上梓【2009.5.17】
最後の日々


  
 英文学への志は確かなりや。答えて曰く、間違いなしと。

 先生の話を聴いているといつもファイトが沸いてくる。そして家へ帰って来る。するとその高揚した気分が風船に小さな穴が開いたように萎んでゆき、後にはいつも虚しい気分だけが残る。これがよくあるパターンだった。今もそうなる危険大なり。ほんのちょっとしたことで崩れてしまう心の平安。僕の心は永遠に安定することはないのだろうか。



 先生の話を聴くことは楽しい。芥川については「彼の作品には立派なのがあるが、人間をその奥の奥まで掘り下げて描いているかというとそうではなく、ただ表面的に終っているといった感じだ。非常な秀才だったが、その秀才があまりにも順調に行き過ぎたという点で、文学者としての彼の才能を充分磨き切れなかった。だからこそ材料不足ということで行き詰って自殺してしまった。自殺の原因にはいろいろあるが、順調に進みすぎたという点で文学者としての資格を半ば得られなかったと思う。読書量も多く文章もうまかったものだから、それにものを云わせてあそこまで持っていったのだ。しかし読者はただ単に文章がうまいというだけでは読んでくれないからね。彼は作家というよりはむしろ学者タイプだったんだ…」等と語ってくれた。

 山本氏、『青べか日記』の中で曰く「若いうちの作品には唯衒気ばかりだ。天才があってもそれは唯閃きをみせている丈だ。五十にならなければ本当じゃない」

 「文学修行は長ければ長いだけよい」と先生も言っていた。頑張ろう! 決して泣きごとは言わぬこと。泣きたければ絶壁の上から石を投げよ、大海原へ大小様々な石を。石に悲しみをこめて。それでいいのだ。前進、前進。

  
 市立図書館へ行ったが、今日は休館日、うっかり忘れていた。仕方なく、帰ろうかと思ったが、ベン・シャーン展を観ることにした。

 Ben Shahn 昨年亡くなったアメリカの具象画家、水彩画家。水彩画家と云っても実際はそうではなく、テンペラ(顔料を卵黄とかニカワ等でねった絵の具)によって描かれた画であった。彼がユダヤ人でありニューヨークの貧民窟で育ったと云うことが、まず最初に僕の気をひいた。庶民を描いた作品がわりあい多く、中年の男性が四人一つのベンチに腰かけている絵、失業者を描いた絵等々。それら男の人達の顔の表情が特に印象的だった。教会の石の建物の一部が無惨にも崩れ落ちている、その近くを黒衣を身にまとった尼僧が数人黙々と歩いている様子は、正に戦争という個人の力の及ばない巨大な悪魔によって打ちひしがれ、意気消沈し憔悴しきった哀れな人間の姿であった。

 彼にはイラストレイター的な要素が多分にある。日頃、点や線にあまり関心を払わないが、芸術家の手になるとそれが不思議なくらい端的に人間の表情や動作の微妙な細部まで描き出される。これはどうして可能なのか。僕のような者でも線だけで人間の顔を描くことが出来るが、出来上がったものが僕に与える印象は、自分が当初予想していたものと大いに違ってくる。その差が大きすぎるのだ。しかし僕が描いたのだから自分のものであって決して他人のものではない。それならばそれは自分のいかなる部分と結びあっているのだろうか。無意識界とであろうか。

 芸術家とは、意識的なところから無意識界へ常に働きかけを行っている人のことを云うのか、或いは無意識界が否応なく意識の表面まで突き上げてきてしまう人なんだろうか。

 美とは何か。美とは本来人間の無意識界と直接結びつくものだろうか。意識と結びつく美は存在するのか。幾何学的な美しさは意識的な美しさではないのか。あの<麦>の絵は実に綺麗であった。またラテン文字を使用した絵も大変きらびやかな印象を与えるものだった。

 人はそれぞれの過去を無意識界という大海原へ投げ入れることによって今を意識しつつ生きている。大海原へ投げ込まれた過去の体験は忘れ去られることの方が多い筈だ。美は無意識界へ直接働きかけてそうした忘れ去られた体験にまつわる感情を呼び起こす力があるものをいうのではないか。忘れ去られていた筈の感情が呼び覚まされると、心の海に波が立つ。その衝撃が鋭いほど渦となり、大きな感動を呼ぶのだろうか。

  
 市立図書館は今日も休館、知らなかった。なぜ昨日確認しておかなかったか。頭がどうかしている。帰りはいつものメランコリーに襲われて、頭がズキズキ疼いていた。また家ではいつもの混乱があった。小さい頃から愛され理解されたことはないのだ、常に独りぽっちだったのだ、とつい自分を憐れんでしまった。こんなことではいけない! 僕の存在する場所はこの家の何処にも無いのだ。飛び出さねばならない。



 朝、眠りから覚める少し前、厭な夢を見た。歯科医で治療を受けているらしいが、医師(男女の別は判然としない)を前にして、突然僕は注射器の針を左の奥の歯茎にブスリと突き刺し、液を注入した。しばらくすると右の奥歯が痛み始めた。その痛みが徐々に大きくなり、最後には顔面の筋肉や首筋の筋肉が硬直し、頬の筋肉がどんどん盛り上がっていくような感じになり、その為両眼を開けていることが次第に困難になってきた。これはいけない、閉じてしまう!と両手で必死に開けようとするが、終に塞がってしまい、真っ暗になってくる。僕はこれからどうして生きていくのだ! 視力を失い、暗闇の中を生きゆかねばならないとは! 頭脳が割れるほど痛い。耐えられない。気が狂いそうになる一歩手前で目が覚めた。



 今日は兄の結納の日。親戚縁者が10人程やって来た。こういう集りはあまり好きではないので、姪を連れてくることを口実にしばらくは姉の家へ遁走することにした。

 母方の伯父は酔いがまわり始めないと話しかけてはこない。今日もそうであった。今日の伯父は少し厭な感じがした。伯父の言によれば、若い頃の母は(今もそうなのだそうだが)無垢そのもので、悪く言えば馬鹿だそうだ。長男である伯父は若い頃好き勝手なことをし、妹たちを泣かせたことは事実らしい。伯父の心の内は知る由もないが、少し目が潤んでいたことを僕は見逃しはしなかった。弁解がましいことは一言もいわずにこのような言葉でしか表現できないところが、今でも妹たちからよく思われない所以なんだろうか。

 母よ! あなたに対する僕の気持は非常に複雑なのだ。哀れに思うと同時に憎らしく思い、憎らしく思うと同時に哀れに思う。近頃特に耳が遠くなってきた。初めて嫁を迎える為にあれこれと気を揉んでいる。想えばあなたの生涯は苦労の連続でしたね。でもこのように書くと逆の感情が湧き出してくるのです。仕方がないのです。
 僕は東京へ行く。早くこの家を出たい。

  
 『痴人の愛』は昨夜読了したが、厭な感じだ。勿論僕だって女性の肉体美に魅惑されない訳はない。好奇心はある。美しい肉体を見れば性的に興奮する。そして美しいと思う。しかし何だか厭な感じがしたのだ。16歳の頃迄のナオミには好感が持てた。男女の真の愛情は子供が戯れるような童心の中にあるのではないかと考えているからだ。しかし、いくら肉体に魅了されたとしても女性からあのような仕打ちを受ければ、断然僕は腹を立てるだろう。自分の精神に屈辱を与えられてまでも、美の奴隷にはなりたいとは思わないのだ。僕は美に対する感覚よりも、屈辱に対する感覚の方が鋭いのかもしれない。この点を推し進めて行けば一体いかなる結論に到達するのだろうか。

 僕には偏執狂的なところがあるとは到底思えない。常識人、いや平均的な人間になる要素が多分にあるのだ。小市民的な平安と安らぎのある家庭を築きたいと願う気持が強くある。僕は愛情を求める心の方が強いのだ。勿論性的な悩みも抱えているにはいるが。しかし女性には多少ともナオミのような魔性が潜んでいるのだろうか。女性はおだてれば、ナオミのような高慢さが現れてくるのだろうか。イヤダ、イヤダ。どんなに美しい女性でも、ナオミのような嫌らしさを少しでも発見すれば、おそらく僕は見向きもしなくなるだろうと思う。僕一人をすべての愛情で包んでくれるような女性でないと僕の心は満たされないのではないか。僕の心の内部では遠の昔から母性の温かさは消失し、冷えた部分が存在するように思われるからだ。僕は結婚すると妻にはおそらく、この上もなく我がままを言い張るかも知れない。しかしこの感情はモノマニアックな感情ではないのか……。段々と言葉遊びになってきたようだ。この辺りのことは自分でもまだよく分らない……。

  
 東京の生活は大変だよ、1ヶ月3〜4万円もかかるそうだ、東京は止してこちらの大学にしたらどうか……と忠告を受ける。先生の僕を気遣ってくれる気持、大変有り難かった。東京へ出て行ったとしても、生活に追われているようでは勉学がおろそかになってしまう。生活苦が待っていることは明らかだ。僕としては、この家を早く出たい。それなら寮に入ればよいと云う。大学の寮に入れなくても安い下宿が見つかれば別に問題はない。しかし、このような問題は合格してから考えればよいことだ。東京にこだわる必然性は何もない。家を出たいという願望があるだけだ。……しかし、僕の気持もこの4月に比べれば大いに変ったものだ。僕が英文科を志望しているとは!



 9月も半ばを過ぎ、しだいに秋らしくなってきた。風に吹かれ、空を眺め、流れゆく白雲を追っていると、遙か透明な空間の彼方へこの身もろとも吸い込まれてしまいそうで、なんだか哀しくなってくる。

 僕は今人生の岐路に立っている。二度目の分かれ道だ。一度目は3年前のこの時期、会社を辞め受験生として図書館通いにようやく慣れだした頃だ。自分の足場の危うさや存在の不安感などは意識の中へは入ってこなかったようだ。いや、前方を見つめる必死の思いがそうした感情を抑え込んでいたのだろうか。

 あれは確かその年の11月の終りの頃だった。母は入院し、家は男三人、殺風景な生活が繰り返されていた頃だ。いつものように図書館から帰り、食事をし風呂に入り、ほっとした気分でテレビの前に横になりチャンネルを教育テレビに合わせた。通信高校講座か何かで詩の朗読をしていた。

 日は断崖の上に登り
 憂いは陸橋の下を低く歩めり。
 無限に遠き空の彼方
 続ける鉄路の柵の背後に
 一つの寂しき影は漂う。

 ああ汝 漂泊者!
 ・・・

 僕はこれを聞いて非常に大きな衝撃を受けた。寝ころんで弛緩していた身体が一瞬のうちにピーンと張りつめ、我知らず起き上がってしまった。恐らくそれまで抑え込まれ意識されずにいた無意識下の不安感がその詩によって突如呼び起こされ、意識の中へ噴き上げてきた感じであった。不安な心の動きを見つめる習慣のなかったその頃の僕にとって、その衝撃はそれだけ一層大きく感じられたのであろう。

 この詩人の大渡橋という詩が高校の教科書に出ていて、故郷に溶け込めない孤独な詩人の魂に何か心惹かれるものを感じたことがあった。詩人の故郷、前橋の町に直として通じている橋を渡る時に感じた詩人の<荒寥とした情緒>に相通ずるものを僕は感じていたのかも知れない。

 最近でも、前方を見ている時は問題はないが、心が弛緩した状態でふと気が付いてみると、自分があの底知れぬ不安感の中にいることが分かり、思わずぞっとすることがある。もっと深く明確に、僕の生活原理を構築しなければならない。

  
 明日、退学の意志を通知しようと思っている。ちぇっ!遠の昔からそんなことは分りきったことなのに、どうして心が乱れるのだ。全く勉強する気が湧き起ってこない。何処に僕の主体性があるというのだ! ああ! 自分は何の才能も無いとどうして思い込んでしまうのか。畜生!どうしてなのだ。どうしてそんな亡霊に取り憑かれる必要があるのだ。僕は僕の意志で学校をやめる、そのように決意したのだ。そして自分が選んだ新しい道をこれから歩んで行くのだ。僕を作り上げた忌わしい過去を否定する為に。

 義兄は、僕のこと親父のことおふくろのこと兄のこと、等々のごった煮を肴に酒を飲んでいるとか。しかし、僕は自分の道を行く。これしかない。

 もう自分を苦しめるのだけは止そう。人生なるようにしかならない。どんなに努力してみたところで、個人の力では及ばないこともある。なるようにしかならないのだ。それは認めよう。しかしだからといって個人の努力を放棄してしまえば、個人は生きない。生かす為の努力は続けなければならない。そして、たとえ弱い人間でも強大な社会を相手にどれだけ闘えるか、個人の全責任において問い続けなければならないのだ。そこにしか道はない。僕の道は英文学に通じる道、人間の謎を解明する道、その道を僕の責任において歩んで行く。僕にはこの道しか他にはない。



 十時半起床。最近、頭脳がやけに疲れる為なのか、よく眠る。いや、熟睡ではないのだ。ただ長いだけなのだ。いよいよ出発。それ程緊張することはないのだが、どうしてか、やはり・・・。人生の折れ線を描こうとしているのだから・・・。

 姉の家に立ち寄る。姉とは何を話したのかはっきりと憶えていない。急に不安になる。僕は気が小さいんだなぁと確か言ったようだ。お前はあまりに神経質すぎる、もっと気を大きく持たなくては、と励ましてくれた。少し心が安らいだ。さあ出発だ。

 M研の教室へM教授を訪ねる。ドアをノックし、失礼しますと言って中に入った。
「僕は退学を決意しております。そのことで先生を訪ねてきました」
 と僕は言った。そして顔をみると、教授は少し困惑している様子であった。
「そうですか、まあ、そこへかけて下さい」
 言われたように僕は近くにあった椅子に腰をかけ、口を閉ざして教授の言葉を待った。教授は僕に何か訊いてみたい様子だったが、どう言葉を切り出したものか、困っているように思われた。重苦しい雰囲気が立ちこめるのを感じて、僕が沈黙を破った。
「化学が厭になったのです。そうとしか言いようがありません。いろんな理由により厭になったのです。その理由を理解して頂くにはいろんな事を話さなければなりません。でも僕としては解ってもらいたくもなく、そんなことを今ここでお話しするつもりはありません」
 ときっぱり釘をさしたので、教授はどのように応えればよいのか益々困っているように見受けられた。正に現在の大学教授の姿がそこにあった。

 理学部の教授会との団交には一度出席したことがある。しかし二度と出かけることはなかった。失望感だけが残った。何か、見てしまった後の悲哀のようなものを感じた。しかし現実を知ることはいいことなのだ。それにしても団交というあのような異様な雰囲気の中で観た教授の顔と、今ここで相手の体温が感じられる距離で観る教授の顔とは雲泥の差があった。長年の研究生活からにじみ出てくる権威もそれとなく感じることができた。困った表情をしている人を間近に見て同情が起こらない訳はない。しかし人をたやすく同情することは差し控えなければならない。僕は他人から同情されたくはない。その人の生の根源に何ら抵触しない同情は自己満足以外のなにものでもないからだ。

 「三回生は一番強く大学紛争の影響を受けていますね。講義に出ても、例年とは大変違って、勉強の意欲が感じられませんね・・・」
 こんな言葉がふと教授の口からこぼれ落ちた。この言葉以外記憶には残らなかった。

 その後僕は専門課程の教務へ退学届けの用紙を取りに行った。全ての予定行動を終え、理学部の正門前に出たとき僕は何を考えたか。・・・・・。さしたることはない。このまま帰ろうか、それとも、そうだ、散髪してもらおうと思った。さしたることもなかった。それだけだった。

 僕のは長髪ではなく普通の髪型だが、かなり長く伸びていたのでパチパチと切り落とされる時の心地よさ! 大学と僕の関係が解き放たれる音の爽やかさ! すっきりさっぱりした気分だった。不思議も不思議、僕のすぐ後にM研のK助教授が来ていたらしく、黙々と週刊誌を読んでいた。散髪が終わって出ようとすると、他でもない、M教授もいることに気付いた。頭を垂れて何か読んでいた。何故顔を上げなかったか、…勿論、僕に全く気付かなかったということもあり得るが…知る由もないことだ。

 さて帰ろうと思いきや、ザザザザーと激しい俄雨。稲妻が走り、雷が遠くで轟音を響かせていた。仕方なく近くの食堂に飛び込み、うどんを喰った。ようやく小降りになったので駅へ走って行った。プラットホームでどんよりとした空を眺めながら、これが涙雨というのかな、と心の底で微笑んだ。




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