留学生を宿泊させたいのだろう。仕方なく、良い天気だし、サクレ・クールへ出かける。団体の日本人観光客が大勢いた。やはりサクレ・クールは何回も行く所ではない。画家も観光客を相手に商人になっている感じ――。
 ポンピドーセンターの図書室で宿題。リュクサン公園で読書するが、眠くなって半時間程うとうとしてしまい、ひどく身体がだるくなる。チュイルリー公園で、皆方、深野、江田、ケンの4人がソフトボールの練習をしていて、それに加わり1時間程汗を流す。
 夜は忙しく、少し疲れた。帰りドラッグに寄り、ビールを飲んで帰る。
9月6日(日) 快晴。昼間は非常に暑い。 23℃(夜)
 西江さんの仮の滞在許可証のコピーをとりにポンピドーへ。ダニエルさんへ手紙を書き始めるが時間がなくて途中まで。サクラへ。深野さんが借りてきた車に乗ってブローニュの森へ。今日はソフトボールの開会式。その後、練習。真夏のような暑さに菅野さんが第一にばててしまう。かなり疲れた様子であった。
 夜は特に忙しく、西江さん一人ではとてもやれない。当然僕も料理を手伝う。天ぷら揚げで火傷を負う。大したけがではないが何故か不満が積ってしまい、「疲れるよ今日は。大入りの時より忙しいのだから!」とつい洩らしたのがいけなかった。僕は普段めったに愚痴は言わないのだから、周りは少し異常に感じたのだろうか、皆ちゃんに「明日から機嫌を直して頑張って下さいよ」と冗談半分に言われて、余計、むっときてしまった。あのような冗談半分の言い方は、何故かすんなりと受け流すことが僕には出来ないようだ。彼等は冗談とも本気ともつかない言葉を交しながら、日々の仕事から来る不満を何とか彼等なりに解消していっているようだ。しかし僕にはそのような芸当は出来ないようだ。生真面目に考えてしまう。すぐ本気になる。―― そんなことではやってゆけないよ ――と誰かが言っているようだ。
 部屋のこと、交換教授のこと、仏語学習のこと、等々……。
9月7日(月) 晴。 25℃(夕) 23℃(夜)
 Danielle san ;
 Je crois que vous êtes en train de travailler avec le journaliste, peut-être pas à Paris et si ardemment que vous ne me pouvez pas téléphoner. Je souhaite que vous travailliez bien pour devenir une journaliste.
 Vous n'avez pas été au rendez-vous à la bibliothéque de l'Alliance Française, et puis vous n'avez pas téléphoner à mon travail le lendmain soir.
 Je n'étais pas content et je craignais que vous ne travaillassiez plus ensamble. Mais la lettre, que j'ai reçu le matin 27 Août, a prouvé que vous êtes honnête. J'en étais très content le vendredi soir vous ne m'avez pas téléphoné, n'est-ce pas? Qu'est-ce qui vous êtes arrivé? Vous êtes à Caen maintenant, n'est-ce pas? (Je ne comprends pas encore "j'avais des affaires à récupérer".) Je crois que vous êtes trés occupée pour publier le livre. Travaillez bien!
 A propos, vous connaissez pas quelqu'une qui veut travailler ensemble avec une étudiante japonaise?
 Moi, je fait du softball (vous le connaissez?) samedi et dimanche car il y aura le match dimanche prochain au Bois de Boulogne.
 Point de nouvelles, bonnes nouvelles : je le crois … … .
                     Votre ami tout dévoué, I. Matsumoto.
9月8日(火) 薄曇、蒸し暑い。 24℃(夕)
 昨夜はシャルトルから帰って来た角ちゃんが泊る。現在菅野さんが使っている部屋が空いているものと当てにして来たらしい。仕方なく、僕のベッドに寝かす。
 例の Lille の日本人学生が図書室の前に立っていて、「よし子さんのクラスは何処か知りませんか」と訊いてくる。女性を追っかけている気の弱そうな青年。しかしあの執拗さが最後には勝利を得るのかも知れぬ。青年の弱々しそうな表情を見ていると、むくむくと苛立ちが沸き起こってきた。
 佐々木さんに偶然出会ったので、交換教授の相手のことを手紙で依頼したことを話す。
 大橋君には会えず。4時過ぎには部屋に帰っていなかった。
9月9日(水) 晴。今日も少し暑い。恐らく25℃位はあったろう。
 ダニエルさんから封書。リボリ通りの百貨店で働いているとのこと。経済的に苦しいのだろう。電話してこなかったのも、一緒に勉強する時間がないと判断したからなのか。
 佐々木さんと廊下で出会う。10時45分からのクラスに変るらしい。
 管野さんとモンパルナスの映画館で、アラン・ドロン主演の映画 "Pour La Peau D'un Flic" を観る。今日で授業でディクテの出来が悪く、みじめであった。仏語は聴き取れず、映画の面白さも半減(以上だろう)した。
 マビヨンで夕食後、彼とオデオン通りのカフェで雑談して過ごす。仕事が休みの日は精神的にもゆとりが生じる。が、働きながら勉強は僕の宿命だし、人生は、誰にとっても、そういう形のものなのだから、何も悔むことはない。
9月10日(木) 晴。 26℃(夕) 24℃(夜)
 午前10時過ぎダニエルさんの職場に電話するが、ネパラという返事。今日は仕事を休んだのか、それとも午後からなのか――。
 マビヨンで佐々木さんに出会う。連れの女性は仏人と10月に結婚するとか。彼女がアメリカを旅行していた時に知りあったのがきっかけらしい。彼女の母親が彼に惚れ込んで承知したが、父親は、やはり二人娘の妹を外国へ嫁にやることに割り切れないものがあるのか、こちらの結婚式には来席しないとのこと。彼は現在ルノーに勤務。4千5百フランの給料。今二人で千2百フランの部屋に暮している。彼は近く電子関係の学校に通い勉強する。彼女は東京の自転車屋さんの娘で、母親は美容院を経営。庶民レベルでの国際結婚の一例。
 アリアンスの図書室で4時前まで勉強。その後、大橋君を訪ねる。村山君のことが話題になる。彼は精神的に落ち込んでいるらしい。顔の表情もすごく老けこんで生気がない。大橋君に言わせれば、だらしなくなった――と。仏人女性との同棲生活も、愛の媒介なしに肉体関係を結んでいるからそのようになったのかも知れない、とは彼の推測。
 皆ちゃんの部屋に角ちゃんを入れると聞いて、西江さん、「それじゃ、松ちゃんはどうなるんよ!」と本気になるところが彼の人間的な魅力の一つ。27名の予約客が入り忙しかったが、皆ちゃんがキッチンに入ったので、それ程でもなかった。
9月11日(金) 晴。 22℃(夕) 21℃(夜)
 マビヨンでは誰とも会えず、残念。彼女達は恐らく3時だろう。
 図書室に松村さんが来ていた。借りた本は何時返せるか分らない。管野さんからいつものように世界日報を貰う。三浦綾子著『塩狩峠』を借りる。
 昨日は大入り。今日は皆ちゃんと二人。忙しい。皆ちゃんがキッチンに入った時は社長がよくチップを持ってくる。今日は大入りとはならなかったが、社長からチップ10フラン貰う。
9月12日(土) 晴、3時頃俄雨。 17℃(夜) 
 ポンピドーで少し勉強した後、 Rue de Citan の学食へ初めて行く。マビヨンは休み。地下鉄 GARE LYON で降りる。
 チュイルリー公園で "Le Matin" を読んでいると、35歳位の仏婦人が10フラン要求してくる。理由は何も言わない。日本では考えられないこと。
 野球の練習は俄雨の為、店の前でキャッチボールを少ししただけ。
9月13日(日) 晴、午後俄雨。 15℃(夜)
 ブローニュの森のバガロワ広場で3時40分からレストラン日本と対戦する。25対1で5回コールド負け。残念であったが、-やって良かったよ-という声もあった。白川さんはこれからは絵の方に専念出来るよと言っていた。そういう気持は僕にもある。これはこれで一つの体験。僕にはやらなければならない事がある。
9月14日(月) 薄曇。夜小雨、少し肌寒い。
 久し振りにアリアンスの図書室で2時~5時過ぎ迄勉強する。2時過ぎに弥生女史が入って来る。会釈を交しただけ。彼女、雑誌に5分間位目を通しただけで出て行く。誰と会うことになっていたのだろうか。(若し誰とも会う約束をしていなかったならば)女心の不思議なところだ。
 ダニエルさんには今日も電話しなかった。一度かけてみればよいのだ。
 夜、忙しく、西江さん社長に対する不満を口にする。烏君が言っていたような立場に立たされていることを自覚しだしたようだ。先日、皆ちゃんが「あの人はいい時は本当にいい。何でもやってくれる。しかし今迄従業員に対する態度を見てきて、思うけど、あの人は怖いよ、ひどく酷なことを平気でやる人だよ……。労働許可証のことも何処まで本当なのか……」と言っていた。
 明日は、今日アリアンスで紹介して貰った部屋探しだ。
9月15日(火) 曇一時小雨、夜薄曇。 21℃(夕) 20℃(夜)
 4百50フランの部屋は明日から1ヵ月間、昼間は子供の守り(夜は自由)をすることが条件、そうすれば来年の6月頃まで部屋を貸してくれる。その条件はアリアンスに貼り出された紙には書いてなかったので、恐らく僕の前に行った人も断ったのだろう。もう一つはババレ通りの近くの6百フランの部屋、朝の8時半頃に電話をしたが、既に決ったとのこと。残り、10月1日から入れる9区の部屋だけが頼みの綱――。
 西江さん達はサン・ミッシェルの千6百フランの部屋が決りそう……。実感、部屋探しは簡単ではない!
 『塩狩峠』読了。自分には到底主人公、永野信夫のようには生きられないが、明治の時代に小説のモデルになった人物(キリスト教信者)が居たということ、そして、実際あのように実践したということ、等を想うことは、我々凡人が時に高慢になる心を謙虚な方向へ導くことである。よい小説であった。
9月16日(水) 薄曇。
 図書室に管野さんの姿見えず。一人で映画を観に行く。"L'amant de Lady Chatterly" シルビア・クリステル主演。映画を観ていて今日もそうだったが、最近、精神を集中させるとなると睡魔に襲われる。睡眠不足か!
 マビヨンで夕食。神谷君に出会う。今夜8時30分に行く約束をしてあったビクトル・ユーゴ通りの部屋を彼がもう既に借りたとのこと。早い者勝ちとはこのこと――。彼は2時半に電話を入れた。他に約束はしてあるが、今すぐに見に来るのならば――ということで、すっ飛んで行ったそうだ。屋根裏部屋で l'eau chaude は出ないが、1ヵ月360フランとは安い! もう一度9区の部屋のことで電話を入れ、来週の火曜日の午後4時30分に部屋を見に行く約束をする。しかし大丈夫なのか、はなはだ心配だ。
 ダニエルさんに電話する。電話の相手は隣の部屋の、あの親切なスペイン人であった。すぐに取り次いでくれる。アルバイトは先週で終ったとのこと。今病気で金曜日に医者へ行くらしい。電話ではあまり細かい話は出来なかった。日曜日に電話をくれるように言ったが、明日あたり、見舞を兼ねて訪ねてみるか――。
 神谷君と話していて少し頭痛がした。風邪の前兆か。 Attention !
9月17日(木) 快晴。 21℃(夕) 20℃(夜)
 たいして代り映えのしない毎日。管野さんはどうしたのか、最近見かけない。変ったことと云えば、弥生女史と図書室で隣り合わせとなり、一人で勉強している仏語の本を見せて貰ったことくらいか――。同じクラスの日本人、柳君と初めて言葉を交わす。彼は今、Cité Universaire の学生寮(千フラン)に居り、今月一杯で出ないといけないから、部屋を探しているとのこと。ポール・ロワイヤルの紹介所を教えてやる。彼は8月の終り頃こちらに来て、10月にパリ大学で勉強とか――。やわらかい声、仏語の発音もうまい。他に日本人女性が4人いる。今日一人の学生が "Les Indiens de Colombie" という題で前に出て話していたが、あまり聞き取れなかった。
 部屋のことでは前川氏も心配してくれているとのことなので、現在部屋探しに力を入れていることを話してみる。それなら探して下さい。私の方もマダムに言ってあるのだが、あまり当てにならないから。それで見つからなくても、今の家賃で10月も居ていいですから――と。しかし甘えてはいけない。今月中に何とかする。
 書物用航空郵便封筒: 2フラン35。
9月18日(金) 小雨後薄曇。 枯葉、日増しに多くなってきている。
 N.D.de Lorette に行ってみる。ロレット聖堂の北方にサクレ・クールがそそり立ち、イタリアン大通りからの眺望は素晴らしい。来週の火曜日、果たしてこの近くの部屋を借りることが出来るだろうか……。メトロを出たすぐ前が問題の場所であった。17番地。丁度そこに古本屋があり、入ってみる。1冊1フランと安いので10冊買う。
 ヴィジーの『ステロ』は、仏文学案内書に依れば、チャタートンのことも書かれてあるらしい。ひょっとして、先生が探している本ではないか、という気がする。
9月19日(土) 晴。夜一時小雨。 20℃(夕)
 マビヨンで昼食。神谷君に出会う。彼は日本人とすぐに知り合いになるらしく、よく見かける男性と一緒。もう一人の女性(30歳を越しているか)は管野さんを知っているらしい、しかしここ最近1週間位は見かけないと言う。
 久し振りにポンピドーへ。学生がパリに戻って来たからだろう、中も外も大勢の人混みであった。
 早稲田大学学長清水司氏を囲んで16~7名の人がサクラで食事。かなりの賑やかさ。仕事終了後、石井さんの車で西江さんと菅野さんが引っ越して行った。たった一人の部屋は静かでよい。シャーを連れて行くことに菅野さんが反対。判断を前川氏にあずけたとのこと。それで当分は僕がシャーの面倒を頼まれる。面倒な話だよ、全くもって。
 木曜日から韓国の女の子(20歳前後)がギャルソンとして働いている。彼女の仏語は聴き取りにくい。西江さんから、5ヶ月も学校に行っていて解らないのかと皮肉られ、苦い味もしたが、いい刺激でもあった。
9月20日(日) 薄曇。 24℃(夕) 22℃(夜)
 昨夜風強く、窓が一晩中音をたてていた。一人になって寝つかれず、2時前に『技巧的生活』を読み終え、眠ろうとしたが寝つかれず、また『古事記』を読み出す。3時半頃に横になり少しうとうとしはじめた頃、4時頃だったか、菅野さんが帰って来る。驚きだ。向うで泊るものと思い込んでいたから尚更であった。タクシーで帰って来たとのこと。
 今日の西江さんの話では、向こうで一度は横になったが、急に帰ると言い出したとのこと。よっぽど気に入らないのだろう……か。とにかく、菅野さんは今月一杯こちらにいるかも知れない。西江さんは明日社長にこの部屋の鍵を返すとのこと。
 BOULEVARD DE L'HOPITAL にある学食に初めて行く。そこは理科系大学の建物の地上階にあった。神谷君に出会う。彼も今日が初めてだと言う。屋根裏部屋を借りるとなると料理は作れなくなるから、日曜日も学食の世話にならないといけない。若し僕が6百50フランの部屋に入れたとして、1ヵ月千4百フランの収入ではきちきちの生活か、恐らく赤字は覚悟しないといけない。
 6時、ダニエルさんから電話はなかった。
 夜、西江さんが残りの荷物を取りに来る。すぐにサン・ミッシェルに帰って行った。終に、シャーの下の片付けはしないで行った。仕方なく、夜のうちに僕が清掃しておく。
9月21日(月) 薄曇。 21℃(夕) 20℃(夜)
 新しい物件ない。神谷君に教えられた物件(ST. PLACIDE の独立部屋7百フラン)も5時迄には決まったらしく、取り除かれていた。
 夜は特に忙しく、大入りは当然の結果であった。西江さんもふらふら…。社長が、キッチンを手伝っているということで、10フラン余分にくれる。
 先生に早く書物を送りたいが、部屋が決まってからにしよう。
9月22日(火) 晴後曇。 21℃(夕)
 ロレットの部屋、4時30分に行ったが、既に決まったと――。部屋を探している人は多い。もっと積極的に行動しないと駄目だ。Boulogne Jauré の部屋は10月17日から入れる。これはひょっとして決まるかも知れない。明日3時に電話して会いに行くつもり。社長はその頃迄この部屋に居てもよいと言っていたので、安心して契約できる。
 夜、安藤君という青年が洗い場の仕事をする。彼は27歳。法政大学で政治学を専攻する4回生の学生。ミッテランのフランスを見たいと、3万円しか持たずにやって来たと言う。帰りの飛行機代はサクラで働いた金で――という目算らしい。今朝オルリ空港に着き、夜から仕事とは恐れ入る。以前「サクラ」で働いたことのある人の紹介状を持って来たらしい。ドラッグでの買い物に付き合い、Rue des Ecoles のホテルまで一緒に行ってやる。60フランの部屋だと言うが、窓が天上にあるだけで、まるで監獄のようだ。明日からこの部屋に入る。
 帰宅した時は1時を少し過ぎていた。とにかく一刻も早く新しい部屋を決めないことには何となく落ち着かない。
9月23日(水) 快晴。
 部屋探しはいよいよもって難しい、と実感を新たにする。3時に電話を入れると、既に人に貸すことになっていると言う。しかしまだ金は払って貰っていないので、来週の火曜日の朝10時半に電話してくれ、と主人の声。探している人は多い。甘く見ていたようだ。
 佐々木さんとポール・ロワイヤルの学食へ行く。彼女とゆっくり話をしたのは今日が初めて。一人で黙って食事をするのに比べたら雲泥の差だ。楽しい一時を過ごした。メトロ前で別れる。
 部屋を見に行く必要もなくなったので、管野さんと映画、"Le Choix des Armes" を観る。しかし僕は殆んど眠ってしまい、まったくもって昼寝に行ったようなものだ。管野さんとはマビヨンで夕食後別れる。
9月24日(木) 晴。 19℃(夕)
 リュクサンブール公園の木々も紅葉しだした。マロニエの実がはぜ、栗のような形をした種がたくさん落ちている。それを拾いながら、佐々木さんと彼女の友達(仏人と結婚している)と一緒に公園を抜け、Cité Univertaire へ食事に行く。読書会のことについては佐々木さんが興味を示してくれる。彼女達はポ-ル・ロワイヤルの近くにあるという自然食品店へ買物に行くと言うので、別れて、アリアンスの図書室へ。神谷君、菅野さんと一緒に5時過ぎまで勉強。今日は新しい物件はなかった。
 コック見習いは2日目。洗い場の仕事より身体は楽だ。この機会に料理を覚えるのも悪くはない。
 日本より封書。忍の手紙によれば、みんな元気にしているということで、まずは安心。両親を安心させやってと、姪の忠告を受ける。
9月25日(金) 朝方雨、曇後晴。 18℃(夕) 17℃(夜)
 3時半頃勉強を切り上げ、JISUへ行く。一昨日入ったと云う貸し部屋は2件。1件は屋根裏部屋で4百フラン。もう1件は5百90フラン(保証金は千フラン)で、これは Studio. 前者は日本女性が住んでいて帰国するらしい。10月1日から。後者はお坊さんが入っている部屋で、引っ越すからとのこと。屋根裏部屋はエトワールからトーカデロの方向へ少し入った所。5時頃訪ねるが、不在であった。お坊さんの部屋は11月1日から。明日、両方訪ねてみることにする。
 夕方「サクラ」に電話が入り、映画撮影に出演する人を2人求めてくる。10時~19時で5百フラン。菅野さんが出る意向とか。明日「サクラ」で面接を受けるらしい。
9月26日(土) 朝小雨、曇。 17℃(夕)
 La Muette の岸さんのステュディオを訪ねる。何処か旅行に出ているらしい。既に先客があり、4月24日付の紙片がドアにはさまれてあった。環境は良く、若し住むことが出来れば最高だが……。帰り、4百フランの屋根裏部屋を再度訪ねるが、不在らしく会えなかった。すぐ帰り、岸さん宛てに手紙を書く。
 Rue d'Assas の学食で昼食。レ・アールのフナックでモームの『ラムベスのライザ』を買い、ポンピドーの図書室で読む。
 夜は仕事が忙しく西江さん、かなり苛立っていたようだ。器量が小さく幾分子供っぽい感じがする。しかしそこが少し愛嬌にもなっている。
 早く一人部屋に住んだ方がよい。ましてやこの部屋、いや居間なのだが、プライベイトの時間が全く持てないのだから……。
9月27日(日) 曇、時々晴。 17℃(夕)
 夏時間が終り、今日から元通りとなる。10時(今迄の時間)を11時と聞き違え、菅野さんを起してしまう。彼等が出て行った後、ラジオをよく注意して聴いてみると、9時15分と言っているではないか―。とんだ失敗をしてしまう。そのお詫びにメロン(8フラン)を買ってきて、夜3人で食べる。
 植西さんの部屋(4百フランの例の屋根裏部屋)を訪ねるが不在。一昨日見かけたフランス人が部屋を教えてくれる。階段を昇りきったかかりの部屋がそれであった。置き手紙をしてくる。が、夜サクラに電話はなかった。
 Citaux の学食へ。神谷君がいた。1時間も待っているのにまだ開かないと言う。彼は時間が元に戻ったのを知らなかったらしい。
 神谷君と別れて、大橋君を訪ねる。隣の部屋の人と話す。彼はこの30日、アルジェへコック助手として、新日鉄の社員50名の食事作りの仕事に出かけて行くとのこと。1ヵ月目は6千5百フラン、2ヵ月目から7千5百フラン、6ヵ月で契約が更新される。1年間の予定。彼は以前バーミンガムに8ヵ月おり、2ヵ月前に来仏、サントリーで働いて昨日あがったとのこと。北海道の人で大橋君と同年齢位、好青年。2年間外国航路の船員もやったことがある。大学を中退したと言っていた。かなり複雑な経歴の持ち主。中卒後、船乗りの専門学校に通い、それで船に乗ることになったらしい。エンジン係。
 映画撮影の件、結局、出演依頼の電話はなかったと云うことらしい。
9月28日(月) 晴・曇 17℃(夕) 15℃(夜)
 朝、8時前に植西という人の屋根裏を訪ねるが、会えず。置き手紙は無くなっていた。昨日帰宅したのだと思うが……。夜、期待していたが、終に電話はなく、諦めるより他仕方がない! 明日、大橋君に教えて貰ったロポポ氏に会いに行くか――。今日電話したが通じず。部屋を早く決めないと、何か落ち着かない、勉強も出来ない。
9月29日(火) 快晴。 18℃(夕)
 朝、ロポポ氏に電話。部屋がありそうな口振り。夕方6時に電話せよ―と。
 アリアンスの SERVICE SOCIAL で3つの物件があった。そのうち2件は窓口が開く直前に貼り出されたもの。3百50フラン(7区)と4百50フラン(16区)。すぐ電話を入れる。Rendez-Vous は授業が終ってからという意識があった為だろうか、1時半としたが、16区の方のマダムが「そんな時間では他の学生に決まってしまいますよ」と親切に忠告してくれた。その言葉にハッとした。「それではすぐ伺います!」と言うやすっ飛んで行った。僕が一番乗りだった。玄関に入れられてすぐに他の人から問い合わせの電話が入った様子であった。その部屋には日本人が入っていたそうで、"Il est gentil." と言っていたから、日本人には好意を持っているのだろう。だから親切に助言してくれたのだと想う。これでほっとした。2時に Caution(4百50フラン)と1ヶ月の家賃(電気代等全て含んで4百50フラン)を払い、鍵を受け取る。
 図書館には神谷君がいた。やっと見つかったよとやや興奮気味に告げると、彼もその喜びを分かち合ってくれたようだ。明日の引っ越しを手伝ってくれるらしい。多謝。
 夕食を終え、仕事に取りかかろうとしていた時、植西さんから電話がかかってきた。あの部屋は他の人に決まったが、5百50フランの家具付きの部屋があるのでどうかと親切に言ってくれる。事情を説明し、その好意に感謝する。ロポポ氏に断りの電話を入れる。
 仕事が終って、社長に報告すると、安藤君をすぐに呼んでくれと言う。後で彼から聞いた話では、明日寮を出て行ってくれ、部屋はアリアンス等を通じ自分で探してくれと言われたそうだ。日が悪かった。10月に入っておれば、また反応は違ったかも知れないが――。すぐ大家に電話して、ガス電気等を切るように言うと社長は言った。問題は安藤君。急なことなので本当に困った顔。社長のやり方は冷淡すぎるようだ。仕事のことに関しては人情は入れない。それが出来るからパリでレストランを経営出来る――という訳か。
9月30日(水) 晴。
 Rue Laurinston の植西さんの部屋を安藤君と訪ねたが、やはり不在。置き手紙をしておく。出来れば西江さん達の部屋に居候させて貰う方がいいと思うが、彼の立場に立って想うと、やはり遠慮があって、シンドイことだろう……。
 2時少し過ぎ、アリアンスの図書室で神谷君と待ち合わせ。引っ越しは彼に手伝って貰ったので、非常に楽に済ますことが出来た。多謝。「京子」で夕食を共にする。これは彼に対する感謝の気持も込めて。その後、2回目の残りの荷物の運搬を手伝って貰う。着いたのは9時半頃だった。明日から、また新しいフランス生活が始まる。心を引き締めて、頑張ろう!








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