上梓【2009.5.25】
苦悩という名の遊戯


  
 先生から詩二篇、頂く。一篇は<E線のふと切れし淋しさ! まさぐれば、仄の蒼き残照……>で始まる(先生の言によれば)ボードレール風の詩。これは言葉も難解で今の僕には理解し難い。もう一篇は僕の心に直接触れてきた。
鈍空へ
一路、坦々と延びたみち

川を交えて十字を切り
終日
往還の人を見ず

荒廃の丘の上に
朽ちた墓地 ― きょうも
草深い地平を凝視ている

わたしは、小石を拾って投げた
遠く、遠くうつろへ
見事な抛物線を描いて……

あヽ それは的礫と
空に答えて
命への我執を嘲る如く

わたしの中に
いつまでも、谺となって残っている
 未来の不確定性にこそ人生があり生命があり、人間が人間として生きようと欲すれば、それを積極的に受容し、敢然と奮い立つ姿こそ、我々の心を捉えては離さないものです。フォイエルバッハは「理性と愛と意志の力とは完全性であり、最高の力であり、人間そのものの絶対的本質であり、人間の現存在の目的である」と云っています。僕達が、勇壮な態度で進んでいく人間に強く心を惹かれるのは、そこに人間の理想の姿、人間の本質を見いだすからに他ならないからだと思います。恐らく彼は深く思惟し、かつ彼の内部では何かに対する心情の力と、それを求めんとする意志の力とが、強靱かつ密接に結び合わさっているのでしょう。いや、心情の力が、意志の力を誘発し、時には理性を抑えるものなのだという方が、不完全性としての個なる人間の本来の姿をより明確に表わしているのではないでしょうか。

 悲しいかな、個なる人間は不完全であり、強靱なる意志を持続させることは至難の業です。人間の魂は孤独に耐えきれなくなり、そんな時、意志力の緊張は弛緩するもの―、そうした精神の隙間から、ふと周囲を見渡せば、自分が現在歩みを進めている道は、小さな小川と十字を切り、古綿を引き延ばしたような空の彼方へ吸い込まれるように、一路坦々と続いている。小川のせせらぎも、小鳥の鳴き声も聞こえてこないし、野辺によく見かける草花も咲いていない。周囲一帯、ただ寂寞として、草が生い茂っているだけである。聞こえて来るものといえば、奇妙に頭の中にのめり込んでくる私の足音だけ。

 ふと斜め前方を眺めれば、荒廃した丘の上に朽ちた墓地がポツンと一つ立っている。あれは一体何を凝視めているのだろうか? 全ての夢が崩れ去り、精神的には全く死人同様のこの私―。とすれば、彼の墓地は、現在の私そのものではあるまいか。墓地の中にいる私。でも私は墓地の中にはいない。私は何かを求めている。自らの手で自らの命を絶ち切れないことがそれを証明しているではないか・・・。

 私は小石を拾って投げた。それは見事な放物線を描いて飛んでいった。噫、あるがままの美しさ! 即自存在は即自存在の世界の中でこそ、かくも美しくその姿を保持し得るものなのか。しかし私は石ではない。石になりたいとも思わない。石であることの美しさは私の美しさではないのだ。それなのに何故に私は、石が空に描いた放物線の美しさに心を惹かれたのであろうか? それは、私の心の中に、いつまでも谺となって残っている謎なのだ。

  
 僕という人間は一体どういう人間なんでしょう? 小心で、神経質で、いまだかつて情熱を赤々とたぎらせたこともなく、冷血動物の類で、……全く自分が厭になってきます。僕を大いに笑って下さい。人から笑われている方が気が楽なようです。僕は自分の将来をどうしようと思っているのでしょうか?……。… … … … …

 蕭々雲の流れる如く、我が身一つの侘しさよ。何を求めて何処へ行く。こんな気持で今日、先生のお宅を訪問したのですが、あいにく不在で、また同じ気持でブラブラと帰ってきました。

 今日もまた、自分の才能に疑問を持ってしまいました。
 僕にもっと欲があれば、若者に不似合いなこんな愚かな疑問を抱くことなく、やれば出来るのだと無限の可能性を信じて、コツコツと努力している筈なのですが…。今の僕にはその努力が愚かしく思えてしまうのです。僕の未来に何があるのでしょうか? 人間の心は不可解ですから、今こう言っている自分が将来どう変るか知れません。「葦は見ていた」の計之介のように、突如野心家に変貌するのでしょうか? しかし、その可能性はまずなさそうです。

 先生、僕の心は素直じゃないのですね。僕のような男が、これから、このような社会の中を、どのように生きて行くか?……これは非常に興味ある問題で、劇で云えば、第一幕が終って、第二幕目が正に開かれようとしている、と云ったところです。しかしこの芝居の作者、案外皮肉な人で、たいした波乱も作らずに、終幕としてしまうのではないか…、そんな気もします。若しそうであったとしても、それも様々な人々の様々な生き方の一つなのでしょう。

  
 誰もいない寂寞とした家の中で、外の雨の音にも疎外されたような気分で、一人ポツネンとしている淋しさに堪えきれず、僕は姉の家に電話しようとした。受話器を取る、が何を話すのかと思ってしまい、止めにした。しかし心はそれでおさまらず、また受話器を取った。ダイヤルを回す。意識的に番号を一部変えて回していた。声が聞こえる。急に恥ずかしさが襲って来た。何も言わずに受話器を置いた。初めてのことだ。羞恥心が孤独感を追っ払ったようだ。ほんの一時的なことであったが……。そんな今日の午後の僕。

 夕方両親が帰ってきた時、それほど嬉しくも、ほっとした気分にもなれなかったのだが……。熱燗を親父と酌み交わし、酔った自分を思い起こせば……。

 何故か急に言葉が出てきて、喋らずにはいられない自分を意識していた。子供が父親にやるように拗ねてみた。いや、拗ねたのではなかった。僕は何を求めていたのだろう。そういえば両親が帰ってきた時、僕はおふくろを両手で抱き上げたぞ…。どうしてそんなことをしたのか。おふくろの反応は覚えていない。恐らく記憶に残るほどの反応はなかったのだ。親父の膝を枕にして僕は言った。
「子供にこんなことされて、どんな気がする?」
「わるい気はしないよ……」
 と親父は言って、僕の髪の毛をいじくりまわしていた。はて? 僕は一体どんな気持ちだったのだろうか。

 何を今更。時既に遅し。時とは冷酷な悪魔…。自分の悲しみは自分の悲しみ。他人の悲しみは他人の悲しみ。人は何によって結ばれるのか? 悲しみなのか、それとも愛?……愛の奥底には何があるのか。限りない悲しみだろうか、限りない憎しみだろうか。人を愛するとは?……自分を愛することなのか。自分を愛するとは?……他人を愛することだとすれば、自分と他人を結びつけるものは……何だろうか。



 自分の性根をたたき直さねばならん! 僕の心は屈折している、素直ではないのだ。
 僕は明日先生を訪ねることを叔母さんに約束した。叔母さんはその先生に相談しなさいという。叔母さんが僕にそのように忠告してくれるのは当然のことだ。約束はしたものの僕の心は複雑だ。僕は先生に対して罪悪感のようなものを抱いている。あれは確か高校三年生の六月の頃だったか、先生は僕に君の将来のことで相談したいことがあるので来なさいと言われた。自由作文で、僕が「高校生活を振り返って」という題で書いた文を国語の先生から見せられ読んだのがきっかけとなったらしい。直感的に大学進学のことだと思った。しかし、もう就職先は決めている、大学などとてもだめだ、そんな能力はない、それに浪人などできる経済状況でもない等とその時僕は思ったのだろう。僕は行かなかった。先生は何も言わなかった。そのことが罪悪感となって心の何処かに残っている。先生は僕をどのように思っていたのだろうか……。僕は先生に何を期待していたのだろうか……。何を恐れて、僕は先生のところへ行かなかったのか、―素直でなかった僕。

 先生は塾のようなことをやりたいと言っていた。この部屋では一切日本語は使わない、と言って英語で話しかけてきたことがあった。口から日本語が出たら罰金10円、昔クラブでそれを実行したことがあったそうだ。内気で引っ込み思案の僕はそれに対応出来なかった。間違いを恐れて言葉が出てこないのだ。僕にもっと勇気と積極的な気持があれば……とも思うが。

 この前泊めてもらった日の翌朝、先生は embers(余燼) という言葉が好きだと言っていた。その時はあまり気にもとめなかったが…、いかなる意味をその言葉に込めていたのだろうか。先生はご自分の人生を振り返ってのことだろうが、ズシーンと心の奥底まで伝わってくる厳かな響きがあった。

 明日僕は先生を訪ねることにしている。ここでハッキリさせておかないと、僕は男でなくなる。まったく駄目な人間になってしまうのだ。人生の落伍者、敗残者。汝それを欲するか? 否!断じて否!

 叔母さんが一番心配してくれているようだ。今日帰る時、悲しい顔をしていた。お前は人を悲しませてもそれでいいのか! 優柔不断は結果においてお前自らだけでなく、他人をも悲しませるものなのだと云うことを、お前は知っているのか!……解った。もう止めてくれ。僕は行く。僕は進む。僕は頑張る。死んだつもりでもう一度頑張ってみる。僕は僕の性格を矯正していくことに生き甲斐を感じよう! 素直な気持になることだ。



 絶好の秋晴れ!
 退学願認可証を破り捨てる。
 僕の前に途はない。僕の後に途はできる。噫! 僕は本当に弱い人間だ。一人で泣いた。
 今から先生を訪ねよう! 何もかも先生にまかすのだ。
          … … … … … … …

 先生から「君は苦しみの中で遊んでいるような感じがする」と言われた。以前頂いた手紙の中に、自分をもっと大切にしなければならない、とあった。「苦しみの中で遊んでいる」とは、目標の欠如を意味する。目標が定まっていないから苦しみの堂々巡りが遊んでいるように映るのだ。

 僕の心の中には打算的なものがある。第一、もう一度大学を受験するとはどういうことか? 肩書きが欲しいからではないのか。僕は何を決意したのか? 自分の生涯を人間探求に捧げようとしたのではなかったか。大学受験とはその為の一手段ではないか。この点をハッキリしておかなければならない。僕は人間を研究しようと思っている。これを僕がしっかりと自覚しているかいないかが問題なのであって、自分が現在不安に取り憑かれるのは、早く安定した生活方法を探したいと思っているからなのだ。僕は自分の生命を何に捧げようとしているのか、この点をはっきりさせておかなければならないのだ。

 自分の打算的な感情とそれに反撥する感情との無意味な争闘に疲れ果てるのみの毎日・・・。これではいけないと思う。自己に忠実に生きようではないか!

 僕は文学のことを考える。そしたら、すぐに作家或いは詩人を思い浮かべる。そして結論を下す、とても僕にはなれないや!と。そして袋小路で、過去の忌まわしい出来事を反芻しては泣き崩れてしまうのだ。

 先生から、君は苦しみの中で遊んでいるようだ、と言われるのも無理はない。こんなことではいけない。自己に忠実に生きようではないか! 根本的に重要なことは、白鳥の心なのだ。つまり人間として純粋に生きようと意欲する事なのだ。どんな事があっても自分の美しさだけは守り通してみせる、そう覚悟できるかどうかなのだ。それさえ堅固ならば、何になるかは問題ではないのだ。

 僕には僕の守るべきものがあるのではないのか。大学を受験することが重要な問題なのではない。生きる事が、真に生きることが重要なのだ。文学が目的なのではない。生きる事が、真に生きることが問題なのだ。如何に生きるかが問題なのだ。僕は何か重要な問題を忘れていたようだ。

 もし僕が、あくまでも自分を守り、自分をもうこれ以上汚すことなく純粋に生きてゆこうと決意し、その為の手段として文学を意識するならば、終生意識し続けて行くならば、再度受験して失敗したとしても問題ではないのではないか。たとえ僕がどんな職業に就いたとしても、自分さえしっかりしておりさえすれば、何ら問題とはならない。まず自己をよく知り、よき自己を発見すること。そして発見した自己を守り通すことだ。そこに生きることの意義を見いだすべきではないのか。人間にとって如何に生きるかが一番大事なことなのだ。

 まだ僕の頭の中は混乱している。これからこうした問題をよく考えないといけない。

  
 「あとのない仮名」を読む。昨日は「へちまの木」を読んだ。これらの作品は昭和41年、即ち作者の亡くなる前年に書かれたものだ。山本(周五郎)さんの晩年の荒涼たる心象風景が眼前にありありと浮かんでくるようで、読んでいて痛々しくなった。山本さんはご自分の力の限界を感じ取っていたのではなかったか。しかし「私は現代の聖書を書き上げるのだ」と言って、その限界に挑戦すべく「おごそかな渇き」に取り組もうとされたのであろう。
おれの泣きごとはみんな嘘だった、松ノ木もほかの木も、大事な枝を切り落としたのはこのおれだ、植えた木は或るところまで思うように育つ、秀の立ちかたも枝の張りかたも、こっちの思惑どうりに育つけれども、或るところまでくると手に終えなくなっちまう、自分で引いて来て移し、大事にかけて育てた木が、みるみるうちに自分からはなれて、まるで縁のねえべつの木になっちまうんだ
 このような言葉の中に山本さんのいかなる意識が隠されていたか。昭和元禄と云われだした当時の風潮に鋭く反撥する気持があったと見ていいと思う。限りない愛を注いだその庶民が、生活に少しゆとりが出来、その醜悪な面を晒し始めたと云うことは、彼にとって社会から裏切られたことと同じような衝撃で受け止めていたのだろうか。この作品には作者の自嘲的な心情が吐露されているような気がする。



 掃除を手伝いに行く。掃除と云っても大したことはなく、火鉢と氷式冷蔵庫を処分しただけであった。

 11月は先生が月当番に当たっており、先生が住んでいる市営住宅の棟のゴミ出し後の付近の掃除の仕事を、僕がアルバイトとしてやることになっていたが、隣の奥さんが代りにしてくれることになったので、僕はしなくてもよいこととなった。

 僕はやはり、現在のところ、先生に弟子入りは出来ない。今やっている家庭教師のアルバイトはこちらの都合でそう簡単には辞められない。と云うより、自分のこれからの進路をまだ確実には把んでいないのだ。弟子入りのことはまだまだずっと先のこと。そのことで自分を責めることはやめておこう。まだ質的な転換点には到達していないのだから。

 先生は「壺」をどう読んだのだろうか。荒木又右衛門に弟子入りした百姓生れの瘤七、剣術を教えてくれないので催促すると、その極意を書いた書を入れてある壺を掘り当てろと言われる。求める道の極意は、他人任せではなく自分で探すべきものなのであろう。

 僕は先生を裏切りはしなかったし、これからもずっとそうだろう。とにかく、先生と僕の関係は、僕がマッチ売りの少年だとすれば、先生は残っているマッチを全部買ってくれた親切なおじさんなのだ。自分の心のユガミを社会によって照らし出されたからといって、そのおじさんに反撥を抱く正当な根拠は何処にもないのだ。

 先生はいつも僕のことを考えてくれている。手紙も何回も頂いた。大学1年生の頃、頻りにYに、先生のことを(内心では自慢気に)語ったものだ。彼に「僕は先生の為になら死んでもいいという位に思っている」とつい口に出してしまい、人に言うべきことではなかったと、大変恥かしい思いをしたものだ。

 僕はまだ少年時代から抜け出せないでいるようだ。「君は冬のオーバー持っているのか」と先生に訊かれて、「ええ、……、はい、持っています……」 それからしばらく二人の間で沈黙が続いた。僕は痩せ我慢の片意地を身にまとっていた。僕は後で思った。顔を上げて微笑めばよかった、と。

 詩は、最後の「母ちゃんお寝小のお洗濯」という一行は気分を完全に壊していると批評された。そして、童謡なら童謡にあった詩形があるはず、やはりそれも考えねばならんと言われた。全くその通りだと思った。もっと早くから活字の世界に親しんでいたら、おくてだった中学時代を思い起こして、内心悲しくなった。

 先生が僕の素材を使って、きれいに童謡詩に纏めてくれた。先生の作品と言うべきだ。

          坊やの父ちゃん、どこなの、ね?
          とうちゃん、会社でお仕事よ
          坊やの姉ちゃん、どこなの、ね?
          ねえちゃん、学校でおべんきょう。

          坊やはひとりで日向ぼこ
          お庭にコスモス咲いてます
          蜻蛉に、蝶々に、蜂ぶんぶん
          ときどき来ますよ、─青い空。

          坊やはひとりでさみしかない?
          ないない、仲善しおひい様
          立ったり座ったり影法師
          坊やはちっとも、さみしかない。

 やはりその道の達人、うまいと思った。僕も先生のような詩人になりたいと思った。先生は詩形や詩語をもっとたくさん知らなければと言っていた。本当に詩を作ることを願うなら、もっと勉強しなければいけないと思った。



 市立図書館の窓の外は雨だった。僕は漱石の文学評論を読んでいた。受験生達のペンを走らせる音、小声で懸命に覚えようとしているらしい呟きが妙に耳に入ってくる。今日は殺気だった空気が部屋中に充満しているような気が強くした。

 帰りも雨は降り続いていた。姉の家に自転車を預けて僕は図書館通いをしている。「雨降っているよ、兄ちゃん、傘さして行きよ」と言う姪の声を振り払うように、僕は自転車を雨の中へ走らせて行った。何故だか解らない。衝動的なとっさの判断だったのだ。駅前商店街の終りの所で、二十歳前後の若い女性が、家の誰かが傘を持って迎えに来てくれるのを待っているのだろうか、一人佇んでいた。その横を通って、僕は再び雨の中へ突入して行った。何処へ…。何も考えてはいなかった。それが僕には似つかわしかった。家に着くと、全身びしょ濡れ─。

     雨は降る降る路地裏までも 傘も持たずに濡れて行く
     雨は降る降る煙の小野に 遠くで山家の鐘が鳴る
     つばめ飛べ飛べ鈍空高く そこで泣いても雨となる
     雨は降る降る遠くで明かり あれは暖炉の火の明かり

  
 家庭とは一体如何なるものだろうか。父とは、母とは、兄弟とは……。愛に飢えているかって? 飢えを既に通り過ぎているのでは…。この寒々と冷え上がり乾燥しきった心を見よ! <暖炉の火の明かり>も求めていないではないか! 無関心の無。無、無、無の心。とらわれのない心、とは程遠いこの心。先生は苦しみの中で遊んでいると言った。僕は無の中で遊ぼう。

 人間の営みとは何か? 生きるとは? 知らない、知らない。風よ吹け! ニヒルな風よ。雷よ鳴り響け! 俺の頭に落ちてもよいぞ。荒々しくも力強い自然の力を見せてくれ!



 図書館から帰ってくると、先生から手紙が届いていた。童謡詩二編、同封されていた。「あの秘密の先生……」と母が妙なことを言った。「きっと何かたくらんでいる、二人で何かやろうとしている……」母は何を僕に言いたかったのだろうか。意味深長だ。その言葉の奥に母のどのような気持が隠されているのだろうか……。



 8時からNHKの「男は度胸」を観た。その中に寺田農演じる、階級的コンプレックスで凝り固まった人物が登場してきた。先生は立ち上がった。トイレにでも行くのかなと思った。――2、3週間前だったと思うが、やはり先生と二人で「鞍馬天狗」を観ていた時、人生のちょっとした偶然の悪戯で人生をめちゃめちゃにされた男が登場してきて、自己の実存を確かめる為だけが目的で人を斬る場面があって、先生はその緊張を和らげようとする意図からであろうか、僕にせんべいを食べないかとすすめたことがあった――

 今回は原稿用紙とペンを持って来て、詩を書き始めた。一高受験に失敗した先生は、都落ちだと称して四国の高知へ行き、そこで青春を謳歌したとのこと―。その頃作った詩の中の一篇。
ユウカリの樹はいとさみし
冬の夜の細き月には
青白き光にぬれぬ

ユウカリの樹はいとさみし
丘の上(ヘ)に空をまじえて
三つ星(オリオン)と思いをかわす

ひといねて灯影(ホカゲ)はみえぬ
寂寥のむねにとけ入り
冬の夜の風に向かえば―

ユウカリの樹はいとさみし
その影に眉をあわせて
語りしも夢なればにや
 羨望を感じないではないが、先生とは時代も違えば家庭状況も違う。思い出は甘美な響きを伴いがちだが、実際の姿は昏く、先生独自の苦悩もあったにちがいない。

 今日は、今迄になかった或る自分を感じた。それをまだ明確に捉えてはいないが、何か違ったものを感じた。生命の動きとでも云おうか、生きる力のようなものを感じた。

 市井の片隅で黙々と働いている人達の中にも、大学教授や社会の最前線で活躍している人にも負けないくらいの頭脳を持っている人がいるのだ。彼らは、自己の能力を全面的に開花させるにはあまりに周囲の力が強すぎて、つい才能を伸ばせなかった人達なのだ。

 僕は何か肩の荷がおりたような気分に一瞬ひたった。僕はやはり英文学をやろう! その為に再度大学を受験しよう。来年失敗したら、再来年。駄目だったとしても、それはそれでいいではないか。

  
 昨晩は姉の家族と兄の許婚者が来ていてかなり賑やかであった。僕は酒を飲み過ぎたようだ。しかし酔うと言葉がすらすら出てくる。よく喋った。日頃張りめぐらしている殻が酔うと融け出すのだろうか、本当にいい気持になって取りとめのないことを僕は話していたようだ。酔ったとはいえ、理性はしっかりしていた。……一度、ぐでんぐでんに酔ってみたい、その時自分がどうなるか頗る興味がある。

 ホイットマンの詩集は古本屋にはなく、丸善まで行って買った。昨晩から今日の夕刻まで、僕は燃えていた。確かに燃えていたのだ。山村暮鳥の後期の作品に強く心を惹かれ、その心がホイットマンに向いていた。だが今はどうか……。自分をあまりに詮索することはよくない。

 誰が言っていたか、=人生は夢=、全くその通りだ。どんな夢でもいい、大きくても小さくても─。夢が壊れずに夢として常に在り、その夢の実現に向かっている時、人はなんと強くなれることか! 不安定で孤独な心など何処を探しても見あたらない。いや、自己を疑いあれこれと詮索する気持など全然起こらないのだから不思議! 人生とは夢、常にこうありたい!

 自己の文学を守る自信さえあれば、在野で、どんな仕事(喰う為の、ただそれだけの為の仕事)をしたってかまわないではないか。自分は人類に奉仕している、いや、するのだという自覚を常に持ち、日々刻々その一瞬一瞬が自己を錬磨するのに過ぎていくのだという大いなる誇りを常に内に秘めておれる自信さえあれば、どうして未来を不安な心で眺める必要があろうか! ここ当分、ホイットマンを勉強しよう。

 ユーゴ書店で60歳位の男の人が「農地改革で土地を取り上げておいて、一体どうなってるんだ!」と息巻いていた。「今農民はその土地を高い値段で売っているじゃないか! それも公害の根源である大企業へ。こんな馬鹿なことがあってたまるか! 最近は腹が立って腹が立って、むしゃくしゃする!」
 ……僕はそのおじさんに向って心の中でこう呟いた……
 …おじさんち、昔は大地主だったの。僕の親父は一反位しか土地持ってなかったけど、仕事で大火傷をして、借金が出来ちゃって、仕方なくその土地を売っちゃった。昭和30年頃だったかな。その頃は土地はまだ安かったんでしょうね、借金は全部返せなかったよ。僕の家、大阪湾を見渡せる小高いところにあるんだけど、夜、堺臨海工業地帯を眺めると凄いよね、異様だよね。真っ赤な炎が7、8本の煙突から噴き上がっているもんね。この10年で日本は大きく変わったんだよね。僕田植えをした経験がないんだ。田植えの時、面白半分で水田に入り蛭に吸いつかれた記憶があるけど、まだ小さかったからね、苗を植えさせてくれなかったよ。ターコンと呼んでいた脱穀機、音がターコン、ターコンと聞えるからそう呼んでいたんだろうけど、その脱穀機を親父が足を使って動かしているそばで、姉や兄と一緒に働いた記憶も少しある。僕が小学2、3年の頃までだったような気がする。田植えの時期になると学校を休む友達が何人かいたけど、僕は休んだことなかった。おじさん、公害の日本を憤っているの。それとも大金が入る農民を羨望してるの。羨望する気持、僕の心の片隅にもあるよ、正直云って…

  
 
 一昨日の夜突如風邪に襲われ、現在悪戦苦闘の最中、と云えば少し大袈裟に過ぎます。平熱より1度ほど高いでしょうか。大したことはありません。ただ、怠惰な心がどっと出てきて、自分を少し甘えさせています。

 先生も少し風邪気味だと言っていましたが、その後の具合はどうですか。最近急に寒くなりました。お身体には十分気をつけて下さい。

 窓越しに、きれいに澄みわたった秋空を眺めていると、心が吸い上げられるようになり涙がにじみ出てくるような、何故かそんな気がします。そしてその青空の彼方から、誰が鳴らすのか、厳かな響きすら感じられます。

 日夏耿之介の詩「道士月夜の旅」を読みました。そして先生に読んで聴かせてもらった詩――確か最後が…旅人よ、夜明けは近し、旅立ちの支度は如何!だったと記憶しています――を思い出しました。先生はあの詩にはオーマーカイアムともう一人(残念ながら忘れてしまいました)の影響があるとおっしゃっていましたが、日夏耿之介でしょうか。痛ましい程に抑圧された感情を内に秘め、多くの精神的困苦に耐え、それに打ち克ち、自分の魂の真に安住出来る場所は現世にはないことを知り、自分はこれから自分の本当の郷土を目指して旅立つのだという、厳かな雰囲気を感じました。

 ビアスの『人間と蛇』を読んで思ったこと―。ブレイトンを殺したのは何者であったのか? 彼は蛇から逃げようとした。逃げればよかったのだ。そうすれば死ぬことはなかった。だがその時、一瞬、彼の脳裡をかすめた想念があった。<俺は勇気ある男だということになっている>という観念。その観念の為に蛇に吸い寄せられて行ったのだ。しかもはく製の蛇を本当の蛇と信じこんでしまっていた為、恐れ戦き自らの感情を過度に昂ぶらせた結果、精神的ショック死に至ったのだろう。人間は自らの観念の虜になって自らの死を呼び寄せることもあるのだということをこの短編は言おうとしているのでしょうか。晩年の太宰が聴いた<トカトントン>という音。「俺は駄目だ」と思うことによって益々自分を駄目にしてしまった。哀れ、人間とは観念の虜になって死を招く動物なのか!と思いました。しかし、陰の観念は振り捨て、陽の観念を持つことも可能だとも言える訳で、そこに人間の偉大さがあるのだとも思えます。

 最近には珍しく精神の充実した時期がありました。しかしそれも打ち上げ花火のようなものでしかなかったのです。翌日はまた、いつもの自分に戻ってしまいました。その時作ったのが次の詩です。

何の想念(オモイ)もなく対座する
習慣(ナラワシ)はこぼれ落ち葉と
風化するこの部屋に

本棚は黙して語らない
どうしたんだい?
と声をかけようものなら
寂しそうに振り返りもしないで
一目散に駆け出して行きそう……
ああ これがぼくの足跡なのか!

じっと踏みしめた筈のこの両足は
確かであったかと思われるこの両足は
その裏に 大地との切々たる感触を秘め
今ここに抛りやられている

朝陽に向かい
夕陽に向かい
つっ走ろうじゃないか!
誰かが言った
そうだ、それが本当なのだ!
… … … … …
雲に心の羽ばたく不調和音に
背後に伸びた長い影に
不可逆性の痛みを感じた

外界は眩暈(メクルメク)ギラメク日々は
内部に潜み呻きを隠し
書物と僕の失いし糸に
祈りを籠める
この緘黙(カンモク)の中

習慣(ナラワシ)は今日よ明日よと
風化するこの部屋に
何の想念(オモイ)も泣く対座する

  
 もう何もする気がしない。苦しい。考えれば考えるほど苦しくなる。考えているって? 本当に考えているのか。こんなの考えているとはとても言えない。いつも同じ所を堂々巡りしているだけではないか。

 生は重く、そして苦しい。死ぬより生きる方がむしろ苦しいのだ。実存の不安から逃れんが為、人は理性を麻痺させ恍惚的な気分の中で自己を忘れようとする。或いは自虐、自暴自棄、苛立ち腹立ち、反抗的に突っ走って行く。

 この僕は一体どうなんだ! 僕の心の内には抑圧された感情が累積している。溜め息ばかりついているではないか。自分をごまかしている。
 ─何をだ! 何をごまかしているのだろう……。
 とぼけるな! もっと真剣になれ!
 ─真剣に……真剣にだと! この世を真剣に生きろとでも言うのかい? 幻滅ばかりのこの世の中をかい、馬鹿を言っちゃいけない。
 何が馬鹿なんだ。君は内心恐れているのじゃないのかい。このままの状態でおれば、将来君はどうなるか知っている。それを君は恐れている。だのに君はカーテンを頑なに閉じ外を見ようとしない。卑怯じゃないか!
 ─ああ、俺は卑怯な男だ。弱い男、女々しい奴だ。君なんかに俺の気持ちは解らない。なに、別に解って欲しいとも思わんがね。解ってもらったところでどうなる訳じゃあるまいし……。
 ああ、僕は解らない。君の心は─。しかし明らかなことが一つある。それは、このままの状態におれば君は駄目になってしまうということだ!



 起きたのが、おそらく10時半頃。昨夜床についたのが11時頃。全くなってない。どうしようもない。そんな男が今日難波へ出かけて行った。南街スカラ座で映画を観る。

 「雪わり草」は20年程前のスエーデン映画。七人の親なし子が、山をおりて下の村の善良な家庭へそれぞれもらわれていく過程を、早春の雪が融けていく大自然を背景にして坦々と描いていた。

 山小屋で靴の修理をしながら一人細々と暮らしている老人と幼い七人の雪わり草の新芽との出会い。幼い子供たちそれぞれの新しい人生での出会い。人と人の出会い。

 山小屋の老人がよかった。長男に酒をすすめる。子供は飲めないと応える。すすめられた酒を飲まないとは……と老人は少し不満顔。子供は「お母さんが飲んではいけないと言っていました」と泣きながら老人の好意を断る。以後老人は子供たちが山小屋にいる間は一滴も酒は飲まない。孤独な老人と子供たち。春を待っている七人の雪わり草と今年もまた巡ってきた春を待つ老人。子供たちと老人の生活が自然の時の流れに沿って坦々と営まれていく。

 行き先が一人決まる。小さな別れ―。老人の表情には人生の深い味わいが滲み出る。

 最後に長男が一人残った。仕事を求めて歩く。歩く。このあたりから僕は急に泪の襲来を受けた。特に最後の、少年と牧師との出会い。言葉のやりとり。私の家に来なさい、私が勉強を教えてあげる、大学へやってあげる。僕に出来るかなあ、そんなに頭がよくないのに……。老人と別れ、少年は牧師と伴に新しい人生を歩み始める。

 人に見られたら恥ずかしい位、泪がどっと流れ出していた。あの瞬間、僕の心の中のヘドロは完全に洗い清められた。

  
 先生から葉書が来ていた。難波の虹の町へ行ったのが原因で、翌日からずっと風邪とのこと。あの日先生は、雨が少し降っていたこともあって、あまり乗り気じゃなかった。あの時、すぐ僕は「今日は止しましょう」と何故言わなかったのか。自分が厭になる。あの日でなくてもよかったのだ。次の週の月曜でも火曜でもよかった。だのに何故僕は出かけて行ったのか。

 先生の手紙には、一度 "La rue d'arc-en-ciel" をほっつきませんか、人間臭紛々にはできる限り避けたほうがよろしい、が、話の種に一度は――とあった。翌日すぐ僕は出かけて行ったのだ。心は非常に不安だった。先生からの誘いを黙っていることは、次の週の月曜に延ばすことでさえ、不安であった。先生の申し出を、黙ってそのままにしておくことは心が不安定になり出来なかった。延ばさざるをえないような事情は僕には何もなかったのだから、翌日すぐにすっ飛んで行ったのだ。そこまではよいとしよう、が、先生の気が進まない様子を見て、今日は止して次の機会にしましょうと何故言わなかったのか。言えなかったのか。

 高三の時、君の進路について相談したいから来なさいと言われ、行かなかった僕。黙っていたことが今も僕の心の中でこだわりとなって残っているのだ。不安の元凶はその辺にあるのかも知れない。僕は罪深い存在だ。何故僕ははっきりとものが言えないのだろうか。こんな自分が厭になる。

 人間は人と人との関係の中で生きていくし、そこに生き甲斐も生れてくるのだ。人間が自主的に生きていくとは相手と対等な(そうであると自分で納得出来る)関係を作り上げて行く作業ではないのか。そういう中でしか人間の生は輝きはしないのだ。

 あんな手紙を出して、先生はあの手紙を読んでどんな感じを抱いただろうか? 僕には脱け道は一つしかないのだ。――勿論、今の僕の心の中には、もう大学へは入りたくない、入って何をするのだ……という気持がある、かといってそれに変わる新しい道も見いだせないで苛立っているのだ――このまま社会へ出るとしても、やはり、再度受験してみる必要があるのか。駄目だったらそれで理由もつく。何もしないで、何の目標も持たないで、社会へ出ることはそれこそ愚の骨頂だ。思う存分頑張り力を出し切れば、失敗してもそれがむしろ発奮材料となり新たなチャレンジ精神が生れるかも知れないし、また別の道を進むにしても積極的にやって行けるのだ。中途半端は一番いけない。半殺しは人間を全く駄目にしてしまう。生かすでもなし、殺すでもなしの2年間、この2年間で僕は自分を完全に駄目な男にしてしまった。身も心も腐らせてしまったのだ。他人の善意に素直に応じられない自分を作り上げてしまったようだ。このままではいけない。僕はもう、本当に素直な心になって、これから4ヶ月間受験勉強に取り組もう。家庭教師のバイトも、中三は高校入試を控えているから僕の無理は押し通せないだろうが、中二はちゃんと話をして今月一杯で辞めさせてもらおう。



 先生宅訪問。着くまでは、先々週虹の町へ無理に誘い出したことを詫び、その他自分の気持を述べようと思っていたが、顔を見合わせるや、そんな気持は何処かへ素っ飛んで行ってしまった。先生は意外に元気そうであった。気分はよさそうであった。「この間は出かけなきゃよかったですね」と言っただけだった。僕の弁解がましい言葉など何処にも差しはさむ余地はなかった。それで済んでしまった。僕は一体何を考えていたのか。僕には先生はなくてはならぬ人。現在の僕は、先生により支えられている。
「出て行こうと思ったが、今日は君が来るような気がしていたんだ。ところがなかなか来ない。そうこうしているうちに、T先生がみえられて、ついさっき、君が来る30分程前に帰られたよ」
―僕と先生の絆は固く繋っている。

 先生が東京で下宿生活をしていた頃、そこで働いていたお菊さんとかいう娘さんの話を聞いた。そうだ、あれは新聞紙を背中に入れると意外に暖かいという話から、あの話になったのだ。先生の若い頃の正義感に満ち溢れていた頃の話。もう先生のような年齢になると、目に触れ耳に入るものすべてが過去のいろんな体験に結びついていくのだなあという気がした。

 僕は英語をやるぞ。もう自分を苛めたりはしない。自分を大切に、自分を一生懸命に磨くのだ。遅くは決してない。僕は小器晩成の型なのだ。小器ならば小器なりに、立派な小器にしてやろう。

 10 
 午前1時。眠れない……。
◎ 今迄に何回となく僕に投げかけられた先生のあたたかい言葉に、素直に言葉が出て来なくて、つまり言いそびれてしまって、タイミングが遅れてしまって、どうしようもなくなって、ただ全く無関心であるかのように装い、暗黙に拒絶した結果になったということ。そのことに対する複雑な心理によるという見方。
◎ 自己の語学的センス及び文学的才能を冷やかに且つ自虐的に、疑惑の眼でいつも凝視している者が僕の内部にいることによるという見方。
◎ 文学という空を掴むような仕事で身を立てるということに対する不安、しかも生活的な不安に捕われているのだという自己の打算的(勿論無意識下での)衝動にその原因を求めるという見方。
◎ 生徒を教えているが、それを辞めることは生徒を見捨てることになり相手を傷つけるのではないかという気持が存在する故であるという見方。

 自己の主体性、積極性というものは、たとえどうであれ、見られないではないか! 僕には飛躍がない。何故だ!と自問する。

 今迄にあまりにも歓びが少なすぎた。人間は何回も幻滅の悲哀を経験すると、もはや行動力は湧いて来ないものなのだ…と変に自分を満足させている。全く老人的ではないか!

 こんなことをだらだらと書き連ねても何にもならない、ナンセンスだという気持、確かにある。どうすればいいのだよ。

 僕の何処に昔持っていた美しさ、純粋さが見い出せるのか! 自分がみじめでならない。

 先生はこんなことを言った。
 「例えば、悲しいと思う。しかし誰だって悲しいと思うのだ。それではこの私の悲しみが、一体如何なるものなのか、悲しみの奥の奥、そのもっと深いところにある私の複雑な心理の錯綜、そういったものを表現することが文学というものなんだ」

 僕には、どんなに燃え上がろうと、冷静な部分、いや冷やかに自分を見つめている部分が常に存在する。これは恐ろしいことだ。

 先生から原書二冊頂戴した。ウォルター・アレンの『イギリスの小説』とヘンリー・ブラッドリーの『英語の成立』、英文科の学生なら読んでおくべき入門書であるとのこと。先生の気持に応えなきゃ―。
           … … … … … … …

 12時起床、今1時を少し過ぎたところ。誰もいない。
 11時頃、僕は布団の中で悶え苦しんだようだ。がしかし、その時分ったことだが、僕は、少なくとも現在の僕は真に忘我の状態には入れない。我を忘れて苦しむということはないのだ。どこか覚めている。僕の心の中には常に僕を冷やかに凝視している僕がいる。その僕が僕の頭の中を雑然たる無秩序状態にしているのだ。そいつが憎くてならない。殺してやりたい。憎くて憎くて仕方がないが、その実態がはっきりとは把めないのだ。

 飛躍を試みれない自分。この自分が歯がゆくてならない。僕を殺す奴は一体誰なのだ! この自分が歯痒くてならない。

 11 
 受験勉強しないで、吉本隆明読んでいる(文学論T)。
 この世における自分の役割を掴むこと。勉強は別に大学の中でやる必要はない。僕が再度受験する決意を鈍らせるものの一つに、自己の封建意識を垣間みる自意識がある。僕はこの自意識に捕われ続けるだろう。が、問題なのは…続けるだろうという消極的意識なのだ。人間は自己の過去を否定は出来ない。現在の自己を作り上げたのは過去だからだ。寧ろ過去を出発点として、思想の武器として、未来を展望すべきなのだ。従って僕は、自己の封建意識を垣間みる自意識をこそ自己の本当の意味での自意識に転化すべきなのだ。そういう自分を善しとすべきなのだ。自己の出身階級を徹底的に見極めるということと、自己の社会における役割を云々することとは同じなのだ。勿論その場合、自分の個性ということが問題になる。自分独自の世界を創り出すべきなのだ。自分独自の行き方を生きて行くべきなのだ。僕は僕で行く。独り立ちの人間は広くかつ深い思想的背景がなければならない。

 最近のうちの家庭は少し変だ。いや、もともと変なことは変だったが、感じが違う。墓場―前々からそう感じていたが、その感じ方が深くなったというか、……僕はこんな家には居られない。出て行け!と云わんばかりにせきたてられているような感じだ。あの突き刺さるような言葉を耳にするだけではらわたが煮えくりかえりそうになる。あの言葉、刺の先端のような、野良犬の鼻先を捩らせて吠える時のような、あの言葉。とうてい耐えられない。僕がその言葉にどれ程神経をすり減らし、精神を浪費しているか、誰もわかっちゃいないのだ。もう、何もかもなっちゃいない。バラバラだ、グラグラだ、チャチャックラだ、グレングレンだ。僕の心の中が変ったのか、以前とは違った……変な感じだ。

 心労の重なり病みの床に臥す母を背後に子は知らぬ顔
 追憶は涙する子を弄ぶ。母性愛など信じぬと云う。

 『マチウ書試論』読む。聖書は読んだことがなかったので、最初とっつきにくかった。氏の云う<関係の絶対性>という概念、理解し難い。まだ漠然としているだけで確実に把めていないが、その言葉に完全に魅了されてしまったようだ。人間の自由意志は認めるが、しかしそれは、人間と人間の関係が強いる絶対性の前では、相対的なものにすぎないということ――。
関係を意識しない思想など幻に過ぎない…… 秩序に対する反逆、それへの加担というものを、倫理に結びつけ得るのは、ただ関係の絶対性という概念を導入することによってのみ可能である…… 人間の状況を決定するのは関係の絶対性だけである。ぼくたちは、この矛盾を断ちきろうとするときだけは、自分の発想の底をえぐりだしてみる。そのとき、ぼくたちの孤独がある。孤独が自問する。革命とは何か。もし人間の生存における矛盾を断ちきれないならばだ……
 「革命」を「生きる」に変えて読めば今の僕の心にぴったりする。僕の家庭に対する、過去に対するもやもやした、何処へも持って行き場のない鬱屈とした気持を外へ吸い出してくれるような気がする。



 受験勉強全くやる気なし。三年前のように馬車馬の如くやっておれば、それこそ滑稽と云うべきだ。あの頃は大学に幻想を抱くことが出来た。今は違う。

 織田作之助を読む。昨夜、ラジオで小野十三郎氏の講演を聴いたことがきっかけ。織田作については最近名前だけは知っていた。が、作家となる以前の経歴において彼に同一視出来る要素はなかった。やはり文学をやるような人は、文学的資質に恵まれていることは云うまでもないが、幼少期から言語体験が豊富なのだ。時代の評価、更には未来の評価に十分耐え得る作品を創作するという意味において、文筆活動で成功する人は、幼年期の何らかの文学的体験を裡に秘めているということ、そしてそれが契機となり豊富な言語体験を通過したということ。以上二つの体験により文学活動になくてはならない個性が形成され、その個性が大きく見れば時代的な影響等々の様々な要素と複雑に絡み合う争闘を演じた結果、一個の優れた文学者が生まれるのだ。

 以上の観点から判断して、もし僕が文学者志望を強く決意したとしても、結果は大したことにはならないだろう。僕には豊富な言語体験が不足しているのだから。がしかし、山本さんが言うように、人間の真価は何を為したかによって決まるのではなく、何を為そうとしたかによるのだ。この観点からすれば僕は何と消極的で悲観的な問題の立て方をしているのだろう。理系の道を完全に遮断した現在の僕の状況にあって、僕の決意をためらわせているのは一体何か? ―それは僕の自尊心の欠如だ。自分にもっと誇りを持て! 情けないぞ!

 12 
 床の中で電話音を聞く。午前9時半頃。先生からの呼び出し電話であった。
 用件は、水道工事により生じたコンクリートの破片を捨てることであった。先生は少し重い書物を持ち歩いただけでも肩を凝らせる人だから、身体は非常にデリケートにできている。そこで僕が頼りにされている訳だ。

 水道屋がやって来た三日前は大変だったとのこと。先生一人の力で水屋を少しづつ徐々に奥へ移動させ、隙間という隙間は全て埃が侵入しないように封じ、工事屋を待った。工事が始まり、長居公園を一周り……帰ってみると、そこらじゅう、埃で真っ白になっていた。仕方なく靴をはいたまま上がり、掃除に時間がかかり、終ったらもう昼前になっていたとか―。先生の狼狽振り、目に見えるようだ。

 先生が公園を散歩していた時、野良犬らしいのが一匹後をついてきた。お得意の蓑虫取りをしながらの散歩。であるから、蓑虫を見つけるとそれを取り除くために歩みを止める。すると犬も止まる。ちょこんと座っている。歩き始めると犬もまた歩いて後をついてくる。止まると止まる。顔はあまりよくなかったが、こちらの気を窺うような素振りが何とはなく可愛い。前から警官が二人やって来た。すると知らぬ間に犬は何処かへ行ってしまったらしく姿が見えなくなっていた。えらいもんだなあ…犬も直感により知っているのだ、ということであった。

 隣の奥さんがお金を返しに来たとのこと。例の月当番の掃除、隣の奥さんが代りにしてくれていたが、余り熱心じゃないらしい。先生の目から見れば仕事が雑に見えるのだろうか、それがきっと先生の気持を掻き乱すのだろう。あの人は何かと忙しいのだろう、縫い物の仕事をしているし、スピッツも散歩に連れて行かねばならないから―と言ってはいたが。先生が働いていた頃は月当番は免除してくれていたのだろうが、定年退職で今は家にいるのだからしなければならない。それで困っているのを隣の奥さんが察して、先生もその好意に甘えてお願いしたのだろう。感謝の気持として、アルバイト料の感覚で渡した金を返されたとのこと。それではこのままご好意に甘え続けるわけにはいかないだろう。まだ半月残っている。それで僕が先生の手伝いをすることになった。

 先生のように感受性の鋭い人はいろんな事が気にかかり、あれこれ気を揉みながら生活することになる。知に働けば角が立つ、情に竿させば流される、意地を通せば窮屈だ、といった心境か。先生の場合、何処に住もうが同じ事なのだろうけれども。「この世の中、全く住みづらい。わしももっと若ければ、ランボウじゃないが、武器でも輸入して――」とこの前笑いながら言っていた。プレハブのような家を何処か静かなところに建てて住みたいのだそうだ。犬を二匹ほど一緒に。れんが造りの家が理想なんだそうだが…。

 先生の雅号、五合庵烏有にもその気持が表れている。4月、奈良の王寺の建売住宅を見に行った時も盛んにそのようなことを言っていた。長らく別居していた奥さんと老後を一緒に暮らすことになっていたその家には、現在奥さんが一人で住んでいるらしい。先生は行く決断をまだ下せずにいる。長らく離れて生活していた男女がまた一緒に同じ屋根の下で生活する――、お互いの愛憎が絡んで容易な事ではないらしい。

 「わしは女性に対してはサディスティックなところがある。決して自分の中へ女性を入れない。自分の意のままに扱おうとする。入ってこようとした瞬間、非常に冷酷な態度で拒絶してしまう。ボードレールもそうだった。ギッシングもボードレールと同様に何処か似たところがある。女性には恵まれなかったというか、人生観は勿論違うが、終生女性には満足出来なかった。結局、求めているものがずっと高いところにあるのだろう」と言っていた。本当に不幸なものだ。

 先生から「ピエロと月」の詩を貰う。ピエロと自画像としようと思ったがそれでは直截過ぎるので月としたのだそうだ。先生の若い頃の気持ちがよく解る。メロディを教えて貰った。そして二人で歌った。
月に浮かれて来は来たが
何処が道やら、風来坊
それでもピエロは踊ってる
「お月様、よう、今晩は。」

森で梟が呼んでいたよ
仲間外れの拗者(スネモノ)、とね
それでもピエロは踊ってる
「お月様、よう、今晩は。」

狸囃子で、化け恍惚女(オボコ)
今夜はそいつも見限った
それでもピエロは踊ってる
「お月様、よう、今晩は。」

踊り相手の影法師
時にや瞽女(ゴゼ)となり、鬼となる
それでもピエロは踊ってる
「お月様、よう、今晩は。」

………………

月が暈(カサ)きた、夜も更けた
伴侶(ツレ)なし、的(アテ)なし、意地もなし
それでもピエロは踊ってる
「お月様、よう、今晩は。」
 先生は何回となく歌う。歌っているときの先生の顔はむしろ楽しそうであった。僕は何故か痛ましいものを感じたが、それを抑え、一緒に歌った。

 夕食の後で、急に思い出したように先生は話しだした、僕に聞いておいて欲しいと言わんばかりに――僕はそのように感じた。僕の決意(?)に感じて書いて送ってくれたあの詩。<ひと條の悲願の路に立ち竦み、情熱の欠如か、意志の脆弱か、・ ・ ・懊悩荐りなりし青春をかえり見て、いまは、路傍に晒したる生ける死骸か>この一節に籠められている先生の気持、僕には痛いほど解るつもりだ。

 先生には職業意識が無いということ。そしてそれが先生の文学への道を遮ったと結論しているようだ。先生の父親は、特に先生の兄さんに、わしはお前を職業の為に大学へやっているのではない、と何度も語っていたそうだ。それを聞いていた先生の若い頃の意識の中には、独り立ちして生計を立てるという考えは皆無に等しかったようである。先生が家を飛び出せなかったのは、ひ弱な身体と、そういった独立心の乏しさ等が大きな障壁となったのではないだろうか。いや、やはり健康のことが一番気になっていたのではないか。戦争に突入していく暗い時代背景もあったろう。しかし、多感な若い青年を前にして「この子の命はあまり長くは持たない」という、死刑執行宣告にも等しいようなことを言われた時の、恐怖感や不安感は想像に絶するものがあったろう……。それが後に、家を飛び出して文学の道を歩み始めようとする先生の意識に、常に強迫観念のように立ちはだかったのではあるまいか。

 「文学作品には、著者名を書くべきではない。私はこの考えは若い頃からあった。名誉欲だとかいったものは私には全くなかったなあ。どんな人が書いたものであろうと、文芸作品は、著者名によって評価されるのではなく、作品そのものの真価で評価されるべきものだ。志賀直哉もそういう考えだった。山本さんもそうだ。そのように書いてあった。それを読んだ時、私は大変共鳴したなあ。同人誌『第三の文学』創刊号を出す時、同人の名前は最後に書くことにして、発表作品には作者名は書かないことにしようと提案した。会計を担当していた??君も私の考えと同じだった」

 僕は聴き下手であった。どのような言葉を合間に入れていけばよいか分らず、ただ黙って聴くだけであった。

 先生からP・O・Dをいただいた。アルバイト料と思って有り難く受け取る。勉強しなければいけないと強く思った。

 13 
 着いたのが9時半頃、ゴミ回収車は既に去り、先生は仕事に取りかかっていた。二人で付近を掃除する。もぐらを見つけて、手のひらにのせていると、けらじゃないかと訂正された。今、辞書で調べてみると、けらは体長約3センチと出ているから、多分先生の言う通りだ。僕が土の中からつかみ出したのは2〜3センチ位の大きさであった。何を勘違いしたものか、もぐらはねずみ位の大きさなのに。

 二人で掃除しながら先生からいろんな話を聞く。楽しい。水道工事屋がコンクリートの壁をぶち砕くあの騒々しい音の中で昼寝を貪っていたという二階の奥さんの話し――家に居ることの方が多くなったので近所の奥さん連と立ち話する機会もあり、おのずと噂話も耳に入ってくるのだろう――そのような話のところどころに先生の人間観察も入っていて、退屈しない。孫がお祖父さんの昔話を聞く雰囲気だ。

 先生は退職後、若い頃に作った詩を整理しているようだ。この前の「月とピエロ」の歌詞をまだ覚えていないので、ちょっと悪いなあという思いがした。先生の旧制高校時代の思い出をあまり聞かされると、反撥心が湧いてくる。これはどうしようもない。それが僕の僻みであること位、ちゃんと解っているつもりだ。だからそれほど無理をしなくてもその感情は抑えることが出来る。が、先生の思い出を、素直に、白紙の心で聞けるようになった時、僕はおそらく僕の古い殻から脱け出せるのではあるまいか。先生が旧制高校時代を過ごした四国の高知を離れる時に作った詩、「青春哀歌(仮題)」を見せられた。僕に朗読しなさい、と言っているような気がしたので読み始める。先生は目を閉じて、遠い昔を追想しているようであった。
厳かに、落日(ユウヒ)
往還(ユキカイ)の愁眉と歓笑の上に
均しく
やすらいと慈愛を灑(ソソ)ぎ
いま、おごそかに暮れなんとす。

川添いの白楊の並樹
緑濃く、水に融(ト)け、雲に翳(カゲ)り
夕風の愛撫に、しづもりつつも
囁(ササ)やくは、歌哀(アワ)れ
ペルケオの調べか。

鏡川、清韻の中に、無言の啓示
世々、明暗の推移と多彩の歴史を
無心に流れて竭(ヤ)まず
ひと、おのがじし、思念(オモイ)もこもごも
すでに、啼鳥帰林
暮れのこる余光、わずかに赤し。

落日の静謐(ヒツ)のうちに
漫(ソゾ)ろゆく若人(ワコウド)ら
沈潜の山河の姿、その心とするも
蓬髪破帽の胸裡深く
もゆる情念の炎(ホムラ)やいかに―

ふと、誰か謳う「春の光の……」
感に堪えかねてや
期せずして、「搖(ユ)らめきて…」の熱っぽい唱和
その眼潤(ウル)み、その頬(ホホ)痙攣(ヒキツ)け
その口撓(シワ)り、声、歌とならず
熱涙に溢(アウ)れ、歔欷(キョキ)となりてつづく。

噫!今宵、追想(オモイデ)のかずかず
そを、美酒に泛べて
酔い来り、酔い去る哀惜の情切々―
仰ぎ見れば、南溟の空
いよいよ、深く、碧く
郷愁、唆(ソソ)るわが魂の故郷(フルサト)。

それかあらぬか
濃藍に沈む山脉(ナミ)の彼方より
喘(アエ)ぎつヽ、残照の名残を分けて
谺(コダマ)する奇しき声―
「若き日に、薔薇(バラ)を摘(ツ)めよ」と。

さわれ、紅顔の誇りやいづこ
かかる時しも、刻一刻
あヽ、去りゆく「影」
声限り呼べど応えず、ただ空(ムナ)し、詮(セン)なし。

よしや、無心の落日
跫音(アシオト)もひそやかに
惜しみても尚、余りある青春の悲愁をこめてか
いま、おごそかに
わが想念(オモイ)を杳(ハル)かに、空に映え、地にし映ゆるも……。
 僕は読み進むにつれて、思わず声が詰まり涙が出そうになった。この時の僕の心の内は奇妙な状態であった。詩の中に同化し、感動して涙が出そうになったのではなかった。何故かよく解らないが、自己の魂を完全に燃焼させた体験の無い自分を頭の何処かで意識している自分がおり、そのような自己を哀れむ僕の魂がこの詩の持つ切ない情感と共鳴したのではなかったか。僕の過去は僕の過去。先生の過去は先生の過去。同時に並べ比べようとするから変な気持が生じるのだ。読者には読者の心の事情がそれぞれあって、作者のそれとは違っていても読者は感動することがあるのだ。要はその作品に読者の心を揺さぶる何かがあるかどうかがその作品の評価を決定するのだと思う。

 昼食後に聞いた話の中で特に印象深かったのは、第二次世界大戦中の米国内の日本の移住民達のことであった。彼らは日本人ということで柵に囲まれた居住区で生活することを強制された。星条旗に対する忠誠心を示す為多くの日本人が志願し、ドイツ戦線で三千名を超える日本人の生命が犠牲になったとのこと。そのことにより日本の移住民が受けていた疑惑が薄れ、柵がはずされたという。これは初めて耳にする話であった。

 先生は日本のアメリカ化にはいくばくかの憎悪感をもって見ているようだ。そして日本民族の結束力を誇りにすら思っているような口振りであった。それは高三になった頃初めて先生宅を訪ねた時に受けた印象と全く同じような感じであった。しかし先生は日本人のその心があの暗い戦争に結びついていったことは百も承知だ。戦争は絶対反対だという言葉には経験した者でないと解らない実感が籠っているようであった。先生は昭和元禄と云われる現在の社会風潮が何かと癪にさわるのだろう。日本の古い伝統に郷愁を覚え、人生を語り友情を育むゆとりのあった旧制高校制度を復活させたいと言ったりする。
 3時頃来客があり、僕は暇をつげた。

 14 
今日の疲れを湯に流し
一人住まいの我なれば
風爽やかな星月夜
窓を開いて覗いてる
首輪哀れな子犬さえ
夢まろやかに眠るころ
夜の静寂(しじま)の彼方より
誰が弾くのか夜想曲

今日一日は空しくも
明日ある我と思えども
月さえ星さえ風さえも
今よ今よと歌ってる
稚(イワケナ)きころ虹にみし
望み儚し世の常に
負けてならじと説く胸に
哀調響く夜想曲
 先生に詩を見ていただいた。二三語句を書き直した後、先生は<今よ今よと歌ってる>を<今に今にと歌ってる>にすればどうかと言い、第二連の四行を次のように訂正した。<今日一日は空しくも/明日ある我と思う身に/月さえ星さえ風さえも/今に今にと歌ってる>

 今に今に・・・の方が前向きでいい。僕もそう思う。しかし僕は、やっと自分の自由なものとなったこの時を、何ものにもかえ難い貴重なこの瞬時を大切にしたいと思う気持ちを込めて<今よ今よ・・・>としましたと言った。先生は僕のこの気持をどのように受け取ったかは解らない。が、あの頃のあの気持は先生に解って欲しいと強く思った。未来に大望を抱く若者の姿が浮かんでこなくてもいい。しんどかった一日が終わり、ほっと安堵しているその一瞬の幸福感が伝わればいい。

 高校を卒業し会社に勤めた頃、ほんの二三ヶ月ではあったが僕は姉の家に下宿していた。気楽な学生生活が終わり、社会人として会社勤めを始めた僕には時間に強く縛られているという感覚があった。朝、会社に向かう満員電車の窓から見たつつじの色の鮮やかだったこと! 美しい花が咲く自然の中に入っていく自由が制限され、これからは社会的な時間拘束の中で生きていかなければならないという鬱屈した思いがあった。新しい生活環境、新しい人間関係。夜間の大学にも通っていたので時間に縛られる日々の連続であった。

 当時姉の家では子犬を飼っていた。僕が出かける時、尻尾を振りながら小屋から出てくる。散歩に連れて行ってくれと吠える。いつもつながれている子犬は自分の姿そのものでもあった。その後、その子犬は綱が解けたすきに何処かへ出かけて行き、車にひかれ、その幼い命を絶ってしまったのだが・・・。

 姉の家では夜十時になると決まってある曲が聞こえてきた。先夜、聞き慣れたその曲が数キロ離れた僕の家まで聞こえてきたのだ。どこか悲しい調べである。ドヴォルザークの「新世界交響曲」の中に繰り返しでてくる旋律であることが判った。忘れていたその曲を再び聞いた時、あの頃の自分が思い出されて、心が大きく動いた。

 「詩人肌の人にとって生きるということは、自分の純粋性を保ちつつ生きていけるかどうかという意味で、それは大変なことなんでしょうね。ジャーナリズムからちやほやされているような詩人は、もうそのこと自体で詩人という生命を殺されているようなもんでしょうね」と僕が言うと、先生は「ああ、短い生命だ……」と言った。その時の先生の顔には何処か寂しそうな、悲しそうな表情があった。そしてやや自嘲的に「豪華な家に住み、生活に何の苦労もなく詩を書いている、そんな詩人も世の中にはいるんだから……」という言葉が続いた。思わず僕は息が詰まりそうになった。先生が日頃よく言う<逆境は人物を創り、順境は怪物を創る>という言葉には、逆境に敢えて飛び込んで行かなかった、行けなかった若い頃の御自身に対する自嘲的な気持も含まれているのだ。老いを迎えた先生。未来に何のあてもない僕。こんな僕に先生は書物をくれる。英語をしっかり勉強しなさいと、声には出さないけれども─。それなのにこの僕は!

 15 
 天王寺駅の地下道でUとすれ違う。彼は大学で同じ学科の同級生だが、ほとんど言葉を交わしたことはなかった。彼は僕に気付いていたようであったが、僕に言葉をかけてくるような気配はなく、むしろ好都合でった。傍の女性はおそらく彼の彼女なんだろうと想った。彼女を連れていたということが僕の心を頻りに駆り立ててくる。その後駅ビル二階の喫茶店に入りコーヒを飲んだ。僕の心の中では激しい葛藤が繰り返されていた。急に煙草を揉み消し、僕は意を決してそこを出た。

 ――彼女と別れてもう三年以上になる。名前は知らない。四国の伊予松山の生れで、その頃環状線の芦原橋の近くに住んでいたことしか分らない。「みんな残業しているのに私だけ出てくるの、何だか悪いような気がするの」と言っていた。その気持は僕も同じだった。夜間の学校へ通っている者は定刻より30分の早退が認められていた。彼女とはどのようなきっかけで話すようになったのか覚えていないが、彼女は制服を着ていて夜間高校へ通っていることが判るので恐らく僕が話しかけたのだ。ごく自然に話しかけ、ごく自然に知り合いになった。電車を待っている時、もう少し向うで待とうと僕が誘うと彼女はついてきた。それが僕が彼女を女性として意識した最初であったのだと思う。色の白いおっとりとした女性であった――

 駅を出て交差点を一つ渡り、歩いて行く。全身の血が全て頭へ集中してくるような<のぼせ>を感じる。両足がガクガク、夢遊病者のように全身がフワフワする。彼女が通っていた商業高校の校門が見える。そこへ向かって僕は歩いて行く。校門の周囲の空気が何かぶ厚い綿のような感じで、僕を拒否しているように思えた。<入ろうか、どうしようか>の葛藤も起こらずに僕はその前を通り過ぎてしまった。
――何と情けない奴だ、お前という奴は!――

 やや自嘲気味な気分で近くの公園に入り、コンクリートのベンチに腰かけ、煙草に火をつける。左前方のベンチの上で若い男性が腹筋運動を繰り返している。身を起こした時足先が浮き上がりそうになる。その人が女性であれば、僕はツカツカと歩み寄り「両足を押さえてあげましょうか」と申し出たかもしれなかった。そんな精神状態であった。月こそ出ていなかったが、空は清澄として晴れ渡り、星が煌めいていた。白い雲が凄いスピードで流れて行く。星が急に見えなくなったと思いきや、またすぐ光りだす。風は木々の梢から梢へと忙しなく駆け巡っていた。水銀灯に照らし出された木々の黒い陰がザワザワと揺れ動く。それが僕の縺れた心の糸を一層複雑にさせてゆくかのようだ。

 ――こんな弱い気持でどうするのだ、こんな消極的な態度でどうするのだ、すぐ殻の中へ閉じ籠ってしまう、こんなことでは何も為し得ないぞ! いつも悔恨の気持で人生を送らなければならなくなるぞ、コソコソと帰って行くようじゃ、男じゃない! 恥かしいって?……、人からどのように思われようと関係ないじゃないか、彼女の名前と住所さえ判明すればいいのだ、君の名は?……、そんなんじゃない! 今は敗戦の混乱期ではないのだ、個人的な理由でどうしても会わなければならないのですと言えばいいのだ、変な顔をされたら府立図書館の図書貸出票を見せればいいのだ、これしか現在の自分の身分を証明するものはないのだから、さあ、どうした、男じゃないか、心を決めろ!――

 今度はすんなりと校門をくぐることができた。前からやってくる二人連れの学生に事務室の場所を訊く。入るか入るまいか少し躊躇する。ここまで来たのだ、どうにでもなれ、意を決して入る。かなり年配の女性が応対してくれた。
「あの……、少しお尋ねしたいことがあるのですが……。H電機に勤めている女性についてなんですが……」
 若い女性と替り、名簿を開いて調べてくれたが、H電機に勤めている生徒は多く、退学した者もおり、名前が分らないことには調べようがなかった。

 卒業する生徒は、最近は入学時の6割程度とか。彼女はやはり両立できなかったのかもしれない。カラーテレビ事業部は翌年栃木県へ移転することになっていたから彼女も行ったのだろうか。しかし家元を離れて彼女一人で行くだろうか。それとも父親の仕事の関係で何処か他府県へ引っ越したのだろうか。公園の冷たいコンクリートの上に腰をかけ、いろいろと思いをめぐらす。どうして彼女の名前を聞いておかなかったのか。彼女も僕の名前は知らない筈だ。高校を卒業したての僕は向学心に燃えていて、女性をデイトに誘う気持は全く起きなかったのだ。9月の何日だったか、退職手続きをした日の夕刻、天王寺駅まで彼女と一緒だった。別れ際、残っていた食券をあげようとしたら、律儀にもお金を渡そうとするので、いいからいいから、と言ってそれを振り払うようにして別れたのが最後であった。その後僕は受験勉強に取り組み、日本史で黒田清輝の「湖畔の人」の絵を見た時に一瞬彼女を思い出した程度で、彼女の姿は僕の脳裡から消えてしまっていた。翌年大学に入学し、その年の夏休みになって彼女のことを思い出した。その頃なら、彼女はまだ学校に通っていたかも知れない。彼女に再会できたかもしれない。しかし、女性に対する気恥ずかしさ、消極的な性格から行動を起せなかった。

 16 
 昨日は小さな出来事があった。思い出そうとしても思い出せない位にかすんでしまっているようだ。文学への道については何故か気恥ずかしい思いが伴うので、忘れてしまいたいという気持の方が強いのであろうか……。

 Y君のことから話しは展開していった。彼は僕の後輩で、来春進学を志しているとのこと。そのことで先輩として何かアドバイスをしてやればと言われていたのだが、僕はまだ彼に手紙を書いていない。そのことの弁解をしようとした瞬間、それは必然的に自分の現在の心境を述べなくてはならないことに連なることから、
「自分の態度さえはっきりしていないのに、彼に対して激しいことは言えません。……僕はまだ大学を受験する正当な理由を見いだせないでいるのですから……」
 という言葉が口から出た。

 先生は待ち構えてでもいたかのように、この機を捉えて矢のような言葉を突如浴びせてきた。僕の真意を探るかのように。僕は最初返答に詰まった。先生がどのような言葉をかけてきたのか、あまりよく覚えていない。僕は文学者として成功する条件について話し出したようだ。しかしそれはすぐに取り消して、社会からの評価は問題でないこと、特に現在の僕にとって一番問題なのは、自分が文学の道を歩んで行くことについて、多少傲慢であってもいい、自惚れというか自尊心がなかったならば絶対やっていけないのだということを言った。その他読書量も多くないこと等についても─。
「それは解る。君の気持ちはよく解る」
 と先生がきっぱりと言ってくれた時は内心嬉しかった。

 文筆でもって飯を食い生きていく生活、そんなことは夢にも思ったことはなかった。親を見ても周りを見ても、そのような考えが浮かんでくるような環境にはいなかった。中学生の頃に漠然とではあるが唯一思い描いたことは、どこか会社の研究室で、複雑な人間関係に煩わされることもなく、黙々と製品開発に没頭できればいいなというような夢だった。自分は内向的で社交的なタイプではないので理系向きだと、中学生の幼い心でそのように規定していたようだ。そんな自分が、今、幼い頃の自分と繋がりがないと思われる生き方を歩み出そうとしている、ここに不安の生じる原因の一つがあるのだ。

「僕は小さい頃からずっと、仲間はずれの拗ね者、異端者でした。こうなった以上、もう意地です。何とかくずれにはなりません。絶対になりません。最近、天王寺公園でプロの手配師に、兄ちゃんええ仕事あるでぇ、と声かけられました。その時、そう思ったのです」
 僕がこう述べた時、先生は一瞬、目を輝かせたかのように見えた。それから、先生はやや自嘲的に言った。
「ピエロじゃないが、伴侶なし、的なし、意地もなし、じゃいかんな……」
 意地という感情は生活苦から生まれてくる感情であると思う。金銭的な苦労を知らない先生は、生活苦に対する羨望の気持ちも込めて、やや自嘲的な匂いを漂わせた言葉を口にしたものと僕には思われた。

 今日、先生と話していて、僕は以前の自分でないことにある種の満足感を覚えていた。これならやって行けるぞ!という気持ちも湧き上がってきた。来月から一生懸命に頑張ってみる決意を述べると、先生は僕を大いに励まし力づけてくれた。嬉しかった。その後、二人は、互いの生い立ちを話し合った。とにかく先生と僕とは心情的に非常によく似たところがあるように感じた。

 先生の文学者志望を結局踏みにじったのは、先生の虚弱体質と、この子は長生きしないという医者による死刑宣告にも匹敵する言い渡しと、職業観念の希薄さであったと言えるのだろうか。僕は大いに先生から飛び立たなければならない。大いに勉強して、自分を発見するのだ。僕はまだ大学にこだわっている。なら、再度、積極的に飛び込んで行くことによって、矛盾を解決する道も発見出来るかもしれないのだ。

 17 
 昨日昼のテレビのニュースで、三島由紀夫を隊長とする楯の会の者五名が自衛隊に乱入したと報じていた。その時は、どうしたんだろう…程度の会話を先生と交わしただけだった。家に帰って、夕刊をみると、割腹自殺とでていた。一瞬ヒャッとするものを感じた。それは、一人の人間が血みどろになって倒れている場面を想像した為なのか、それとも何か別の理由によるのか、判然としなかった。がしかし、日本の将来の動向に何らかの影響を及ぼす事件のように思われた。
 今朝の新聞はその事件で塗りつぶされていると云っていい位だ。

 彼はあまりに純粋すぎた。現実の中に純粋性を求めすぎた。純粋なるものは現実の中では絶対に敗北するのだ。観念の世界の中にしか、つまり文学表現の中にしか純粋性は実現しないのだ。彼はそれは十分自覚していたであろう……。しかし、ビアスの小説の主人公ブレイトンに取り憑いたあの観念「俺は勇気ある者となっている」 ――、即ち彼の場合、「俺は70年代には、日本の文化を守り、天皇を中心とする日本を復興させる為に、左翼と対決し討ち死にしなければならない。俺は70年代には死ななければならないのだ……」という観念に取り憑かれていたのだ。

 彼の創造した芸術至上主義とも云える文学の世界は、現実に自分が自殺しなければ完結しないものだそうで、従って死は当然の帰結であると、評論家の中には彼のヒロイックな死をいささか冷笑的な眼で見る人もおれば、そこまで真剣に考え、追いつめられていたとは……と同情を寄せ、彼の死から、「文学者は言行一致でなければならない」と云う彼の鋭い批判を汲み取らなければならないとする人もいた。

 大義の為には自分の生命すらいさぎよく捨て去るところは、正に武士道精神で、山本周五郎的でもある。しかし、大義の意味するところは二人では全く違うのだ。三島由紀夫はこれ迄ほとんど読んだことはなく、僕にとって如何なる人物かは分らないが、これを機に彼の美的宇宙を覗いてみたい好奇心が少し芽生えたような気がする。



 今日で先生の月当番は終り、僕の手伝いも終った。黒のタートルネックのスウェターと現金2千円くれるという。アルバイト料のつもりなのだろう。少し変な気がしたが、受け取った。僕の気持、先生はよく御存知だし、僕も先生の心遣いはよく理解しているつもりだ。それで素直に受け取ることにした。その金で読みたいと思っていた書物を買った。

 三島由紀夫のことがやはり話題となった。先生は心情的にかなり共鳴しているようであった。憂国の士であるところが強く心を魅了したのだろうか。日本の伝統の良さを特に強調するような口吻であった。僕とても、先生の影響が多分にあるだろうが、国を憂える一人のつもりでいる。がしかし、先生の話を聞いていると、自分の影が徐々に薄れてゆきそうな気がした。何故か? 憂国の情と云っても僕の場合決して本心から出ている感情ではないのだ。日本の伝統と云っても具体的にどのようなものを指すのか実感していないし、日本の大衆の知性の低さをあまりに執拗に批判する先生には少し反撥を感じる。これは先生の前で涙を見せたあの6月の出来事を思い出すからであろうか…。先生の批判をきにかけていては生きてはゆけないぞという気持が反射的に湧き出てくる。その実、先生の言葉に僕は影響を受けているのだ。

 今日の先生は頗る悲しそうであった。奥さんとの長い別居生活。容易にほぐれない愛憎のもつれた糸。今の奥さんとの結婚のいきさつを話してくれた。尋ねるのはちょっと悪いかなと思ったが、思い切って言ってみると、なんなく話してくれた。

 全くの義侠心からの結婚。前妻を亡くした後の淋しさ、子持ち男の遣る瀬なさ、性の問題もあったのだろうか…、愛なしでは生きてゆけない先生、等々を考慮してもだ――。

 奥さんも教師だから家を飛び出しても経済的には心配はない。それで別居生活となったのだろうか。義侠心からであれ何であれ、愛情生活は育たず、不幸な結果になったのだ。先生ははっきり言っていた、わしは愛に飢えているのだと。「愛のない生活には耐えられない。これを突き詰めていくと、他の女性と情死……」僕は驚いた、「しかしすぐ我が子の顔、生徒の顔が浮かんでくる。親父から受け継いだ倫理性が邪魔をする……」それで、ボードレールを読んで気を紛らわせているということだ。別居生活をしていては夫婦の情愛は深まることはあり得ない。一つ屋根の下で苦労をともにしてこそ生れる夫婦の情愛なのだ。長い時間がかかるのだ。<糟糠の妻>という言葉を初めて知った。先生はその漢字をメモ用紙に書いてくれた。

 18 
 二、三日前から季節のラッパがさかんに鳴り響いている。冬は厳かで、何か乏しさを感じさせる季節だ。従って、満たされたいと願う気持ちも強烈なものとなる。冬は僕の季節、魂を洗い清めてくれる季節だ。

 勉強していても、ふと、将来のことを考えてしまう。僕が作家、物書き?……、やはり肌ざわりがよくない。ピンとこないのだ。そちらの方向に向かう心もあることはあるのだが、どうもそれは僕の心の芯からの欲求ではないようだ。先生には申し訳ないが、自分に自信のない道は歩めない。

 先生は僕に「前者の轍を踏む勿れ」と忠告してくれた。これは一体何を意味するのか。僕は当初、作家への志と解釈していた。先生のあの詩の中にもあるように、ひと條の悲願の路であって、それは先生の場合は作家を意味したが、僕もそうでなければならないという理由は何処にもないのだ。職業作家なんてものにはなりたくてなる奴はいないのだ。書くしか他に生きる道がない者がなればよい。書くしか生きようがなかったという作家の中にしか優れた作家はいない、少なくとも作家の真実は見いだせないだろう。僕はこう思うのだ。

 先生の口吻から判断して、作家への第一歩は自ら逆境の中に飛び込んで行くことだと言っているように思う。勿論そうなのだ。苦悩を内に背負い込まない作家は作家ではない。その苦悩との闘いの中で、立派な優れた作品が生み出されるのだと思う。先生の言葉の裏には、先生の生まれに対する或る、何と云ってよいか、罪悪感みたいなものが隠されていることは間違いのないことのように思う。そして先生にあっては、作家になることと、そういった罪から逃れることとは内部で一致しているのだ。従って語気がものすごく強くなるのだと思う。僕には僕の生きる途があると思う。先生と僕は非常によく似たところがあるのだが、しかし、外部からの力がかなり違うのだ。この力はどうすることも出来ない。とするならば、当然途も違ってこなければならないのである。先生も僕も愛を求めるという点では同じなのだが、そうだからと云って同じ道を辿るとは限らないのだ。

 先生は僕の思考に多少打算的なものを垣間見ているようだ。僕はそれを知られるのが非常に恥ずかしかった。厭でならなかった。しかし、人が何と言おうと、僕はこれから自分一人の力で生計を営んでいかなければならない。それを否定すれば、僕はどうなるのだ。先生は恐らく、どうもならない、不安定な生活であろうと生き抜いて行こうとする逞しい心、その情熱が大事なのだ、逆境は人物を創るのだと言うだろう。その言葉は、僕の或る時期においてはバイブル的な役割を持った言葉であった。しかし今は違う。だからといって僕はその言葉を否定はしない。一面の真理が、大切な真理が含まれていることは十分解っているつもりだ。僕が将来何になるにしても、もっともっと準備しなければならないのだ。その準備の期間中の生計のことについて考えて悪いことはないと思うのだ。勿論この言葉の裏には、家庭の団欒を求める心が強く脈打っていることも事実だ。

 僕は自由意志は認めない。完全に自由なる意志は現実には絶対存在しない。こんなことは解り切ったことであるが、はっきりさせるために書き留めておこう。個人の存在する状況は外部から(個人の意思とは無関係に)与えられている。これは生存の初源的な矛盾の一つだ。その外部から与えられた状況に立ち向かう時にのみ、個人の自由なる意志の働きがあるのだ。外部の状況が僕に迫ってくる。その時、それとどうしても取っ組まなければならない課題であるならば、その事からどうしても逃れられない自分であるならば、僕という人間がそのような人間であるならば、僕は僕の自由なる意志を働かせてそれと取り組むであろうし、その時、その闘いが文学作品として結実する結果になるかもしれない。

 しかし僕の心は今、非常に小さくなっている。プチブル的なのだ。僕はそれを敢えて否定しない。それをただ意識するだけである。来春受験に失敗した時のことを考えることがよくある。しかしそんなふうに考えないほうがよいと今思った。何故ならば、現在散乱した自分の意識を集中して、ひたすらくだらない受験勉強に取り組もうとしているのは、自分の過去を一時的にも切り離したい、そうすることによって新しい自分の姿を発見したいと願うからである。

 19 
 南街スカラ座で「どですかでん」を観る。大した感動は覚えなかった。カラー映像で見せられたこの『季節のない街』は、原作から想い浮かんできた映像とうまく混じり合ってくれない。小説の映画化では原作とはまた違った印象を受けるものである、そしてそれが原作から受けて持っている印象とうまく混ざり合ってくれるのであるならば、映画を観た甲斐もあるのだが、今回は失望した。カラーよりも寧ろ白黒の映像の方が僕としてはよかったのではないかとも思った。先生はどのような感想を抱くだろうか。おそらく「青べか」のように三度も観はしないだろう。

 帰り、天王寺地下街の書店でYに遭う。「おお!」という声が背後でし、振り返ると彼がそこに立っていた。「どうしている?」……一瞬戸惑った僕の思考の中から出てきたのはこの言葉であった。何だか変な感じであった。「そちらこそどうしてるんだい」とやや低調な言葉が返ってきた。僕は次の言葉が出なかった。彼ももどかしさを隠し切れず、棚にずらりと並べられてある書物の中から、一冊、また一冊と取り出してはペラペラと頁を繰っていた。僕はほとんど無意識に手にしたのは、夜間中学生のことが書かれてあるのだろうか、確か「学校なんか、くそくらえ!」という本であった。僕はすぐにそれをもとに戻した。彼がそれに気付いたかどうか知らない。おそらく気付きはしなかっただろう。非常に長い時間が経過したように思われた。僕は求める本をやっと手に取り、彼に言った。
「君、もう帰るんか」
「いや、今日はバイトだ。まだ時間がある。何処かへ行こうか」
「いや、何も話すようなことはない」
 この時、彼は何かをぐっとこらえるような表情を見せた。僕は続けた。
「僕はこの時期を僕の過去に対する清算の時期と考えているんだ。……、またね」

 僕は自分の殻の中へ閉じ籠ったのだろうか。何かから逃げ出したのだろうか。殻を張りめぐらしてその中に閉じ籠ったのだ。彼に対してはっきりした態度をとれない自分を嫌悪した。こんな時、山本さんならどうするだろうかと想ってみた。すると少し自分に対して苛立ちを覚えた。もし彼が僕に何か話があるのなら手紙をよこせばいいのだ。しかし、手紙に書けないことも口でなら話せることがある。憐憫の情が湧いてきた。しかし、僕は彼の何を憐れむのだろうか、それは自分を憐れんでいるのではないのか。彼は一人ではないのか。孤立しているのでは?……そんな気がしたのだ。いやそれは自己の孤立感の反映ではないだろうか。僕が彼の現在の振る舞い(彼の私生活)を垣間見れば、また反撥を覚えるかもしれない。彼に限らず、誰に対しても強く自己主張が出来ない自分の弱さをもその時意識した。それに自分の考えが全然纏まってもいなかった。彼と一体何を話し合うというのか。僕は自分の力でこの厚い壁を突き破らなければならないのだ。僕に、彼に対して何ができる! 彼に、僕に対して何ができると云うのだ! 僕は話さない方がよいと判断した。話すことで更に一層深い不安感に落ち込むのではないかと恐れたのかもしれないが……。僕は古い自分、自己主張を悪い意味で抑えようとする自分を裡に持っている間は、何をしても駄目なのだ。何とかしてそれをぶち壊してしまわなければならないと思う。

 このようなことがあった後だからであろうか、帰りの電車に乗りあわせた一人の女性に気持を強くひかれた。黒いオーバーコートに身を包んだ、僕と同じ年頃の女の子がやや伏せ目加減に座っている。少し悲しみに沈んでいるのだろうか、特に口もとが憂わしく、どことなく思い深げに見えた。人の性格は必ず顔の表情に現われるものだ。気の強い女性なら、悩みごとがあったとしても、おそらくあのような表情を見せはしないであろう……。




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