上梓【2009.07.03】
パ リ 日 誌

Il y a longtemps que je …


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  7 月  

1981年7月1日(水) 曇。20℃(夕刻) 18℃(夜)
 新しいクラス。新しいプロフェッサーは女性、教師歴5年。
 学食で松田さんに遇う。昨夜は2時間しか眠れなかったらしい。今日から「サクラ」へは行かないと言う。気分がスッーとした!と言っていた。よっぽど精神的に疲れていたように想えた。
 勉強を早めに切り上げる。 LES SABLONS で降り、彼女の下宿を訪ねる。が、何の返答もない。ドラの花飾りは取り除かれていた。実家へ帰ったのかも知れない。手紙は彼女の手元に届いたのだろうか……。
 夜、職場に行ってみると、松田さんが来ないので一波乱あったようだ。カウンターの仕事の穴をギャルソンの鈴木君が埋めさせられて、彼、相当頭にきていたらしい。しかし、従業員の多くは松田さんの気持を了解しているようだ。昼、定食が遅れて客が怒り出したとか。その客は隣の旅行取次店ジェッタの人だったそうだが、社長は勘定を定額取ったと金本さんが批判的な口調で語っていた。
 角ちゃん、今朝シャルトルへ向ったそうだ。これから3ヶ月間のホテルの仕事は彼をどのように変えるだろうか。
 今日は気分がのらず、沈みがち…。皆ちゃんから「松本さん、元気ですか!…」と声をかけられる始末。気持を切り換えて、仕事は仕事として、楽しくやる方がいい……。
7月2日(木) 薄曇、午後雨、夕刻小降りとなる。
 12時前に学食に着くが、松田さんの姿は見つからず。アリアンスの図書室を覗いてくれるかなと思っていたのだが、そこへも終に来なかったのだ。彼は12時半からの授業だから、学食はもっと早かったのだろう。
 2時の開館後しばらくして、中国人が来ているのに気付く。すぐに出て行ったようだ。彼はこの第九の図書室でよく見かける。ついこの前も見かけた。そして先々週の金曜日の夜の寅さんの映画にも一人で観に来ていた。その時は誰かを探すようにあちこちと視線を向けていたようだ。彼はおそらくパリ大の学生だろう。今出て行ったのは彼に間違いないように思う。しかし、どうして、その彼が?……。
 今日はそれほど忙しくもなかったので、鈴木君は何とかふて腐れずにやっていた。彼と少し言葉を交す。彼は第七大学の四回生で、臨床心理学を専攻しているとか。来年は国立の研究機関の研究生として勤めるそうで、丁度日本のインターン制度のようなもの。しかし、1ヶ月千フラン位支給されるとか。将来は、医療器械の研究開発の仕事をアメリカでやりたいらしい。日本で働く気はないかと尋ねると、考え方はこちら風なので、おそらく日本では勤まらないでしょう、との答えが返って来た。小さい頃からフランスで育ったのだから、当然といえる返答だろう。
7月3日(金) 晴。 午後8時頃ひどい雨、30分位で止む。
 松田さんを見かける。彼と同じクラスの松村さんとブラジル女性の四人でカフェに入る。ブラジルの女性はすごく陽気で感じが良い。化粧品を訪問販売しているらしい。仏語を6ヶ月勉強した後はイギリスに渡り英語をマスターしたいのだそうである。松村さんはOECDの事務所に勤める日本人の家族と一緒に昨年の9月に当地にやって来たとか。小学1年生と幼稚園の男の子供2人の面倒と家事が彼女の仕事。つまりお手伝いさんなのである。それで月600フランしか貰っていないそうだ。今までは殆ど家の中に拘束されてきたらしい。パリの空気に慣れてくるにつれ、拘束感も徐々に強く感じるようになり、主人夫婦と話し合った結果、週2日は自由に行動してよいことになった。アリアンスの授業料も出して貰っているそうだ。
 ドフィーヌの学食(パリ第九大学内の)は夜は閉っていた。シャトレにある書店フナックへ行く。セーヌ河岸の古本屋で買ったフィリップの『ペリオ爺さん』は30フランだったが、そこでは14フランだった。それから "Croquete" という書物も12フランで―。アリアンスで使っているテキストも、例えば(1)は21フランで非常に安い。その後、寮に戻り夕食。8時過ぎに寮を出て、サン・ミッシェル界隈を徘徊。 LE LATIN で映画を観て帰る。深夜12時過ぎに帰宅。
7月4日(土) 晴れたり曇ったり。22℃(夕刻) 20℃(夜)
 10時過ぎに起床。風呂。洗濯。昼食はいつものようにスパゲティをゆで、玉葱と卵と一緒に炒める。勉強、そして仕事。
 今職場では、あっちゃみてホイ!が流行。暇な時は鮨場の石井さんが調理場に乗り込んでくる。それを迎え撃つは西江さんと烏君。三人とも大層な熱の入れ様。西江さんが一番強いようだ。僕も今日初めてやってみた。西江さんが今一番熱中しているのは競馬。社長と50フラン出し合って馬券を買うこともあるようだ。僕も今日貰ったチップの中から5フラン出して買ってみる。7、2、3。さて、その結果が楽しみだ。
 鮨場で働いている未亡人が調理場にビールの差し入れ。烏君が冗談半分に「お姉さん好きだよ!」と言うと、「あんたのような純情な人なんか私の対象外、絶対に誘惑したりはしないわよ!」という言葉が返ってきた。
7月5日(日) 晴。28℃(夕刻) 23℃(夜)
 9時に起き、クリニャンクールのノミの市を見学に行く。9時半頃はまだ人の出は少なく、開いていない店が多くあったが、帰る11時半頃には殆ど開店し、日曜日とあってごった返すような人出となっていた。
 こんにちは!と言う日本語が聞き取れた。その方向へ目をやると、店の若い青年が僕の前を鞄を肩に引っかけて歩いて行く日本人観光客に呼びかけたのであることが判った。道端に5歳位の小さい女の子がダンボールの紙片を持って立っていた。紙片には何か書かれてある。女の子は目から涙を流している。すぐ近くに赤ちゃんを抱いた30過ぎの身なりのあまり良くない女性がいた。母親から観光客にお金を乞うように強制され、それが厭で泣いているように想像されて、何故か胸がギューと締めつけられるような感情に一瞬襲われた。
 2時間も歩いたので腹が減って少しフラフラした。卵を3個買いそれをオムレツにし、それと一緒にバゲット1本を平らげてしまった。こちらのパンの何と美味しいこと!
 今日歩いたヴェルネゾン地区にはバラック建ての店が百軒以上あっただろう。いろんな古物が陳列されていた。古本屋もあった。ロンドンでは町の北方に古物店があった。ここもパリの中心から北の方向に当っている。もっと時間をかけてじっくりと楽しむに値する場所である。もう一度出かけてみたい。解説書によれば、まだビロン地区やキャンボ地区、ポール・ベール地区やマリク地区やジュール・ヴァレス地区があり、総面積3万平方メートル、店の総数は3千軒とある。
 西江さん、馬券が当らなくて悔しがる。2、1、3と入ったらしい。若しそうだとすると、僕は二頭当ったことになるが、三頭当らないと駄目。
7月6日(月) 晴れたり曇ったり。24℃(夕刻) 23℃(夜)
 今日は最悪の日……。
 夜11時40分頃、西江さん、烏山君と三人で帰宅。エレヴェーターの扉が開く。その瞬間我々の目に飛び込んできた光景!
 ドアが開いている。鍵穴が歪んでいる、無理やりこじ開けられた状態だ。中に入ると、ごった返してある。泥棒にやられた!ことは一目瞭然だ。しばらくは呆然としていた。全身の力が抜けていくような感覚に見舞われた。自分を取り戻し、被害を調べてみる。円建てトラベラーズチェック(52万円分)と現金3百フランが無くなっていた。他の物には一切手をつけていない。烏山君は現金8千フランとドル建てトラベラーズチェック。西江さんは先月の給料分を合わせて3千5百フランと5百ドルと5百クルゼールの金が盗まれていた。店へ電話を入れるが誰も出てこない。西江さんは警察に届けても仕方がないさと言って、自分の部屋に入ってしまった。烏山君とコーヒを飲む。味は不味い。彼は八分位残したまま、黙り込んでしまった。顔が少し青ざめていた。
 木ネジのような物でこじ開けられた形跡があった。向いのフランス人夫婦はヴァカンスで出かけて居ない。以前から狙いをつけられていたに違いない。きっと.....。
7月7日(火) 快晴。26℃(夕刻)
 アリアンスの授業に30分遅刻する。寝不足の為か、頭の芯がスカッとしていない。
 JISUの事務所に寄り、住友銀行のパリ支店があるかどうか電話帳で調べて貰うが、ないようであった。日本興業銀行パリ事務所の男性は非常に親切であったが、東京銀行の女性は冷たくて突っ慳貪な返事しか返ってこなかった。結局、住友の取引先と思えるアメリカの銀行に直接電話するしかなく、告げるべき事柄をメモして、モンパルナスの銀行へ行き、そこの国際通話用の電話機でかける。1時間待って、やっと午後2時半に通じた。海外通話は最大15分が限度であるらしく、15分が過ぎる頃、数回時間がないと注意された。しかし時間内にはどうにかアメリカの銀行に全てを告げたように思う。パリの住所も店の電話番号も店主の名前も知らせておいた。
 バスに乗りシャンゼで降りる。大橋君には会えなかった。「サクラ」へ行く。社長とマダムとマダムの息子がいた。昨夜の状況を一応僕の口からも社長に話した。6時から団体客があるので今日は1時間の早出だが、5時迄まだ時間があるので、オペラ座前の階段に座して時間を潰す。
 部屋の鍵は破損のため、外からはかからなくなってしまっていた。その為西江さん、社長の許可を得て寮に帰ったようだ。僕がアリアンスから帰るのを待っていたらしい。僕の配慮が少し足りなかったようだ。しかし僕も今日はトラヴェラーズチェックの再発行のことで頭が占領されていたのだ。夜のキュジーンは、皆ちゃんが休みだから、烏山君一人であった。
 トラヴェラーズチェックの再発行を受けるには警察への盗難届が必要なので、一応社長の耳に入れておく方がよいと思い、帰る時社長に話す。社長は非常に協力的であった。明日近くの警察へ被害届を出しに烏山君と一緒に行く予定。
 朝、ダニエルさんから手紙がやっと届いた。筆跡に彼女なりの特徴があり読みづらい。手紙の内容を解読するのに大分時間がかかった。彼女のお母さんがご病気で、その為実家へ帰っていたようだ。いろんな仕事が重なって、大変忙しかったのだろう。来週電話するとあった。
7月8日(水) 晴。33℃(夕刻) 28℃(夜)
 初めてアリアンスの授業を休む。
 警察へ被害届を出しに烏君と出かける為、朝、被害状況及び被害額を説明する為の仏文をメモしておく。公園前の警察へ行くと管轄が違うからと言って別の所を教えられる。行ってみると、そこは前のとは違って派出所のような小さな所であった。中年のフランス市民の方が少し英語で通訳してくれたので何とか理解できた。この建物の所有者から契約を取り交わしてこの部屋を借りている人、即ち社長が被害届を出さなければならないということであった。店に電話する。社長にかわったので警官の話しを聞いて貰った。「俺が行かないといけないらしいよ」と了解した様子。
 昨夜社長は「俺から借りていると俺の名前を出せばいいよ」と言っていた。ひょっとして自分が行かないといけないと内心思っていたのかも知れない。本当に知らなかったのだとも思うが、烏山君は少し疑問に思っている様子。しかし僕は、社長が了解して被害届を出してくれることになったので、少しほっとした気持である。僕達が滞在許可証を持っていないことは社長も十分承知しているのだから、彼が被害届を出してくれればその点問題にはならないと思う。即ち、彼らは私の知り合いで旅行中、今私の部屋に泊めてやっているのだと言えば何ら問題にはならないだろう。その後すぐ店へ行き、被害額をメモした紙を社長に手渡し、烏山君とポール・ロワイヤルの学食へ昼食に行った。
 烏君と別れてリュクサンブール公園で文庫本を読む。3時過ぎにポール・ロワイヤルの駅で大橋君が帰って来るのを待つ。彼に今回の出来事を話すと大変驚いた様子であった。彼の部屋を出る時、5百フラン借りる。昨年と状況が逆になったねと言うと、まだ返していないし……と昨年のことに触れてくる。君の状況は解っているよ、本当にこれだけ借りていいんだねと念を押すと、困っている時はお互い様ですよ、と言ってくれた。
7月9日(木) 快晴。 午後5時頃より風強くなり、雨となる。30℃を越えていただろう、暑かった。 26度C(夕刻) 21℃(夜)
 以前のような日常に戻る。
 授業後の北さんの話では、被害にあったことのある日本のある婦人は宝石類等、特に高価な物はいろいろ工夫を凝らして隠しているらしい。それほどみんな用心しているのだ。旅行小切手は再発行してくれるのだと思い少し油断していたのがいけなかった。良薬は口に苦し―か。ユンコさんの話では、東京銀行では滞在許可証を持たない者でも無利子で預かってくれるそうだ。西江さんは預けていた分だけ被害を免れたようだ。
 社長は明日被害届けに行くとの事。昨日の昼の話しでは夕方までに出しておきますと言っていた。口から出任せでは困る。烏山君は今日の昼過ぎ、書類を貰いに店へ行ったとか。彼の場合、被害証明があればすぐに旅行小切手の再発行は可能だ。一文無しでは不安だろう。烏君の心中を想えば、社長もその点、情の薄い人だ。急用があったのかもしれないが…。
7月10日(金) 晴(薄曇)。
 以前商業コースのクラスのことで尋ねてきた女性が僕の前の方に座っている。彼女の前に松田さんが座っている。しばらくすると松村さんもやって来た。正午過ぎ迄図書室で勉強。前の方に座っていた女性がパリ祭の催しは何処で行われるのか御存知ありませんか、と尋ねてくる。彼女は今年の1月に来て、ユンコさんと同じようなアリアンスの寮に入っているらしい。いつも熱心に勉強している姿が印象深く、以前から興味を抱いていた。既に大学は卒業しており、今年一杯で帰国の予定だとか。東京から来たのだろうか、名前もまだ知らない。ほんの5分間ほど話しただけだから―。札幌の人と今朝カフェで遇った。彼女も勉強に頗る熱心で他の話しは出来ず。気性の強い人のような印象を受けた。
 学食で昼食。帰宅して洗濯。勉強。6時前に寮を出て、学食で夕食。大橋君の話を憶い出し、ポール・ロワイヤル通りを東へ、セーヌ河の方向へと散策。SAINT MARCEL 大通りに出て少し行くと、ジャンヌ・ダルクの像が交差点の中央に立っていた。L'HOPITAL 大通りを北東へ取ると、オーステルリッツ駅へ出た。植物園に入る。マロニエの樹木のアーケード。色とりどりの花が咲き乱れている。セーヌ河岸に出て、河岸の公園に沿ってセーヌを下って行く。ノートルダム寺院まで来た時、観光客を乗せた遊覧船が上ってくる。若者が数人、明らかに僕に向かって「ムッシュウ!」と言って手を振っている。僕も『道草』(文庫本)を持っている右手を大きく振った。何となく心がなごみ、楽しい気分になってくる。この前の事がなければ完全に陶酔しきっていただろうけれど……。サン・ミシェル橋に上り、散策は終った。
 今日も25℃前後はあっただろう。額には汗が滲み出ていた。9時前に帰宅。
7月11日(土) 快晴。 26℃(夕刻) 22℃(夜)
 朝方よく夢を見る。日本にいる。帰って来たんだ、しまった!という感じになっているような夢。その夢に付随する情感は、若い頃の感受性が核となっているようなもので、惨めな色合いを帯びている……。
 9時少し過ぎ、烏山君が「コーヒでも入れましょうか」と声をかけてくる。それで起きる気になった。昨夜は大入りだったとかで、彼の帰りは少し遅く12時を過ぎていた。昨日社長がやっと警察へ行ってくれた。K君から被害証明書二通(社長の報告書と警察の認知書)コピーしたのを受け取る。
 今日の社長の話しでは、昨日の朝8時に警察へ行き、係官とこの部屋に来て被害現場を確認して貰い、証明書を書いて貰ったそうで、終ったら正午前になっていたとか。「大変だったよ」と何か恩を着せるような口振り・・・。「お手数をおかけしました。ありがとうございました」と感謝の言葉を返したが、何故かスッキリしないものが残った。取られる者が馬鹿なんだという非情な感覚を持っているのだろうか。しかし僕達が社長に頼んで行って貰った訳ではなく、僕達が届けた結果、彼が出向かなければならないことが判明したのだから、僕達はこちらの社会の論理に従ったまでのこと。自分の経営するレストランで働く従業員に貸した部屋で起こった災難――、そこは社長らしい態度(人情味は別に期待しない)をもって対処して欲しかった。
 146人分の弁当の注文が入った為、皆ちゃんと烏君は今晩徹夜。社長からその報酬として3百フランの前払いを受けた烏山君は僕を鮨場に呼び、これを使って下さいと百フラン差し出した。困っているときはお互い様ですからねという彼の好意に感動する。大橋君から既に借りていることを話し、それは受け取らなかったが、僕は彼に握手を求め、頑張ろうじゃないの!と左手で彼の肩をたたいた。
 昼はポール・ロワイヤルの学食。その後リュク公園で読書、3時頃帰宅。仕事に出かける時、下の出口のガラス戸に頭をぶつけて額にコブを作ってしまった。別に大したことはないが、杉本町に下宿していた頃、同じ様にガラス戸に頭をぶつけたことを思い出した。大阪府の教員採用試験の結果を待っていた頃のことだ。かなり精神的に不安定な状態になっていた為だろう、一瞬意識が朦朧としていたのだ。激しくぶち当たり痛烈な痛みが自分を元に戻してくれたのだった。しかし今はあの頃と状況は異なる。
 今日社長と被害届のことについて話していた時、彼は烏山君のことを烏が…と話していたくせに、烏君に面と向うと、烏山さんとさん付けで呼んでいた。そういう人はあまりアテに出来ないと心得ておいた方がよい。
 先日から『道草』を読んでいる。あらためて漱石の凄さを感じている。
7月12日(日) 薄曇り。午後7時頃1時間激雨。仕事終了時快晴。 20℃(夜)
 昨夜の145人分の弁当作りは、皆ちゃん、烏ちゃん、鈴木君。それに、菅谷のトッツァンもコロコロ帰りに来て、手伝ってくれたそうな。
 昼食に烏君が弁当を持って帰ってきてくれる。メロンをデザートに、bien mangé !
 3時過ぎに寮を出て、サクレ・クール聖堂を初めて訪れる。丁度ミサの最中であった。観光客がうろうろしていたが、やはり何か荘厳な雰囲気が漂っていた。PIGALE や BLANCHÉ の辺りはポルノショップ等の店が立ち並び、歓楽街といった観。Street-walkers も見かけた。地下鉄ブロンシェを出た角に、ムーラン・ルージュがあった。もう一度ゆっくりと聖堂の近くの建物群を観てみたい。
 西江さんの顔面に出た蕁麻疹はなかなか鎮静する兆しはなく、少しむくんでいる様子。金を盗まれた精神的ショックも大いに影響しているのだろう。二人とも努めて陽気に仕事に精を出して入るようだが、今日の西江さんは何処か疲れが出ている様子で、歩く後ろ姿にどことなく侘びしさが滲み出ている感じがした。
7月13日(月) 曇、午後より薄曇。23℃(夕刻) 16℃(夜)
 昨夜烏山君が握ってくれたおにぎり3個と、玉葱とハムをバターで炒め、それをおかずにして昼食。3時半頃、彼が帰って来て、コーラとパンを買って来てくれる。夕食は丼であったが、食べきれずに初めて残す。
 仕事が終り、烏山君とサン・ミッシェルに出かける。11時半過ぎからサン・ミッシェル広場ではボンボンと花火を打ち上げていた。人で一杯。彼は明日仕事があるのでゆっくりしていられない。12時を過ぎたところで家路に向う。明日の昼食を彼が作ってくれていて、持ち帰りの際汁がこぼれ、彼のパスポートを少し汚したようだ。申し訳ない気持。彼の行為に多謝。『道草』了。
7月14日(火) 晴 23℃(夕刻) 16℃(夜)
 今日はパリ祭。しかし、異邦人にはその雰囲気の中には入れない。フランスの歴史や文化伝統がこの僕の血肉の中に少しでも溶け込んでいるとでも言うのかい。更に、仕事を持つ独り者には、ゆったりとして好奇心を身にまとう時間的余裕すらないではないか。少し悲観的か?
 地下鉄コンコルド駅は閉鎖されていて出られず、マドレーヌ駅まで戻る。午前11時少し前であったろうか、コンコルド広場での式典は既に終ってしまっていた。
 セーヌ河岸で烏山君が作ってくれた弁当を食べる。エッフェル塔前の河岸では何処かフランスの地方の衣装を身にまとった若い男女がアコーディオンの伴奏に合わせて踊っていた。それを見ていると、少しパリ祭の気分に浸れたような気がしたが、彼等は暫くして踊りを止めてしまった。
 イエナから地下鉄に乗り、1時半頃、部屋に戻る。少し勉強した後、『月山』を読んでいて眠ってしまったらしく、気が付くともう仕事に行く時間であった。
 仕事が終ってから、近くの消防署へ行くと、若者達が演奏と歌に合わせて踊っていた。各地区の消防署がその場所を開放して毎年行われているのだと烏山君が言っていた。彼と別れてトーカデロへ。何処も人で一杯だ。地上に出るだけでも一苦労であった。バンバンと爆竹の音がするし、人波に揉まれて押し潰されそう。結局、シャイヨ宮へは辿りつけそうになく、諦めてイエナ駅まで歩き、そこから地下鉄に乗る。1時帰宅。
7月15日(水) 薄曇、時々晴れ間あり。 23℃(夕刻) 20℃(夜)
 いつも熱心に勉強している日本女性、昨夜は花火が見たくて8時半頃まで待っていて、やっと上がったが、10分も続かなかったらしい。日本の花火大会が念頭にあったので少し期待外れだったようだ。話していると松田さんがやって来た。松田さんのアノ態度は少し気になる。しかしあのような性格なのかも知れない。午後、松村さんが来て、彼女に仏語を少し教える。
 職場における自分――相変わらず同じようなパターン。みんなの話の中へはすんなりと入っていけない。引っ掛かっている自分を常に意識している。深野さんは顔を合わせるといつも「仏語はどうですか」と訊いてくる。返事にいつも困る。今日は仕事が終り着替えている時そう声をかけられ、返事に窮していると、追い討ちをかけるように鈴木君が仏語で何か言ってきた。「まあまあ」とか「何とかやっている」でいいのだが、つい本気で考えてしまう。だから返答が出てこない。鈴木君の仏語は意味が解らず、これには答えようがなかった。しかし、いい勉強になった。 cour f 中庭。 cours m 講義、授業。「授業はどうですか」という意味であったのだろう。<クール>の音を前者でしか解していなかったようだ。仏語の習得は、常にこのような刺激があるような環境がいい。しかしその場所は自分で作り出していかないと―。
7月16日(木) 薄曇。26℃(夕刻) 21℃(夜) 夜11時頃雨。
 パリ祭の娘(シャイヨ→ヤヨイ→弥生)は図書室にいた。解らない文(条件法過去)を尋ねたが、彼女も理解していないことにあらためて気付いたらしい。話し振りはkjに似たところがあったが、それは女性特有の部分かも知れない。迷惑がっている様子はなかった。彼女と15分位話した後、図書室を出る。
 約束のエトワールへ。同じ電車だったらしく、僕の前を烏山君が歩いていた。彼が BANC DÉAMÉRIQUE で旅行小切手のリファンドを受けるのに同行する。その頃急に気分が悪くなり、微熱があることを自覚する。ポール・ロワイヤルで昼食後、帰宅。烏山君もさすがにホッとしたらしく、自分の部屋に入り眠ったようだ。僕も改源を飲み、30分位ベッドに横になる。気分が少し良くなったので起き上がり、アリアンスの復習。
 仕事はやはり疲れた。頤の下の部分を指で押すと痛い。熱で少し腫れているのだろう。店を出ると、生憎の雨。走って駅へ。   『月山』読了。
7月17日(金) 快晴。
 微熱の為今日の授業は余計に理解し難かった。
 図書室:弥生さんの斜め向いに席を取る。言葉をかけるタイミングをはずしてしまい、黙って座ってしまう。少しバツが悪かったがそのまま自分の勉強に取りかかる。弥生さんはいつも熱心に脇目も振らずの状態なので、何時僕の存在に気付いたのかは不明。正午過ぎ、彼女の予習も終った気配。ようやく視線が合い、彼女の方から昨日の旅行小切手のリファンドの具合を尋ねてくる。松田さんがその少し前に来ていて僕の隣に座っていた。彼女が先に部屋を出、その後松田さんと一緒に出て、出た所で立ち話をしていた時、奥の教室の前で確か彼女が立っていてこちらに会釈を送ってくれたように感じたのだが、しかしその女性は弥生さんであったのか、単なる僕の目の錯覚であったのか、今も不明……。
 学食後、帰宅して身体を休める。熱い湯を飲み汗を出すと、熱が少し下がったようで気分が少し楽になる。烏山君が昼の仕事が終り帰って来て、いろいろと親切に気を配ってくれる。僕は今日は金曜日で休み。夜、言葉通り弁当を作り持って帰って来てくれる。多謝。
7月18日(土) 晴時々曇。 16℃(夕刻)
 地下鉄 RAMBUTEAU で久方振りの再会。ポンピドーセンターで10時過ぎから1時半頃まで交換教授。彼女の翻訳はやっと半分を終えたところらしく、予定より1週間延びる模様だとか。母親の病気の為2週間翻訳を進めることが出来なかったらしい。マダガスカル行きははっきりしない、友達の彼は今年来るかどうか分らないとか。
 図書館を出ると肌寒い。言葉の壁があり、感情の交流はうまくいかない。何か物足りなく、気持を苛立たせる塊のようなものを内部に感じる。
 咽喉の痛みも少なくなり、熱も下がり、仕事が終った今、風邪はもう悪化する気配はないようで、少しほっとしている。
 先生から手紙がまだ来ない。トラベラーズチェックに関する返事も。
7月19日(日) 晴。 21℃(夕刻) 18℃(夜)
 洗濯。残っていたスパゲティを食べ、さて今日はどうするか。ポンピドーセンターの図書室へ行くことにする。寮ではどうも落ち着かない。道路を車が通る大きな音、それに隣の部屋から聞こえてくる音やアサンサールの音などに、あれ以来妙に神経が敏感に反応して落ち着かないから。
 Gare de l'Est で乗り換えた時、誰かが僕の後ろポケットをまさぐっている! すぐ気付き用心していると、また始めたので反射的に腰を振った。手を引っ込めたようだ。4、5人の若い黒人が僕のすぐ後ろに居るようだ。危険を察知してすぐ電車を降りた。と同時にドアは閉り、電車は発車した。ガラスの向こうで一人がニヤリと薄笑いを浮かべた顔が印象に残っている。本当に、こちらで生活するには油断も隙もあったものではない。要注意!
 図書室にはギッシングの書物も置いてあり、自由に読めるから有り難い。 "The Private Papers of Henry Ryecroft" の仏訳も置いてあった。出版社が判明したので探してみることにしよう。下着の上にカッターシャツだけでは今日は寒かった。
 仕事場では<アッチャ向いてホイ!>が大流行。客が少なく閑暇だったので、我こそチャンピオンだとエライ熱の入れよう。まあ、楽しく仕事を終える。
7月20日(月) 曇、夕刻より晴。
 弥生さん11時半頃に図書室を出て行った。言葉は交せず。
 シャトレのフナックで "L'étranger" を買い、出てくると、グエンさんに会う。同室の友達が今夜引っ越すので交換教授は4時半迄とした。彼女の方を先にやり、3時半頃、今度はあなたの番だと彼女が時間を割り振った。僕の方は30分位で終る。条件法には話者の<申し出>の意味があることを教わる。やはりいろいろと尋ねてみるべきだ。
 夜、大入りと思った位忙しかった。<アッチャ向いて>で職場は活気付いている。
 鈴木君が英語で話していた仏人にいきなり大声で怒鳴った。理由を尋ねると、「また猿がやって来た」と彼を何回もからかったのだそうである。客も長い間待たされていて、日本人なら英語は解らないだろうと思ってか、そう言ったらしい。「バカヤロー!」と日本語で怒鳴ったのが彼の失策。その仏人には通じず、日本人客には悪い印象しか与えなかったのだから―。
7月21日(火) 曇、時々小雨。 21℃(夕刻) 20℃(夜)
 大橋君から職場に電話があった。藤原君から葉書がホテル宛に届いていると。
 今夜は仕事は早く終り、寮でシャワーを浴び、これから出かける。大橋君とポール・ロワイヤルの駅で1時の待ち合わせ。彼の部屋に泊まり、明日はそこから学校へ行く予定。
7月22日(水) 曇。
 昨夜は大橋君と3時半頃まで話し込む。久し振りなのでお互い話すことが溜っており、飽きることはない。パリ祭は彼にとっては良い思い出となったようだ。仕事が3日間休みだったので、いろんな機会があったのだろう。「松本さんも飛び越さないといけないよ」と彼は言う。僕達の心にはある種の壁があって、それを超えなければ人生の愉悦は獲得できないと彼は言いたいのだ。彼の表情は以前と異なり大分、和んでいた。 Il a l'air content. という表現になるのか――。
 相川・高田さんのことについて。大橋君は先日佐伯というあの調理人と話をしたそうだが、最近相川さんを見かけない、下宿を訪ねたが居なかった、一体どうしたのかと心配していたそうだ。僕も先月相川さんに会った時、電話を取り付けると言っていたが、その連絡はなく、少し気になっていたところ、今月のあの盗難事件――、それですっかり忘れてしまっていたのだが、……どうしたのか、変なことになっていなければいいが……。
 松田さんにも相川さん達のことを話しておいた。
 ポンピドーセンターで2時頃から5時頃まで交換教授。僕は6時まで居た。学食。8時頃帰宅。
7月23日(木) 晴。 18℃(夕刻)
 朝7時過ぎ、ジーンというベル音。1回だけ。ベッドを出て、台所の窓から下を見ると20歳前後の若い男が自転車をこいで行くのが見えた。今考えると、彼は速達郵便配達人であったのかも知れない。だから上まで登って知らせに来たのかも―。郵便受けには "Pli argent" と書かれた紙が貼られてあった。東京の住友銀行からの速達便であった。
 学食で昼食後、オペラ座からすぐ近くのイタリアン大通りにある BANQUE NATIONAL DE PARIS へ行く。そこが住友円建て旅行小切手の代理店であると書かれてあった。しかし担当と想われる婦人が応対に来て、 "Vous venez pourquoi?" と冷たい表情―、驚いてしまった。代理店であるのなら手続きは簡単だろう、またここへ行けと指示しているからには、当然住友から連絡済みのここと思っていた。すったもんだの末、東京へ関連書類を送ってくれることになった。僕からも手紙を書くと言うと、その必要はないと言う。"Je ne suis pas content de Sumitomo Banque." と言ったら、その婦人は同情の笑顔を示してくれたように思えた。しかし、関連書類のコピーを貰いたいと頼むと、表情は一瞬曇った。リファンドされるのはまだ2~3週間先になるだろう。
 今夜、職場で<アッチャ向いて>をやっていた時、前の差し歯が飛んでしまった。全く恥かしい思いをした。昨日学食で骨付き肉の骨を噛んでしまったのが原因だ。帰宅後、今治水で消毒して、昨年のように根に銀紙を巻いて差し込む。何とか3~4年は持ってくれ!
7月24日(金) 朝、雨。午後より少し晴れ間あり。 16℃(夕刻)
 交換教授をしていること、それに松村さんのことを口に出したのが原因かもしれない。弥生さんは窓よりの席に引っ込んでしまった。 Tant pis !
 ポンピドーの図書室にて2時~4時交換教授。5時迄 C.L.Philippe をノートに写す。現在は書物が恋人、といったところか―。先生から便りがこない。山本君からも。
7月25日(土) 曇天。 18℃(夕刻) 16℃(夜)
 洗濯の後正午前に寮を出て、学食で昼食。
 13, Quai de Conti にある出版社を確かめたくなり、歩いて行ってみる。慥かにあったが、入って行き難く、引き返す。ギッシングの『プライベイト…』の仏訳は手紙で問い合わせてみるつもり。
 ポン・ヌフを渡りポンピドーまで歩く。2時半頃から『マッカーサーの二千日』を読んで彼女を待っていると、4時頃に姿を現す。水道が故障、修繕屋が来るので帰らないといけないと言って彼女はすぐに帰る。19課まで録音してくれたカセットと教科書を受け取る。来週の火曜日(ポンピドーは閉館なので)、サブロンの彼女の家で2時から交換。
 ジュンクに立ち寄る。日本は猛暑らしいが、こちらは気温が20℃を越えないと少し肌寒い。千代の富士の優勝を知る。
7月26日(日) 曇。 19℃(夕刻) 18℃(夜)
 1時前に大橋君を訪ねる。彼がスイスで知りあった彼の兄さんの友達、橋本さん来訪。学会員のよう。大橋君より1歳上、なかなか愛想のいい人であった。
 2時頃、 Bourg-la-Leine の高田・相川さん達の下宿を訪ねる。不在。ドアの取っ手に紙片が貼りつけてあり、18日にみんな待っています、と書かれてあった。彼女達の日本人の友達が7月16日に訪ねたようだ。16日からずっと帰っていないことになる。大橋君が佐伯という料理人と話したのは15日だと言う。彼女達は15日以前から姿を消してしまっていたことになる。悪いことが起っていなければよいが……。部屋の持ち主はヴァカンスで何処かへ行っていないのだろうか。
 近くの公園、 parc de seau を散歩。ヴェルサイユ庭園を小さくしたような、いい感じの公園であった。恋人と散策するのに最適か。
7月27日(月) 薄曇。
 弥生との心理的な関係が且てのKJとの関係に酷似していることに気付き、何か自分に対してやりきれなさを感じる。
 松村さん、6月17、18日の新聞(朝日と毎日)を持ってきてくれる。多謝。先週の金曜日にも持ってきてくれたらしい。弥生に比べて齢も若いし心も素朴で気持がいい。
 2時15分頃、弥生が図書室に入ってくる。誰かを捜している様子。視線を合わさないようにした。すぐ出て行ったが、誰を捜しているのか。松田さんと同じクラスの者と約束でもしたのだろうか。そうでもなさそうな気もするが……。少し眠ってしまう。3時半頃、松田さんが授業を終えてやって来る。カフェで話す。
 水道工事屋が着て、応急手当だけして帰る。8月はヴァカンスで9月にもう一度来てきちんと修繕するらしい。少し言葉を交したが、いい感じのおやじさんであった。チョニジアで生れ、イタリア人と結婚、日本には少し興味を抱いている様子であった。
 烏君と少し感情の食い違いがあった。西江さんのことを人に好かれるタイプで憎めない人だと言うと、他人のことをいろいろ批判するのは嫌いだ、同じ所で仕事をしているのだから、とややむっとした表情で言い返された。西江さんは今日の昼休みに社長とテニスをしに行ったそうだ。夜は仕事が終った後、一緒に食事に行ったようだった。烏君は西江さんを意識しているようで、彼には西江評を控えるべきであったようだ。
7月28日(火) 快晴。久し振りの夏到来。 28℃(夕刻)
 Les Sablons のダニエルさんの下宿に2時過ぎに着く。しかし不在。僕宛ての書き付けがドアに留めてあった。今日は友達をシャルル・ド・ゴール空港に見送りに行く為、昨日アリアンスにそれを告げに来たらしい。夕方「サクラ」に電話があり、明日ポンピドーで会うことになった。 quatre heures l'aprés-midi.
 また外されて少しむっとしていたが、よく読んでみると彼女の気持も解ってきて、感情も鎮静、電話の彼女の、すみません、という声の調子で僕の気持は完全に納得した。
 仕事は、昨日はOECD勤務の団体客20名、今日は大使館の17名等で忙しかった。今日は大入り。
7月29日(水) 快晴。恐らく30℃位はあったであろう。
 教師は休み、代りに太った人が来て郵便に関する言葉を教えてくれる。同じクラスの日本人と今日初めて言葉を交わす。昭和24年生れ、徳島県育ち、京都の大学を卒、所謂大学紛争の世代、会社勤めを辞め、ニューヨークに半年、中南米を旅行、スペインに2~3年居て、昨年10月にパリに来て小さな日本レストラン「美加代(?)」で現在コックをしている。スペイン語は話せるようだ。ポルトガル人とも通じるのか片言で話していた。来月は旅行する予定だとか。放浪生活が言葉に染み付いているようで、気楽な感じで話をし、確か、杼谷(トチタニ)と名のった。何処か通じるところを持っている。
 弥生はkjを想起させるので、避けるほうがよい。松田さんと同じクラスの男と、抑えていたものを一度に発散させるように、うまくやっている様子。
 30分位待たされて、3時前に松田さんと松村さんが来る。彼女に少し仏語を教えて、3時過ぎに図書室を出る。4時にポンピドーに着く。
 ダニエルさんは今朝の10時半から勉強していて、少し寒いので陽を浴びようと外の通路に出ていた。6時までに帰らないといけない用事(隣の人の子守)があるので、5時過ぎに終える。国語辞典を貸してやる。彼女、交換で質問するのは時間がかかり不便だというようなことを言っていた。翻訳がうまく進まないのだろう……か。
 サン・ミッシェル通りの本屋で待望の仏訳『ヘンリーライクロフトの私記』を買う。33フラン。学食で夕食後、アメリカ映画 "Les Années Lumière (Light Years Away)"を観る。学割がきいて、17フラン。10時30分帰宅。
 日常とはこんなもんだとは思うのだが、何故か虚しさを覚える。
7月30日(木) 晴。薄雲が張っているようで昨日より蒸し暑い。 28℃(夕刻) 25℃(夜)
 授業終了後カフェで杼谷さんと話す。ニューヨークへ行けば、日本レストラン等でこちらより高給で働くことが可能。しかし入国は難しいらしい。アルジェ行き通訳の仕事、または北アフリカへ調理師として行く。金を稼ぐのにいい仕事だ。今日彼と話していて、少しは先の見通しがつくような感じになって愉快であった。ただ漠然と働いていたのでは駄目だ。はっきりとした目標を設定する。生き甲斐も生れてくるという訳だ。
 図書室を4時過ぎに出て、Laumière 駅の近くの錠前屋に行く。ドアの錠前が320フラン、施設料が80フランで引き受けてくれる。思っていたより簡単に話はついた。社長に報告すると、アパートの持ち主も400フラン前後の修理を望んでいたとのこと。明朝9時頃に来てくれる。
 鈴木君の姉さんは日本医学会発行の雑誌に翻訳を載せ、月2万フラン位稼いでいるらしい。聞き間違いでなければ信じられない話だ。パリ大文学部の修士か博士課程に在学中とか。
7月31日(金) 晴、夕刻より小雨。 30℃(夕刻) 21℃(夜)
 あのイヤナ教師とも今日でお別れ。今日も Japonais を Jap と書き直して、一人喜んでいた。インド人の4人娘に訊いてみても前の先生の方がずっと良かったと言っていた。隣に座った18歳のスペイン女性も同じ意見だ。今思い起こしてみると、7月のクラスはスペイン人が多かった。8人位いたか。インド4人、日本2人、中国1人、韓国1人、メキシコ1人、その他数人。隣のスペイン人は、話してみると大変人なつっこい女性で好感が持てた。MARGARITA という名前なので、間留賀梨多と書いてひらがなも添えてやると、気に入ったらしくそれを持ち帰ろうとしたので、新しい紙にきれいに書き直してやった。
 今日は蒸し暑く、汗がたくさん流れた。重い鞄を肩に引っ掛け、歩いていると汗が流れ、うんざりしてくる。夜小雨が降り気温が急降下、涼しくなる。
 弥生はフランス国内を半月程一人で旅行するとか――。彼女は化粧して自らの美しさを壊しているようなものだ。化粧崩れのような感じがして今日の印象は悪かった。弥生の傍にくっついている、Lille に来ている大学院生も何処か情けない男の状態を晒していた。
 松田さんの態度が不明瞭で少し苛立ちを覚える。松村さんは図書室で勉強したい様子なのに、松田さんを気にしていたようだ。もう一人、松田さんと一緒にいた女性、目的を途中で投げ出してしまったのか、何の当ても無くただ惰性でフランスにいるような感じがして、声をかけてみる気にもならない。その女性は、4時半頃リュクサン公園を横切った時すれ違い、声をかけてきた。2フランで写真が撮れる所を知らないかと言う。3フランの所は知っているらしいのだが、2フラン写真を探しているのだ。それほど金に困っているのか、それとも何もすることが無く暇潰しに探し歩いているのか、話す言葉にも覇気は無く、ああいう女性はどうも理解し難い。
 金本さん今日で退店。僕はドラッグへは行かず。烏君も「彼はどうせ金持ちのお坊ちゃんですよ」と言っていた。言葉づかいに少し嫌味な所があった。
 久保田さんのヒステリーを今日初めて見る。「まるで白熊みたいに、下駄を取りに、これで何回来たかしら!」とキンキン響く声。鮨場も忙しく、きりきり舞いしているのだろう。皆ちゃんは落ち着いたもので、「ははあ、また始まりましたか…」







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