上梓【2009.10.28】
パ リ 日 誌

Il y a longtemps que je …


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  10 月  

Jeudi, 1 Octobre, 1981.  Il fait beau.  夕方小雨。
Danielle san,
  Je viens de déménager et m'empresse de vous donner ma nouvelle adresse:
Chambre 11 au 6 ème étage, 35 bis, Rue La Fontaine, 75016 Paris.
Le bâtiment est situé à environ cinq minutes de marche du métro Jasmin ou Enlise d'Auteuil.
  J'ai commencé à chercher une petite chambre il y a un mois. Il était très difficile d'en trouver. Avant hier, si je lui avais téléphoné un peu tard, je n'aurais pas pu louer cette chambre. Elle est petite, mais très jolie avec beaucoup de soleil.
  Et vous, ça va bien? Vous êtes en train de travailler pour les examens, n'est pas?
  Je serais content de vous voir à bientôt.
                          Amitiés, Itsuo Matsumoto.

 昼マビヨンでマダム・キタさんに出会う。一緒に食事をしたが、話し方が以前にましてぞんざいになっていた。精神的な荒廃の臭いがした。何があったかは知らないが…。方言で話すのは全く彼女の自由だが、しかし方言にもその良さがあるものだ。以前からその方言の良さは彼女の口から聞こえてくる限りあまり感じられなかったが、今日はそれがひどく耳に引っかかり、これで結婚している女性なのかと、唖然とする瞬間すらあった。
 図書室で少し勉強した後、この部屋に帰り、ダニエルさんに転居通知を書く。葉書はパリ市内なら1フラン40の切手でよいらしい。
 明日西江さんと一緒に労働許可証申請用紙を貰いに行く予定。社長が保証書を書いてくれる。その保証書では1ヵ月3千5百フランということになっている。その用紙を貰って来ると社長の方でうまく書いてくれるとのこと。
(参考に)
Paris, le 1 Octobre 1981
Monsieur Le Commissariats
de Police
Hotel de Police
93, Avenue Parmentiér
75011 Paris
Monsieur,
  Je, soussiqué, M.MAEKAWA IWAO, Le Gérant de la Société deuseurent au 5, rue de Hanovre, 75002 Paris certifie que MR.MATSUMOTO ITSUO, nationalité Japonaise, sera engagé par notre établissement aprés avoir regularisation de sa situation par Ministre du Travail en gualité de cuisinier specialisé la cuisine Japonaise avec un salaire mensuel de 3500 Francs.
          (ここに前川氏のサイン) Le Gérant
10月2日(金) 小雨後曇時々晴れ間。 13℃(夜)
 11区の警察署へ西江さんと行く。2時間待たされてやっと入ったが仕事は少し遅れてしまう。、居住証明書が無いという理由で帰される。入室してわずか5分も経たないうちに! 小雨の中で2時間も待たされて――。西江さんはしきりに寒さを訴えてくる。「サクラ」へ行って、社長に会って事情を説明すると、「よほど人相が悪いと見られたんだ」とか、その他馬鹿馬鹿しい嫌味を言われる。居住証明(勿論あの19区の)を持って再び11区へ。1時前に着いて終ったのが3時前。約2時間かかる。今度は簡単に申請書をくれた。社長に見せると、用紙はすべて取り上げられてしまう。申請用紙はパトロンに渡し、こちらはあなたがたの為に説明事項を書いたものですと係官の若い女性が言っていたが、社長はすべて渡して下さいと言った。何が書いてあるのか、参考の為に読んでみたかったのだが! 社長は大変喜んでいた。「深野君があまりにも簡単に貰って来たので、大丈夫だと思っていたんだが、最初から(19区の居住証明を)書いてやれば良かった……」と。社長はあまり損をしないようにうまく書くつもりなんだろう。まあ、しかし、良かった!……Ouf !
10月3日(土) 曇後晴。
 昨夜は3時頃就寝。起きたのが11時頃。ポール・ロワイヤルで食事。帰宅して勉強。4時頃眠くなり、うとうととしてしまった。気がつくと、5時半。仕事は少し遅れてしまう。夜、忙し。
10月4日(日) 晴、午後より曇。 12℃(夜)
 朝9時頃から部屋に陽が差し込んできて、気持がいい。外は寒く、冬の気配。11時頃より雲に覆われ、光も弱くなる。ミラボー橋に人が大勢いた。何かと思って行ってみると、セーヌ河でモーターボート競走が行なわれていた。日本の競艇とは違って、一段と大型で、すごい爆音を立てて走っていた。その数、40艇位か。
 Rue Cuvier の学食へ。ここはパリ第6、7大学の中にある。神谷君に出会う。食後彼とパンテオンまで歩く。そこで別れ、大橋君を訪ねる。引っ越しを知らせるだけだったので、すぐ出て、帰宅。
 仕事、オペラまで52番のバスで行くが、メトロの方が早く着くようだ。
10月5日(月) 曇、夜小雨。
 Métro Parmentier で8時30分に待ち合わせ。菅野さん、30分遅れて来る。警察の前は既に長い列。しかし今日は早かった。10時半には申請用紙を貰い、出てくることができた。説明書のコピーをする。詳しく読んでみないと判らないが、別に問題となるような内容ではなさそうだ。
 今日はアリアンスで勉強。 "Liza of Lambeth" 了。
10月6日(火)
 マビヨンで昼食後、レ・アールのフナックでキャンピング用のガスコンロを探したが、なく、サマリテーヌのスポーツ用品売り場で見つける。90フラン。燃料ガスボンベが60フラン50。湯沸かし用にと鍋を見るが皆高く(50フラン以上)、菓子作り用の鍋(21フラン50)を買う。帰って、早速コーヒを入れて飲む。 Bien !
 この1週間は非常に速かったように思う。明日は仕事は休み。
10月7日(水) 晴。
 アリアンスの図書室で管野さんに出会い、この部屋に案内する。キャンピング用ガスコンロで湯を沸かし、コーヒーを飲みながら、周五郎の話をする。夕方、マビヨンで一緒に食事。
10月8日(木) 晴。 16℃(夜)
 授業が終って、同じクラスの日本の婦人と一緒に廊下に出る。彼女が昨日休んだのは、一昨日のサダト大統領暗殺の事で、新聞記者である彼女の夫が急に忙しくなり彼女もその為来れなくなった、と先生に話していた。中学生のお子さんは東京においてきたこと。小学生の子供は、今我々が教えて貰っているクラスの先生に仏語を習っていること。3、4年こちらに滞在すること。5ヵ月間、Métro Glacière の近くにある会話学校に通い、聞き取りが大分上達したこと、等を知る。そこへ佐々木さんがやって来る。久し振りの再会!(少し大袈裟か)。3人で少し立ち話。その後、佐々木さんとマビヨンへ食事に。
 佐々木さんの両親は、昔京都に住んでいたとのこと。彼女のお母さんは天橋立の近くで生まれたそうで、小さい頃豆を入れた袋を腰につけ、5キロメートル位遠泳し、疲れると仰向けになり、塩味のついたふやけた豆を口にほうばった、というお母さんの思い出話を語ってくれた。彼女もこの3年程前から急に平泳ぎが上達したとか――。父親はサラリーマン。母親は家でピアノを教えている。彼女も帰国すれば、それを手伝うとか。3人娘の末っ子。1番上が既に嫁ぎ、中は現在中米辺りを旅行しているとか。彼女の落ち着いたものの言い方は、恐らく京都暮しの長かった母親から自然に受け継いだものではないか。実にいい雰囲気を持っている。高校時代バレーをしていたとか、背は少し高い。これからモベールにあるピアノ練習用貸しスタジオへ行くと言うので、別れる。
 部屋に帰り、宿題の La chasse に関する仏文を考える。
 包丁で左手の薬指を少し傷つける。西江さんは僕に、全てとは言わないが、いか酢とかたこ酢等、簡単なものは出せるように期待しているようだ。皿洗い程度の給料しか貰っていないのだと割り切ってしまえないものが、実際一緒に仕事をしていると出てくる。忙しい時は特にそうだ。彼に甘えてはいけない。覚えるものは早く覚えたほうが良い。今日は先生の手紙の最後の方が気になって、少し気分がのらなかったようだ。
10月9日(金) 曇時々小雨。
 最近、ポンピドーやアリアンスの図書室で勉強することが少なくなった。やはり自分の部屋があるからだろう。しかし落とし穴もある。部屋に帰ると「ホッ」として時間を無駄に費やしてしまうこともある。以前と同じ様に、自己と或る一定の緊張感を持続してゆかなければならない。
 マビヨンで神谷君に出会う。ちょっと話しただけ。ボザールにもぐり込んでデッサンの勉強に打ち込んでいる様子。美術学校は朝9時頃に始り夕方の6時頃まで授業があるらしい。君は誰だと咎めることなく、批評してくれたそうだ。今月はアリアンスは休むつもりらしい。彫刻家志望の青年と一緒であった。負けてはいられない!
10月10日(土) 曇後雨。 15℃(夜)
 モンパルナス・フナックで本を買う。"Chatterton" by Vigny. Jaques Prévert の詩2冊、"Paroles" と若者向けの詩。"Le Petit Prince" by Saint-Exupéry. "Lanque"=Ⅲ= by G.Mauger. 計65フラン20の出費。
 マビヨンでは誰にも遇わず。モベールでインスタントラーメンを仕入れる。家で机に向うが、5時はすぐにやって来た。仕事だ。
 夜忙しい。仕事の始まる前、皆ちゃんが女の子を殴ったらしく、地下室でウォーウォーと大きな声をあげて泣いていた。言葉が通じにくいところへもってきて、あの女の子、強情なところがあり、みんなに嫌われていた。何故彼が手を出したのか、その理由は知らない。もう少しみんなが温かい目で見てやり、彼女の方ももっと素直に教えに従えばよいのだが――。ムシュー、マダムと言いなさいと言われているのに、その通りにしないのだから、図太いというか、強情というか……。少しも女らしさが感じられず、職業柄ぜひ使わなければならない言葉だと判断する知性もないようだ。角ちゃんはどうしているのかな、周りがみんなフランス人の中で、うまくやっているのだろうか……。
10月11日(日) 晴。 11℃(夜)
 昨夜は3時頃まで起きていた。今朝10時過ぎに起床。9時頃から陽が射し込んで来て気持がいい。
 Citaux の学食へ行くが閉っていた。慥か、マビヨンに貼ってあった表では開いている筈なのだが、見間違えたのかも知れない。バゲットにジャム、インスタントラーメンの昼食。バゲットがすごく美味しかった。近くを散歩でもすればよかったのだが、大橋君が来るかも知れないと思い、部屋で "Le Petit Prince" を読む。眠くなり1時間程ベッドに横になる。夕方まで時間があるといっても、すぐに終ってしまい、結局何も出来ない。苛立たしい気分だけが残る。     城山三郎著『生命なき街』読了。
10月12日(月) 曇時々小雨。 11℃(夜)
 マビヨンは混んでいて、ポール・ロワイヤルへ行く。航空便用封筒を買う為もあった。そこで東京出身の、もう3ヵ月も旅行している大学生に出会う。明後日パリを発って、パキスタンへ、アジア諸国を旅行して帰る予定であるとか―。
 帰宅。5時はすぐやって来る。
 夜、団体客19名。軍歌等を歌い大いに盛り上っている様子がキッチンにも伝わってくるが、こちらは2人。てんてこ舞いの忙しさ。当然大入りとなったが……。
 僕は気分がふさぎ込み、なんだか腹立たしくなってきた。反対に今日の西江さんは団体客に料理を出した後ホッとしたのか、鼻唄を歌いだした。気分の急変はほんのちょっとしたことがきっかけなのだ。深野さんが「マッツァン」と呼んだ言葉が気に入らず、それから急に黙り込み内に籠っていったようだ。違和感―20歳代に強く感じた―周囲に溶け込んで行けない外部との齟齬の感覚が常に僕の内部に在るのだ。最近は沈潜していたが何かのきっかけでムラムラと噴き出してくる。こんな仕事をする為に生れてきたのではない!という気持――20歳代のあの苛立ち。とにかく今のような仏語の状態じゃ、情けないぞ!
 今日授業で先生がジャック・プレベールの、短いが含蓄のある詩を朗読してくれた。
     LA BELLE SAISON   "Paroles" の25頁
    A jeun perdue glacée
    Toute seule sans un sou
     Une fille de seize ans
      Immobile debout
     Place de la Concorde
    A midi le Quinze Août.
10月13日(火) 晴後曇。 12℃(夕) 11℃(夜)
 陽は窓から射し込み、気持のいい朝。ミラボー橋を渡って、 Métro Citroen から乗る。
 今日のディクテ、あまり出来がよくない。新しい学生が数人入って来る。その内の1人が横浜出身の女性。
 午後主人に居住証明証を書いて貰うが、étudiant としてある。前川氏に確認すると、やはりそれでは駄目らしい。学生の肩書きは消して貰った方が良いとのことであった。白川さんにも画家としないようにと言うつもりだと言っていた。
 食材の注文は料理人に任されているらしい。今日肉を注文したらしいが、社長は余りいい顔をしなかったらしく、そのことを西江さん、気にしていたようだ。社長は意識的にそのような顔をしているというのが彼の見方。そうかも知れない。高価な商品、特に肉は無駄に使わないように、という警告の意味を持たす為にいい顔はしないのだろう。烏山君の予告が既に始まったのだ。「忙しい方がいい、社長の不機嫌な顔を見るよりは……」という言葉が、先日西江さんの口もとからふと洩れたのを思い出す。
10月14日(水) 曇時々小雨。
 マビヨンへは佐々木さんと一緒であった。学校の正門を出て少し行くと、傘をさして歩いて行く彼女らしい後姿を認めた。冬のオーバーを着ていたのではっきりしなかったが、近づくとやはり彼女であった。今日は先生の写真も見せ、先日届いた手紙で気にかかっているところを聞いて貰った。彼女は同じクラスのイタリア女性と映画 "L'un et L'antre" をオデオンへ観に行くとのこと。マビヨンから帰って、図書室で一人勉強をしていると彼女がやって来た。約束の時間は4時半だった―と。隣の席に座り一緒に勉強する。その後菅野さんとモンパルナスへ「007」を観に行く。映画は既に始っていた。アクションがすごく目を引いて退屈しなかった。が、意味が解らない。やはり面白くない。6時半に映画館を出て、マビヨンで夕食。8時過ぎに帰宅。9時過ぎから宿題の作文に取りかかり、清書が終ったのが翌日の午前4時少し前。しかし、これで「ホッ」とした。
10月15日(木) 曇、小雨、夜晴。 12℃(夜)
 正門を出た所で、佐々木さんの友達(仏人と結婚した)にぱったり出会う。1時に会う約束をしているとのこと。スイス旅行から帰ったばかりとか。少し立ち話。ご亭主は毎日6時半に起きて出勤。モンパルナス駅から乗るのでこの近くに引っ越したいらしい。たっぷりと湯につかりたい、とも言っていた。急に寒くなってきたこともあって日本の風呂が恋しいのだろう。彼女と別れて一人マビヨンへ。陶器市がたっていた。砂糖入れとミルク入れ、二つで10フラン。ミルク入れは紅茶用に使えるので買う。
 部屋主に事情を説明して居住証明証を書き直して貰う。快く聞き入れてくれる。夜働いていることを話した為か、毎月10日の日には主人に学生証を提示してほしいと言われる。アリアンスへ毎月報告する義務があることは部屋に貼り出してある文書にも出ている。いずれいつか提示の要求があるかも知れないとは思っていた。夜社長に手渡す。コピーの方を見せると、それは駄目だよと、本物を求められる。これは当然のことだろう。仕事は忙しく、大入りを期待するも200フラン不足。石井、菅野両氏の苦い顔。
10月16日(金) 曇。
 教室の窓は開いた状態であった為だろうか、授業が終って喉が少し痛くなっているのに気づく。風邪の前兆かも知れない。注意するに越したことはない。
 マビヨンで神谷君と連れの鈴木という人に出会う。通称寅さんと呼ばれていると自ら言っていたが、ふうてんの寅さんのように気の優しそうな人柄に見受けられた。「東風」で皿洗いをしたこともあるとかで、杼谷さんを知っているらしい。鈴木さんによれば、杼谷さんは京都外大でスペイン語を専攻、また詩集も出版したことがあるシンガーソングライターでもあるそうだ。これは初耳。神谷君と鈴木さんは現在、ヴォザールのもぐり画学生。鈴木さんは絵の勉強を始めたばかりだとか。好奇心もあって彼等がひそかに潜り込んでいるデッサン室に連れていって貰う。2時から始まるので、モデルはまだ来ていなかった。デッサンの道具も何も持っていない者がいてはおかしいので、すぐにそこを退散する。
10月17日(土) 曇後晴。 17℃(夕)
 昨夜は殆ど眠っていない。先生への手紙、書き終えたのが午前6時頃。ああ、風邪!
 郵便物を正午ぎりぎりに出して、マビヨンへ。しかし閉まっていた。Assas へ行く。
 リュクサン公園のベンチに腰を下ろしてしばらく身体を休める。今日は土曜日。恋人達がベンチで囁きあっている。帰宅して寝る。微熱。
 今夜も忙しく、完全に体調を崩してしまった。キンが社長から差し入れだと言ってビールを2本持って来て、1本を自らラッパ飲みする。無作法なその行為に、つい腹を立て、怒鳴ってしまう。 "Qu'est-que vous dites ! " 変な顔をしている。通じていない。それもその筈、 faites と言うべきであった。余計に気分が悪くなる。その後しばらくして、昨夜の残業分だと、社長が20フラン持ってくる。
10月18日(日) 15℃(夕) 13℃(夜)
 朝方6時に目が覚める。汗びっしょり。昨夜飲んだ風邪薬のせいか、それとも……。
 仕事に出かける5時迄、本を読んだりして部屋で寝ている。鼻が詰って苦しかった。
 仕事が終った今も依然として微熱が残っている。しかし気分は出る時より帰って来た今の方が良い。声がかすれて鼻声になっていた。皆ちゃんはその点、心遣いのある人柄。西江さんは余裕の無さからだとは想うが、少し器量がないようだ。子供の良い面と利己的なところの両面がある。正直といえば正直――。とにかく人数が足りないのだから今日のように忙しいと、追い立てられるのは当然だ。それに今日初めて社長の怒鳴る声を耳にした。西江さんが卵を注文していなかった為、社長が客から受けた注文の出し巻が出来なかったのだ。「何故昼に言わなかったんだ。アンドレにでも言えばいいんだよ。何も君に金を出させる訳ではないんだから。言うことに金はいらない、タダなんだ、何故言わなかったんだよ。困るよ君! そんなことで料理人が勤まると思っているのか!」と口調が厳しい。結局、社長が何処かで買って来た。昨夜注文を出したが、今日持って来てくれなかったから仕方がない、とそのままにしていたようだ。以前にもそのようなことがあり、西江さんが自分の金で卵を買ったことがあった。西江さんの落ち度であることは明らか。社長が怒るのも無理はなかった。ただ、相手に対する優しさが足りないだけ――。以前の深野さんの時とは少し違うようだ。
 今は何もかも忘れて、すぐ床に就くことにしよう。
10月19日(月) 午前10時頃より晴、夜小雨。 15℃(夕)
 風邪はどうやら昨夜で峠を越えた模様。よし!
 今日はテキストの終了模擬試験を抜き打ちにやられて、少なくとも僕は戸惑ってしまった。2日間フランス語から遠ざかっていたこと、それに気分がまだすっきりしないこと、理由は色々あげられる。結果は良くなかった。噫!何時になればあの程度の仏語を容易く聞き取れるのだろう!。毎日少なくとも1時間は勉強しないとだめだ。覚えている単語もすっと出てこないのだから。マビヨンからすぐに部屋に引き返し、養生に努める。
 今夜も大変だった。菅野さんが助けに来てくれなかったらどうなっていたか!。昨日は120フラン程足りなかったが、今日は大入り。おかげで終ったら、11時45分。
10月20日(火) 小雨、夕方晴れ間。 11℃(夕) 11℃(夜)
 昨日のディクテの返却、悪い!。あの試験はクラスに3、4人いる出来る生徒の能力をみて、テキストⅢへ進級させる意味もあったらしい。宝利さんにそのことを教えられる。僕はよく意味が解らなかった。
 部屋に戻って、三浦綾子著『残像』読了。
 仕事、今日は暇。たまにこういう日もないと困る。チョニジアの青年(17歳位)が今日からカウンターの仕事をしている。
10月21日(水) 快晴、午後より曇、時々小雨。
 先日提出した "lecture" に関する作文は très bien, très vrai ! と先生の同意を得たようだ。苦労して書いただけに、嬉しい。
 管野さんとボザールのデッサン室に行く。学生で一杯。5分間位熱心にデッサンしている様を見学する。前の方で神谷君がモデルを見ては眼を紙面に落とす、この動作を繰り返している。モデルの一人と視線が合う。もう一人のモデルに何か言っている。何もせず突っ立っている僕達を嫌ったのだろうか。管野さんがデッサンしている男性に何やら言われた。どうやら出て行って欲しいと言っているらしい。後味の悪い思いだった。
 管野さんとカフェで話す。彼の聖書の話は非常に詳しく、それもその筈、彼は統一原理研究会に東北大に在学中から所属していたそうだ。例の新聞「世界日報」はそこと関連した新聞社のようだ。地下鉄サンジェルマン駅を出た所で、彼の仲間の仏人が2人宣伝活動をしていた。少し興味を覚える。
 マビヨンで神谷君達に出会う。夜は下宿で、管野さんが貸してくれた塩野七生著『愛の年代記』を読んだり、ダニエルさんが吹き込んでくれたカセットを聴いたりして、何となく夜は更けていった。
10月22日(木) 晴れたり曇ったり雨が降ったり、午後3時頃雨にヒョウも混じる、4時頃稲光、雷。 8℃(夕)
 正門を出た所で宝利さんと話していると佐々木さんがやって来た。久し振りの再会。ポール・ロワイヤルの学食へ一緒に。佐々木さんが仏教、それも密教を信仰していることをを初めて知る。若い頃は内向的で、自分の内面がひどく嫌で、この性格を何とか直したいと思っていたとか。1、2年前に密教の教えを知り、それを実践していて、ある日突然、潜在化してくすぶっていたモヤモヤが出て行ったような清々しい気分になって、どんな人とも楽しく話が出来るようになったらしい。それまでは人をえらぶ傾向があって、そのような自分を何とか直したいと常日頃思っていたそうだ。僕は彼女に益々興味を持つようになっている自分を意識しだしたようだ。こうなると、僕は自由でなくなる。女性に対するシャイな面が出てきて、そんな自分を仕様がない!と思ってしまう。
 彼女の映画の話を聴きながらリュクサンブール公園を歩いて学食へ向っていた時、彼女は、もう一度 "Les uns et les autres" を観たいと言った。食事が終って出てくる時、「何かいい映画はありませんか」と僕は尋ねた。いい映画があればどうだというのだ!…ただ何となく口から出てしまった感じであった。 "Les uns et les autres" はどうですかという言葉が返ってきた。そして僕は言葉に詰ってしまったのだ。その後は後悔めいたすっきりしない思いの中で僕は動揺し続けた。何故もっとさばさばと話が出来ないのか!。そう言った彼女の表情には少し動揺が現れているように感じられた。だからよけいに僕は言葉が出なかったのだろうか!。何故、「貴方、もう一度観たいと言っていましたね、一緒に観に行きませんか」と返さなかったのか!。とにかく自分が悲しかった。情けない奴だ!という気持で自分を蔑んでいた。
 彼女とリュクサンブール駅で別れる。そこの写真機の前には人がたくさん並んでいた。ポール・ロワイヤルに戻り、写真を8枚撮る。公園を抜け、オデオン駅まで歩く。もうすぐ駅だという所で突然、ヒョウが降って来た。ほんの2、3分の出来事であった。
 明日、労働許可証申請に出かけるが、1981年1月1日以前に仏国に入国した外国人労働者を対象としている点が少し心配である。しかし仮の滞在許可証は発行してくれたのだ、大丈夫だ……。入国日を記入する欄があり、前川さんが訊きに来た。嘘を書けば私が罰金を取られることになるから――と。正直に書いて、それで駄目なら仕方ないです、と言った。が、……。

(追記・10月26日夜)  この時点で申請するか否か、問題を立てるべきであったかも知れない。仮の滞在許可証申請の時の、あの用心深さは一体何処へ行ってしまったのだ!。若しあの時の用心深さを持っていたなら、駄目な場合の後に来るものに対して十分に心を配っていた筈!。
10月23日(金) 午前中晴、午後より曇。
 8時45分に Parmentier に着くと、西江さんは既に前の方に並んでいた。しばらくすると菅野さんが来る。彼等二人の申請はうまくいったようだが、僕の場合、居住証明ですぐに突っ返される。今考えてもあの文面では、M.Surun が建物の所有者であることが判りにくいようである。午後もう一度出かけたが、1時間以上待たされて、結局人が多すぎて入室出来なかった。月曜日にもう一度出かけてみるつもり。しかし、入国日のことで無駄足となるかもしれない。が、それで駄目なら仕方がない。今日はまったく疲れてしまった。朝、西江さん達と別れた後、徐々に空虚感が襲ってきた。帰国日が早まるという懸念が、やはり大きな落胆として感じられていたのではなかったか――。
 宝利さんが一度学食へ行ってみたいと言っていたので、アリアンスの入口で彼女を待つ。今日は人と会う約束があると言うので、次の機会ということになった。佐々木さんがイタリアの女友達と親しそうに話をしていた。会釈を交しただけ。話しかける気力もなく、悲しく惨めな思い。
 4時半頃、Quatre Septembre 通りを歩いていると、向うのカフェから白川さんが手を振っている。江田さんもいて、三人でいろいろ話をして、少し気分が紛れた。滞在許可証のことでは、白川さんはさんざん苦労したあげく結局駄目だったそうで、彼の憤りと悔しさはよく理解出来た。
 皆ちゃんは彼等とは全く対照的。フランスが駄目ならスペインへでも――と。
10月24日(土)
メトロ、Rue de la Pompe で降りて、第9大学の学食まで歩いて行く。帰り、サマリテーヌに回り、キャンピング用ガス缶2個(13フラン)買って帰る。
 下の5階の大家さんのドアを敲く。色々すったもんだがあって、結局、quittance は書けない、何故なら部屋は学生にしか貸していないからだと言う。若し quittance が必要なら他の部屋を探すのですね、28日に caution の450フランを返しますから―と。一瞬、出て行って下さいと言っているのかと心配したが、そうではなかった。若し家賃の領収証が必要ならという条件付きだ。つまりそのようなものは書けないということである。仕方がないから、月曜日に警察へ行ってもう一度よく説明するが、その時電話をかけてもよいかと訊くと、これは承諾。その時、大家であると答えて欲しい、そして私が学生であると言わないで下さいと頼むつもりであったが、学生でないと言って欲しいというように受け取られたらしく、それは言えない、嘘を述べることは出来ないと言う。警察が来て調べることも考えられるから―と。それでは、貴方が大家さんであることのみを答えて下さいと頼むと、これはすぐに承諾してくれた。
10月25日(日) 薄曇。
 8時半に合わせてある目覚まし時計が鳴り響く。あわてて音を止める。眠りが浅くなっていたのだろうか。しかしその後もまた眠り込んだらしい。その時に見た夢……。精神的渇望を象徴しているような夢――。何か問題を出されているが、僕には難しすぎて全く手が出ない。他の人はこともなげに解答しているようだ。その後、若い女性の胸の辺りに顔を埋めている。右手はその女性の腰にまわしていて、ぐいと自分の方に強く引き寄せている。彼女に何か話しながら、感覚的に非常に満足した気分、しかし何処か不安も感じている。彼女がすぐにも離れて行ってしまいそうだと思って……。
 江田さんが警察から呼び出しの手紙を受けたとか。明日出かけるとのこと。駄目なら日本へ帰るよ、とは言っていたが……。
                       塩野七生著『愛の年代記』読了。
10月26日(月) 薄曇。 8℃(夕)
 Parmentier の警察へ。8時40分頃には既に20名近くが列を作っていた。
 入国日のことで引っ掛かり、申請書は受理されず。Convocation と書かれた用紙を貰う。来年の1月13日午前10時30分にシテ島の警察本部へ来なさいという召喚状だろう。強制送還ということか?・・・。用心が足りなかったこと故、致し方なし!。
 社長の前川さんは「大丈夫、私がついて行ってあげますよ。シテの警察には私の知っているエライサンがいるから、私がその人に言ってあげますよ」と……。ただ、お願いしますと頭を下げる。社長に任せば何とかなる!と一応安心はしたが、何だか自分が腹立たしい!。他人に自分の人生の動向の一つを握られているのかという感覚があるからだ。また、自分がもっと用心深く、細心に、事の推移を把握してこなかったという、自分に対する不甲斐なさがある。
 前川氏はこうなる事をある程度予想していたのではないか。申請用紙の説明書を取り上げておいて―。そこには1981年以前に仏国に入国した外国人労働者を対象に労働許可証を発行する旨のことが述べられていた。菅野さんのを一緒に貰いに行ってあげた時にコピーして、僕は読んでいる筈なのに、この点にも自分が腹立たしい。あの箇所にもっと敏感になっていれば、前川さんが入国日のことを尋ねに来た時、申請を断念するかどうか考えた筈だ。全てはあの一瞬に決まったのだ。今更何を言っても始まらない。昨夜前川氏は僕に尋ねた。僕は、あと一年こちらに居て仏語を勉強したいと言うと、「セジュールぐらい私が取ってあげますよ」と言ってくれた。こうなることを彼が予知していたように想えるのは、そしてそのように感じてしまうのは、僕の偏見なのか!。もう少し客観的に事の推移を観ないとはっきりしたことは言えないのだろうが……。
10月27日(火) 9℃(夕)
 マビヨンから帰って、宿題の仏作文に取りかかる。今夜もまた遅くなるのか?
10月28日(水) 晴、午後より曇。
 宿題の作文は朝6時半頃やっと完成。10時前まで眠る。
 "Pouriez vous venir nous voir aujourd'hui, Merci. M.Surun" と書かれた紙片がドアの下から入れられてあった。ドアをノックする音はその為だったのだ。部屋代を払わなければならないと思い、金が足りないので、朝訪ねるのは止して学校へ。管野さんに不足分を借りる。夜帰宅して訪ねると、奥さんは居らず、御主人が応接。決心はつきましたか?貴方は働いているから部屋は貸せません、というようなことを言っているように想う。「でも、それは夜だけで、昼間は学生ですが…」「妻は今居ないから、はっきり言えない」「ずっと貸して貰えないでしょうか…」「今居ないから明日の朝来て下さい」奥さんは僕が出るか否かを知りたいだけなのだ。それだけなのだ。事情を話せば、すぐ出て行け!とまでは言わないだろう。あの居住証明書は返すこと!。なあに、心配してもはじまらないさ!
 正面玄関で佐々木さんに出会う。『愛の年代記』と周五郎の短編を貸す。その時、私も管野さんに話があるので図書館へ行きますとのことであった。ポール・ロワイヤルの学食から帰ると2時を5分過ぎていた。5分の違いですれ違いになったのか―。管野さんとカフェで話す。
 マビヨンでは、管野さんの知り合いの写真家(ヒゲをはやした)と一緒に食事をする。仏国には3年滞在。自衛隊の管制塔で5年間英語を使っていたので英語は不自由しないとのこと。安い航空券が見つかり来月の5日に帰国。日本で個展を開き、それを足場にニューヨークに出たい、そして何処か(何処でもよい)静かな処で写真を撮って暮らしたいと語っていた。昭和17年生れにしては若く見える。僕は年齢より老けて見られていたらしい。
10月29日(木) 12℃(夜)
 昨夜はやはり心配していた。努めて楽観的になろうとしていたようだが、何となく不安感は募る一方のようでであった。事情を話すと、奥さんは解ってくれたようだ。笑顔で受け答えしてくれた。主人の方は余り表情を変えず、黙って聞いていたようだ。下宿に関しては奥さんの方が実権を握っているように想われる。小さな子供を抱いていたが、孫かもしれない。quittance loyer は禁句のようだ。家賃の領収証を要求しないと分かったから話はすぐに片付いた。来月分の家賃を払う。10日に学生証を提示して欲しいと言われる。
 アリアンスの玄関で佐々木さんに出会う。昨日来なかったことを詫びていた。管野さんへの話は仏人との交換教授のことではないらしい。彼の教室へ行ってきたようだが、授業が既に始っていたらしい。その後彼女はイタリア女性達と食事に行ったようだ。
 今日は部屋に帰る気にならず、ゴン・パレまで散歩。美術館には結局入らなかった。キャトル・セプトンブル通りのカフェで新聞を読んで過ごす。
 夜は、暇――。
10月30日(金) 14℃(夕・夜)
 朝、暖房が入る。しかし、午後帰ってみると切れていた。
 先生が教室に入ってくるなり僕に、宝利さんが転んで頭を打ち入院していると告げる。佐々木さんに会い、見舞いに行こうということで、病院の住所を尋ねようと先生を探したが見つからず、彼女が宝利さんの家の電話番号を控えてあったので電話するが、出ない。夜、彼女が店に電話をくれる約束をする。しかし夜電話がなかったところをみると、宝利さんの家には誰も居ず、電話が通じなかったものと想われる。
 佐々木さんの友達のスペイン人2人とアメリカ人も加わって、Assas の学食へ。食後カフェでいろいろと話す。アメリカ人は用があるとのことで別れたが。スペイン人の1人は看護婦さんで、文学にも詳しく知的な女性。ルソーの『エミール』について盛んに語ってくれた。またディドロの書物をかなり読んだようだ。最初誰だか判らなかったが、説明を聞いていて百科全書派の1人であったことを思い出す。セルバンテスの話やオルテガのことを僕が持ち出してからそのような話題へと発展していったのだ。僕の前に座ったもう1人のスペイン女性は、大学で法律を勉強しているらしい。(発音は看護婦さんの方が正確であった)オスカー・ワイルドの『獄中記』を興味深く読んだようだ。キーツの名も出てきた。日本文学にも興味を持っているようだ。作家の名前を知らないので書店で注文出来ないと言うので、川端康成の名前と『雪国』を紙に書いてやる。読んでみようという気持は充分持っていたようだ。また詩人として萩原朔太郎の名前も教えてやる。それがきっかけで、例の仏作文を見せることに相成った。看護婦さんの方は明日の午後スペインへ帰るとのこと。彼女達はフナックへ書物を買いに行くと言うので、3時少し過ぎに別れる。佐々木さんも彼女達と一緒に――。
 夜、鰯の塩焼きに塩をべとべとに付けすぎ、社長から注意される。もう一度やり直し。塩の振り方一つ取ってみても、料理人の腕の優劣が判るのだ。まだまだ――、料理人には程遠い。
10月31日(土) 16℃(夕・夜)
 マビヨンは休み。サン・ミッシェル通りのアラブ系学食へ行く。以前管野さんから教えて貰っていたが、今日が初めて。
 リョクサン公園を抜けて、帰る。すっかり、とはいかないが、もうかなり葉は散ってしまい、何だか寂しい公園となっていた。海洋国日本の秋の風情とは大分異なる。
 夜、佐々木さんから連絡なし。








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