上梓【2009.5.14】
 | 道草の日々 |  |
1
- 僕の心の奥に潜んでいる在るものを抉り出さねばならない。この不安、この焦りや苛立ち……このような気分を醸成する不可解な奴! この悪魔の影に怯えている限り僕は何も出来ない。僕の人生はこの悪魔との対決なくして有り得ないのだ。逃げないで自分の心の闇をじっと見据える勇気が今の僕には絶対必要だ。
能登半島の旅から帰って来て、数日が経過しようとしています。思えば僕にとってこの長旅は(修学旅行を別にすれば)二度目のことです。高校三年生になる年の春休みに友人と二人で信州方面へ出かけたのが最初で、その時はそれなりにちゃんとした動機があった訳ですが、今回の旅行は云わば無動機の旅行、友人達に誘われるままに意を決した旅で、強いて云えば何かから逃れたい、都会の喧噪を離れ、田舎のゆったりとした時間の中にひたってみたいという切望が僕の心の奥底で働いていたと云えるでしょう。またそうした気持を素直に受容出来る心の余裕が内部に生じていたからとも云えます。今からちょうど1年前、教養部校舎が封鎖された後のキャンパスで、旅行の誘いを受け、一時は受け入れはしたものの、突如殻を張りめぐらし、その中に独り閉じこもってルソーを読んでいた自分と比べれば格段の相違があります。
この旅行は、学生の本分とは何かという視点から見れば、明らかに堕落でしょう。しかし学生の旅行に対するそうした見解を頑なまでに固執させている僕の内面の或る一部分に光りを当ててみるならば、その部分の浄化という意味もあったのです。<月日は人を変える><人間は時間の関数だ>或いは<人間は時の流れの中で生を営み、しかもその流れから脱出することは絶対不可能だと認めながらも、否定したく思い、否定出来ずに流され、その流れの方向を自らの手で変えられない者は、流れの中で己を変えることを強いられるものなのだ>と、それぞれが、少なくとも僕はそう思いながら、非常に消極的で悲観的な敗者が喧噪で虚偽の渦巻く大都会から遁走するかのように、故郷の肌の温もりを山河の中に求めたいという切なる望みを抱いて、出発したのでした。
雪で白く化粧した能登の山々は、人間社会のコマゴマと煩わしい問題に全くかかわりなくどっかりと存在しており、僕達を吸い込むように受け入れてくれました。
特に僕が感動したのは、山の斜面に生えている木々を眺めた時でした。山の斜面に根をおろした松の木は斜面に垂直に伸びて行くのではなく、重力に逆らい、真っ直ぐに上を向いて実直に伸びて行く。従って根元を大きく曲げなければならず、その歪みはそこだけを見れば醜態とも云えますが、それは生い立ちの初期条件と格闘した痕跡であり、むしろ厳しい大自然の中を生き抜いてきた力強さや逞しさが感じられ、どっかりと構えた木の姿は頼もしく、雄大ですらありました。木に心があるならば、木は決して自らを蔑んだり逆に誇ったりはしないでしょう。生きる戦いの方が先で、自己嫌悪に陥っている余裕などありはしないのですから―。
岩ばかりが続く曽々木海岸の遊歩道を歩いていた時は特に風が強く、大砲の発砲するような音が響きわたり、波が岩に激しくぶつかり、塩の花が舞い上がる光景も強く印象に残りました。
処かまわず、突如襲いかかってくる不可解な感情…それは僕の手足を鎖で縛り上げ、羞恥心の荒れ狂う渦の中へ放り込み、僕の自由を完全に奪い取り、更には言葉の発語機能を狂わしてしまう。これから先、こんな重い荷物を背負って行かなければならないとは…、恐ろしくなる。
このように言う僕の言葉(…ねばならない)の中には、僕の消極性、或いは宿命論的な考え方が潜んでいることは明らかだ。そんなに重い荷物なら、何故降ろそうとしないのか。恐らく普通の人間ならそう言うだろう。僕の感覚は鈍り、麻痺していることは確かだ。現在の僕は生ける屍の一歩手前にいる、いや恐らく片足を突っ込んでいるのかも知れない。ここに僕の危機意識がある。この問題を解決せずして、俗世間の諸々の問題は僕にとってすべて空しく思われる。
こう云う自己が僕の内部にいるかと思えば、一方嫌悪の対象となる別の自己が顔をもたげてくる。嫌悪の対象となる自己は古い自己、家庭環境から作り上げられた自分だ。この古い自分を嫌悪する自己と、このように自分というものを考えている自己とははたして同じ自己なのか…。
不安感は何処から生じるのか。何も手につかず茫然自失の状態に陥ってしまう原因は何なのだ。はっきりとしたことは分からない。が、<他者の眼差し>を気にする自己が形成されてしまっているからだろうか。他者を意識するや否や、自己の内へ内へととぐろを巻き小さく縮こまってしまうとは恐ろしいことだ。
世間に恥ずかしい、人がどのように思うだろうか、どう言うだろうか、そんなことをする身分じゃない、……。あぁ、厭だ!厭だ! 僕を不安に陥れるのはこれなのか! 自己を嫌悪する自己が古い自己を受け入れずに激しく突っぱねるからなのか。それとも現在の社会の不透明さの暗い陰りによる為なのか。
いずれにしても古い自己がぐらついていることは確かなことだ。新しい自己を確立しないといけない。新しい自己はどうすれば生み出せるのか。古い自己と絶えず対決してゆく中でしか新しい自己は生まれてこないのではないか。古い自己とそれを嫌悪する自己、両者の対決→統一の過程にしか僕の出口はないのではないか。
僕が真の意味で僕である為には、自己の自治権支配権を自らの手に奪取する戦いを闘わなければならない。
2
- 全く白々しい。そう云う僕は何か夢のある話しが聞けると期待していたと言いたいのか。今日のあの専門課程カリキュラムのガイダンスを聞いていて、ぬるま湯の中にいるような気分でしかなかった。化学が嫌になってきた。量子力学の輪読もはたして続けてゆけるだろうか。現在の僕の心の何処かに本当に化学をやろうという気持があるのだろうか? だんだんと化学から、物理化学からですら、遠ざかって行くようだ。
大学は教養の単位認定に関しては大盤振る舞いだ。試験はあまり行われず、単位はレポート用紙とひきかえが多かった。定期試験実施について当局は、日本育英会に成績を報告しなければ奨学金はおりてこない、等という理由をあげていたようだ。どこかの会社の事務員の言いそうな科白ではないかと腹立ちを覚えた。そしてそのことが頭の何処かにこびりついていて、奨学金欲しさにレポートを書くのかと僕は自分を問い詰めた。竹を割ったようにスパッと決断できないところが僕の嫌な性質だが、優柔不断ながらも最後のところで僕はレポート用紙を破り捨てた。清々した気分であった。提出していれば、その後僕は自分をチクリチクリと責めたてるに決まっている。当局は、単位不足の者でも卒業までに取ればよいということで、おおらかなところを披露し、ところてん式に僕達は三回生になったのだ。
朝家を出る時から小雨がぱらついていた。どんよりした日は厭な気分だ。しかしその感じも以前とは少し異なっているようだ。ささやかながらも未来に微かな明かりを感じているからだろうか。先生(高校の時のクラブESSの顧問)の話に魅せられて僕の目が英文学の世界に向いているからに違いない。
駅で乗客が二人大声で怒鳴り合っていた。8時前後の直行は混雑する。足を踏んだとか踏まなかったと云ったごく些細なことがきっかけとなったのだろう。僕は直行に乗らなくてもよいので大助かりだ。
電車の中で四回生の知り合いに会う。研究室で今年は化学反応の開始剤を研究するとのこと。そう聞かされてもおおよその見当すらつかないのは残念なことだ。化学の勉強はこの1年間殆ど留守状態だったのでそれは仕方のないことだが…。彼等四回生は去年はずっと専門の勉強をしてきたのだろう。1ヶ月でもいいから、じっくりと自由に、いろんなことを考えてみたいなあ、と彼が言った。現代人はそういう気持誰しも持っているのじゃない、1年遅れたら1年長生きすればいい、これ金言でしょ。受験勉強していた頃、先生から貰った手紙の中の言葉を思い出して、そう言った。しかしこの言葉で僕は今の自分を正当化していることにもなる。
いつものように大学の図書館の片隅に席を取る。僕の前にいつもの(多分恋愛中の)二人が既に座っていた。小声で話し合っている様子だが、殆ど聞えてこない。僕が毎日同じ席に座るので、それが彼等の平和を乱しているのではないかと思ってしまう。しかしその心配は無用だ。愛し合っている男女は常に彼等の甘い巣を何処にでも作るものなのだ。気になるのなら向こうが席を変えるだろう。
食堂でカレーを食べているとYがやってきた。彼は、君がこの1週間授業に顔を出さないとは意外だ。僕が留年すると言うのならまだ話が分かるが…と言った。この言葉には彼の傲慢さが出ていて反撥を感じた。核を作りたいという君の気持は分かるよ、しかしそれは幻想じゃないかな、僕はそんなもの求めないぞ…とも言った。
彼にはレポート用紙を破り捨てたことは以前に話したことがあるが、その時の僕の心の内部までは解る筈はない。彼なら恐らく、僕のように奨学金の餌に釣られてレポートを提出するのかというようなひねくれた問題の立て方はしなかっただろう。レポート用紙を前にして僕の心は震えていたのだ。書こうとする自分に対する嫌悪感で苛立っていた。定期試験実施の理由としてあのようなことしか述べられない大学に僕は腹立ちを覚え、新たな不信感を抱いたのだ。心は釈然としなかった。このような気持で、しかも自分なりの研究テーマや問題意識を持たないままに専門教科の授業に僕は出て行くことはしたくなかった。僕のこんなもやもやした気持は誰にも解らないだろうし、また解って欲しいとも思わなかった。
去年の封鎖以来、僕の心の歯車は狂い始めた。その狂いは自分で納得出来るように直さなければならないのだ。
3
- 先生(高校の時のクラブの顧問)の手紙に、「遠い昔の僕を君の中に再現して、さすがに憮然としています」とあるのはどういう意味なのか。恐らく僕の留年(と云っていいだろう)のことに心を痛めているのではあるまいか。しかし僕の決心は変わらない。
先生は今春退職された。それで近頃先生を訪ねることが多くなった。先生の心の中に赤々と燃え上がる炎を感じて僕の心も燃えてくる。「肉体は年とともに衰えていくが、精神はそうであってはいけない。人間五十を過ぎると誰しもそうなるものだが、わしが過去に猛烈に勉強した時期が三度あった。その経験が年を取ってもやれるものだという自信をつけてくれたのだ。脳味噌は使えば使うほど輝く。君、頭は出来るだけ使わないといけないよ」とは云うまでもない、先日聴いた先生の言葉だ。
これから大いに勉強して、何でも吸収して、出来るだけ幅の広い人間になろう。その為には英文学も勉強する、化学もやる、物理化学の授業にだけは出ていくことにしよう、数学も物理もやる、何でも勉強するのだ。先生は二年間でとりあえず卒業してはと忠告してくれたが、勿論この言葉、僕の経済状況を心配してのことだと思う。僕は三年で出ることにする。奨学金は当てにするな。バイトをして自分で稼ぐことだ。長い人生、一年や二年遅れたとしても大したことではないのだ。
昨晩は先生の若い頃の話しを遅くまで聴いていて、お宅に泊めてもらうことになった。チャールズ・ラムについての話しを聴いた後の僕の気持、僕の瞳、その他僕の全てが、未来に対する想念で充ち満ちていた。帰り、先生曰く、君、文学のことばかり考えて、化学をお留守にしてはいかんよ、と。さあぁ、どういうことになるのやら、と言ったら、先生がにこっとされた。この微笑が、僕の人生行路を決定する微笑みとなるかも知れない。
小鳥が優しく囀っている。清々しい空気の中を通ってきた柔らかな朝の光が、この机の上にいっぱい飛び跳ねている。だが僕の心は重い。昨晩、いや、きっと明け方だろう、僕はこんな夢を見た。
……Yと一緒に北海道へ(旅行かどうかは判然としないが)行くことになっていたらしい。ところが僕は彼に何の連絡もしないで一人出かけた。彼はどうしているのだろう、向こうで会えるかも知れない、いや向こうで会えるのだと心の中で思っている。列車を降りてバスに乗る。彼はまだ現れない。向こうで会えるだろうとまだ思っている。そうしているうちにバスを降りることを余儀なくされる。道が悪くてそれ以上進めないからだ。何やら洞窟のような所へ入って行き、僕達は険しい岩場を登って行く。縄梯子が垂れており、それを利用して登って行く。ところがその洞窟、燈台のようでもある。岩の隙間から下を見下ろすと、凄まじいほどの絶壁となっており、ずっーと遙か下の方にやや明度の低い紺青の海が見える。やがて上の方から、小学生と想える一団が下りてくる。僕達は彼等と複雑に混じり合って、燈台の中の雪で白くなった岩場を、登っているのか下りているのか判らなくなってきている……目が覚める。ああ、やはりYとの関係が気になっているのだ。………
Yに対する二種類の感情、確かに僕の心の中に存在する。Yも僕と同じ化学にまわされた口だ。数学に寄せるロマンは僕以上に持っていたかも知れない。化学に対して直感的な見通しを僕はまだ持てない。ここが共通項かも知れない。この辺りの問題について話し合っている時には不思議と曲がった感情は沸き起こってはこない。しかしそれ以外のことに関しては、大学生になる前の気持、つまり自分は工業高校卒業だという変に曲がった感情で彼(だけでなく、一般的に大学生)を観ている自分がいる。これは僕のコンプレックスなんだろうが、どこか彼等に融和できないものがある。彼等の麻雀に加われなかったのもそのためだった。この二年を振り返ってみれば、僕は彼を接点にしてクラスの他の連中とつき合ってきた感じがする。
「君の存在はクラスの中で忘れ去られていないよ」と彼は言った。封鎖解除後、授業が再開され、日常性が取り戻されほっとする気持があっただろう。しかし大山鳴動してナントヤラで、何か釈然としないものをそれぞれが心に抱きつつ三回生を迎えたに違いない。しかし新しい時間が大きく流れ始めているのだ。その中でみんなそれぞれの方向を見つけ出していくだろう。僕のことは徐々に忘れ去られていくだろう。それでいいのだ。
彼には今回の僕の行動の動機について少し話したが、どれ程理解されたかは分からない。一週間ほど前僕は彼を激励する意味で「量子力学を一緒にやろう!」と言った。その時は化学をやっていく気持は少しあったのだ。彼は僕のこの言葉をどのように受け取ったのであろうか。また、N先生の量子力学の輪読の呼びかけに応じた時の僕の気持、本当に理解してくれているのだろうか。呼びかけに応じた理由は色々あるが、昨年同じ呼びかけを拒否したことに対してすまないと思う気持があり、今度こそN先生の善意に応えようと思ったこと、またTがこの呼びかけを断った時の彼の表情を観て、僕は意を決したのだ。僕も断れば彼一人となり、恐らく彼も断らざるを得なかったであろう。だがこの友情、決して純粋ではなかった。当初から僕の量子力学に対する意欲はいつかは薄らいでいくだろうと、何となく感じ取っていたからである。にも拘わらず、一緒にやろう!とまで言った。ここに僕の罪がある。授業に行かなくなった今となっては、彼にはすまないと思う気持でいっぱいだ。
学校の図書館から駅まで一緒に歩いている時も、プラットホームで電車を待っている時も、彼と別れる駅まで吊革に手をかけている時も、お互い一言も喋らなかった。重い、陰鬱な時が霧のように立ちこめて、その流れは非常に遅かった。
4
- 今日は一日ずっと雨だった。今もまだ小雨が降り続いている。窓の隙間からこの部屋に侵入してくる風は冷たく、身に沁みて、雨の地面を打ちつける幽かな音が一層くっきりと耳に伝わってくる。
先生を訪ねる。先生の話を聴いていると時はすぐに経ってしまう。昨夜妹さんの容態悪化を告げる電報があったそうで、それで僕は五時になるとすぐ暇を告げた。先生と別れるときの僕は、まるで子供だった。大人は時として子供を困らせるようなことを意識的に言うことがある。子供はその質問をまともに受けて、むきになって答えようとする。と、すぐに大人は、「あぁ、そうか、そうか……よしよし……」と言ってなだめすかす。
「授業に出ているのか…化学の道を外れてはいけないよ…文学の話しは控えめにしないと…」先生は僕の心を探る意味で言ったのだ。僕がこれから化学をやる?…思っただけでもぞっとする。先生の話を聴いていると、俗世間のことは一切忘れてしまう。先生は先生独自の世界、正に詩人の世界、精神の自由に行き交う世界を持っているのだ。その世界に足を踏み入れる許可が与えられている。自由に入って行っていいのだ。この僕が、地に根が深く生えてしまっているこの僕が、正に人生の大転換期にいるのだ。何故だか身震いがする。震撼する身体よ、そして我が心よ。未来は不確定なるが故に、心を鼓舞して出発しなければならない。
時の経つのは何と速いのだろう。何か空しい漠々たるものにいつも囚われているような感じだ。僕のこの足でしっかりと大地に刻みつけた筈の足跡が、あたかも砂丘の上を歩いているかのように、みんな消えていってしまう。冷たく吹き荒れる季節風を真っ向から受けて、陸橋の下を歩いて行く哀れな男よ、郷愁の旅人、汝漂泊者よ!……玉を糸に通していて、親父に殴られそうになって逃げだして、目に涙を溜め何かを求めて歩いていた、あの当時の感情と大変よく似ているようにも思えるが……、そこには子供なりに必死の思いがあった筈。今の僕はどうなんだ!
夕方5時過ぎの図書館内。西の窓から光が射し込んできていて意外に明るい。蛍光灯はつけずに本をずっと読んでいる。木の板で隔てられている向い側の席の蛍光灯に灯がともる。当然僕の席も明るくなった。顔を上げる。誰もいない。…はて?……。右斜め向いには、紺の上着を着た女性が勉強している。彼女が点灯したらしい。辺りには誰もいないのだからそうとしか考えられない。何故に?…一瞬温かい血が全身を駆けめぐったように思われた。人の何気ない好意に僕の心は敏感に反応したのだ。
その後しばらく、僕は落ち着いて本を読めなかった。彼女の好意に何と応えればいいのかと……。感謝の思いがすぐに言葉に結びつかない。とっさの出来事に対しても、心の動きは顔の表情や態度に出るかも知れないが、言葉で表現することは苦手なのだ。会話の訓練が出来ていない。家庭内での自由で気楽な会話の経験がないのだ。こう言えば相手はどう思うだろうかとつい考えてしまう。
高三の頃から自分の思いをノートに書くことを始めたが、最初自由に書くことは難しかった。他者の目を意識してしまうのだろうか、言葉にすることに非常な苦痛と羞恥の感覚が伴った。中三の卒業間近の頃、友達から思い出ノートにコメントを求められ、相手の性格に関することを書いてしまい、感情を害したのではないかと苦しんだ苦い思い出がある。いい意味でも悪い意味でも僕は人を気にしすぎる傾向が確かにあるのだ。
とにかく僕は、少しでも考える間があれば、感じたことを素直に言葉に表現できないのだ。僕の心は曲がっている。本当にそうなのか…と暗い疑心がうごめき始める。僕の心は歪んでいる。畜生! 僕の心の二重性……素直でない厭な性格。
5
- 先生は今日は誰にも会いたくなかったのではないだろうか? 直感だがそんな気がした。いやいや、これは僕の妄想のなせるわざかもしれない。…僕がノックした時、三回目にノックした時、中に誰かいるような気配がした。…いや、そんな気がしただけで、誰もいなかったのだ。先生が居留守をつかう筈はないのだから。30分程近くの公園で本を読んで時間をつぶし、もう一度ノックした。阿倍野まで行って今帰ったところだと言っていた。…僕の頭がおかしいのだよ、きっと。
先生の目の前でお孫さんが急に39度6分の熱を出したのだから、先生のショックは計り難いほど大きかったに違いない。昨日は、手が震えてまったく文字が書けなかったそうだ。先生の沈んだ表情を見ると何も言えなくなる。僕の気持もしだいに沈んで行った。
「君、学校はどうしているんだ、図書館か…」また、このような質問をされた。この言葉の奥の意味は十分解っているつもりだ。でも悲しくなってくる。
今日は悲しい日だ。とても悲しい。愛する女性がいれば、その柔らかい胸に抱かれて、何もかも忘れてしまいたい気持だ。ああ、人生は明と暗、歓と悲。今日は悲しみに包まれている。伯父さんが亡くなった。癌だったそうだ。姉から聞いた。先生と別れて1時間半後のことになる。納屋がこの日曜日に取り壊されることになっていたが、伯父の死によって、この僕の二帖庵の命が1週間生き延びることになる。人間の死、人生の厳粛さを見る思いがする。今日の僕は、身も心も、全く青菜に塩と云った感じだ。元気のないこれらの文字よ……。
学校の図書館で勉強するというのも何だか自己欺瞞のように思えてならない。そうだ! 僕はいつも自己欺瞞の塊なのだ。そして偽善家なのだ。自らの意志で<火の杯>を取ろうとしたこともなければ、かと云って現状に満足している訳でもない。いつも風見鶏のごとく、意志無く動いている。そんな男。
本を読んでいると、こんな文章に出くわした。<たちどころに酔いもなにも醒めてしまうような痴呆に近い下卑た夜の女でもよいから、両乳房の間に頬をすりつけながら、今生の思い出に一夜をさめざめと泣き明かしたい程の切なさであった>この気持、解りすぎる程解る、と言いたい位の気持だった。近頃は、朝目を覚ますと、何ともたとえようの無い不可解な不安に苛まれる。この不安から逃れられるのでありさえすれば…。
僕にはもともと強迫神経症の兆候があるのだ。昨年それが明らかとなった。自らの意志で何かを企てようと決意するやいなや、それは反対されるのではないか…といった不安感に苛まれてしまう。それ故、たとえ反対の意思表明でなくとも、発せられた言葉をそのまま受け取らず、無理やり曲解し自ら恐れ戦くという精神構造の持ち主なのだ。従って、好きな女性がいても、何か言葉をかけることだけで精一杯、返ってきた言葉を曲解しそれ以上進めないようにしてしまうのだから、僕には恋人はつくれないのだ。この僕、俗に云えば、気が小さくて神経質で、何処かを指でちょっと触られただけで、即座にポロポロと崩れ去ってしまう。そんな男。
バイトに行く。阪神百貨店内であった。明日から始まる「僕と私の美術工芸展」の会場設営の雑用仕事だった。展示物はなかなか優れており、特に五歳の幼稚園児の作品には目を引き付けられるものがあった。だがその会は虚偽に充ち満ちていた。教育委員会の小役人連の、あのふくぶくした顔のニヤニヤ笑い。出っ張った腹部が今にも落ちそうなぞろぞろ歩き。その中の一人がこうのたまわれた。「この装飾物、なかなかいいねぇ。君、こんなの、終ると捨ててしまうのかね。―それはもったいない。僕にくれないかね。あ、そうだ、予約ね、予約しておくよ、ハッハッハッ……」反吐が出そうだ! くたばっちまえ!
6月7日、この二帖庵(土蔵の中にベニア板で囲って作った勉強室)が消え去る日。そして我が家の過去も消え去る日。消えて新しい納屋に生まれ変わる。消えゆく過去に乾杯!と優雅にやりたいところだが現実は厳しい。心の中の過去は消えてはくれない。
姉には土蔵の家から嫁には行きたくないという思いが強くあったに違いない。中学を卒業するや我が家に就職し、朝早くから夜遅くまで、ガラス玉製造の仕事に従事した。その甲斐あって、我が家の借金は無くなり、僕が中一の時家が建ち、中二の時姉は嫁いで行った。
この土蔵に対する僕の思いは姉のとは少し違っている。土蔵なので台風には強い。少々風が強くても家が軋むことはほとんどない。台風が近づいて来ると、隣の人たちが避難しにやって来た。子供の僕はなんだか楽しい気分になる。みんなが寄り集まって団欒の雰囲気が醸し出されいるのが好きだった。…風の吹く日はさみしかないよ…ペチカ燃えろよお話ししましょ…といった気分であった。
今日からまた騒音と突き声の乱れ狂う家の中で生活しなければならないことになった。はたして耐えてゆけるだろうか……。
兄は近頃よく親父と意見がぶつかる。中学卒業したての兄は、日曜毎によく東映の時代劇を観に連れて行ってくれた。優しい兄であった。その兄が最近刺々しくなってきているのだ。車の運転がしたくて、勤めた会社を辞めた頃からその兆候があったようにも思われる。厳しい現実の波を身を持って体験する中で、過去の亡霊が兄の脳髄の何処かに棲息し始めたに違いない。
戦争が終って親父が家に帰ってきた時、兄は二歳半位だったであろう、にこりともしない我が子を見て、親父は快く思わなかったのかも知れない。夏の大掃除が終った後、僕は親父によく海へ連れて行ってもらったが、その時兄は一緒ではなかった。競艇や競輪に連れて行ってもらった記憶が僕にはあるが兄には全くないと云う。僕の方が兄より少しはすばしこかったので殴られそうになると逃げたが、おっとり屋の兄は逃げずに親父に殴られるままだったらしい。こうした恨みつらみが深層意識に働いているのかも知れない。
僕の親父との心の葛藤は高校二年生の終りの頃に卒業したと思っている。
僕の高校進学の条件は育英会の特別奨学生の試験に合格することだった。僕は担任の先生の勧めもあって普通校進学を考えていた。が、直前になって親父が反対した。就職時の初任給に違いがあると誰かに聞いてきたのだ。残念な気もしたが、電気技術者という言葉には何か夢があった。少なくともその時、そう感じたことも事実だったので、それほど落胆しなかった。大学進学などその頃は夢のまた夢であったのだから。
しかし現実は違った。工業高校の授業内容に不満を感じ始めた頃、僕にとって親父との葛藤が始まったのだ。苦しみがだんだん高じていって、頭がおかしくなったのではないかという観念に取り憑かれてしまった。不安感がつのる一方だった。或る日僕は誰にも内緒で、脳クリニックと看板が出ている所に駆け込み、脳波の検査をしてもらった。後日、異常なしと聞かされて、一瞬にして頭がスッキリしたことを覚えている。その後親父を見る目が変った。少し距離を置いて親父を観ることが出来るようになった。過去の親父とのことはあまり考えないようにした。またそう出来るようになった。
6
- 僕は宿命論者ではない、決定論者だ。かく云い得る為には、僕は、僕に外的にも内的にもまつわりついている種々の条件を考慮し、徹底的に分析しなければならない。そして将来の取るべき道が二つ以上あるならば自らの意志で一つを決定し、一つしかないと認めた場合には、<一つしかないのか。よし、それならばその道を進んでやろう!>と前向きに意欲的な態度を取らなければならない。そこが実存主義的決定論者の原点であり、そこに人生に立ち向う基盤が形成されるべきなのだ。しかし、僕はそのように思考を進めることが出来ているのか。出来ないのなら、単なる言葉遊びをしているに過ぎないことになる。
僕は一体何者なのだ! 僕の未来はどうなるのだ。……未来に賭けようと欲しても、過去が僕の足を引っ張る。中学一年の頃にもこんな気持を経験したことがある。このままでは僕は宿命論の暗闇の中へ引きずり込まれてゆきそうだ。……助けてくれ!
僕は今「助けてくれ」と叫んだ。これは重要なことだ。僕は誰に助けを求めたのか。僕は絶対者を想定したのではない。絶対者は存在しない。存在するとしても、それは、個なる一人の人間の弱さや不完全性の中に、有限なる一個の人間の限界性の中に存在し得る根拠があるのであって、人間を離れた絶対者は絶対に存在しないのだ。それならば僕は何に救いを求めたのか? 僕は叫んだ「助けてくれ!」と。僕は人間と人間を結ぶ絆に向って叫んだのだ。それならば人と人を結ぶ絆とは何か? 苦悩する魂の救済とどのように関係していくのか。?……
僕は弱い人間だ。しかしそんな弱い人間にもやはり強さはある。僕の強さは何か。僕の強さは、破れかぶれになった時、もっと丁寧に云えば、僕の精神がもうこれ以上後へは引けない、譲歩出来ない所まで来た時、僕の内部から突如温泉が噴出してくるがごとく、沸き上がってくるものがある。僕はそれを信じてよい。そこまで来れば、他者の思惑など意に介している暇はなくなる。僕の精神の頑固な岩盤にぶち当たっているのだ。この岩盤が崩れない限り僕は狂うことはない。これは誇っていいのだ。
ふと思いついたことだが、心機一転、僕は大阪を離れる、理系から文型に方向転換を図る、東京へ出て夜間の大学にはいり働きながら学ぶ。時間が余っているから余計なことをくだくだと考えて、益々行動を起せない人間になっていくのだ。働きながら学ぶ、これが一番僕に合っている生活スタイルかもしれない。
先生の前で初めて泪を見せてしまいました。あのような泪は何年ぶりの泪だったのだろうか……、胸の奥底からこみ上げてくるものがあり、たちまち僕の全身は切なさ、悲しさの波に呑み込まれていってしまったのです。少年時代と全く同じような感情のうねりだったように思われます。あれは恐らく、先生の前だからこそ、少し甘える気持があったからこそ、なのかも知れません。……<喜ぶにしても瞳を輝かせて、何か事にあたるにしても、人生意気に感ず!の心持ちで、悲しむにしても大いに泪を流して、…わしの若い頃はそうだった>……このようなことを以前先生から聞いたことがありました。あまり感情を表に出さない僕を意識してのことだと思いました。あの時は、普通なら押し殺していた筈の感情が、先生の前だからこそ出てしまったのだと思います。
先生の話は万国博のことから政治の問題へ移っていきました。日本には民主主義は育たない、今の政治状況は英国の19世紀なみだ、日本が英国風の民主主義国家になるにはあと百年かかるよ、と言うのが先生の持論です。そして、その頃までわしは生きてはいないがねと言って政治の話しを終えるのがいつものパターンなのですが、あの日はそのような政治しか持てない日本の大衆のこと、旅の恥はかきすて的な道徳心の低さ品位の無さを鋭く批判する方向へ移って行きました。
こんな話しを聞くと僕はいつも自己嫌悪の感情が騒ぎ出し自分が批判されているような思いになってくるのです。……蛙の子はやはり蛙なんですねぇ……やや自嘲気味に、そう言ったことを記憶しています。先生のどんな言葉に対して僕がそう言ったのかは覚えていませんが…。子供の躾、家庭教育、日本の女性、特に家庭内の母親のはたす役割の重要性云々。先生は幼い頃里子に出されたのだそうです。小学校の高学年の頃から漱石を読み始めたのは同じような境遇に共感したからだと聞いたことがあります。先生の母性に寄せる思いは複雑なものがあるように思われます。
女性を判断するに、容姿でしてはいけない、話す言葉でもいけない、言葉には飾りがあるから、態度を観て、女性の身振り、ちょっとした素振りから判断しなければならない云々……。あの時の僕は、話しが女性一般の方に向いてくるにつれて、僕の姉の姿を思い浮かべていたのです。そして僕と云えば、姉の為に泪を流してやれる、姉と一緒に姉の過去を悲しんでやれる心、そんな高貴な精神は持ち合わせていない人間なのです。
君、女性を選ぶときはよく注意しなければいけないよ……。あの時の僕は、恐らく姉のイメージの上へ少年の僕のイメージを二重写しにしていたのでしょう。よく働く姉の姿は、遊びたい一心の少年にとっては仕事の量を増やす、ありがた迷惑以外の何者でもなかったのです。
君、女性を選ぶときはよく注意しなければいけないよ……。念を押すような先生の口調は僕の心の中にある何かを激しく刺激したようです。急に胸の奥の方からこみあげてくる波があり、言葉は詰まり、どうしようもなく泪が溢れ出てきてしまったのです。そして、あの時のあの場には、何か絶望的な雰囲気が漂っていた(少なくとも僕はそのように感じていた)ことも、僕の泪をそそったのではなかったでしょうか。
そんな僕を見て、困惑したのでしょう、先生はすぐ立ち上がり、トイレにでも行ったのでしょうか。しばらくして、鮨を食べようか、君、電話してきてくれないか、と云う声が聞こえました。僕は思わず醜態を晒してしまった自分が恥ずかしく、その言葉に救われた思いですぐ外へ飛び出して行きました。
<鰯雲人に云うべきことならず>これは高校一年生の時に耳にし、以来ずっと僕の脳裡にこびりつき離れない俳句です。漁師から鰯大漁の兆しとされている、云わば希望の象徴であるべき鰯雲に、この作者は一体何を見、何を感じたのでしょうか。僕は鰯雲に、恐らく作者とは反対に、何か暗いものを感じ取ったのでしょう。この俳句に何故か心を惹かれる自分を、あれ以来ずっと意識してきました。そしてこれからも意識していくでしょう。
7
- 教養部の正門のところでYに出会った。彼は黒いヘルメットをかぶっていた。1ヶ月も授業に出ていないと云うともなく云っていた。僕は拙い詩を彼に見せた。しかし僕の精神の暗い面を見せて、はたして何になると云うのか? 自分でも捉え難い自分を、そんなもので理解される筈はないのに…。彼に出した手紙がもとで、彼が何かある組織に加わったのでは?…そんな想いが一瞬僕の脳裡をかすめた。いや、それは思い過ごしだ。そんな彼ではない。
あの夢の描写、解釈の仕様によっていろいろに取れる。あの意味は彼と僕の性格の相違、及び生活環境の違いから生じる相互不理解を象徴したものと解釈している。あれがもとで彼の心の内部に何か変化が生じたのだろうか……。自分の言動が相手に何か影響を与えたのではないか、そんな想いで心は非常に不安になる。作用があれば必ず同時に反作用が返ってくるのは当然のことだ。が、その当然の反作用に僕の心は不安に陥る。その不安が怖くて僕は殻を作りその中に逃げ込む、これが僕の性格の特徴の一つだ。日常顔を合わせなくなった今となっては、彼の心の細かい動きなど解る筈がない。
親に会えば親を殺し、師に会えば師を殺し、そして友に会えば友を殺す。自己を生かす為には他者を殺さなければならないことだってある。そして生き延びた者はその身に罪を背負うことになるのだ。その罪を払いのける為に人は生きてゆかなければならない。これが人生なのか。
僕はこれからあまり自分を蔑まないように努めよう。と云うことは、僕の今迄の過去を全て僕がこの身一つに引き受けるということなのだ。過去は消滅する! そのようにして消滅させるのだ。いや、押し込めるのだ。僕には未来がある。未来に向って生きなければならない。
ユーゴ書店で偶然Yに出会う。近くの喫茶店で2時間近く話しをした。本当に久しぶりのことであった。
Yに対する僕の気持は複雑で混乱していて、捉え所が全く無いような感じだ。僕は近頃何事に対してもすぐ冷笑を浴びせてしまう傾きがある。非常にいけないことだとは思っているのだが―。今日喫茶店で彼と交わした言葉なんか、すぐに忘れてしまうだろうという気がしている。これは僕にとって大変危険な兆候なのだ。
他人という者をどのように捉えるか…他人を如何なる形で自分の中に介在させるか…云々を彼は考えたのだそうだ。そして、他人とは自分にとって非常に冷酷で、冷淡で、敵対する以外の何者でもなく、他人との闘争(固定的に介在させるのではなく、常に運動しているものとして自己の中に他者を位置付けながらの闘争)を通じてしか、他人を自己の中に取り入れることが出来ない、という結論が出てきたとのことだ。この結論は彼にとって恐らく人生からの恐るべき挑戦的な言葉と響いたのであろう。語気が鋭かった。僕の胸にグサリッ!と突き刺さるものがあった。僕はその時、すぐその同じ言葉を彼に返してやりたかった。僕の感覚は他人から冷淡に扱われるということに関してはかなり麻痺してしまっていて、すぐに跳ね返していけないのだ。冷酷な他者は既に僕の内部に入り込んでいて、それが時として僕を不安に陥れる張本人であるのかも知れないのだ。彼は僕のこの辺りが解らないらしい。僕は強く責め立てられているような感じがし、ようやくのことで、君のその言葉は僕に対する抗議として受け取っておくよ、と言い返した。
さらに彼は「人間は自分で自分を創り上げることは出来ない。自分を創り上げるものは常に他人である。他人から何か言われないと自分の欠点は絶対気が付かない。固定的な人間関係の中では、当たり障りのない話しで終わってしまって、それでは他人はいないのと同じことだ。そういった意味で、冷酷な他人ほど自分を創り上げてくれるという意味で、感謝しなければならないと思う」と付け加えた。
他者に対するこのような二つの感情が彼の心の内部で錯綜しているに違いないように想われる。彼の言葉は彼らしい言葉であって、彼の本質はすんなりと、苦渋の思いがあるとはいえ、このような言葉が出てくるところにあると僕は思っている。とにかく彼も絶望的な淵に立っていることは間違いない。彼の絶望は僕のとは質的に差があるのだろうが……。彼をそこまで追い込んだのは一体誰なのだ? 何なのだ?……いや、彼の問題は彼に任すことにしよう。僕は僕の問題を考えなければならないのだ。
8
- 台風2号、午後6時半白浜付近に上陸。直撃は免れるも風強し。今、風止み雨になる。
昨日「サウンドオブミュージック」を観たが、自分を忘れることが出来たのはほんの一瞬、観ている間だけ。外へ足を一歩踏み出すや、なま温かい空気の中で、これからどうしよう、生きて行くことに本当に意味があるのか、……解答を強要されている思いに、身体は硬直し心は不安の渦の中。
僕の周囲は暗く、絶望的だ。しかしことさら暗い面を眺めなくてもいいではないか。生活を楽しんでいる若い連中もたくさんいるのだ。いくら僕が時代的影響を受けているからと云って、日常性にたいした差はないのだ。生れ、成長し、恋をして結婚する、子を産み育て、そして老いて逝く。日常性と云うものは、古今東西、似たり寄ったりの筈だ。
自分の才能も、未来も、それほど神経質になって考えなくてもいいではないか。夜間へ行くことも考えない。そんなことを考えるから英語がいやになるのだ。とにかく、来年の3月迄はしたい放題に勉強しよう。そしてその後は日本各地を放浪するのだ。4、5年そのような生活をして大阪へ帰る。そして細君を娶り、小市民的な生活に入る! 人生の目標は何も持たない。このように決めておこう! 放浪生活を足場にして云々ということは、僕には出来ない。そんな才能は僕には無い。僕は大志を抱けない男。
日々の生活は、未来への夢の実現にあるのだという、気の遠くなるような生き方は捨ててしまえ! 現代とは夢を抱けない時代なのだから。いや、時代のせいにするな! 僕は夢を追求できなくなった男なのだ。
「迷妄のこの身も乗せて、無心の雲よ、無心に漂う」とは先生の詩の中の一節。あぁ! もう何も考えたくない、考えない。自分をじっと観れば観ほど落ち着かなくなる。「えい!ままよ、成るに任せよ」―と。
兵役検査、丙。医者から「この子はあまり長生き出来ないね」と、感受性の鋭い若い頃の青年にとっては云わば死刑の宣告と同等の警告を受け、死と直面しながら過ごした病弱だった先生。そして「それを衝き破れなかった僕の薄志弱行ぶりが今日の私のよい見本です」と書く先生。…僕は何も言えない。ただ、ただ……この前の先生への手紙の内容はと云えば、相手のことを全く考えない、エゴイストの卑屈な内面吐露、階級的立場の主張にすぎなかったことを思うと、自分が恥ずかしい。
この前先生の前で思わず泪を見せてしまったのは、勿論いろんな理由付け可能だが、僕と先生を結ぶ何かを一瞬僕は見失ったからにほかならない。英国の貴族階級の高い道徳性を持ち出して、日本の大衆の俗悪さを痛烈に批判した先生の言葉に、思わず僕は泪で対抗したのだった。それしか僕には出来なかった。大衆の卑賤さの中へ僕の過去の情けない姿を二重写しにして、僕は自分を(そう!自分だけを、全くエゴイスティクに)憐憫したのであった。だからあの時の僕の泪は決して純粋なものではなかったのだ!
「文学とは、それ以前では到底生きていけない人間に課せられた生前の罪科に対する償いのようなもの」と先生はそれとなく書いている。僕が文学者になる可能性があったのだと今仮に仮定してみたとしても、先生に会うことがなかったとしたら、……。人と人の巡り合わせとは不思議なものだ。これは一体何によって説明可能か? これも科学が発展すれば説明できるのだろうか。否、否だと思う。それならば僕は自分の運命を大切にしなければならない。大切にするとは、自分を疑らないこと。自分の来し方をそのまま素直に受け入れること。自分を、自己の能力を最大限に信じること。今までの僕は自分の才能をあまりに疑り過ぎていたのだ。自分を信じなければ自分は生きない。全ては信じることだ。世界は全てみなそれに通じる。高慢になってもいいのだ、若いのだから、自分の才能を試してみることが出来る時期なのだから。使命感に裏打ちされたものである限り、高慢な精神は自己の才能を啓発していく原動力、推進力となり得るのだ。僕が文学者、もの書き…笑わしちゃいけない!なんて云って卑屈になるな。それなら他にどのような道があるのか? なんだか自分が思いもよらぬものになってゆくようだが、それもいいだろう、他に道がないのならば―。いずれにしても、僕はアウトサイダー、孤独な男。
今日先生と話して、僕の内部の<しこり>が少しほぐれたようだ。先生は「東京へ行かねばならない。そして修行(勿論辛い修行)に耐えなければならない。そして常に文学から疎遠にならぬような仕事に就いて、自己の文学的才能を磨かなければならない。その為には語学が出来ることははなはだ有利だ。……」と助言してくれた。今日は7月17日、明日は僕の22回目の誕生日だ。遅くはない、決して遅くはないのだ。
早い遅いは問題ではない。先生曰く「早く咲く花は早く凋むと云うじゃないか」
9
- ここ10日以上もの間ノートと対峙しなかった。やはりペンを取らなければならない。毎日日記をつけると云うことは、僕にとって精神の浄化を意味するのだ。気楽に語りかける相手がいない僕にとっては、じっと黙って陰に籠っていると、僕の心は汚れてくるのだ。近頃の自分の日常を振り返ってみよ! 人間は一つ所に留まっているということはいいことではないのだ。
会社勤めをしていた頃は、勿論苦しい日々の連続であったが、あの初夏の頃の夕暮れ、仕事から解放され、自分の時間を手に入れたという一瞬の鋭い喜び! しだれ柳が夕風に揺れる池の端をぶらぶら歩く時の爽快さ! 束の間の歓楽であるとはいえ、清澄な精神の高揚。あたかも受験生が無数に入り乱れる数字の中から、はっ!として自分の受験番号を見つけ出した時の戦慄するような心の震えとでも形容し得ようか。噫!あの時の柳の青かったこと! 夕風の優しかったこと! あの時の僕は神の広大な慈愛のまなざしに愛撫されていたのだ!……それは恋人から受ける慰め以上のものではなかったか。玉粒の汗をしたたらせ、日々黙々とと働く労働者にそれとなく与えられる、精神の宝石とでも云うべき自然からの贈り物ではなかったか。だが、過ぎ去った日々は二度と戻らない。僕は歳を取っていく。そして世界は時間の波に押し流されていくのだ。何処へ辿り着くのか誰も予想不可能な、無限の暗闇の彼方へと……。そして僕の一個の生命も莫大な宇宙の流れからすれば、一粒の露のしたたりにも等しいものなのだ……。
今日、このようにペンを取らなかったならば、そしてこれから先も同様に取らないとするならば、おそらく僕はこのうだるような暑さの中で発狂してしまうだろう。その兆しは先夜の不眠の中に潜んでいた。そしてこの頃の卑賤な想念の中にも見ることが出来る。僕にとって書くことは、何かある種の精神の救いを意味するのかもしれない。僕は、自分の精神を常に清く保つ為に、そして活きて行く為に書かなければならないように運命付けられているとするならば……。それにしてもあの壁は崩せない。僕の意志を全く無視して、社会が作り出したあの壁だけは! 社会が作り出した壁であると認識出来るのなら、それに捕われる必要は全くないのだ。それなのにどうして捕われているのだ!
僕は自分の才能をまだ疑っているのではないのか。その問題はこの前先生を訪ねて処理出来た筈ではなかったのか! 僕のこれまでの日記に目を通してみよ。そうすれば、いかに多く決意し、そしてその殆ど全てが無慙にも不履行の憂き目にあったことか、つぶさに、手に取るように分ることなのさ!
10
- 久し振りに先生宅訪問。Kさん歓迎の宴開催の件につき相談する為。
先生は右腕をタオルで巻いていた。どうしたのですか、と尋ねると、少し苦笑するように答えてくれた。右手の使い過ぎと、扇風機の風にあたったことがたぶん原因で、一昨日までの3日間は、無感覚で全く自由がきかなかったとのこと。それに、中風になるのではないかと非常に怖れ心配したとか。医師から「君、中風になるぞ」と宣告されるのを怖れて医者へも行かず、じっと様子を見ていたとのことだ。僕が更に驚いたのは、今まで書き上げた詩作品を全部焼き払って自殺しようと、その方法を真剣に考えていたと告白されたときだ。まさか、と思う一方、先生の顔の表情に何か痛々しいものを感じた一刹那でもあった。しかし先生は一人で生きているわけではないのだ。お孫さんもおれば、息子さん夫婦もいらっしゃる。それに先生にはまだまだ仕事が山のように残っているのだ。先生にはもっと長生きしてもらいたい。
先生に僕の詩を見せ、僕の性格や現在の心境などを話しているうちに僕は決心した。いや先生の言葉が僕を決意に迄導いたと云った方がよい。東京へ出て、夜間の文科で働きながら勉強することにする。これ位でこれ以上述べない、僕の心の深部がこの方向で固まる迄は―。
僕はこれからどうなるのだろうか…。全く分らない。家にいるとやはりダメだ。力が湧き出てこない。何もかも忘れて思い切り泣いてみたい気分だ。柔らかい胸の中で、優しく抱擁してくれる母のような女の人に僕の心の扉を開く鍵をあずけて……。男の生命力はそこで癒され再生されるのであろうか…。
今日、中学時代の友達Mと会う。彼もずいぶん変わった。彼の内部には他者性がかなり侵入している。ちゃんとした定職を持っているのだからそれも当然のことだろう。つまり社会人としての根がしっかりと生えている証拠なのだ。引っこ抜いてふらふらしている僕とは違ってくるのも当然のことだ。しかしそれが全く気にならない。すべてを許しあえる、全てを解って貰える、全てを理解しあえると思えるのだ。どうしてだろうか。いや、このように自分に問うこと自体おかしい。彼も僕も経済的には山の斜面に立っていたと暗黙のうちに了解しあえるからなのだ。
彼は中学二年生の三学期に山口県から転校してきた。彼を見たとき何か感じるものがあった。あの時期の友情には閉じようとする傾向があると云う点で恋愛感情に似たものがあるのではないか。
彼と話しをしていて徐々に残念に思えてきたのは、僕が普通高校へ行けなかったことだ。父の反対がなかったならば、僕は彼と同じ高校に進学していただろう。高卒後の初任給云々で僕の普通校進学に反対した親父。それに反撥し得なかった僕の未熟さ脆弱さ。
彼の進学した高校は僕の家からそれほど離れていなかったので、願書提出は彼に同行した。彼と別れて、僕の進学する工業高校へ向かったのだが、その途中雨上がりの凸凹道を猛スピードで走ってきたトラックに泥水を全身にかけられてしまった。バスの中でも歩いていてもジロジロ見られている自分が恥ずかしく情けなかった。あれは僕と彼との間に芽生えつつあった友情の絆に浴びせかけられた泥ではなかったか。あの当時僕の心の奥底で呻き声をあげていた悔しさ悲しさが急に思い出されてならなかった。
大学の合格発表があった数日後、彼から貰った葉書には、君と同じ大学で学べるようになって嬉しく思います、と書かれてあった。僕の合格を彼は新聞で知ったのだ。彼は長男、昼の大学は断念したとのことであった。
今日先生から手紙が届く。中には、僕の「決意に感じて」書いたという詩が一篇、同封されていた。四連の<孤影悄然、来たるは迎え去るは送る>とは正に先生の現在の姿なのだろう。特に三、四、五連は息詰るように迫ってきて、胸が苦しくなる思いがする。人生の不可逆性の恐ろしさが身に沁みて痛々しい。悔恨のない、楽天的な人生が送れたらどんなにか素晴らしいことだろう。しかしそんな幸運な人はごく稀で、いないと云った方がよいのではないか―。<進むにも「時」、卻くにも「時」/君、「時」をえて天翔る不死鳥の再生また再生/己が屍を焼きその灰の中より飛び立ち/願くは、いつの日か、顧みて/悔なく、いみじくも/よき青春の道標ならましを―>・<賢しくも古諺に謂わずや/「前者の轍を踏む勿れ」と>
僕はいよいよもって決意しなければならない。実を云うと、天翔るというような精神の高揚はなかった。いや、そう云うと嘘になる。最近の僕は高揚するがすぐ地上へ落下してしまう情けない精神状況にある。しかし、だからと云って地上に安穏としてはいられないのだ。僕には飛び立つしか方途はない。どの方向に向って?……、そもそもこんな問いが出てくるのは情けない。心が既に老人化している証なのだ。「飛び立とう! そこには何かがある、何か明るいものがある、それに違いはない!」これだけでいいのだ。これだけですぐに行動が起せるところに若さがあり、青春があるのだ。ぼくはいろいろ考え過ぎるのだ。どうなるのだろう、とためらい逡巡するのではなく、会社を辞めた時のように、そこには素晴らしいものがあるのだと確信しなければならない。こんな家庭にいると頭の働きが鈍くなってくる。全くおかしくなる。早くこの家を飛び出さなければならない。
幸福を求めてやまない姿、常に何かに憧れてやまない姿、躓いても転んでもすぐに起き上ろうとする姿、……これが青春の姿。
11
- 朝先生から電話。何か要件があるらしく、午後来て欲しいとのこと。
天王寺の市立図書館に1時間ほど立ち寄った。家では勉強がはかどらないので受験生時代同様またお世話になろうかと思っている。入館する迄は少し厭な感じを抱いていたが、入ってみればそんな感情はすぐに吹っ飛んでしまった。あの頃はサラリーマンが通勤するような感覚で毎日満員電車に揉まれながら通ったものだ。昼までは問題なく勉強出来たのだが、地下の暗い食堂で昼食をすませた後、一人階段をのぼる足取りが非常に重く感じられることが時々あった。帰りたいと思う気持と戦いながらやっとの思いで自習室の自分の席に着くと、みんな真剣に勉強している姿が目に飛び込んでくる。負けてはいられない、と自分を鼓舞し夕方6時頃まで頑張った。そんな必死の思いで過した日々がむしろ懐かしくさえ思い出された。
要件は案の定Kさん歓迎会のことであった。日曜の午後と決まりそうだ。Kさんの事は高校の頃からよく聞かされていた。卒業して大手製薬会社の研究室勤務となるが、研究成果を上司に横取りされ、その怒りが発奮材料となりフルブライト留学生としてアメリカに渡った僕たち高校のESSの先輩。どうだ、この中から第二のK君になるやつはいないか、と向学心を刺激されたものだ。この度大学院で博士号を取得したのを機に十何年かぶりに帰国される。どのような話しになるか胸がときめく。
Kさん歓迎の日。「今日は本当に愉快だった」「今日は何日だ、ああ、23日か、記念すべき日だね」―先生の言葉である。
奥さん同伴だった。Hさんはほとんど一人奥さんの話し相手をしていた。Nさんはほとんど聴き役。僕とY君も聴いてばかり。先生とKさんはテーブルの端で向かい合って話していた。じっくり面と向かい合うのは何しろ十年振りのことなのだから話しの泉は涸れることはない。
先生がKさん夫婦に送る詩をNさんが朗読した。Kさんはテーブルの上に両肘をつき、両手を握り合わせて、過ぎ去った過去の苦難の日々をじっと回想するように聴き入っていた姿が非常に印象的であった。奥さんは Very nice ! と何度も感激の思いを述べていた。
Kさんは実に若々しい。年齢も32歳にはとても見えない。どう見ても25,6だ。特に瞳がきれいだった。彼の歩んできた道をくっきりと照らし出しているかのような輝きだった。僕も明日から頑張らねば!
この前の歓迎会の会費のこともあったので先生を訪ねる。昨日Nさんが来て、話はついたとのこと。N、Hの両先輩は僕たち後輩に金の心配をさせては、―働いていない身ならまだしも、社会人として稼いでいる現在―先輩としていい格好ではないといっていたそうだ。Y君と連盟でお礼の葉書を出すことにした。
「T先生が病気で、その代わりでK君のクラスへ教えにいった当時、彼は英語はあまり面白くなく、英語はあきらめようと思っていたそうだ。そこへ僕が行って教えたろ。ただ単に表面的に済ませるのではなく、言葉の語源とか、その文章の持っている雰囲気、その奥にある思想的なこと、更にその時代背景について言ったものだから、英語がこんなに難しいものか、なんとかしてついてゆかねばならない、そう思ったそうだね。その為僕はクラブに入り勉強したんですと言っていたよ。それから、僕が教室で牧水の<白鳥は哀しからずや空の青海の青にも染まずただよふ>ね、あの歌を話したことがあるんだ。それを聞いて、彼、その歌がピーンと頭にこびり付いたんだろうな。僕はアメリカで苦しい事に遭ったり、他からの誘惑に負けそうになった時はいつもその歌を思い出して頑張ったんですと言っていたよ。その歌が彼の人生を大きく変えたんだそうだ。若い頃に聞いた言葉は、多感なもんだから、人の一生を決定するほどの、一生涯忘れない人生の支えとなることがあるんだね。昨夜N君にも―彼は英語教師の道を歩むことになるんだろう―諄々と話して聞かせたんだが―。
「教師とは、講堂の中でトンガを振り上げてセメントを砕いていくようなものだ。カチンと音がしてダイヤモンドを掘り当てたら、それを磨いてやるんだ。勿論、生徒も自ら磨かなければならない。二人でその宝を立派なものにしてゆこうとするところに、教師と生徒の結び付きが生まれるのだ。そういう意味で教育とは非常に厳粛なものだ。エデュケイトのエデュというのはラテン語では外へという意味で、ケイトというのは引き出すという意味なんだ。教師とは生徒各々の固有な才能を引き出す仕事を云うんだ。誰にだって固有なものはあると思う。それを見つけてやって、引き出してやって、二人で磨かなければならない。K君は自分の中にあった宝を光り輝かせることに成功したんだ。そしてそこへ導いてやるためには教師という優れた人物が必要なんだ。昨夜N君にこのことを充分言って聞かせかんだ。」
先生は伯楽だ! <千里の馬は常にあれども伯楽常にはあらず>か。
僕と先生との今までの関係を思い返してみよ。僕は決して見捨てられることはなかった。それは明らかなことだ。厳しいことも言う。それで去って行く者もいる。去る者は仕方がないことだと、心中泪を流しておられるのだろう。来る者は拒まず、ドアを開いて温かく迎い入れる。人との出会いは不思議なものだ。僕が普通高校へ進学していたらどうなっていただろうか……。この出会いを大切に思わなければいけない。
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