上梓【2009.05.03】
パ リ 日 誌

Il y a longtemps que je …


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  5 月  

5月1日(金) 曇天、小雨。
 村山君、大橋君に手伝って貰って「サクラ」へ手荷物を運ぶ。その後ラーメン亭で食事をして、彼等と別れる。セーヌ河岸の古本屋でフィリップの "Le Père Perdrix" (35フラン)を買う。 "Dans La Petite Ville" はなかった。向い側の本屋さんに問い合わせばあるかも知れないと教えて貰う。
 仕事二日目。6時前に入る。仕事が終って、これからの同居人二人と一緒にタクシーで寮に向う。寮は、パリ市の北東の端、近代的高層マンション。
5月2日(土)
 ポンピドーセンターの図書館は満席。それで LES SABLONS 駅前の喫茶店で4時頃まで交換授業。夜、仕事。寮に帰って烏山君、角田君、それに高橋君達と遅くまで話をする。
5月3日(日) 朝、晴。夕方より小雨。
 10時頃起床。洗濯後出かける。大橋君と「東風」で昼食。
 4時前、ダニエルさんの下宿を訪問。アリアンスのテキストの一部を彼女が吹き込んでくれたカセットを貰う。米朝落語のカセットを進呈する。中島みゆきのカセットを貸す。
 5時過ぎ「サクラ」へ。
5月4日(月) 曇、俄雨。肌寒い。
 寮のすぐ近くの地下鉄の駅は LAUMIÉRE 、そこから乗り ST.PLACIDE 駅で降りる。アリアンスまで約35分。思ったより短時間。この分だと、朝7時45分に寮を出ても8時半からの授業に充分間に合いそうだ。
 サン・ミッシェルにある本屋は今日は休み。先生希望の "DANS LA PETITE VILLE" 探しは明日からだ。
 PORTE DAUPHINE 駅を出ると、ひどい雨。傘は持っておらず、雨の中を駆けぬけ第九へ。2,3分位で着いたが全身びしょぬれ。彼女は図書室で真剣に勉強していた。試験が今日あるとか―。録音して貰った彼女の声を聴きながら僕も勉強。時々見に来てくれる。
 皿洗いの仕事に少しは慣れてきた。明日から昼の洗い場の人が来るらしい。烏山君、角田君達の負担が軽減される、まずは一安心。忙しい時は仕事が終るのが11時半頃。先日の土曜日は特に忙しく、大入りが出て10フラン貰った。普通は11時前に終ることができそうだ。それだと12時前に帰宅できる。1時に就寝すれば6時間は眠れる。
 これからは、アリアンス―パリ第九大学図書館―仕事の日々が繰り返される。健康には注意して、頑張ろう!
5月5日(火) 曇、時々小雨。
 タイの婦人は滞在許可証のことが心配らしく、僕に話しかけてきた。僕も持っていないがあまり気にしていない、そのような表面的な会話にならざるを得なかった。
 今日の授業は実に楽しかった。先生の言う意味合いが理解できたこともあろうし、シャンソンを二つ教えて貰ったこともあろう。
 ポール・ロワイヤルの学食で昼食。サン・ミッシェルのギルベール(?)という書店でフィリップの本を見つけるが、 "DANS LA PETITE VILLE" は見つからなかった。彼の作品は現在出版されつつあるようで、既に5~6冊は出ているようだ。その店には2冊しかなかったが。
 3時前に第九に着く。ダニエルさんは明日のレジメの提出に忙しそうだった。図書室で勉強していると、質問にやって来る。二人のフランス人からも質問を受けた。一人は美容師の仕事に興味を持っているようで、日本のファッション誌の一文を訳してほしいと言ってきた。帰る時、解らなかった箇所をダニエルさんに教えて貰う。二度目に会った時と同じ様に、別れ際握手を求められる。親愛の気持を握手で表現するのであろう。
5月7日(木) 快晴、午後俄雨。
 2時前に第九に着いた。図書室の前でぱったり彼女に出会う。これから日本人学生に仏語を教えに行くところだと言う。こちらはアルバイトのようだ。昨日は図書室に姿を現さなかった。やはり家で例のレジメを仕上げていたとのこと。来週の火曜日に出版社と契約の運びとなるらしい。彼女が昨日、帰化中国人の小説の一部を吹き込んでくれたカセットを貰う。米朝の落語はやはり難しいらしい。
 昨夜、烏山君、角田君、そして沖縄出身で滞在1年になるという米須君の四人で深夜2時半頃まで話す。みんなそれぞれの過去を背負って生きている、頑張っている。三人が三人とも、すんなりと成長できなかっただけに、それぞれの話はみな面白く、僕の二十歳前後の事が思い出された。今日はアリアンス15分遅刻。
 高田さんから「サクラ」に電話があり、この日曜日(5月10日)、昼食に招待される。
5月8日(金) 時々小雨。晴れ間があったかと思うやすぐ曇る、不安定な天候。
 語学学校に通って3週間が経過した。少しは言葉に慣れてきたと云っていいだろう。しかしダニエルさんに話そうとしてもすぐ詰ってしまう。まだ、まだ。今日、M.Montrès 確か、aujourd'hui, je ne suis pa contont, parce que 他のクラスは6課、7課と進んでいるのに、このクラスだけ遅れている、とか言っていたようだ。しかし彼の教え方は非常にうまい、と僕は思っている。あの熱意には好感がもてる。
 授業が終って、寮に帰り、シャワーを浴びてから第九へ。5時前彼女がやって来る。上の階の静かな図書室で勉強していたとのこと。やっと、レジメの草稿が仕上がり、後はタイプだけ。明日ジャーナリストと会い、レジメの内容を検討し、来週の火曜日に契約を交す運びになっているらしい。彼女は忙しそうだ。日曜日は月曜に中国語の試験があるので家で勉強の予定だとか。来週の水曜日に交換授業をすることにする。木曜日は午前中は経済学の受講、午後は仏語教師のアルバイト。今日金曜日は夜7時から日本語文法を受講。頭痛がするのでこれから薬を買いに行くのだと言っていた。メトロの前で別れる。
 今日は働き出して初めての休み。
5月9日(土) 晴、夜小雨。
 10時半起床。トイレの掃除。この前から気になっていたのをやっと片付ける。少し臭う程、床に垢がこびりついていたのを10サンチーム硬貨でこすり取る。1時間半の労働。
 土曜日はさすがに忙しかった。仕事が終って、「あなぐら」へ飲みに行く。山本さんのおごり。石井さんの車に新しく鮨けんに入ってきた板前さん、烏山君、それに僕が乗った。セーヌを渡り、サン・ミッシェル広場に近い辺りだと思うが、場所はよく分らない。山本さんが来たのは1時前だったか。2時頃までは楽しかった。石井さんが皆を笑わせていた。彼の話術は大変なもので、若い頃落語や漫才を勉強したらしく、話の間合いの取り方が本当にうまく、洒落も効果的であった。イタリアの日本大使館のコックを2年、シシリー島で2年、その間パリにはよくやって来たとか。在欧経験も今年で8年になると言う。
 客にアオイカオルという30歳位の女性がいた。観念が先走るような話し方をする女性であった。フランス人社会での孤独感を癒しにやって来ているような感じを受けた。カウンター嬢もカオルという名の新入りの女性であったが、この二人のカオルさんに石井さんと烏山君が盛んに話しかけていた。2時に一人のカオルさんが帰ると、客のカオルさんに烏君が急接近。彼女のそばに座り熱心に話している。頬にキスされたりしていた。烏君は24歳、まだ若い。石井さんの気持が解らずか、頓着せずに一人夢中になって話し込んでいた。
 もうお開きにしようということになった。3時を過ぎていた。外は雨。そして土曜の深夜。タクシーは中々拾えないだろう。石井さんは車で僕達を送ってくれる意志はない。烏山君の困った顔を楽しんでいる様子。石井さんは明日は野球の試合がある。早く切り上げたかったのかも知れない。それとも新入りの板前さんと二次会のつもりであったのか。
 烏山君は、大丈夫ですよタクシーを拾いましょうと言った。僕達は大通りに出た。彼はタクシーを止め、運転手に10フランを握らせて車を獲得した。その点の呼吸は苦労してきただけあって心得たものであった。雨は小降りになっていたが、彼の顔には必死さが滲み出ていた。
5月10日(日) 曇天。深夜雷雨。
 相川、高田さん達の下宿を訪問。巻き寿司でもてなしてくれた。村山、大橋の両君を含め五人で楽しい一時を過す。4時頃、佐伯という人がやって来た。彼女達が最近知りあった人らしい。彼はこちらのレストランに勤めてまだ3日しか経っていないと言う。日本で8年間フランス料理の修業を積み、今回初めて本場フランスでの勉強の第一歩を歩み始めたばかり。今後フランスの各地方を渡り歩きたいらしい。5時頃退出。
 フランス大統領選挙の結果はミッテランの勝利で終る。51.7%。ディスカール・デスタンは48.3%。夜のパリの街ではミッテランを支持した人々が歓声をあげていた。外国人締め出し政策が強まるとのうわさ。今(深夜の1時)すごい雷鳴、稲光。これは何の前兆か!
5月11日(月) 曇天、時々小雨。
 昨夜は蒸し暑く、汗が出て、寝つきが悪く、20分遅刻してしまった。授業終了後アリアンスの図書室で宿題を終え、「京子」へ行く。村山君から「観光案内」を返して貰う。やはり無いと不便なことが多い。
 学食で昼食後、第九の図書室へ。2時着。彼女の姿は見えず。6階の図書室だろう。4時過ぎ向こうの方の机に座っている姿を見た(ように思う)が、帰る前に声をかけようと思っているうちに、部屋を出る4時40分頃にはいなくなっていた。彼女は気付かなかったのだろうか。フィリップの短編対訳「荷車」を読んでいる。
 仕事は、今日はそれほど忙しくなかったが、殆ど休む間がなかった。いつものように頑張る気持はあるのだが、今日は気持の張りが弛み気味であった。疲れを感じる。料理人の若い二人に負けじと、自分に活を入れている。
5月12日(火) 晴、時々曇。
 彼女は昨日は5時から中国語の試験。明日から午前中は翻訳に取りかかる。正式契約は金曜日になるらしい。翻訳学校を出た人の翻訳料は、普通単行本1頁130フランとか。『倒産』は200頁あるから2万6千フランになる。だから彼女は少なくとも1万5千フラン以上を要求しているらしい。
 山本さんが今日で「サクラ」を辞めると聞いて驚いている。社長(前川さん)が2ヶ月以内に辞めてくれと山本さんに言ったとか。2年の契約で入って間もないのに、どうしてなのか。何か複雑な事情があるらしい。
 チップ15フラン入る。チップは蓄えておき、ある程度の額になると従業員で平等に分配するとか。今回は1人30フランになるらしい。僕の場合は昼の洗い場の人と分けることになる。臨時収入が入ったので烏山君と Café de la Paix に立ち寄りビールを飲む。 Demi で9フラン50。
5月13日(水) 曇。
 1時第九図書室。30分間彼女から質問を受ける。彼女は3時30分まで日本経済のゼミに出席。僕は彼女がカセットに吹き込んでくれた小説 "LARMES" を彼女から借り、辞書を片手に読む。何とか意味は取れる。
 『倒産』の翻訳は7月末が締め切り。7月の初旬、1週間の予定で日本へ行き、鎌田氏に会うつもりらしい。彼女の父親はイラン航空に勤めていて、航空運賃はロハ。ジャーナリストも一緒に行くのかも知れない。別れ際、彼女は "Travaillez bien ! " と言った。頑張って下さいね、というところか―。
 今日山本さんが給料が少ないと言いにやって来たそうだ。烏山君によれば、互いにきつい言葉で言い合っていたとか。烏山君からの受け売りにすぎないが、―社長の器量の無さ、日本料理専門の山本さんが鮨の仕事を引き受けた、最初の3ヶ月は1日も休まずに勤めた、しかし朝はよく遅刻して御客の注文を遅らせることが度々あった、一緒に入った石井さんも最初は鮨が握れなかった…、社長の言い草もひどいもの、伝票を山本さんがごまかしている、店の品物を黙って持って帰っている…、前に鮨場をやっていた人は仕事を完璧にやっていた、その人と山本さんを比較している、前川さんという人は、金で全て事が済むと思っているような人だ……。
 僕にはまだよく判らない。直接話をする機会は殆どないのだから。しかしこれだけは言うことができると思う。「サクラ」も惜しい人を辞めさせたものだ。
5月15日(金) 快晴。久し振りの良い天気。
 昨日、第九図書室、1時半頃にダニエルさん来る。1時間程彼女と話しをして過ごす。彼女は、労働許可証は日本人経営の会社で働く限り必要ない、と言っていたが、これはどういうことなのか…。
 サン・ミッシェル通りで肩掛けカバンを買う(83フラン)。第九へ向う途上、シャトレで乗り換えた時、男の子を連れた夫人が近付いてきて、新聞を見せながら何か言っている、まとわりついてくるので、ノン!と言って振り払うが、子供が背中に飛びかかり、カバンを引っ張る、母親が前から道をふさぐ。まったく一瞬の事なので驚いてしまう。もっと強い声を出してノン!―やっとのことで振り払う。ジプシーが観光客に金をねだるのだと店の人が言っていたが……。
 昨日は烏山君は休み。キッチンは角田君と二人で大忙し。大入りになり、15フラン入る。大入りになると1人20フラン支給されるが、僕は半日なので半分の10フラン。5フランは社長の心付け。
 今日ダニエルさんに教えて貰った学食(ポール・ロワイヤルから市外の方へ二つ目の駅 Cité Universitaire で下車)で昼食。アラブ人が多いように思った。味はポールより良い。1時から5時半まで第九の図書室。彼女には会えず。契約が今日と言っていたが、それが長引いたのであろうか。
 夜、第七大学で「隠し砦の三悪人」を観る。JISU主催。無料であった。会員でない者は8フラン。
5月16日(土) 晴、夜小雨。
 10時15分頃起床。たっぷり睡眠をとった。洗濯後は、Cité へ、昼食。
 JISUに立ち寄る。土曜は1時迄。閉まる寸前であった。会員証を見せる。「どん底」もJISU主催で上映して欲しいと希望を伝える。
 寮に戻り、部屋の掃除。部屋といっても厳密には部屋とはいえない。居間のソファをベッドにして寝ている。他の二人は部屋を使用、鍵もかかる。こちらは居間だから何となく落ち着かない。しかし不満をいっても詮無いことだ。早く慣れること。ベッドを動かし、窓に垂直になるようにした。気分転換になる。3時頃から5時前迄勉強。熱が入らず。
 土曜の夜だ。仕事が終り、帰ってすぐに寝る気になれない。ワインを、烏山君とカマンベールを肴に1本空ける。2時頃就寝。
5月17日(日) 晴れたり降ったり。不安定な天候が続く。
 10時半起床。外出する気になれず、部屋で勉強。隣の部屋の電話音が何回も鳴り響く。1時間位続いたろうか。いい加減にしてくれよ、と叫びたくなる。だんだん気になり、不安な厭な気分に包まれる。
 これから先、何ヶ月滞在出来るだろうか。いろいろ不安材料多し。
 日が経つのが非常に速く感じられる。もう1ヶ月と半分が過ぎたのだ。寮でいつも日本人と顔を合わせているので、時々、フランスにいる気がしなくなる。
5月18日(月) Il fait beau !
 仏国に来て初めて空虚な感覚に襲われる。これは何処からやって来たのか……。
 第九図書館での勉強も何となく物足りない感じ。彼女は『倒産』の翻訳に熱心に取り組んでいる。僕の日本語での説明では解りにくいのか、後で日本人留学生に質問していた。それはまあ仕方がないとしても―。
 僕は一体何の為に今ここに居るのか、仏語を勉強しているのか。僕の人生の設計図はどうなっているのだ。具体的に追い求めている夢はあるのか。それとも愛…と人生……。家庭があり妻がおり子供がいる。…独り。――しかし今は仏語の習得に専念するべきだ。
 ギャルソンとして働いている鈴木君、面白い男だ。烏山君が作った夕食は全然食べなかった。ビリンバ(?)とか云っていたが、空腹の僕には大変美味しかったのだが…。仕事が終って帰りに寄ったドラッグバーで「あんなの、ウサギの食べるもんです」と言うのを聞いて、驚いてしまった。小さい頃から仏国で暮しているので、味の感覚は我々とはまるで違ったものになってしまっているのだろうか。それとも何か別に意識が働いている為なのだろうか。4月29日の午後、アルバイトをしたいと店を訪ねて来た時の彼の態度は少し異様に感じられた。あの時は日本人ではなく、韓国の人かと思ったものだ。父親は一橋大を出た人で、彼が5歳の頃当地に定住したと聞いている。
 夜、角田君から前川さんのことについて、いろいろと話を聞いた。非常に複雑な過去を持っている人のようだ。
5月19日(火) 晴。
 昼食に Cité Universitaire へ。アリアンスの学生証では、10枚綴りの50フラン券は買えないようだ。12フラン50の券なら買うことが出来た。明らかに区別されているようだ。グエンさんにそのことを話すと、誰か他の学生に買って貰うといいと言っていたが、ポール・ロワイヤルの食堂では学生証の提示を求められたことがないと言ったら、笑っていた。Cité には学生食堂が三つあって、駅前は、彼女は避けているような口振りであった。南 (sud) の方へ行くと良い、と言っていたようだ。"Larmes" の残り分を今晩カセットに吹き込んでくれるとか。明日4時に会う約束をする。
 学生が「安保粉砕」の意味を質問に来る。英語で説明すると、解ってくれたようだ。昨日のような空虚感は今日は無かった。心のコントロールが出来ているせいもあるが、彼女との心の交流が僕の情緒に影響を与えているようだ。昨日から彼女は夜、友達の2歳と4歳の子供の世話をしていて、今日の午前の試験では、昨夜勉強出来なくてうまい答案は書けなかったらしい。今週一杯、夜は子供の世話とか。
 昔の歌を口ずさみながら食器を洗っていると、石井さんが何時キッチンに入って来たのか、同じように歌いだした。急に昔に戻ってしまったように石井さんの口から当時の歌が次々と飛び出してきた。なかなかの美声である。僕より何歳か年長の筈。当地で市民権を取得し、家庭を営んでいる。望郷の念、という程でもないだろうが、昔を懐かしむ精神状態に突如はまり込んだのであろう。今夜は客の入りは少なく、それ程忙しくなかった。
5月20日(水) 晴。
 ポール・ロワイヤルの学食で食券を買うが、昨日のこともあり、マダムが学生証の提示を求めてきそうな気がして、少し厭な気分であった。大橋君はここの食堂の味はまずい!と吐き捨てるように言う。全く同感。あらためて今日、味の不味さを再確認する。
 リュクサンブール公園のベンチに腰掛けて、1時間ほど居眠ってしまったようだ。昨夜熟睡出来なかった為か。
 第九に着いたのは2時を15分ほど過ぎていた。彼女の友達が書物とカセットを渡してくれる。彼女は3時過ぎにやって来た。契約はまだ決まらなくて、来週彼女が三一書房へ電話するらしい。今年の2月に、出版社の翻訳権のことで問い合わせの手紙を出したそうだが、その返事がまだ届かないとのこと。その手紙のコピーを見せて貰うと、sanishobo となっていたが、住所は間違っていないと言う。それならば届いてもいい筈だ。でなければ返送されていなければならない。英語の文面を日本語に訳してやる。彼女は英語はそれ程解していないのか、それとも確認の為なのか。その後、彼女は例の仕事で4時頃、フランス人の男性(多分子供の親だろう、とすれば若い父親だ)と一緒に出て行った。
 5時15分まで勉強。なかなか進まず。少し疲れを感じた。
5月21日(木) 曇、夜小雨。
 "Il y a long temps … " の歌をカセットにとる。授業は面白い。モンテス先生の教え方にも教えられるところが多々ある。
 来週の木曜日は昇天節で祝日、日曜日は母の日、土曜日は休みだ。フランス人の多くは金曜日に休暇を取って(橋を架けて)( on fait le pond ) 連休を楽しむらしい。
 来週の月曜日はイグザマン。
 ポール・ロワイヤルで食事。1時15分に第九に着く。彼女とは会えず。
5月22日(金) 曇時々晴。
 黒板の前に出て、人の頭部の各部分を教師の指示通りに描くという役割を命じられる。光栄に感じた。目を描き、鼻を口を耳を眉毛をと順に描いていく。 cil を1本1本描くように命じられる。皆の前に出た時は少し緊張していたが徐々に慣れてきていたのだろうか、描き終えた時ちょっと悪戯心が湧き起り、流れ落ちる涙を二、三滴描き足した。これが他の生徒に受けたようで、教室内に一層楽しい雰囲気が醸し出された。
 モンテス先生は普段から僕に日本語では何と言うのかと度々質問する。今日もそうであった。 Il a peu de cheveux (単数形: un cheveu), Il a beaucoup de chevaux (単: un cheval). 頭髪、馬、と教える。いろいろ問答があって、 Vous comprenez ? と念を押すと、みんな生徒と先生が逆になったと面白がる。日本語に対するフランス人の興味が高まってきていることは、第九の図書室でも感じていることだ。
 1時前に着いてしばらくすると彼女がやって来た。昨日は子守だったので、今日は仏語の個人教授だとか―。2時まで質問を受ける。届かなかった例の英文の手紙を、今度は日本語で書いて送ることになったと言う。その英文を日本語に直してやる。彼女は夜の7時から日本語の文語文法の授業があるので6時にここに帰って来ると言ったので、それでは6時までここにおりましょうと言った。閉館の7時まで居たが、彼女は姿を見せず。僕の言葉が彼女に通じなかったのかも知れない。彼女の日本語もあやしいもの―。意思の疎通が図れないもどかしさ。
 図書館を出る時、女性が三人入口付近におり、その中のよく見かける一人が僕を変な目付きで見ているような視線を感じた。実に厭な気分であった。彼女と会って交換授業をしないのならば、あそこで勉強することはないのだ。それに騒々しい。アリアンスの図書室の方がはるかに静かだ。
 今日は仕事は休み。 "Larmes" はあと三分の一を残すのみ。
5月23日(土) 雨。
 洗濯後、外へは出ず、夕方まで家で勉強。
 角田君、今日で1年間の契約期限が終了。いったんは日本へ帰るが、また戻って来ると言う。大入りが出て10フラン、チップの分配金20フランの臨時収入。
 烏山君とカフェのカウンターでビールを飲んで帰る。変ったことはなし。今月はまたたくうちに過ぎてしまいそうだ。
5月24日(日) 曇、時々雨。
 パリマラソン。午前中は勉強。1時、外出。大橋君と会う。彼とはサン・ミッシェルで別れる。途中雨宿りをしながら歩く。サン・ジェルマン・デ・プレを抜け、フナックの横を通りモンパルナスまで。そこから地下鉄に乗り、トーカデロで降りる。シャイヨ宮からマラソンの決勝地点であるイエナ橋の辺りを眺める。背後に、曇天に突き刺さるエッフェル塔。もう20分も待てば1位の走者が走って来る。しかし仕事。5時15分、そこを離れる。
5月25日(月)
 第九大学でJISUの女性と出会う。来月の19日(金)、寅さんの映画上映のポスターを貼りに来たのだと言っていた。
 図書室でダニエルさんの姿をちらっと見かけたが、すぐ出て行った。
5月26日(火) 曇、時々晴れ間や小雨。
 "Larmes" 読了。 3時頃、第九図書室。彼女来る。"Larmes" の解らないところを質問。彼女からも『倒産』の質問を受ける。「賃加工」を "travail à la tâche" と訳していたが、はたしてそれで良いのだろうか。経済用語が頻繁に出てくるので、日本文としても難しい。彼女、大変な仕事をしているような感じがする。今後は、日時を決めて会うことにする。
5月27日(水) 晴、時々俄雨。
 「京子」で斉藤吉見著『倒産』を9フランで買い、リュクサンブール公園で1時間程読む。日射しが強く、頭が熱い感じ。アリアンスの図書館へ行って読む。
 仕事終了後、烏山君に誘われてサン・ミッシェル界隈をぶらつく。セーヌ河に面したカフェに入る。彼のおごり、ビールを飲んで二人で69フラン。高いのは、ステージに歌手がいて、リクエストした曲を歌ってくれるからである。チョニジアから来た23歳の青年はフランスにやって来て5年、今日は休みだが、夜ここでドラムのバイトをしていると言う。国籍は訊かなかったが、東京に6年前まで7年間住んでいたという女性、男性の連れがいて、会話は途中で途切れてしまった。
 午前3時頃その店を出て、隣のレストランで食事。葡萄酒とステーキを注文、これは自分で払う。4時半頃そこを出て、ノートルダム寺院の周囲を散策。夜明け前のノートルダムは素晴らしい。東の空低く新月間近の三日月が輝いていた。北東の空が徐々に明るくなってくる。その時の色彩の変化の様は何とも言えない程に僕の心を打った。メトロの開く5時半頃までまだ20分あった。カフェでコーヒを飲みながら待つ。寮へ始発で朝帰り。乗りあわせたアラブ人とウガンダ人、「どうぞ」という言葉をかけてきた。それをきっかけに英語でやりとりする。アリガトウはアラビア語では「シュクラ」と言うらしい。ウガンダの学生はパリ大の医学生。将来医師になるのだと言っていた。性格の優しさが顔の表情にも現われていた。
5月28日(木) 雨。
 正午過ぎ起床。風呂に入り、すっきりした気分。『倒産』を読むがあまり集中できない。烏山君と将棋を一局対戦した後、近くの公園を散歩する。市民団体がアコーディオン演奏を公園内の施設の円い舞台上でやっている。それを聴いている市民がたくさんいる。前のおじさんが曲に合わせて足を軽やかに動かし始めた。向こうでは二組の男女が踊ってる。ちょっと横を向くと、初老のおばさん。視線が釘付けになる。この婦人も両足で軽くリズムを取っている。遠い昔、恋人と踊った夜を思い起こしているのだろうか。タンゴ調の曲に変った。するとさしていた傘を恋人に見立てるかのように、踊り始めた。目がうっとりと潤んでいるように見えた。今日は昇天節で祝日。仕事があるので、5時過ぎ、後ろ髪を引かれる思いでその場を去る。パリに居るんだな、という感慨に耽りながら……。
5月29日(金) 曇。
 朝、烏山君と近くの公園を散歩。公園の中央には岩山がそそり立ち、その周囲は池となっていて水鳥たちが泳いでいる。昔は城が築かれていたのかも知れない。その頂からは、サクレ・クール聖堂がはっきりと眺望できた。曇ってはいたが空気は澄んでいた。聖堂を背景に写真を撮る。
 3時に第九へ。彼女は4時半頃に来る。急用ができカルチェ・ラタンへ行っていたのだと。額には汗が光っていた。6時半頃そこを一緒に出る。日本語の文語文法の授業が今日が最後だが、出席する学生はいないと言う。試験は6月18日(金)。この日が試験の最終日。次の日から、11月に授業が再開されるまで、学生は夏休みとなる。長い休みだ。彼女は8月に2ヶ月の予定で、マダガスカルの友達の家へヴァカンス旅行の計画があるらしい。羨ましい感情が湧き上がり、少し心の動揺を感じた。
 昨夜ベッドに寝転がって本を読んでいて、そのまま眠ってしまったらしい。烏山君のシャワーを浴びた後の姿はうっすらと憶えている。
5月30日(土) 朝方快晴、しかしすぐに雲に覆われる。
 先生に手紙を書く。これが第四信。
 夜仕事から帰り、烏山君と将棋を指していると、深夜1時頃だったか、ドンという大きな音。車が衝突し、人があてられたようだ。すぐ救急車がやって来た。
5月31日(日) 晴、夜になって雨。
 朝方5時半頃、目が覚める。夢。母がいた。ダニエルさんもいた。母は模造真珠の頸飾りを作っている。僕がダニエルさんの首にかけてやっていた。今日は母の日。
 9時頃、烏山君と公園を散歩。崖の上からサクレ・クールを眺める。カフェでコーヒを飲んで別れる。彼は仕事で「サクラ」へ向った。僕は寮に戻り、ル・モンド紙に掲載されたダニエルさんの記事 "L'envers du Miracle" を少し訳す。
 角田君は、1時頃「サクラ」へ食事に行くと言って出かけていった。彼は今晩前川氏の家に泊り、明日の12時30分発の飛行機でド・ゴール空港を飛び立ち、1年ぶりの日本へ。1ヶ月後にこちらのホテルのレストランの見習いコックとして引き返してくる予定なっている。
 給料日。明細書を見ると、基本給1,200フランとある。100フラン足りない。どうして間違えたのか。前川氏に言うと、「あぁ、そうですか。台帳の方を直しておきますから」と意外にあっさり言う。すぐに50フラン紙幣を2枚持ってきた。
 仕事が終って、履歴書を提出する。いつも鞄に入れていた。最初の日に渡すのを忘れ、周りの人達の意見で出すのを一時控え、最近はすっかり忘れていた。「請求しようと思っていたんですよ」とか言っていたようだ。面接の日、彼の目の前で手帳に契約条件をメモしていたのを、前川氏、まさか忘れた訳ではあるまい。その時の口約束は、双方ともに今日果たしたことになる。
 今日は、烏山君の25歳の誕生日。握手を交わす。「メルシーです!」と元気な声。
 明日からアリアンスの授業再開。勉強する時間がもっと欲しい。







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