上梓【2009.06.02】
Il y a longtemps que je …
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6 月
- 1981年6月1日(月)
- 朝方曇っていて、また雨になるのかと、傘を持って出るが、空は晴れ上がった。
アリアンス、新しい先生は40歳位の女の先生。生徒は22名と多い。声を嗄らしての熱意には少し心を動かされる。二課ほど後に戻っての復習。聴き取りの訓練と声に出す練習をやる必要を感じている。
1時5分前に着くと、グエンさんは既にいた。4時過ぎ迄交換授業。8月に帰国する日本人留学生が住んでいる部屋(風呂トイレ付き1ヶ月1,000フラン)に彼女が入るつもりだったが止めにしたようなことを言っていたが、詳しいことは分らない。
前川氏、3フラン50持って来る。最初何の金か判らなかった。基本給1,300フランで計算し直した4月30日分の不足分なのだそうだ。意外にきちんとした人ではないか、と見直す思いであった。
今日から新しい人が二人入ってきた。カウンターの松田さんとキッチンの西江さん。
- 6月2日(火) 晴、夕刻より小雨。
- 2時~4時30分、第九図書室。シャトレへヴェトナム産の品物を買いに行くと言うので、地下鉄はエトワール迄一緒だった。その二駅間の短い時間での会話。何時まで滞在するのですか、と彼女に訊かれる。僕としてはそこが問題。パリに居る目的は何なのか。
まずは友達がいるパリに脱出する、それから英語圏の国へ行き生きた英語をマスターする。これが当初の目的ではなかったのか。しかし、今はパリが気に入っている。当分は出たくない。金がない、だから働いて稼いでいる。パリに居るのだから仏語も習得したい、だから勉強している。それ以外にどのような理由付けがいるのか。彼女の翻訳の手伝いもしたい。それで良いではないか。彼女にはこんな事をすべて言ったわけではない。短い時間、それに言葉の障壁もある、たとえ言ったとしても理解される訳はない。
- 6月3日(水) 曇、夕刻より小雨。
- リュクサンブール公園で30分ほど眠る。眠るといってもベンチに腰掛けてのうつら眠り。昨日も第九の図書室では眠かった。近頃は6時間弱、それも浅い眠りなのだから睡魔に襲われるのも仕方がない。2日間便通が無かったが、今朝、固いのが少し。
今日から仏語勉強の方針を変え、アリアンスの教科書中心に、会話の方を主体に勉強してゆこう。
- 6月4日(木) 晴。日射しは強いが少し肌寒い。夕刻22℃、夜11時19℃。
- 今日も眠く、リュクサン公園の椅子に座り30分位、うとうと……。アリアンスの図書室で勉強。家から何の音沙汰もない。山口さんはどうしているのか……。
- 6月5日(金) 曇、少し肌寒い。
- このメランコリックな感情は一体何処から来るのだろうか。僕の人生の定めなさからくるのか…、孤独感からなのか……。優しさの欲求の空回りのせいか――。
思うように仏語が話せないことに対する苛立ちがある。1,2ヶ月位で喋れたら、それこそ天才だ、と解りながらも何故か不満足だ。交換授業と云っても、日本語ばかり使っていてはどうしようもない。もっとガムシャラに、間違いを恐れずに、使うべきである。満足しないこの気持。自分の仕事をしていない、ことに対する不満。とにかく、この気持は複雑だ。
ダニエルさんは真面目で勉強一筋で、自分の感覚の快、不快にあまり頓着しない女性のようだ。理性の方が先行していると言ってよい。しかし男性的では決してない。お母さんは日本人によく似ていると言っていた。今日はオルリ空港で働いているお父さんがパリに来て一緒に食事をすることになっているとか。お兄さんは一歳年上でパリ大学の医学生。今三回生。二回留年したとか。下に弟三人、妹三人。一番下がまだ四歳。
地下鉄はレ・アールまで一緒、そこで別れたのが5時頃だったか。彼女はモベールへ日用雑貨や食材の買物に行った。僕はポール・ロワイヤルの学生食堂で食事。そこで偶然に相川さんに会う。入れ違いだったので5分間位しか話せなかった。何か忙しそうな様子であった。とにかく元気でやっているようでなによりだ。
- 6月6日(土) 薄曇。夜、晴れ渡り、オペラ座の上空に三日月が輝いていた。
- 10時起床。しかし習慣となっているのか、7時頃目が覚める。後は、うとうと……。
あまり勉強できず。3時過ぎ烏山君帰って来る。5時過ぎ一緒に仕事に出る。
仕事が終り、帰り途、ドラッグストアの向い側の路上に、チョークで「モナリザ」を見事!本物そっくりに描いてある。人がたくさん集まり、金を投げている。こんなにたくさんの金を集めているのを見るのは初めてだ。描いた人は学生風の若者。描いているところを実際この眼で見たかった、実に残念。すぐ近くでジャズの演奏。ここも黒山の人盛り。西江さんは先に帰り、烏山君と聴いていたが、惜しいかな、5分も聴かないうちに演奏は終ってしまった。もう11時を過ぎている。人通りも少なくなってきている。仕事を持つ者の口惜しさ――というところか。
- 6月9日(火) 薄曇り。
- 2時~4時15分、第九図書室。彼女の姿見えず。「サクラ」にも電話なし。
- 6月10日(水) 晴。
- 空が晴れ上がると気温が少し下がるようだ。昼食後、リュクサンブール公園で1時間近く本を読んでいたが、木陰だったので少し肌寒さを覚えた。日射しを浴びるととても暑く感じるのだが―。
JISUの受付の女性、あの会員証は無効だと言うが、大阪の事務所の人はまだ5年経っていないから有効だと言っていた。「経済用語辞典」を借りたのだが、その期間会員証は預けておかないといけないらしい。隣の部屋の写真展、日本では公開出来ない類の写真ばかり。ただそれだけの印象しか受けなかった。人がいなくて幸い。感想を求められても困ってしまう。何の感動も起きなかった。
アリアンスの図書室で勉強。彼女から連絡無し。明後日第九に行ってみるつもり。
パリ在住早稲田大学のOBの同窓会とかで、「サクラ」はかなり賑やかであった。前川氏もその一人。大入りが出そうな忙しさであった。チップの分配、20フラン。
さて、パリの文房具屋で買ったこの新しいノート、果して何時まで使われることか…。使い切り、二冊目も当地で買い求めることになるのかどうか――。
- 6月11日(木) 快晴。雲一つ無い絶好の夏到来。
- 学校――学食――公園で1時間の読書(横尾忠則著『インドへ』)――アリアンスの図書室――サクラ。
今宵は忙しかったが、昼間客が少なく大入りにならず。ロン・シャンの競馬、誰も当てた者は無し。今日も変化の無い1日が終る。明日学校授業無し。会話の資格試験実施の為教室を使用するからだろう。
烏山君と松田さん、シャルトルへ行ったそうだ。明日の金曜日は、郊外へ日帰り旅行をしても面白い。明日は第九へ顔を出さないと……。
- 6月12日(金) 曇。雨にはならず、青空が少し見える時もあった。
- アリアンスは休み。洗濯。
2時過ぎに第九に着く。彼女はいない。
Le mardi, 9 juin, j'etais dans la bibliothèque de 2h à 4h15 en vous attendant, mais vous n'êtes pas venue. Le lendemain, moi, j'etais occupé. Vous êtes occupée le jeudi. Donc, je suis allé à la bibliothèque en me dirant : je peux vous voir aujourd'hui. J'ai attendu ……
とここまで書いた時、3時過ぎだったか、彼女か現れた。「ごめんなさい……」という声。実家へ帰っていて、月曜日は頭痛で寝ていたと言う。今日は4時から1時間の試験があるので、家で勉強していた。頭痛はもう大丈夫かと尋ねると、少しいい、とのこと。翻訳の壁にぶつかった様子。気分転換も必要だと注意しておいた。交換教授は月曜から再開することを確認する。頼りにされていることが分って悪い気はしない。上の文を見せると、大分上達しましたね、との言葉。それから、Marco と Sophie の創作会話を添削して貰う。
5時過ぎ第九を出る。「ジュンク」で鎌田慧著『労働現場-造船所で何か起こったか-』岩波新書を買う。ポール・ロワイヤルの学食で相川さんを見かける。彼女とは10日の昼、偶然会って少し話をしたが、今日は友達に取り囲まれていて、言葉はかけなかった。
Rue St.Jacques と Rue des Ecoles の交差する角の本屋で "MARC CHAGALL" を買う。10フラン。
- 6月13日(土) 薄曇。視界は悪く、ポンピドーセンターからサクレクール聖堂は見えず。気温25℃(夕刻5時半頃) 22℃(夜11時頃)
- 昨晩4時前に床に就く。10時半起床。管野さんは11時半頃に起きてきて、その後部屋に籠っていた。
1時前に出て、ポンピドーセンターの図書室で4時過ぎ迄勉強。『倒産』を読み、彼女の記事の検討を終える。読み間違いがいくらかあった。「栄養失調で倒れた」を死んだと解していたり、日本語の主語の省略に引っ掛かって人物を取り違えたところ等……。若さ故の強さと同時に弱さもある訳で、ここは少し支えてやらねばならぬ。
ポンピドーセンターの前の広場は観光客で祭りのような賑やかさ。パンツ一枚でヨガをやっている若者、観光客相手に似顔絵を描いている画家が6、7人、犬に芸をさせている老人、等々……。ダニエルさんに指摘されて感心してしまった本物そっくりに描かれた窓のある建物、その前の比較的狭い広場では、40歳位の婦人がカセットから流れてくる伴奏に合わせてシャンソンを歌っていた。20分位聴いていただろうか。「愛の賛歌」も歌っていた。じっと聴いていると、ある感覚の世界がすーと近づいてきて静かに通り過ぎていったようだ。寂寥感もあり少し悲しいようで、それでいて何故か懐かしく甘美で、不安であると同時に自足した感覚の世界。しかもこのような言葉で表現するとそうではないような、言語表現不可能な世界――幼年期に確かに経験したであろうと想われる感覚の世界……。若しその世界と好きな時は何時でも交流出来たとしたら、僕の感情の幅はずっと拡大されることは間違いないのだが……。
夜は疲れた。両足が重くなっていた。大入り。10フラン。
烏山君は帰り道「今日は土曜の夜ですよ!」と言って、ワインとカマンベールを買った。寮に帰り、二切れ貰うが、まだその味に馴染めないでいる。彼は「うまい、もうたまらなくうまい。最高! 日本で買うと固くて味のぐんと落ちる物でも三千円もするそうですよ。松田さんがそう言ってました。この分では、日本に帰れば、困ってしまうなぁ」と、パリにいる歓びが顔面に溢れ出んばかりに語っていた。
- 6月14日(日) 快晴。33℃(夕刻5時半頃) 27℃(夜11時頃)
- 起きたのが11時前。昨夜の仕事の疲れか、よく眠ったようだが、決して熟睡していない。夢。欲求不満なのか、そんな夢。
仏語の教科書 "le Français et la vie (1)" 読了。
夕方5時過ぎ、仕事にいく為外に出る。ムッ!とした暑さ。いよいよ夏到来か。
今夜も忙しく、大入りの気配。弁当注文もあったので、当然大入り、という期待を皆持っていたようである。ところが「大入りには程遠い……」と前川氏が言ったとか――。仕事が終って皆不満顔。ドラッグで飲んでいるのだろう、僕は一人で先に帰宅。このような疲れた状態でアルコールが入ると身体に良くないようだ。
西江さんは時々僕のことを「マッチン」と呼ぶ。最初は「松本君」だった。彼は僕より5歳年長の37歳。別に違和感はない。次に「マッチャン」と呼ばれた時は少し変な感じがしたが、高校時代の級友が僕をそう呼んだことがあったし親しみの籠った呼び方だ。しかし「マッチン」はいけない。神経にさわる。今度言ったら訂正を要求しようと思っていたが、僕の表情を読んだのか、その後は「マッチャン」であった。しかしどうして30歳以上の大の男を「マッチン」と呼ぶのだろうか、その神経が理解出来ない。彼自身「シンチャン」と呼ばれることがある。年のわりには若く見えるのだ。最初会った時、僕より年下かと思った程だ。しかし決して悪気があって言ったのではない。だから余計に不思議に思ってしまう。こんな小さな事に一々拘泥している自分……その姿、哀し!
- 6月15日(月) 快晴。32℃(夕刻5時半頃) 23℃(夜11時頃) 今後(夕刻)(夜)と略す。1958年以来の早い夏の到来だとか。
- "le Français et la vie (2)" を買う。
2時~3時45分、第九図書室。例のル・モンドの記事の訳し間違いを指摘。彼女少し渋い顔。
コンコルドで降り、木陰のベンチに腰かけ、テキスト(2) を読む。
さあ、仕事だ。働き出してもう1ヶ月半が経過したんだなあという思いで「サクラ」へ向って歩いて行った。
- 6月16日(火) 晴。22℃(夕刻)
- とにかく今は一日でも早く仏語の習得を達成する為に全力を注ぐべきだ。これからの見通しなど全くない。少し不安だ。気分が沈みがち。やや不機嫌な気分。
職場の冗談の中に自分を溶け込ませないようにと、自然に殻を作りあげる。ただ黙々と仕事を済ませ、帰る。これがぼくの性に合っている。一人になりたい。一人になって自分を凝視したい。あまり異国に居る感じがしない。
32歳の日本人男性がオランダ女性を殺害し、死体をバラバラにし、ブローニュの森の湖に捨てようとしているところを捕えられる。夕刊紙はデカデカと男の写真を載せ、大きく cannibal と見出しをだしていた。その肉を食ったのかどうか、その点は興味本位に誇張した書き方をしているのかも知れない。
前川氏はたいてい店の開店(午後7時)後に姿を現すのだが、たまに従業員が夕食を食べるずっと前に来る時がある。今日はそのたまの日であった。夕食の準備をしている時から既に変な雰囲気が漂っていた。主人が店にいることを意識してか、夕食のおかずはもやし炒めと生卵1個。食膳に着くや、まずアンドレさんが不満の第一声。それを聞いて、料理を作った西江さん、「アンドレさん、怒っているよ……」と多少自虐的にうれしそうに言ってみせる。僕としては、たまに夕食の内容がお粗末な日があっても別段不満はないが、それよりも寧ろ従業員たちの醸し出す変な雰囲気だけはいただけない。
- 6月17日(水) 薄曇。17℃(夕刻) 15℃(夜)
- 他の学生の試験に教室が使用される為、授業は休み。
10時15分前に第九に着くと、まだ開いていない。10時開館なのだ。下の学食で軽い朝食。グエンさん、30分遅刻してくる。交換授業は11時30分に終る。
下の学食で昼食。同じクラスのエジプト人に遇う。彼は25歳。エジプト銀行(?)に勤めているらしい。今、週3日働いているとか。アリアンスで言葉を習得後パリ大学の商学部に入学したいらしい。アダム・キタのことを訊いてくる。関心を抱いていることは感じていたが、やはり――。彼の発音はR音を響かせることもあって殆ど聞き取れない。また英語もあまり話せないようで、細かい点が通じなかった。
その後、アリアンスの図書室で勉強。時間が来て、いつものように仕事へ。
店は9時頃から急に忙しくなる。皆チャン、今日は珍しく不満を洩らしていた。烏君が時々、寿司場の方へ行ったことも彼の心を苛立たせていたようだ。気分が沈むことは誰にだってあることなのだ。
- 6月18日(木) 薄曇。18℃(夕刻) 少し寒い感じ。
- 毎日同じ事の繰り返し。学校、図書館、学食、図書館。時間が来て仕事。
変った事と言えば、朝、学校のカフェで、4ヶ月前に札幌からやって来て、今免税店で働いているという女性と少し言葉を交した程度。きちんと計画を立ててやって来たのだろう、1年間の滞在許可証を持っていると言っていた。30歳を越えているようだった。それと、学校の近くからバスに乗り「サクラ」へ行ったこと位か。
西江さんの話では、昨夜3時頃、3~4分間程、僕が何か喚いていたそうである。先月も一度そういうことを角ちゃんから言われた。眠りが浅いのだろう、ストレスが溜っているのだろう。
今日は大入りで10フラン。
- 6月19日(金) 曇。半袖では夜は肌寒い。
- 学校、学食。帰ってきて洗濯。
夜(6時30分~8時30分)、第六、七大学でJISU主催「男はつらいよ(大原麗子共演)」を観る。観客は(8割は日本人)多く、映画が終ってもすぐに席を立つ人は殆どなく、盛んに拍手を送っていた。僕が小学校の高学年の頃、よく兄に連れられて東映の時代劇を観に行った。危難にあっている人を救う為主人公が馬を疾駆させる場面では、観客は興奮して拍手していたことを思い出した。日本を離れ異国の地で長年暮している日本人の心の奥底では、日本的な情緒を希求する欲求が渦を巻いてくるのだろうか。あの鳴り止まない拍手に、僕は多少の驚きと気恥かしさを感じながらも感動していた。
帰り、「京子」に寄り、久し振りに村山君と話す。今月から学校へは行っていない。8月にニースへバイトに行く予定だとか。苦しい生活のやりくり。仏語習得の情熱は大分冷えてきている様子であった。
- 6月20日(土) 曇。夜はまだ少し肌寒い。
- 先生に便りを書く。第五信。
山本君へ第二信。 手紙、有難う。
再就職の件、中々うまくいかないようですね。君の感情の音がシトシトと伝わってくるようです。
あじさいの花びら、どうも有難う。梅雨に濡れながらも、その鮮やかな色彩を失うことなく、寧ろ見事に咲いている光景が目に浮かんできて、日本は今梅雨期に入っているのかと、不思議なもので、懐かしい昔を思い出すように、ちょっとした感慨を覚えました。「あじさいの花の一片(ヒトツラ)手にとりて、告げたきこともありにしものを」これは確か、吉本隆明が情感溢れる頃、岩手工業高校卒業後、東京に帰ってきた時に創った短歌です。ふと脳裡をかすめました。ここに記します。
さて、君の質問の件について――。
ミッテラン新政権のことについては、日本にいる方が寧ろ確かな情報が得られるのではないか。残念なことに、まだ僕の仏語能力は、そのような情報収集には役立たない現状なのだから。政変があった当時、滞在許可証や労働許可証を持たない外国人労働者は締め出されるのではないかと、店の従業員達が話していたので、少し不安になったことは事実。しかし、不安がったとて、こちらに来てしまった以上、なるようにしかならず、その時はその時、しかし当分は大丈夫だろうと高を括っています。関連したニュースがあれば知らせて下さい。
僕のパスポートには入国した日付は押印されていない。係官によっては押す人もいるようだが、あまり徹底していないようです。従って、イギリスを除いたEC諸国間では入国印を押さないことの方が多いから言い訳はいくらでも立つ。例えば、つい先日スイスからこちらへやって来たところなのだ―とかなんとか。
また滞在許可証を持たないで長く滞在している人は大勢いるようで、刑事事件を起さない限り強制送還されたという話はいまだ聞いていない。パリ大学に留学している者でも、滞在期間延長の手続きは面倒で時間がかかる為、敢えていない者もいるようです。昨年暮れ、レストラン「大阪」が警察の手入れを受け、経営者は従業員の滞在許可証と労働許可証の申請を強要されただけで、従業員に対しては何もなかったとのこと。経営者はもぐり労働者を雇う方が金がかからないし、上手くやっていく何らかの方策を講じているのでしょう、普通はそういう申請はしないようです。観光目的では最大3ヶ月の滞在許可のようですが、それを過ぎた者でも国外退去を命ぜられることはない。少なくとも今年1年は大丈夫だろうと僕は思っている。ミッテラン政権が特に新しい政策を打ち出すとしてもこの9月か10月、少なくともそれまでは大丈夫だ。しかしそんなことを一々気にしていたのでは何も出来やしない。これから先何が起ろうとも、今を精一杯頑張るだけだ。何かが起るのも人生。何もなくこの状態でパリ生活を続けるのも人生。何が起ろうとも自分で選択した人生、別に悔いはないだろう。
パリの生活情報については、前便で詳しく書いたつもりだから、どれくらい費用がかかるか、おおよその見当はつくでしょう。僕は今、月1,300フラン稼いで、月500フランの寮費を払って、残りの金でなんとかやってゆけそうです。勿論、勉強と仕事の繰り返しで、生活を切り詰めてのことだが。赤字になるとしても、月100~200フラン程度に抑えられそうです。
ところで先生は引っ越しのことをどのように考えていらっしゃるのだろうか。手紙では、京阪電車にあのきつい冷房がかかる前になんとか探したいと、頭の中ではあれこれと思いを巡らしていると書いておられたが……。
実家へは二度葉書を出したが、返事は来ない。元気に頑張っていると、機会があれば電話でもして下さい。
今日は5時過ぎまで寮にいた。3時半頃だったか、掃除機が配達された。クライアントの名前は M.Merglut とか何とか、そんな名前のようであった。知らない、と突っぱねると帰って行ったが、しばらくしてまたやって来た。何回もベルを鳴らし、向いのマダムまで呼び出す執拗さであった。
前川氏に一応は報告しておかないといけないと思い、話し出すと急に不機嫌な顔付きになり、そんな物、黙って受け取って使わなければいいんだよ、とムッとした顔で僕を見詰める。僕は知らないことだと最後まで言い張ると、持って帰って行きました、と言うと、事情を詳しく聞こうともせず、そのような問題は出来るだけ避けたいとでもいうような表情で、それでいいんだよ!と不機嫌な表情は変らず。初めて見る前川氏のそんな一面。こんな調子でやられては従業員は堪らんな、と僕もその後不機嫌な気分が残った。
チップ、先週分15フラン、今週分15フラン。ギャルソンの深野さん、マンゴを切り損ない、前川氏に弁償せよと言われたらしい。石井さんもあきれ顔。
帰り、山本さんに偶然出会う。山本さんは石井さんに会いたそうな様子であったが、烏山君が強引にカフェに引き入れ、12時過ぎまで話す。山本さんの話では、例の日本人、あの事件のずっと以前に女性のあの部分を食べたいと口走ったこともあるそうで、殺されたオランダ女性のその部分はどうしたのか、まだ見つかっていないとか―。山本さんの勤めている「飛鳥」の従業員で仏語の出来る日本人は、客から日本人は皆人肉を食べるのかと厭味な質問を受け、「狂人に国境はない」と応えたそうだ。帰りのメトロ内で僕達を見て、彼等は日本人だと言っているのを耳にすると、変に勘ぐってしまい厭な気分になる。狂人に国境はないと言った日本人に拍手を送りたい気分だ。
- 6月21日(日) 薄曇。午後より晴れる。20℃(夕刻)
- 仕事に出かける5時過ぎまで部屋(正確には居間)で勉強や手紙の清書。
夜、大入り。帰る時、店主に「お疲れさま!」と声をかけるが、前川氏の返答の言葉の調子が違っているのに気付く。西洋の人は、今愛想のいい顔をしていたかと思うと、急に顔付きを変える、と西洋滞在の長い人がよく書いているが、西洋で長年生活しているとあのようになるのかしらん。別に気にすることはない。その時はその時。明日からまた学校だ!
- 6月22日(月) 晴。20℃(夕刻) 18℃(夜)
- アリアンスの図書室で勉強。バスに乗る。仕事にはまだ時間があるのでジュンクに立ち寄る。6月19日付けの朝日新聞を読む。東京深川で通り魔、6人を殺害。職を転々としていた28歳の男の犯行。理由なき路上殺人。日本もアメリカのように殺伐とした都会風が吹き出したか――。
午後7時前、「サクラ」の向かい側の建物の concierge (門衛)がピストルで撃たれる。犯人はすぐに捕まったらしい。
帰り際、声をかけるが、店主の返答はない。変に気になる。別に気にする程のことでもないが。 Going my way !
- 6月23日(火) 晴。24℃(夕刻)
- 学校の図書室は試験場として使用されている為入れず。 Cimetière du Montparnasse を散策。旅行案内書では、ボードレール、モーパッサン、ポアンカレ等の墓があると出ていたが、広い墓地、中をただ横切っただけなので、見つかる筈もない。猫を数匹見かけたが、あまり気分の良いものではなかった。しかし、周囲一帯に静寂さが漂い、ふとギッシングのエッセイを思い出した。都会の雑踏を避け、静かな墓地を訪れて、知らぬ故人の墓碑銘を読み、その人の生前を想い描く、或いは語りかける、僕はまだまだそのような境地が解る年齢ではない。
ネル元帥像から北の方向を眺めると、丁度リュクサンブール宮の右寄り上にサクレ・クールの白い聖堂が見える。昨日気付いたのだが、今日はじっくりとその光景を観賞した。
2時~4時30分まで第九の図書室。しかし、待ち人来たらず。一体どうしたのだ!
ジュンクに置いてあった6月18日付け夕刊と19日付け朝刊(朝日新聞)に、例の殺人事件の記事が載っていた。現在、予審判事が身柄を引き取って、精神鑑定を受けさせているとか。彼は日本の総合雑誌に投稿しているらしく、フランス人のエゴイズムを批判する内容らしい。留学3年、フランス社会に容易に溶け込めない苛立ちも幾分かは作用したのではないか、とも――。彼の友人の話によると、本人は自炊したこともなく、包丁を使うことすら嫌う程刃物に対しては神経質で、血を見ると極度に恐れるような性格の持ち主なので、信じられない、と述べているとか……。
今夜は仕事はそれ程忙しくなかった。店主の帰りの応答は普通だった。こんなことを気にしている自分が少し可笑しく思えてくる。
- 6月24日(水) 薄曇。18℃(夜)
- リュク公園で宿題を済ませ、学食。バスに乗り、シャンゼに出る。日本の撮影班が4、5人カメラを据え、道行く人の姿を撮影していた。偶然に僕の姿もカメラに納められたかも知れない。1時半頃、第九の図書室を覗く。いないのを確かめ、すぐに引き返す。
シネマ・コンコルドで L'oddesséy d'espace (21世紀未来の旅)を観る。25F。3時の中断までうとうとしてしまう。終って外に出る。第九の図書室で厭な視線で僕を見つめたあの女子学生が一人でシャンゼを歩いていた。ジュンクに立ち寄る。6月19日の朝日の夕刊――現在パリには2,800人の日本人が滞在、ミッテラン政権になって、政府給付留学生は、給付が300フラン上がって、月2千フラン位で生活しているとか――。
画家の卵の深野さんが展示会を開いた。社長から金一封があったそうだ。仕事終了後そのおごりでドラッグへ。疲れている為か、コップ一杯で酩酊気分。角ちゃんが来ていた。昨夜ド・ゴール空港に着いたとか。
- 6月25日(木) 曇、後小雨。15℃(夕刻&夜)
- 来月の進級の為のイグザマンあり。その後、空いている教室で勉強していたら、50歳前後の婦人が入ってきて、追い出される。 Ce n'est pas libre. ――だと。
仕方なく、第九へ。外は小雨。図書室には彼女はおらず。食堂で昼食。
ポンピドーセンターへ。レ・アールで降り、歩いて行くと、自動トワレットが設置されてあるのに気付く。試してみた。1フラン入れる。用を足して、外に出て扉を閉める。少し困ったが、仕方がない、その場を離れる。修理にきていた人なのだろう、うまく作動するか様子を窺っていたのだろう、しばらくして、流れる音が聞こえるよ、と言った。
センターの図書室で彼女へ手紙を書く。パリ市内は1フラン40で届くのかも知れないが、念の為3フラン20の切手を貼る。
Le 25 juin 1981
Chère Mademoiselle,
J'etais à la bibliothéque de 14 hs à 16 hs et demie le mardi, 23. Nous avons promis y d'appondre ensemble, n'est-ce pas ? Vous n'étes pas venue. Le lendemain je suis allé à la bibliothéque à 13 hs et demis, mais je vous ai pas vu. Je m'ai dit, "Ce n'est pas aujourd'ui que nous avons promis." Vous ne m'avez pas téléphoné. Qu'est-ce qu'il vous est arrivé ? Je crains que vous n'ayez mal à la tête. Peut-être, je vous pourrai voir si vous voulez encore mon aide sur votre traduction, mais je serai occupé demain. C'est pourquoi j'écris un mot à la hâte. Je vais être à la bibliothéque à 14 heures le mardi prochain (30 juin). J'espère que ces quelques lignes vous trouveront en bonne santé et que vous travaillerez bien.
Recevez, chère Mademoiselle, mes vœux de bonheur et l'expression de mes sentiments sympathiques.
I. Matsumoto
- 6月26日(金) 曇天、時々小雨。
- 授業が終ってカフェで、札幌から来た人に偶然会う。今回が二度目。少し話しただけ。
モンパルナス駅へ。12時58分発シャルトル行き直行に乗り遅れ、ランブイエに行こうと思い直し切符を買う。17フラン。13時54分発のシャルトル行きに乗る。ランブイエには14時25分に着いたが、気が変り、やはりシャルトルを訪ねることにし、そのまま乗っていた。車掌が来たので乗り越し運賃を払おうと思い、いくらかと訊くと、ペラペラと早口の仏語で喋りだした。とうとう終着駅まで彼の言うことが理解できず、その若い車掌の後について出口の方へ。日本のように出口の改札はなかった。その時やっと彼の言っていたことがなんとなく想像出来た。切符にはパリ・モンパルナス発行ランブイエ行きとは表示されていない。僕はその切符を自動発売機で買ったのだから、多分ヴェルサイユまでの4フラン50の切符と同じ種類の物だったろう。僕にすれば、パリーシャルトル間の運賃は調べれば分かるのだからその差額を徴収すればよいのにと思っていた。一方彼にすれば、切符に駅名の表示がないのだから乗り越し料金を取る根拠がはっきりしないと思っていたのだろうか。そう云えば、彼との会話の中で marchez という音が耳に残っていた。このまま出ていっていいのだろうと思い、"Je dois remercier France."と言うと、彼は少し微笑んだようだ。そして彼と別れた。
カテドラルは駅のすぐ近くにあった。小雨がぱらついていた。中に入り、まず圧倒されたのはステンドグラスの素晴らしさだ。感動のあまりシャッターを何度も押す。周辺を散策し、16時45分発の列車で帰る。パリ・モンパルナスには17時50分に到着。運賃28フラン。
サン・ミッシェルで映画「エクスカリバー」を観る。終りの30分間は眠気に襲われ、よく解らなかった。アーサー王伝説の映画化だが、それほど内容のあるものとは思えなかった。10時に帰宅。
- 6月27日(土) 曇、時々細雨。14℃(夕刻、夜)
- 10時半起床。洗濯。角ちゃん、来ず。
宿題の、適当に場面を想像設定して、短い会話を創る。時間はすぐに経ってしまった。
忙しかった。昼も忙しかったらしく、大入りにはもう少し、といったところ。
帰り、西江さんがニューヨークでの体験談を語ってくれる。下世話だが、話としては面白かった。あのような奔放な生き方は、僕に出来るかどうか少し疑問。
- 6月28日(日) 小雨。12℃(夕刻) 10℃(夜)
- 3時に家を出て、モンソー公園を散策。こじんまりした、可憐なと形容したくなるような公園である。樹齢130年という、幹が瘤のようになった老木もあった。小雨がぱらつくこのような天候にも拘らず、散歩する人の数は意外と多かったようだ。日本大使館のあるオッシュ大通りに沿って、凱旋門へ。シャン・ゼリゼを下り、ジュンクにたどり着く。6月22日だったか、朝日の夕刊によれば、フランス社会党が単独に議席の過半数を優に占める大勝をおさめ、社会主義への第一歩を踏み出したと報じていた。
夜、仕事は忙しかった。西江さん、鉄板で左手の親指を傷つけて先に帰る。
12時半に帰宅。角ちゃん、荷物を取りに来る。7月1日からシャルトルのホテルで働くことになりそうだとか。3ヶ月そこで働き、その後は地方のホテルへ更に修行の旅に出るらしい。一緒に来た小松という人は3日程前にパリに着いたばかりとか。イギリスに4ヶ月いたそうだ。自ら無名のレーサーだと称し、武田鉄矢を想わせるような話し振り、好感が持てる。今、一泊130フランもするホテルに泊っているとか。ホテル・ニコールを教えてやる。外は雨、まだ止まぬ。1時5分前。
- 6月29日(月) 時々小雨。12℃(夕刻)
- 先日の試験が返され、下に落されることはなかった。通学してもう2ヶ月以上が経過した訳だ。速いものだ。さて、仏語の能力の方はどうか?……。
小雨がちらついていたので、バスでポール・ロワイヤルへ。昼食後またバスで戻り、図書室で勉強。少し早い目に出て、バスでジュンクへ。朝日の夕刊に肉を食った男のことがデカデカと報道されていた。週刊朝日の記者の質問にパリの警察官が答えた内容も掲載されていた。
仕事は今夜も忙しかった。帰り西江さんとの話の中で、僕の将来のことが少し話題になった。ニューヨークに2年いただけに、話す内容に重みがある。先ことは未定。最低1年は仏国にいる覚悟である。
- 6月30日(火) 薄曇。19℃(夕刻)
- ポール・ロワイヤルからエトワールまでバスに乗る。第九の図書室で3時前まで彼女を待つが、終に彼女は来なかった。何があったのか、それとも…という疑念も湧き起こる。
サントリーの店の前で15分程待っていると、3時半に大橋君が出て来た。約1ヶ月振り。近くのカフェで1時間ほど話す。ようやく彼はパリの生活をエンジョイする余裕が出来てきたみたい。もうすぐスイスのお兄さんがヴァカンスでやって来るらしい。
今日二度目の給料。来月から授業料が450フランとなる。50フランの値上がり。給料だけでは娯楽費は出ない。使えば赤字になりそうだ……。
昨夜3時頃また大声で何か唸っていたそうで、少し話題にされ、厭な気持になる。関心を持たれれば持たれるほど、他人に迷惑をかけているという気持と、自分のプライベートな何かを覗かれているような気持が錯綜し、厭なのだ。しかしこれにも耐えなければならない。知られて恥かしい私事など何もないのだ。しかし、覗かれているという感覚は厭なものである。
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