上梓【2010.05.16】
Il y a longtemps que je …
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5 月
- 1982年5月1日(土) 曇。
- 昨日大家さんの娘さんから貰った<鈴蘭>を鼻に近づける……かぐわしい香りがする。こちらでは5月1日に鈴蘭の花を友人に送り、Bonne Heure を願う習慣があるのですと説明してくれた。昨日メトロ等で売っている人の姿を多く見かけた。
昨日買っておいたチーズとビスケットで昼食をとった後、外出。 Trocadéro で降りる。シャイヨ宮広場では Déportation(流刑)と銘うった仮設写真展が催されていた。中に入ってみる。ナチの強制収容所の記録写真であった。記録映画や生き残った人々のインタビュー等……一瞬目を覆いたくなるような無惨な写真もあった。平和の有り難さが身に沁みてくるようだ。
3時半~5時半頃まで眠る。これから先1ヵ月のパリ生活はこのように退屈なものとなるのだろうか……。
アラブ学食へ出かけるが、今日は閉っていた。腹が減っていたので、Bambuteau のセルフへ行くことを止して近くの(神谷君と初めて入った)セルフで夕食。サン・ミッシェル界隈を歩く。西江さん達のアパートの建物の前では一人の街頭芸人が観客を笑わせながら巧みに魅きつけ、何人かの観客に役付けを行い、森の中での架空芝居を演じさせ、それが大成功していた。終って帽子を観客に廻していた時、警官が入ってきたが、観客が口々にノン!ノン!と言い、その勢いに警官は弾き出された。警官としては通路が殆ど塞がってしまっていたので注意を与えに割って入って来たのだろうが……。パリでは、何となくぶらついていても、何か面白いものに出くわす。
今はパリにいるのだから、帰国後のことは考えないことにしたほうが良い!
- 5月2日(日) 晴。
- アラブ学食で昼食。リュクサンブール公園のベンチに座って読書して帰る。
夜はシャトレ大学センターの学食。パンテオンからノートルダムを廻り、マビオンから地下鉄に乗って帰る。知人には誰にも会わず。
ロレンスの書簡集を読んでいる。井伏鱒二の短編も。明日からは少し規則的な勉強生活に入ろうと思っている。早く起きて、午前中は英語の勉強。午後はアリアンスの図書室で仏語を。その他の時間は自由に使う――。
- 5月3日(月) 晴。
- マビヨンで昼食。書物郵送用の箱(5キロ)を買う(5フラン)。帰り支度だ――。
アリアンスの図書室で4時半頃まで勉強。久し振りのアリアンス。先月一緒のクラスだったベトナム人に出会う。部屋に一度帰りまた出かける。Gibert で小さなテープを買い、夕食の為マビヨンへ。神谷君に出会う。帰国の際は彼が見送りに来てくれると言う。多謝。
佐々木さんに電話(朝11時過ぎにかけた時は出かけた後)、まだ連絡は取れないとのこと。木曜日にかけることにする。3日先だ――。
烏山君に電話し、近くのカフェで話す。彼はまだ食事をせず待っていてくれたらしい。日本を近くに感じるようになる。少し憂鬱でもある。しかし、積極的に自分の人生の設計に取りかかる必要がある。溢れ出る感傷には枠を嵌めねばなるまい。
- 5月4日(火) 曇。
- 書物を郵送する。サン・ジェルマン・デ・プレの P.T.T. では重さ5キロまでしか受け取ってくれなかった。昼食を終え、部屋に帰るが、この際仕事のけりをつけてしまえ!と思い、また荷造りして持って行く。道を尋ね、やっと Métro Vaneau の近くの P.T.T. にたどり着く。サン・ジェルマンから7キロ半の荷物を持って歩いたことになる。たいして疲れは覚えなかったが――。普通の窓口では5キロ以上の荷物は扱ってくれないらしい。すぐ近くにある荷物だけを取り扱っている所を教えて貰った。5キロ→→22フラン50 7キロ半+1キロ(ゴロス)=8キロ半→→36フラン45
その後 SAMARITAINE に行く。Magasin3 に行くと、様子が以前とは全く違っていた。訊くと、Magasin2 の2階に移ったのだとのこと。キャンピングガスを1個買う。これが最後の物となろう。それから Pont Neuf の橋下の中の島の先端でJISUで借りてきた小説を読んで時間を潰す。1時間も座っていると風が冷たく感じられた。マビヨンでは松田さんと彼の知り合いの若い画家さんと一緒に夕食。彼等はカフェに行くらしかったが、同行しなかった。帰って、城山三郎の小説を読む。
- 5月5日(水) 晴、夕方より曇り俄雨。
- 昨夜は本を読んだまま眠り込んだようだ。4時半頃に目が覚める。電気が点いたままであった。10時起床。右肩が少し痛む。
昼神谷君にマビヨンで会う。土曜日の午前、ボ・ザールにデッサンしに来てはと勧められる。アリアンスの図書室で勉強。4時過ぎに出てリュク公園で1時間程読書。俄に雲が立ち雨が降り出しそうな気配、肌寒さもあり急いでマビヨンの学食前のカフェに入る。
夕食時、洗い場の三田君に出会う。彼はたまに学食を利用するとのこと。「サクラ」の仕事がきつく、悲鳴のような不満の吐露――西江さんと口論したらしい。前川氏に面会した時「今の洗い場の人は手伝ってはくれませんが、キッチンを君が手伝ってくれるようなら、もっと給料は出します」と言ったとか。僕はキッチンを手伝い毎日くたくたになるのに、給料は上がっていなかった、若し5月分の給料で上がっていないなら、社長に言ってみる、と興奮した口調――。友達から別のレストランへの勧誘もあるようだ。彼の話を聞き、心が少しムラムラしだしたが、もう既に過去のこと!
三田君の話しよればグラナダには50名位の日本人が住んでいて、アルハンブラ宮殿に上る広場の近くに日本人が経営しているバーがあるらしい。彼は1ヵ月1万ペスタのアパート(2部屋台所と風呂付)に住んでいたとか。旅行前に彼から詳しく話を聞いておれば、そのバーへ出かけて行ったかも知れなかったのに――。 城山三郎著『乗っ取り』了。
- 5月6日(木) 晴。
- 日本へ出立する日程が決まったことで、やはり気持は非常に感じ易くなっているのだろうか。マビヨンで昼食を済まし、アリアンスへ向う。サン・プラシッド駅で降り、歩いて行くと向こうからモンテス先生がやって来る。久し振りだ。握手を交す。
―― もうすぐ日本へ帰ります。
―― 何時?。
―― 28日です。
―― 28日、そうですか…、日本というと東京?。
―― いえ、僕は大阪です。
―― 大阪には私の友達がいます。
―― 本当ですか…。
―― 大阪は東京につぐ大都会ですね。
―― ええ、京都の近くです。
―― ところでアリアンスは何処まで進みましたか?。
―― リーブルⅢの6課までです。
―― 書物や雑誌等、たくさん読んでいますか?。
―― まあ、少しです。
―― 昨年の5月、君は熱心によく勉強していたよ。
…… 仏語習得の難しさについて話してみたい気持も起ったが、すぐには言葉にならない。それよりも先生の顔を窺うと、先生は昨年の5月のクラスのことを思い起こそうとしているように感ぜられ、心の奥底の何処からか湧き起ってくる感情の波に飲み込まれそうになった。
―― 日本へ帰っても続けていくのだね。
―― はい。
…… 先生が教えてくれたあのシャンソン、憶えていますよ。フランスへ来るまでは1ヶ月位一人で仏語の文法を読んだだけでした。それ以前に仏語を勉強したことはありませんでした。ですから先生が僕のフランス語の最初の先生です。大変楽しく勉強できたことに感謝しています。このようなことを先生に言いたかったのだが、この思いは何時の日か先生に手紙で……と思っていた。
夜、佐々木さんに電話する。まだ彼とは連絡は取れないと言う。彼女に電話するのは単に大家さんから頼まれた部屋の件だけが目的なのか。いや!そうではない筈。なのにそれ以上に切り出せない。……以前の自分が出てきて、後味は良くなかった。次に何処かで会う約束をしておけば良かったのに!。何回も何回も電話していても――自分に対して苛々してくる。 黒岩重吾著『紅ある流星』了
- 5月7日(金) 晴。 受信:先生から5月1日付封書
- プランタンの高島屋に立ち寄る。佐々木さんから聞いていた如く、京子さんが客の相手をしていた。以前よりひとまわり太った感じである。忙しそうだったので、声はかけないことにした。マビヨンで昼食後、JISUへ行き、また新しく3冊借りてくる。リュク公園で読み始める。今日は仏語はやる気がしない。4時前に部屋に帰り、読み続ける。5時過ぎだったか、床に横になり9時半頃まで眠る。ビスケットとチーズの食事。読み終えて時計を見ると2時になっていた。 『役員室午後三時』了
- 5月8日(土) 小雨。
- Beaux arts は休み。朝10時前、門まで行ったが閉っていた。アラブ学食、昼と夕。
夕は、小説を書いているという秋田君と一緒。カフェに入り、彼の小説の話を聞く。愛の観念小説(イギリス人中尉とドイツ女性とのアフリカの孤島での恋?)らしいが、それ程興味を覚えなかった。しかし、彼はそれを6年間考え続けていると言う。その執念は尋常のことではなく、その点は感心して聴いていた。 『雄々堂々』(上)読中
- 5月9日(日) 小雨。
- 昼アラブ学食。夜、13区の Boul.de l'Hopital の学食。夕食後、植物園からセーヌ川沿いにサン・ミッシェルまで散歩。雨は止んでいた。植物園では神戸から来たという人の姿を見かけただけ。知り合いには出会わず。ひたすら読書。 『雄々堂々』(上下)了
- 5月10日(月) 曇。 受信:忍と姉より手紙 発信:先生へ封書、兄へ絵葉書
- マビヨン、昼夕とも誰にも出会わず。JISUで本を返し、また3冊借りる。夜9時頃、佐々木さんに電話。話し中なので、1時間後にかけ直す。彼女の友達はこの部屋を借りたいとの意向。明日連絡が取れれば見分に来るかも知れない。 『重役養成計画』了
- 5月11日(火) Il fait beau.
- 朝、佐々木さんに電話を入れ、夕方マビヨンの駅で会うことを約束する。
彼女の知り合いの玉川さんは外大の中国語科卒、昭和22年東京生れだが、関西に6年も生活したことがあり、話し方も東京の人とは思えない。金八先生に何処か似ているところがあり誠実な人柄に見えた。僕がこの部屋を出た後彼が借りることに決まった。また大家さんは27日の夜(7時半)僕を食事に招待してくれるらしい。初めてのことなので、緊張もし不安もあるが、やはり嬉しい。長男は切手収集が趣味のようで、日本の切手もたくさん集めているとのこと。
その後玉川さんとはカフェで9時頃まで話をする。玉川さんと別れて、彼女に電話。新しい住所に木曜日に引っ越すとのこと。電話は10日位しないとつかないらしいので、手紙で知らせて欲しいと頼んでおく。彼女とも一期一会、人生即別離かも知れない。サクレ・クールの運命の女神とは、ちと恥かしい。僕の性格……。まだまだ悩み多い青春。――青春とは鍛えることなり――まだまだ弱い自分。
- 5月12日(水) 快晴。
- 昼食後、サン・ジェルマン・デ・プレ教会の小庭園で『価格破壊』了。
Rue Sainte Année の(Japothéque →) Espace Japon で朝日新聞(4/25~5/2)を読む。4時半頃迄。5月2日の朝刊にイギリスがフォークランド島に戦闘、爆撃を加えたと大きく報じられてあった。
夕方、マビヨンで神谷君と少し話す。今のクラスは先生は熱心で良いが、宿題がたくさんありすぎ大変だ、疲れる等と弱気になっていた。『価格破壊』の主人公の言葉<青春とは鍛えることなり>が脳裡をかすめたので、この言葉を引用し励ます。
Allée des Cygnes(白鳥の遊歩道)のベンチに座り9時頃まで読書。
- 5月13日(木) 快晴。 Chaud. 松村さんから手紙 松村さんへ返信
- 昼食後リュク公園で『危険な椅子』読了。JISUで新たに3冊借りる。ドゥシュへ。部屋に戻り、松村さんに返事の手紙を書く。
夕方マビヨンで神谷君に会い、不必要になった書物を彼に読んで貰おうと一緒に帰る。彼と12時近くまで話す。先生の詩を見せてやったり、僕の若き日の日記の一部を読んでやる。彼は学生時代に一度同人誌に書いたことがあるとかで、僕の話は決して腰砕けにはならず、楽しい時を過すこととなった。
ベルギー方面へ二三日旅行しませんかと持ちかけられる。触手が動く。
- 5月14日(金) 快晴。 Chaud. 受信:先生から5/5付封書
- JISUでロンドン発を7日に変更。大阪着は6月8日(火)午後5時の予定。
リュク公園でスケッチ。その後、ボ・ザールへ(5時~7時)。Portrait を描く。
夜は Mazet. 神谷君にベルギーは止してアルト・ハイデルベルグへ行こう!と持ちかける。彼、賛成してくれたようであった。今は一人ででも行く気でいる。 *夕方マゼの学食へ行く時、J.P.ベルモントとすれ違う。
- 5月15日(土) 晴。 Chaud.
- 午後、ボ・ザールでデッサン。20分位しか同じポーズを取ってくれないので時間が足りない。石膏デッサンで基礎力を培っていない者には少し難しいようだ。
神谷君、旅行は行かないと昨日の言葉を取り消す。少し残念であったが、彼のベルギー行きの誘いが僕のドイツ旅行を思い立たせてくれたようなもの。彼は油絵を描くことにしたと言う。郊外へ、それともパリでと尋ねても、いやまだ分らないという返事。昨日旅行にあれだけ乗り気だったのに、何故してなのだろうか……と。
午後は松村さんの肖像画を描いてやるらしい。今日特別に時間を貰い出かけてくるという手紙を貰ったようだ。
管野さんに電話すると、今日は時間が無い、明日の夕方アラブ学食で会おうということになる。3日前、メトロで佐々木さんに遇ったそうで、僕がパリを発つまでに一度三人で会いましょう、と言っていたとのこと。玉井さんのことを話すと、それも聞いている様子であった。佐々木さんとはもう会わない方が良いと思っていた矢先のこと――。三人で会って、一体どんな話題があるというのか、どんな話題になるのだろうか……。
一人で Hotel de Ville へ。Pascin(パスキン1885-1930)の展示を観る。
4時頃帰宅。洗濯。その後、熱い湯を飲み毛布に包まり汗を出す。効力は判らず。鼻が詰まる。要注意!。マゼで夕食中、俄雨。マビヨンまで一人歩いて来る。今日は土曜日。サン・ジェルマン・デ・プレ界隈は賑わっていた。『プロフェショナルの条件』を読んでいる。城山三郎サイン<男ひとり、炎のなかをゆく>とある。
- 5月16日(日) 薄曇。Chaud.
- 今日はパリマラソン。しかし見に行かず。日本を想い出させるような蒸し暑さ。微熱の為とは決して言えない。風邪、少しは回復の方向へ向っている気配。bon!
ポール・ロワイヤルで昼食。風邪の悪化を懸念してすぐ帰る。『毎日が日曜日』了。
夕刻7時、アラブ学食で管野さんに会う。彼のアパートに行き夕食を御馳走になる。教会関係の人達の家に同居している為夕食は彼等と一緒であった。彼の部屋は一人用にしては十分な広さ、1ヵ月食費込みで千5百フラン払っているとのこと。現在東京の知り合いの画家さんが同居している。1ヵ月の西欧旅行をもうすぐ終え帰国とか。管野さんがスライドにしてある彼が撮ったパリの市街の写真を見せてくれる。彼女とは連絡があったんですか?と尋ねた時の言葉の調子は少し硬かったようである。それは仕方のないことだ。帰り、「六神丸」を六粒くれる。多謝。
- 5月17日(月) 晴。夕刻5時頃雷、激しい俄雨。
- 昼食後、サン・ラザール駅の Information International へ。パリ-ハイデルベルグ間、片道218フラン。その後高島屋に入る。京子さんの姿は見かけなかった。ジュンク堂で、ロンドン市内にあった飛行機客チェックゲイトは廃止されていることを知る。もう5年の歳月が流れているのだ。立ち読みしに行ってよかった。一度部屋に戻り、また出かける。JISUで小説を借りる。リュクサン公園で借りた本を読んでいると、俄かに空が暗くなり稲光りに雷鳴、しばらくして激しい雨が降ってきた。
夕食はマビヨン。あの髪型が変なオバサンが向いの席に座り、驚かされる。二人用のテーブルだったので余計そう感じた。僕を日本人と認めているのなら、座る時一言何か言ってもよさそうなもの――こちらも無言。あまり気分の良いものではない。神谷君には会えず。風邪は少し回復してきているようだ。しかし、ハイデルベルグへは明日の夜出発するのは心配だ。木曜の夜の線が強くなっている。
- 5月18日(火) 小雨、夕刻より晴れる。
- 『愛の装飾』了。読書、学食、読書、学食と、微熱もすっかりせず、どこかボャーとして夢の中。2時間位ウツウツとしたようだ。午後7時前に起き学食へ。神谷君や坂井君がコロンビヤの青年と仏語で喋っている。彼等はまるで異なった世界の住民に思えてくる。気分がすぐれないせいもあろう……、殆ど話さず。<男ひとり炎の中を行く>という城山三郎氏のサインを思い浮かべる。日本で僕を待っている<炎>……。その中へ飛び込んで行ってやる。何を恐れることがあろう、<炎>の立たない人生なんて!
ハイデルベルグ、それ程気が進まなくなってきている。戯曲『アルト・ハイデルベルグ』を読んだ時もそれ程感動を覚えなかった。先生はあの戯曲に先生の青春を見たに違いない。しかし、我が青春はあの雰囲気とは何処か異なる。
- 5月19日(水) 薄曇。
- 朝、久し振りに P.Milword 氏の "English Delight" を読む。 『甘い餌』(短編集)了。
午後、Claude Monet の絵画を Musée Marmottan へ観に行く。Une Entrée:15F. 睡蓮は言うに及ばず、特に水面の光の捉え方に感心した。樹が風に揺れている様が印象深い。
5時前にピガールに鈴木さんを訪ねるが不在。まだ風邪は完全に治りきっていない。要注意。神谷君に会えば松村さんの消息が分ると期待していたが、彼の姿は見ず。
- 5月20日(木) 曇天、夕方より晴れ間。
- 午後4時からリュク公園でコンサートがあると書いてあったが、それまでには2時間以上も本を読んで待たねばならず、少し寒くもあるので部屋に帰る。5時頃に戻ってくると既に終った後であった。今日は祝日(Ascention)で、学食はアラブだけ。
ふと、帰国のことが喜びにも感じられる瞬間があった。帰国のことは苦痛でも喜びでもなく、避けて通れないものと冷静に受け取っているのだが、このように読書ばかりの「毎日が日曜日」の生活が続くと、日本のあの喧噪とした生活も懐かしくなってくるのだろうか……。 『小説日本銀行』了
- 5月21日(金) 受信:先生から5/16付封書
- ドフィヌで昼食。ポール・ロワイヤルへ廻る。JISUで清張の文庫3冊借りる。リュク公園で本を読んでいると、3時から中高校生達による行進曲の演奏が始まった。赤い服に白いスカートをはいたバトンガール達――練習不足で動きが整わない、しかしそこは衣装と若さが補い、充分に目を楽しませてくれた。30分位でその場を後にする。部屋に帰り読書。1時間ほど眠り、7時半に起き、アラブ学食へ。
- 5月22日(土) 曇時々晴れ間、一時小雨。
- ドフィヌで昼食を終え出て来ると、坂井君がやって来た。彼の言によると、神谷君はマリア・ションダムと一緒に彼女の別荘へ行ったらしい。恐らく彼女の方が誘ったに違いない。「それほど気がある訳じゃなし、大丈夫なのかな……」と坂井君。――これで先週の土曜日、急に僕との旅行を取り消した理由が解ったことになる。それならそうとはっきり言えばいいじゃないか!と言いたいところだが、そこは、まだ初な男…仕方ないか。坂井君と別れて、douche へ。『表象詩人』了。清張の伝記要素の強い作品。『半生の記』参照。
サン・ミッシェルの、以前「サボタージュ」を観に入った映画館で「卒業」を観る。仏語のタイトルは Le Lauréat (月桂冠を戴いた人、受賞者)。初めて観た時のようなゾクゾクする程の感動はなかったが、楽しい時を過すことができた。Rambeteau のセルフで食事をして帰る。
- 5月23日(日) 雨後曇。
- アラブ学食で松田さんに突然声をかけられた時は「ドキッ」とした。彼が座っている近くは空いた席がないことをいいことに離れた席に座った。話す機会はなかった。最近の僕は人を避けているようなところがある。自分の殻を作りつつあるのかも知れない。
4時半~8時頃まで Spectacle. 百フランの勝ち。これが最後だろう。
Rambeteau のセルフで夕食。ステーキ、45フランの豪華な食事。bien mangé!
- 5月24日(月) 曇後晴。
- 今朝6時半頃までかかって『告訴せず』を読み終える。6時前には外が白んでいた。
10時半起床。マビヨンの後、モンパルナスで映画 "Le Shoc"(Alain Delson, Kateline Deneuve)を観る。4時に出て、Saint Germain En Laye へ、5時着。40分程庭園をぶらつく。マビヨンで東原君に会う。先週の火曜日に英国から帰って来たとのこと。2週間の旅行だったとか。
Shakespeare's Company の1階で詩の朗読があるというので行ってみる。毎週月曜の夜8時から行われているとのこと。今夜は黒人詩人 Ted Jeans という人が自作詩の朗読とラングストン・ヒューズについて語っていた。Jeans 氏の詩については "Face" の詩が印象に残った。
- 5月25日(火) 快晴。 発信:大橋君へ犬の絵葉書
- 今、夜の10時過ぎ。ワインを半本飲んでかなりいい気分。しかし、酔いがまわってきた為か、少し悲しい気分になっている。1年と2ヵ月生活したパリだ。酔っていい、酔っていいのだ。………
朝、アリアンスの教科書ⅠとⅡの勉強時に書いた Réduction を読み返す。マビヨンで昼食後、フナックに立ち寄り、写真のフィルムと仏語の教科書Ⅳ "Langue et Civilisation Françaises" を買う。帰って、洗濯。高島屋に寄るが姿は見かけなかった。Espace Japon で新聞を読む。Rue Rivoli でみやげ用に Fulards(?) 3枚買う。マビヨンで夕食。サン・ミッシェル界隈をぶらついて、それだけで帰宅。あと2日。人生即別離。
- 5月26日(水) 快晴。 受信:松村さん封書
- サン・ラザール駅から列車に乗りベルサイユへ行く。が、宮殿の中へは入れなかった。神谷君が言うには、サミットが開かれているからではないか。そうかも知れない。新聞からもラジオからも遠ざかっている自分!。非常に暑い。もう夏のような陽気。ベルサイユ行きの電車の窓から見たパリ北西のセーヌ河岸にあるプールは人で一杯であった。
女性の軽い装いが見立つ。高島屋には京子さんの姿も彼女の姿も見ることはなかった。彼女からは何の便りもない。松村さんからの便りを一瞬勘違いした程だ。しかし、もういい。男子30歳を越すと、女性に対する一途さは徐々に薄れていくのかも知れない。純粋さが無くなりつつあるのか、それとも……、いや、ひたむきさが足りなくなっていくのだろうか――。
7時にマビヨンの学食3階で神谷君に出会う。しばらくして坂井君も来る。3人でサン・スルピス駅前のカフェで話す。主に神谷君のマリア・シャンタルとの旅行の話から恋愛論へ発展して行った。坂井君から、もっといろいろ話をしたかったのにもう帰国とは残念です、と言われた時は少し心がぐらついた。彼とは今日のようにじっくり話をすることはなかったが、今日このように話してみて、もっと話をしてみたいと思わせる何かを持っていて、神谷君同様ずっと付き合って行けそうな好青年だ。お互い心が開いて、彼は家庭状況を少し語ってくれた。母ひとり子ひとりの家庭。父親は6歳の時亡くなり、病床のおばあちゃんと母親との確執を幼い頃から見て育って来ただけあって、伴侶探しには細かい配慮をしているようでもあり、それがまた現在の彼を悩ましている主要な問題でもあるようだ。
神谷君はマリア・シャンタルとの友情を軽く考えていたようで、彼女の彼に対する愛を気づくのが遅すぎたようで、結局彼女を傷つけてしまったようだ。マリア・シャンタルは男性ではなく、一個のかよわい女性であることへの配慮が欠けていたのだ。しかし、このような経験を積み重ねて人は成長して行くのだ。それ故に青春は大切なもの――いとおしくもあり、また哀しい。
- 5月27日(木) 曇時々小雨、夕刻より晴。
- 昼は神谷君、坂井君、東原君、シルビア(?)達と楽しく食事。それから Douche へ。
管野さんに3回も電話したが、外出中。JISUへ航空券を取りに行く。
午後7時40分頃、ネクタイをしめて、薔薇の花束を片手に、大家さんの玄関のベルを押す。スランさんの甥(エアフランスに勤務、今回社内で選ばれて大学で商業を勉強することになったとか)が食事に招かれていた。彼の姉(妹?)さんが日曜日に結婚するので明日スランさんの子供達が彼と一緒に先に出発するとのこと。スランさんのお子さんは3人いて、24歳の長女(未婚で育児園で働いている)、23歳の長男と19歳の次男。残念ながら名前は忘れてしまった!。食事に招待されるのは初めてのことなので、うまく会話が出来るだろうかと最初は多少不安で緊張していたが、スランさん夫婦の温かい眼差しを感じて、徐々にアットホームな気分になっていった。あのような雰囲気の中で一緒に生活することができれば、さぞ仏語の上達も早いだろう……と思ったものだ。長女は仕事で家にはいず、長男は10時過ぎに帰ってきた。10時40分頃にいとまを告げる。フランス滞在最後の夜は本当に楽しかった。佐々木さんのことなど何処かに吹っ飛んでしまっていた。 先生へ犬の絵葉書
- 5月28日(金) 晴。
- 昨夜は3時頃まで眠れず、起きたのは7時半。目覚しを7時に合わせておいたが、無意識に手が動いたのだろう、鳴り終ったところで止めてあった。
神谷君は約束の時間より10分早く7時50分に来てくれた。8時30分に部屋を出る。マダムに授業で書いた仏作文 "La recette du repas japonais qu'll s'agit le sukiyaki et chawan-mushi" を手渡し、握手をして別れる。玉川さんに鍵を渡し、管野さんに電話を入れた後、Port Maillot から航空バスに乗り、シャルル・ド・ゴール空港へ向う。10時半頃に着く。飛行機は30分遅れ、だいぶん待たされた。神谷君には大変苦労をかけた。あの重い荷物を二つ持ってくれたのだから――。持つべきものは良き友。多謝。
飛行機は12時に離陸。12時(グリニッジ・タイム)ヒースロー空港着。バスでロンドンの Victoria Coach Station へ(2ポンド)。LEFT LUGGAGE にカバンを2個預ける。1個60ペンス、1日経過に付き35ペンス。ホテルの予約の為ビクトリア駅へ。
COLLIERS HOTEL : 97 WARWICK WAY, VICTORIA, LONDON, S.W.1VIQL. Tel. 01-834 6931, 01-828 0210. Bed and Breakfast で 8£ a night. 予約手数料は2ポンド。
Hyde Park を抜け、Oxford St. に沿い、Oldwitch まで歩く。シェイクスピア劇は上演されていない。引き返し、"SAGA" で食事。ビールとトンカツ定食6ポンド25ペンス。味噌汁が1ポンド20、漬物も同じ値段。日本でのことを考えると馬鹿らしくなり、注文しなかった。
ロンドンは5年前の印象とは違ったものを感じる。どうしてなのかと考えていたが、レンガ造りが多いことや建物が低いことなど、パリの建物を見慣れた目で見ているからではないだろうか……。それに警官の数が多いのではないかと思う。これは今英国は戦争状態にある為か――。
9時半頃に帰る。少し疲れた。睡眠不足もある。早く寝よう。(今日の飛行機に乗っていた女性は加藤さんによく似ていた。従妹ではないか等と想ったものだ。驚き。口元は英子ちゃんに似ていたが……)
- 5月29日(土) 快晴。
- 郊外には出ないで、ロンドン市内に留まることを決める。預けてある荷物を運ぶ。両肩が痛む。神谷君、口には出さずによくやってくれた!。本当に感謝している。
St.James Park の芝生の上に寝そべる、Trafalgar Square, National Garaly に入る。Westminster Abbey は5年前は真っ黒であった。が、今は殆どきれいに汚れは落とされ、見違えるようになっている。あの周辺がパッと明るくなった感じである。31日は Bank Holiday だとか。昨日今日と歩いて足の裏に豆が出来てしまった。風呂に入って気分がすっきりしたところ。今9時。今日は3ポンド使っただけ。今から近くのパブへ行こうと思っている。
- 5月30日(日) 晴。
- 午前中は快晴。午後は少し薄雲がはり出し、風が強くなる。
Hide Park で、4時近くまで deckchair(背もたれ椅子、借用料金25ペンス)に座り、ぼんやりと過ごす。人出が多く、甲羅干しを楽しむ人達が多くいた。午前中は夏のような暑さであったが、午後から風が吹き、少し肌寒くなる。
パブは閉っているのかなと思いつつ出かけた(9時過ぎ)が、開いていた。ジン・アンド・トニックは83ペンス。5年前、ホテルで飲んだ時は慥か50ペンスであった。
Christie を読み始める。"Curtain: Poirot's Last Case"
- 5月31日(月) 晴。
- St.James Park で一日過ごす。クリスティは思うように頁数は進まず。眠たくなり1時間程ウトウト……。楽団が演奏している。観光客のカップルや家族連れが芝生の上に寝そべっている。今日はバンク・ホリデイ。I feel lonely a little, but I think I must study hard. I won't have so much free time as this in Japan!
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