上梓【2010.01.08】
Il y a longtemps que je …
・・・・・
・・・・・
・・・・・
・・・・・
12 月
- 1981年12月1日(火) 7℃(夜)
- TomeⅢ、これからが大変だ。予習はきちんとしていかないと――、聞き取りが悪いところへもってきて予習していないとなると、殆ど解らなくなるだろう。時間が欲しい!
図書室で勉強していると、向こうに杼谷さんがいる。久し振りなのでカフェで話でもと思い近寄って行ったが、反応がいやに冷たい。丁度3ヵ月ぶり、どうしていたの?と。しかし彼は本を読みたかったのかも知れない。表情や言葉から受けた感じでは再会を喜ぶというふうではなく、気安さや親しさは感じられなかった。鈴木さんは先日彼に会ったと言っていたが、あまり詳しく聞いていなかった。
ジュンクへ立ち寄る。管野さんが入って来る。『氷点』の下巻を買いに来たとのこと。15分程立ち話。試験が駄目だったので、交換教授をしながら一人で勉強するとのこと。新聞が読めるようになればいいのだからと、少し割り切りすぎているような感じも受けたが、その気持はよく解る。彼も僕も性格が日常会話向きではないのだ。
当ったロットを換金。三つ数字が合い、配当金は9フラン30、X2の18フラン60を受け取る。そこから8フランをデッカイ夢(?)に投資する。
夜キッチンは西江さんと2人。農協のパリツアーらしき団体の予約が入り、大忙し。洗い場もしなければならなかったので休む暇がなかった。彼もマージャンで勝った金で肉を買い明日は従業員にカレーを作るのだと言っていたが、その準備が出来ず、後半は少々苛立っていた様子。忙しいとちょっとした言葉でも気になるものだ。「まっちゃん、あまりウロウロしないで下さい」と。彼は別に皮肉をこめて言ったのではないのだろうが、こちらは洗い場をしながら、次々に入ってくるオーダーを彼一人では忙しかろうと気を使い手伝おうと思う。一方、食器を洗わないとどんどん溜ってくる。それで少し中途半端な状態になった時だったのだ。あんなふうに言われると心に引っ掛かるものを感じてしまう。「それなら、すべて任すよ」と言い返したが、その後気分が次第に沈んでいった。彼も明日のカレーの準備が進まないので、それまでの陽気な気分も徐々に失せていったのだろう。終ったら……丁度11時。
- 12月2日(水)
- 昨日のディクテ返して貰う。マダムがニヤリとする。こちらもニヤリとやり返す。親近感が湧いたことは慥かで、この先生の授業なら続けられそうだと思う。あまり聞き取れないのだが……。
いつもの事ながら、管野さんから新聞を貰う。『氷点』上下借りる。近くのカフェで話した後、モンパルナスへ。彼から温水プールのことを聞き、そんなのがあったのか!と思ったが、現場へ行ってみて、以前見たことがあるのを思い出した。全く頭の回転の鈍っていたことよ!
土日の昼間は一般向けに開いている。その他の日は早朝と夕刻、昼間は学生向けなのかも知れない。入場料は6フランとか。運動とシャワー、一挙両得。彼は日曜毎に出かけるつもりであるとか。
モンパルナス駅にある風呂を初めて利用する。30分で15フラン50。その内1フランはサービス料。ドゥシュだけなら20分で9フラン50。2ヶ月間の垢を洗い落とす。時間が気になりゆったりした気分を味わう余裕はなかった。これも慣れると時間の配分がうまくいき、時間を気にせず(?)に満足できるようになれるかも知れないが、もう10分は欲しい。その後マビヨンへ。鈴木さんに出会う。
- 12月3日(木) 快晴。 7℃ 7℃
- Surtout Rien.
白川さん、社長の知り合いの婦人の警察官が今日食事に来て、以後3年間の画家としての滞在許可証が貰える運びとなったそうだ。Bien!
- 12月4日(金) 曇時々小雨。 9℃ 7℃
- 昨夜5時までかかって Rédaction を完成。10時起床。そのため授業に15分遅れる。 Rédaction は月曜日に提出だということを聞き逃したらしい。自分で今日だと思い違いしていたようだ。頭が冴えず、今日のディクテは悪く提出せず!
マビヨンからアリアンスの図書館へ。神谷君がやって来る。昨日松田さんに出会い、ラジオのことで彼に会いたいと伝えて欲しいと頼んでおいた。彼、この部屋に来、5時過ぎまで雑談。彼は実によい青年。暗さはなく、はっきりしているところがいい。彼はオーステルリッツ駅のシャワーを使ったこと、モンジュの近くにも安い(4フランもしない)シャワー室があり、行ったことがあると言う。
ラジオの礼は結局とりやめにした、安藤君を意識して。
夜、忙し。大入りペースだったが、昼が少なかったらしく――、が、ひょっとすると、とは言っていたが……。
- 12月5日(土) 曇後晴。 9℃(夕)
- 昨夜はずーと『氷点』を読もうと思っていたが、睡眠不足の為だろう、すぐ眠りに落ちていったようだ。電気は消してあったから、眠気が襲ってきたのに気づいて寝ようと思ったのだろう。朝1時間程勉強して、ポール・ロワイヤルへ食事に行く。先週はマビヨンで彼等4人に会ったのだった。神谷君は見かけなかった。鈴木さんと何処かに行ったのだろうと云うことであった。レ・アールのフナックをぶらついて帰る。5時迄読書。夜忙し。
- 12月6日(日) 曇、夜小雨。 6℃ 6℃
- とうとう管野さんには電話しなかった。水泳パンツは何処で売っているのか分らず、行けないとわざわざ電話するのも何故か憚られた、そうすべきだったのかも知れないが。サン・ミッシェルのアラブ学食でも会えずじまいだった(1時~1時40分)。
地下鉄オデオンの駅構内で学生風の青年がギターを弾きながら歌をうたっていた。それが非常に心にしみわたった。有難かった。こういうところがパリの良いところだろう。丁度『氷点』の、陽子が学芸会で赤い服を着て踊る場面、事の真相を知った夏江が意地悪く白い服を作ってやらず、また見にも行ってやらなかったあたりを読んでいて、心が悲しい状態に陥っていた為であろうか……。 『氷点』(上)読了。
- 12月7日(月) 曇時々小雨。 8℃ 8℃
- 起きたのは9時を過ぎていた。身体がだるく、気分が冴えない。何か鬱屈としたものを心に宿しているようだ。仏人の個人主義を <chacun chez soi> というらしいが、隣人と気楽に打ち解けない孤絶性を批判する言葉としても使われるそうだ。これは僕にも当てはまるようだ。何か面白くない。同じ日常に苛立っているのだ。そして、仏語の勉強がいよいよ難しくなってきている事も要因の一つとなっているのだろう。
夜は暇。
- 12月8日(火) 曇、晴れたり小雨。 5℃(夜)
- 久し振りに部屋に帰らず、図書室で勉強。神谷君がパンテオンから少し東寄りにある公共浴場の住所を教えに来てくれる。
夜、8時半頃から急に客が入ってきて10時頃まで忙しくなる。『氷点』(下)今夜読み終えるつもり。
- 12月9日(水) 晴。
- 日本人を案内してベルサイユまで行ってきたと2時頃管野さんが図書室に入ってくる。いつものようにカフェで4時半頃まで話す。話題が哲学や思想のことになり、頭の疲れを覚える。彼の論理は明快ですらすらと言葉が飛び出すように続いて出てくる。信じている宗教を背景にしているから言葉によどみがない。それに対して、学生の頃そういう類の議論で鍛えていない僕の頭脳の貧しさを痛感する。僕は信じているものを見失った現代人の孤独そのものだ。彼との議論の中で、自分の考えらしきものが出ているようにも思われた。もっと深め、統一した見解にまで高める必要を感じている。頭脳にとって今日は心地よい刺激となったようだ。彼は知り合いが多い。教会の関係でいろんな人に出会うのだろう。
僕はずっとこのような不安定な状態が続くのだろうか。僕の宿命…。諦観しないで生きてゆくこと!
その後、図書室で勉強した後、マビヨンで夕食。神谷君に出会う。彼と話していると何となく<ほっ>とするような感じ。仏語は彼もテキストⅢで悪戦苦闘している様子。
ちょっと弱気になっているぞ!。そんなことでどうするんだ!。元気を出して頑張れ!
- 12月10日(木) 晴後曇。 7℃ 7℃
- 特になし。図書室で勉強。コツコツやって行く以外に途はない。
- 12月11日(金) 曇、小雨。 9℃(夕) 6℃(夜)
- 先日提出したレダクシオンを返してくれたが、その時、彼は日本への手紙を書いたというようなことを教師が言ったようで、みんな少し笑ったようであった。それが侮辱されているような感じ、<ムッ>としてしまった。そして、今日もまたディクテは提出しなかった。非常にミジメであった。その後1~2時間、ずっと頭痛がした。異国で知る初めての孤独感である。あれだけ時間をかけて書き上げただけに、2、3日前までは内心誇りにさえ思っていたが、誤りを訂正されてある箇所を見るのも疎ましく思われた。
宝利さんをマビヨンの学食へ案内する。渡辺さんは用事がある様子で来なかった。
管野さんが図書室へ新聞と『氷点』(上)(下)2冊持ってきてくれる。
- 12月12日(土) 曇。 3℃ 2℃
- 洗濯を終え、5区の Jean Calvin 通りにあるシャトレ大学センターの学食へ初めて行く。8人が同じテーブルに座り食事をする。座っていると持ってきてくれる。番号札が一つ足りなくて、しばらく探してみたが見つからない。皿の下を探せということで僕の前の皿をずらしてみると、その下にあった。横の学生と席を替ってやったので、その人の札の上に僕が皿を置いたのを気づいていなかったようだ。右手の向かい合った二人は話していたが、他の者は Chacun chez soi !
Mouffetard 通りを上って行くと Place de la Contrescarpe の右手に公共の Bain et Douche があった。木~日、開場。7時~19時、但し日曜日は午前中だけ。シャワーは3フラン30と安い。体温位の湯がボタンを押すと10~15秒間出るようになっている。止ればまた押せばよい。丁度よい時間間隔である。室数は向いあっていて15、15で計30室位もある。中はあったかいので湯の温度は問題にならない。風呂につかった満足感は流石にないが、身体と髪を洗い、身体も充分あったまることが出来る。
帰り、パンテオンの横を通り「京子」に寄りラーメンを買う。村山君は配達に出ているとのことで会えず。オデオンの近くで松田さんに出会う。笠原さんに会って、あるフランス人の住所を教えて貰いたいのだが、とのことであった。笠原さんは誰なのか、はじめ分らなかったが、どうやらヨシコさんらしい。彼女は旅行を終え、もう帰国したのかも知れない。
『続氷点(上)』を読んでいる。他、何もせず。
- 12月13日(日) 曇。 2℃ 1℃
- 午後5時25分頃より雨。後に雪に変る。初雪。うっすらと積もる。
先生に手紙を書く。第11信。
- 12月14日(月) 晴後曇。4時頃、稲光・雷、雹。 6℃ 6℃
- 授業をサボル。12時頃まで『続氷点(下)』を読む。マビヨンで昼食。アリアンスへ行くと松村さんがいた。今月から12時半からの授業に出ているとのこと。図書室で勉強していると、急に辺りが暗くなり、稲光に雷鳴、すぐ近くに落ちたかのような大きな音。雨とともに雹が激しく窓ガラスを打ち始めた、それ程長くは続かなかったが。
- 12月15日(火) 小雨。 6℃ 6℃
- あまり気が向かなかったが、今日休むとずっと休んでしまいそうで、敢えて出席することにした。先生は僕以外に3名くらいの名を言っていたようだ。月曜日に欠席した者たちだろう。クラスを変えたか或いは授業を放棄したかのどちらかであろうと想う……というようなことを言っていたようだ。あまり自信はないが。ともあれ出席してほっとした面もある。しかし聞き取りはますます自信がなくなっていくような感じだ。ル・モンド紙に載っていたというブラックユーモアが面白かった。怪物の見世物だ、中に入りなさいと小屋の前に貼り紙がしてある、…中に入ってみると鏡しか置いてない……。
図書室にいた松村さんに長い間借りていた新書3冊、返す。お手伝いの仕事は来年の9月までの契約だそうだが、最近はホームシックで、本ばかり読んでいる、来年の6月頃に帰国出来るように主人にお願いしてみると言っていた。その気持、よく解る。僕の心にもそのような感情が動いていることは事実。
夜は暇。客は10名位か。
- 12月16日(水) 曇。
- 管野さんとカフェで1時間位話をする。僕は山本君のことを話す。彼からはポーランドの軍事クーデターのことを聴く。彼はそのことでい忙しそうだ。今朝それに関連した記事を電話で送ったとか。
夜、マビヨンで神谷君に出会う。この5月同じクラスにいた横田君が一緒にいた。横田君は6月に帰国し、ビザを取得、再度パリに戻り、現在はボザールの学生であるとか。ピラミッドの近くに住んでいるようだ。ボザールの入学説明会の時お互い知り合いになったらしい。
- 12月17日(木) 晴。 9℃ 8℃
- アリアンスからマビヨンへ。昼食後、シャワーを浴びにカルチェ・ラタンへ。30分とばかり思っていたが、20分と書いてある。しかし少しの時間オーバーは大目に見てくれるようだ。木曜日は午後から開く。それで、午後2時半では、まだ部屋全体がこの前ほど温まっていなかった。
我が部屋に戻り、山本君に手紙を書く。
最近、客の入りが少なく、暇な日が続く。
- 12月18日(金) 雪。 1℃ 1℃
- 授業は出ないことにした。今日入れて後3日で5課は終るだろうが、自分で勉強することにする。来月は会話のクラスを1ヵ月やってみようと思っている。"NÉ EN EXIL" を今日から読み始めることにした。コツコツ読んでゆこう。
朝方から粉雪が降り、夕方まで続いた。一面薄化粧。足がすべりそうで、ちょっと歩きにくかった。
特別注文が入っていたので1時間早く出勤。しかし今日ほど気分が悪かった日はなかった。包丁で左手の中指を切ってしまう。考え事をしていて、精神が集中していなかった為だ。狭小な醜い魂を持つ男を天が罰したのだろう。幸い爪の上からなので大した怪我にはならなかったが、しばらく痛んで心は苛立たしかった。
皆ちゃんが出てきて欲しそうなことを言っていたので早く出た訳だが、社長がキッチンに入って来て彼に今日の手当てを渡した。その後ちょっと僕を意識したような感じであった。バンチを切ると目が痛くなるが、その時ちょうどバンチが切れていて、身をもって感じたこともあり、ちょっと話しかけてきた。その後皆ちゃんも僕を意識していたようだ。マダムには来月、借りた金を返さなければならないと言っていたが、その分だと僕の方はずっと後になりそう……。催促するのは悪いという気持がある。しかし早く返して欲しいという気持もある。それをぐっとこらえて度量の大きいところを見せようとしている面もある。どうせ返して貰っても有益に使うとは限らないのだけれども……。しかし、……、やはり、返してくれるのを当てにしているのだ。借金に対する僕の思いは複雑だ。小さい頃のおふくろの金の苦労を想うと……。何やかや、心は苛立っていた時、あの怪我!
江田さんの「先輩!」という呼び方にも妙に神経にひびく。小我に捕われているのだと想ってみたところで、何故かこみあげてくる憤怒はおさまらない。
皆ちゃんの奥さんのお目出た!その喜びには初々しさがあって、微笑ましく感じた。もっと心から祝福してやらなければいけないのに、噫!小我に捕われた男よ!
- 12月19日(土) 晴。 3℃(夜)
- マビヨンで神谷君に出会う。ヴィクトルユゴーが晩年を過した館のすぐ近くの骨董店が、広重などのデッサンを展示しているというので見に行く。渡辺崋山の人物の表情をデッサンしたのが印象に残っている。その他蕪村や其角の句、等々。マレ地区にはずいぶん古い建物が多く残っているようだ。その後、Saint Paul 教会の中に入りしばらく話をする。ポンピドー・センターの北側にある24時間営業のスーパー・マッシュへ。この界隈は久し振りの訪問。Noël が近い為か、凄い人の数!。シャトレの地下街でジプシーの子供達(?)が5~6人でたむろしていた。一人の婦人が何か盗まれたようだった。
夜、少し忙しい。大使館のパーティに二人出張。それで今日は大入り。憤怒の炎はまだ消えていない。
- 12月20日(日) 曇、夜粉雪。 1℃ 1℃
- アラブ学食で昼食後、Victor Hugo 館を見学。Carnavalet 美術館にも入るが、便意を催して来たのですぐに出る。メトロ St. Paul の地下に有料トイレが幸運にもあり、助かる。部屋に帰る、3時少し過ぎ。『田園交響楽』読了。『青べか物語』の再読開始。
夜忙し。久し振りの賑い。「湯豆腐」の一人前の量が多すぎ、一切れ戻ってくる。社長が言うには、給料から差し引く!―と。勿論冗談で言ったのだろうが、実際よく注意しないと――、あれでは多すぎるかなと思ったが、忙しいしそのまま出してしまった。皆ちゃんがちょっと注意してくれたが、いいと言って出して貰ったが、豆腐一切れが社長の伝言付きで帰って来たのだった。
職場はマージャン、マージャン。日曜日は社長も加わってやっているとか。今日も6時半までやっていた。その為夕食は僕が作る。焼き飯。
- 12月21日(月) 小雨。 6℃ 6℃
- Grand Palais(のセーヌ側)の地下にある学食は今日が初めて。その後、シャンゼを歩く。映画を観ようという気持。しかし、いい映画はやっていなくてサン・ミッシェルへ。"STALKER" というソビエト映画を観る。sous titre はフランス語であったが、また眠ってしまった。どうもよくない。2時45分から始ったが、もうすぐ終るというところで出る。5時20分。隣でやっていた「真夜中のカーボーイ」を観た方がよかったのに!
- 12月22日(火) 曇。 6℃ 6℃
- Grand Palais pour prendre le déjeuner.
サン・ミッシェルで "MACADAM Cowboy" を観る。ダスティン・ホフマンの見事な演技。もう一人のカーボーイ役はロバート・レッドフォードであったか。夢が現実の壁にぶつかって砕けていく過程。都会の孤独と荒廃した性、若者の友情、等々。青春映画としては上出来の部類。英語は聞き取れなかったし、sous-titre も俗語が多く、読み取りにくかったが、殆どといっていいくらい解る映画であった。映画は映像が第一の表現手段、だからよい映画は科白が聞き取れなくても、映像だけで何かを感じさせてくれるものを持っている筈――この映画はそれを証明しているようである。
夜、帰宅すると紙片がはさみ込まれていた: Mardi Pourriez-vous venir chercher un radiateur-électrique car nous partons quelques jours en coupant le chauffage. Nous partons jeudi matin.
- 12月23日(水) 曇、夕刻小雨。
- 朝10時過ぎ、階下の大家さんを訪ねようと思っていたら、主人がラジエターを届けてくれる。小さなラジエターだがワット数は意外に大きく、これなら何とかなりそうだ。
ゴン・パレで昼、夕食。サン・ミッシェルで "Lola" すぐ忘れてしまうだろう、そんな映画だった。8時前に帰宅。何故か淋しい、物足りない感じ。ポツリと洩らすように言った松村さんの言葉が思い出される。<一刻も早く日本へ帰りたいんです。この頃は持ってきた本ばかり読んでいるんです。この暮れは家の人達はバカンスで出かけ、一人なんです……>昨日学校へ行かなかったので会うこともなかった。佐々木さんとも会わない。人間のつながりの頼りなさ、深まることのない人間どうし。昨日は管野さん、新聞を持って図書館へ来てくれるのではあるまいか……。宝利さんともあれ以来会っていない。すべては年が明けてから―ということか! 「表現概念としての<疎外>」を読む。
セーヌ河の水かさが1~2週間前から増えていて、河沿いの道路は不通。
- 12月24日(木) 曇。 4℃(夜)
- 1時、ゴン・パレで昼食。 その後ラタンでシャワー。神谷君と松田さんとはすれ違い。ラタンでは神谷君が外で松田さんが出てくるのを待っていたところ。
帰宅後読書。『青べか物語』読了。
今日はクリスマスイブ。客は殆ど無く、調理を手伝うこともなかった。従業員の夕食を作っただけ。西江さんがコクシムソウに相当するヤクマンをして一挙にプラスに転じたと興奮気味に話していた。
仕事終了後、安藤君とノートルダム寺院へ。11時10分頃だったか、中に入る。オルガン演奏が終ると、僧侶のメッセージ。ポーランドのカトリック教会と国民に対してのもののようであった。その後賛美歌「ハレルヤ」を合唱。12時を過ぎていたので出ることにしたが、その頃には中は人でで一杯。外に出るのに15分もかかってしまった。入ろうとする人と出ようとする人が小さな入口で押しあいへしあい。外には入れない人が百人近くいたであろうか。家に着いたのが1時前であった。まだ多くの家々の窓には明かりがあった。Eglise d'Auteuil の教会でもミサが執り行われているようであった。
- 12月25日(金) 晴。
- 午後2時半から「サクラ」のクリスマスパーティ。マダムからマフラーをプレゼントされる。西江さんは家で寝ていて、社長が出て行った後、5時半頃にやって来る。深野さんは木曜日が休みだったので連絡出来ずじまいだとか。ということは木曜日に急に今日やることに決まったらしい。こんなことは初めてのことだとか。アンドレさんが奥さんと子供2人連れてくる。4~5歳の男の子は可愛い。ケンちゃんにバットをプレゼントして、すぐに出て行った。
皆ちゃんの西江さんに対する批判。アルコールの酔いも手伝って日頃の不満が一挙に出たという感じ。食事で従業員を満足させられないキュウジニアは失格だ!等々と手厳しい。それは皆ちゃんの仕事に対する自信から来るもので、かなりの点で同意出来るものであった。しかし僕の彼に対するワダカマリがすべてを受け入れることを妨げているようだ。そこはまだ僕の未熟な点でもあり、自分というものを意識する核でもあって、仕方のないことかも知れない。
安藤君が飲み過ぎて泥酔。皆ちゃんが彼に飲まし過ぎたところもある。日頃の不満が爆発したという感じ。皆ちゃんの彼に対する態度には、大学生に対するコンプレックスもあるようで、年上の者に対する態度としては生意気な点も感じられた。しかしそれは彼の料理人としての自信からくるもののようでもあるが……。皆ちゃんも心の底では淋しいのかも知れない。みんな孤独。しかし日本人は<chaq'un chez soi>というところまで乾燥はしていない。乾燥してしまった方がサッパリするのかも知れないが、やはり人情の湿り気を求めるところがあるのだろう。国民性の違い!民族の魂はそう簡単には変化するものではないのだ。
安藤君はふらふらしながら洗い場の仕事をやっていた。今日は忙しく、彼の手助けは出来ない状態。皆ちゃんもかなり飲んだようで、それに昨夜は徹夜マージャンとかで一睡もしていないらしく仕事が遅かった。僕も少し飲みすぎたようで、頭の回転が鈍かったようだ。そんな状況の中、安藤君が新品の皿を落して割ってしまった。社長が飛んで来るほど大きな音がした。酔いも醒めた頃、彼が社長に詫びを入れると、「気違い水を飲んだのだから仕方ないよ」と寛大だったらしい。
日本語を学びたいということで一昨日から無給で働いているカンボジア女性がいる。その彼女に安藤君がドストエフスキーの小説がどうのこうのと話しかけてうまく通じず、それであのような狂態になったようでもある。明るくて感じの良い娘であるようだ。パリ大学の学生なのかなと思っているが、直接訊いた訳でもないので確かではない。
仕事が終って、安藤君と帰りが一緒。サント・トリニテ聖堂へ行こうということで、行ってみたが教会は閉っていた。
- 12月26日(土) 晴。 4℃ 3℃
- ゴン・パレで昼食を終えて出て来ると、やって来る神谷君に出会う。一昨日昨日と金沢美大の先生や後輩の案内で忙しかった。昨日はシャルトルへ行って来たとかで非常に疲れたと言っていたが、そのような様子はあまり感じられなかった。彼の持ち前の明るい性格と若さがそれを感じさせないのかも知れない。立ち話だけ。
ギッシングに取りかからなければならないのだが、まだ3頁。『心』の英訳を読み始める。
夜「サクラ」へ管野さんから新聞を持って来てくれるとの電話がある。いつも有難い。明日1時半頃アラブ学食で会う約束をする。仕事は忙しい。9時頃まで休む暇が殆どなかった。カンボジアの女性、タイピストだと言っていたが、話をする時間がない。
- 12月27日(日) 曇。 6℃ 6℃
- カルチェ・ラタンへ Douche. 11時30分頃に入った。日曜日は午前中だけ、12時までに入ればよいということらしい。アラブ学食へは少し早く行き過ぎたようだ。食事を済まして10分程待っていると管野さんがやってきた。新聞を受け取る。1時頃だったか。近くのカフェで1時間程喋る。この世における使命感を持ち仕事をしている彼と、生涯の仕事を捜しあぐねている自分――。うまく話が合わないような、何処かジレッタイような奇妙な苛立ちや錯綜した意識を抱いているような、そんな精神状態であったようだ。本当は自分の仏語習得がうまくいっていないことに対する不満をかきたてられただけなのに。そして、日常仏会話上達云々の問題は、実は自分の性格上の問題でもあるのに――。
彼と別れて、大橋君に会ってみたい気持になり、訪ねる。彼は眠っていたらしく、先に僕の方で<悪い!>という気持を持ってしまった。寝ているところ悪いね、またこの次にするか、ゆっくり眠って下さいと、何かそんな他人行儀な言葉を発したようで、彼から少し怒ったような言葉が返ってきた。すぐ反省して中に入る。ちょっとバツが悪かった。僕という男はこんなつまらん意識を持つ狭小な奴だ、まったく!
彼は来年の3月で「サントリー」は上がり、5月にはチョニジアへコックとして行くことになったらしい。10月にアルジェに行った斉藤さんが1ヵ月程で胃を傷め帰って来ている間に、彼を介していろいろ当ってみて、話が決まったらしい。山本君のことも話す。
彼、音楽家の道は断念した様子。趣味として続けてゆくが、職業としてやってゆくには才能の不足を感じたことが主たる原因のようだ。フルートで自分の思うような音を出そうとするが、いくら練習しても出てこないし、また指が思うように動かないのだとも言っていた。それにもう一つ、経済的なこともあるのだろう。しかし僕はそのことには触れないで、「それも一つの見識だね」と言っておいた。学生時代の彼とは大いに変ったようだ。勿論いい意味で。日本へ帰れば姉の治療費の重荷が待ち構えている。少しでも多く金を貯めて帰国したいのだろう。チョニジアは1ヵ月40万、1万フランという。1人で15~6人の食事をまかなわなければならない。彼はチーフで下に現地人を雇い入れるらしいとか。大きな困難にチャレンジしていく姿は立派だ。僕も負けてはいられない。しかし一体僕は何をやろうとしているのだ!
- 12月28日(月) 薄曇、夜小雨。 4℃ 8℃
- 昨夜もすぐ眠れず、眠りに落ちたのは3時半か4時頃だった。
3,Rue Censier の学食へ。この学食は今日が初めて。12時半頃に着くが、松村さんと一緒にいた退屈そうな女の人を見かけただけだった。その後バスに乗り、久し振りにポンピドーの図書館に入る。学生で一杯。空席が殆どなく、館内を一周してやっと見つける。"Born in Exile" を読む。原文には難しい表現があり、日本語に直すのに苦労しそうだ。30分もしないうちに眠気が襲ってきた。"The New Grub Street" の仏訳が本棚に並んでいた。記憶が慥かならば、1979年に出版されている。Coustillous 氏の訳。
サンドニを通ってオペラに出る。いつもより30分程入るのが早かった。キッチンでは黒豆が焦げかけていた。これは正月料理用であるらしく、西江さんの慌てた顔。彼等はマージャンの最中だったのだ。今夜も忙しかった。<松チャン>という呼び方にどうしようもなくコダワッテしまう僕という男!
帰って部屋に入ると暖かい。スチームが入っている。下の部屋の窓は閉っているが、大家さん家族は今日帰ってきたのだ。
- 12月29日(火) 晴、夜一時小雨。 4℃ 8℃
- Censier では誰にも出会わず。サン・ミッシェルで絵葉書を買い、帰って年賀状を書く。3時前、階下のベルを鳴らすが返事なし。5万円をフランに替える。
夜、22人の団体客が入り、非常に忙しかった。店を出たのが11時半。ギャルソンの人達は、まだたくさん客が残っていたから、まだまだ遅くなるのだろう。
社長が機嫌が悪く、西江さんの苦い顔。石井さんも一人で大変だったようだ。団体客が入って忙しいところへ、弁当が7人前入った。石井さん曰く、社長の嫌がらせだよと。大入りを持ってきた時の社長の西江さんに対する表情は、普通といえば普通だが、気分のよい時とは随分と違っていた。江田さんも頭にきていたのだろうか。しかし彼は時々変なことを言う。今日も僕に対して「なかなか頭がいいねえ」と。何処か人を小馬鹿にしたような口振りであった。今日は忙しいこともあり、ムッとなり、「一言余計だよ、あの人は」と、去って行く彼の背中に向けて安藤君に話しかけるように言ってやった。しかしあれだけ忙しくなると、みんな多少とも気が違ってくるのだろうか……。
帰りドラッグに寄り、ビールを一杯ひっかけ、チョコレートケーキを買って帰る。12時30分帰宅。
- 12月30日(水) 小雨、夜9時頃一番強くなる。 10℃(夜)
- Censier で昼食を終え出てくると、向こうから神谷君の姿。横の女の人は彼の後輩かと想ったが、そうではなく、彼の姉さんだった。イタリアから彼を訪ねて来たとのこと。歯は少しそっ歯のような感じを受けたが、頬がやや下ぶくれでどことなく彼に似ている。殆ど立ち話なのであまり言葉は交さなかったが、悪い印象ではなかった。彼は髭を剃り落としてあった。別れてから彼の後ろ姿に向けて、「髪を剃ったんだね!――」
サン・ミッシェルで映画 "La Guerre de Feu" 「火の戦争」を観る。面白い。夕食は部屋で簡単に済ます。
7時30分頃家を出る。雨は小降り。傘を持って出る。 Mt. Chausée Dantin を通過する頃には、やはり心はたかぶっていた。
メトロまで来ると一人の男が走ってくる。その後を若い男が追っかけてきた。何かを盗まれ、取り戻そうと必死に追っかけているような印象を受けた。唾液を何回吐いただろうか、必要以上に!
オペラのドラッグに立ち寄りコーヒを飲む。次第に勢いを増してきた雨の中をパレ・ロワイヤルまで歩く。そのときの気持は昨日までの鬱屈とした気分とはまるで違っていた。
- 12月31日(木) 曇、午後より晴れ間。 11℃(夕)
- Censier で昼食。玄関を入ったカフェテリアで松村さんを見かける。松田さん達と今夜バレーを観に行くとのこと。人待ちの様子。上で松田さん、神谷姉弟に出会う。一緒に食事。神谷君の姉さんとも話す。ローマの音楽学校でオペラ歌手になる勉強中。あと3~4年イタリア滞在の予定とか。日本語の少し話せるフランス人(男)がやって来る。昨日神谷君達と知りあったらしい。「テレビに映っていましたよ」「昨日プランタンへ行った時に撮られたのかな」と神谷君。彼等は植物園へ出かけて行くらしい。神谷君の姉さんが「サクラへ年越しそばを食べに行きます」と言ったが、「どうなるか分らない」と神谷君はやや否定的。彼等と別れて、僕は Douche へ。帰って、洗濯。
仕事を終え店を出ると、そこに神谷姉弟がいた。12時頃に来たそうだが、もう終りだと断られ、さてどうしようかと立ち話をしているところだと言う。彼等の他に日本人が4人いた。そのうちの一人がボザールの学生で、他の3人は以前下宿が同じだったとか。神谷姉弟とは何処かで出会って行動を共にしていたのだろう。神谷君の姉さんは明日午後6時の飛行機でローマへ帰る予定。ホテルは明日の朝9時にチェックアウトしないといけないので、メトロの最終で帰ると言う。まだ時間があるので、それじゃオペラのドラッグでビールで乾杯しよう!と話が纏まる。神谷君の姉さん、あまり言葉もなく、表情は硬かった。彼女とは殆ど言葉を交すこともなく別れることになる。他の4人、これからそのうちの一人の部屋に集まり、雑煮を作ることに話が纏まったようだ。ビールの乾杯はすぐに終り、新年を迎える集まりも盛り上がることなく別れとなってしまった。オペラの交差点の辺りでは新年を祝う車のクラクションの音が高らかに鳴りわたっていた。空には照明灯の光りが幾条も交差していた。
4人の内の一人清水君とは帰り道が同じであった。彼は Rue de la Pompe の近くに住んでいる。下宿に帰り、単車で他の3人に合流するらしい。ちょっと変った人生を送って来たようだ。興味深く彼の話に耳を傾ける。フランス文学は翻訳でかなり読んでいるようだ。フランスに来て3ヵ月。日本では高校卒業後大学には行かず、仙台から東京に出ていろんな職業を転々としたらしい。ピンク映画のシナリオも2年程書いた経験があると言っていた。
新年と言っても、日本とは大分違っているし、日本のような雰囲気は全くない。である故に変な感傷に陥ることもない。結構な事だ。一人ワインを飲みながら、こうしてペンを走らせている。今、1982年1月1日、午前2時19分を少し経過したところだ。
パリ日誌・目次に戻る