上梓【2010.04.19】
パ リ 日 誌

Il y a longtemps que je …


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  4 月  

1982年4月1日(木) 薄曇、夕刻小雨。
 自分の馬鹿さ加減を書かなければならない。大橋君と4時にオペラのドラッグで待ち合わせて、コロコロヘ。コロコロとは実によく言った言葉だ。勝ち負けもコロコロと変化して行く。大橋君が事務所の人と食事に行くので、6時前に出て行った。その後も1人で続けたのが運の尽き!。全くついていなかったのだ。そのことを自覚しながらもズルズルとやってしまい、自制心を全く失っていた。賭け事とは本当に恐ろしいと思った。持ち金全部スッテしまった!。9百フランも負けてしまった。外に出た時、足が少しふらついていた。今日は April Fool ……フールとは馬鹿という。道化てみても仕方がない。トータル百フランの負け。百フラン出して、馬鹿の<Spectacle>を観て、コロコロと一喜一憂したのだと思えばよい。汗水垂らして稼いだ金にこそ本当の価値がある。そのことを勉強したのだと思えば、これから先のよき教訓となる。
 ………… ………… …………
 (ホテル・食事)  イタリア1日・百50X10日=千5百
            スペイン1日・  百X10日=千
 (交通費)   パリ――ローマ=5百
          ローマ――マドリッド=5百
          マドリッド――パリ=5百          総計=4千フラン
  10万→2千4百+2千=4千4百  残り26万→帰りの航空券13万
                              →イギリス滞在費13万

 ① パリ(リヨン)         ミラノ
    [223EXP] 19:22 → 8:15
    [225EXP] 23:53 → 11:50
 ② ミラノ(セントラル)        ヴェネツィア
    [2539FAST] 09:10 → 12:36
    [535EXP]   10:10 → 13:33

 ③ ヴェネツィア            フィレンツェ ローマ
    [2571FAST] 06:10 → 10:13 → 14:50
    [753EXP]   10:20 → 14:43 → 18:50
    [763EXP]   12:42 → 17:03 → 20:48

 ④ ローマ(テルミニ)        ジェノヴァ  マルセイユ
    [2614FAST] 20:25 → 04:55
    [248EXP]   22:50 → 05:25
             [248FAST] 05:58 → 13:10
             [245FAST] 08:48 → 16:15

 ⑤ マルセイユ          バルセロナ マドリッド
    [346EXP] 00:46 → 09:41
            [205EXP] 19:35 → 08:06
            [807RAP] 22:20 → 09:05
4月2日(金) 曇 pas froid
 昨夜11時半頃に St.Honoré の Chic 事務所に電話すると大橋君は帰って来ていた。オペラのドラッグで会う。彼はラジカセを買って持って行きたいが金が不足している、コロコロでその不足分を稼ぎたい、コロコロヘ行きたいと言うので同行する。彼は望み通り6百フラン位買った。僕は極めて控えめにしていた。彼の前途に対する心意気が彼を勝ちに導いたような感じを受けた。
 朝11時に Chic の社長の車で三井物産の社員も一緒にシャルル・ド・ゴール空港へ。すぐに荷物の手続きを終えると、彼は煙草を1本吸い終えないうちに立ち去って行った。見送る握手から迎える握手まで、恐らく1年以上あるだろう。6ヶ月後に一度仏国に帰ってくるらしいが、その時僕はイギリスにまだ居るか、或いは日本に帰国しているかのどちらかだろう。
 バス351で Nation まで21フラン。すぐアラブ学食へ。空腹感は今朝からずっと続いていた。
 今朝買った Thomas Cook の Continental Timetable を参考に旅行の道筋を考えていると、神谷君が訪ねてくる。今朝サン・ラザールへ行って Honfleur 行きを調べてきたとのこと。トマス・クックを参考に少し変更する。その後シャトレの学食へ。酒井君やコロンビア青年やそれに沖縄からの人も交えてカフェで話す。
 大橋君はナイジェリアの空港の税関をうまく通過出来ただろうか。Lagos で一泊して明朝 Bauchi へ飛ぶと言っていた。君の勇気を持続して行ってくれ!
4月3日(土) 晴。
 アラブ学食で管野さんに出会う。この前の日曜日(3月28日)に帰仏したとのこと。一緒にサン・ラザール駅へ行く。旅行の情報を得んが為。イタリアツーリズムチケットは仏国鉄では売ってなくて、イタリアの交通公社の住所を教えて貰う。現在パリ―ミラノ間290フランとのこと。管野さんによれば<マジクバス>というのがあり、その方が安くなるかも知れない。調べてみる価値はある。
 管野さんがサクレ・クールの写真を撮りたいと言うので一緒に行く。彼を見失ってしまい、あちこちと探して寺院の階段まで行くと、懐かしいかな!佐々木さんがいた。まさか、また会えるとは想ってもみなかったこと!。今日は日本から来た友達のパリ案内で来ているとのことであった。彼女の友達は1歳少しの男の子を連れていた。久し振りの再開で、夢中で話が弾んだ。お互い住所を交換したのでこれからは連絡が取れる。
 モンパルナスタワーに上ろうということになり、階段を下りメトロに向う。そこで管野さんを見つける。56階のカフェ・バーでは楽しい団欒を過ごす。こういう機会がないと、一人ではわざわざ上ろうという気にはならなかっただろう。(参)頂上まで19フラン。56階までは15フラン、そのカフェ・バーへの直通エレベーターは無料、ビールも15フランとまずまず。
 アラブ学食で夕食を終え帰宅すると、神谷君が2時40分に来てくれたらしく、メモが挟んであった。それによるとコロンビア青年 Maurico が参加出来なくなり、集合の時刻は8時45分に変更になったとのこと。また彼の姉さんが11日にパリに来るとあった。
4月4日(日) 快晴。 Chaud.
 洗濯。アラブ学食。Allée des Cygnes を散歩。スケッチしようと思い、出かけるが描いてみたい景色はなく、部屋に戻り窓外の建物の屋根をスケッチして過ごす。
 アラブ学食で昼食。マダム北さんを見かける。食後ノートルダム周辺を散策して帰る。何となく旅行者のような感覚に捕われていたようだ。昨年の4月も、夜はよくあの辺りをうろついたものだ。この前まで働いていたことがまるで夢の様に思われてくる。 Pâques 休暇で観光客の多いこと!
 明日は7時半に起床だ。早く床に就くことにしよう。山本君から返事なし。小旅行から帰って来るまでには?……。
4月5日(月) 晴。 Le Havre, Honfleur.
 坂井君は仕事で来られなくなり、神谷君と二人でオンフルール目指して旅立つ。久し振りのパリ脱出。昨年シャルトルへ行ったが、シャルトルと違ってルアンはセーヌ河に沿ってできた都市。またル・アーブルはセーヌ終端の港町。パリを離れても民家が見えなくなることはなかった。シャルトルの方向の田園風景とは少し違ったものを感じた。ルアンはカテドラル等の古い建築群と工場の建物とが混在して、一種異様な印象を受けた。古い建物の都市というイメージを持って訪れる人は期待を少し裏切られるのではないか。
 パリ発9時15分、ル・アーブル着11時15分。駅を出て浜辺まで歩く。浜は遠浅。丸い石の上に座ってしばし安らぐ。ル・アーブル駅近くのカフェで軽食。そこはパリ競馬馬券売り場でもあり、中継放送のテレビが4、5台設置されてあった。2時前に人がたくさん入ってくる。2時のバスでオンフルールに向う。3時着。ホテル、夕食朝食付きで百フラン。
4月6日(火) 晴れたり曇ったり、時々雨。
 Honfleur は小さくて可憐で、そして古い建物の町だ。昔漁村であった名残りは、現在観光化されていることもあってか、あまり感じられない。木枠の壁の家屋が多くあり、シェイクスピア時代のイギリスの農家の建て方とよく似ている。その家並みには非常な親近感を覚える。町には教会が三つくらいあったか。丘の上にある教会は漁師の魂を弔うために建てられたような感じであった。船の模型がたくさん飾られてあった。また街中にある一つはすべて木材で造られた、一風変わった建て方の教会であった。
 夕刻、デッサンを終えホテルへの帰路、小学生の男の子をデッサンする。他人をデッサンするのは初めての経験。神谷君は顔だけ上手に描いたが、僕は上半身。日付を入れて与える。ホテルに着くと、先程男の子と一緒にいた女の子が二人、描いてくれとやって来る。我が腕前を恥じて、今回は差し控えることにした。神谷君が描いてやると、嬉しそうに顔をほころばして帰って行った。
 ノルマンディーの酒、カルバドスを飲む。とは言っても非常に強い酒……ほんの少量。
 ホテル(昼食夕食朝食込み)95フラン。
4月7日(水) 曇。 15℃(夜) 受信:山本君、先生から封書
 朝8時50分の発のバスで Le Havre へ。10時3分発の列車で Rouen 着は11時過ぎ。
 ジャンヌ・ダルクが閉じ込められていた櫓や、ノートル・ダム大聖堂、大時計塔、旧市場跡に1979年新しく建てられた近代的な教会サン・ヴァンサン聖堂や美術館等を見学。美術館ではマネの絵画(特にパリの近代美術館にあるのと同じノートルダム寺院を描いたのや小川を描いたもの)に感動する。
 ルアン駅前のカフェで神谷君が僕の髭面のポートレイトを描いてくれる。多謝。
 19時50分発の列車で帰る。その列車の中で、神谷君は斜め前に座っている17、8歳の優しそうな表情をした Mademoiselle の横顔を描き出した。パリに着き列車を降りる時それを与えると、内気な性格の娘さんらしく、言葉が少なかったが表情は嬉しそうであった。無償の行為ほど美しいものはない。描いている時の神谷君の眼には高貴な輝きがあった。
 パリに着いて、神谷君は都会人の疲れた表情を指摘した。成程、確かにオンフルールやルアンで見た人々の表情とは異なっていた。彼の高揚した精神が無感動な人々の表情に取り分け敏感に反応したのであろう。地下鉄 Rambuteau のすぐ近くの安いセルフで食事をして、下宿に着く。思い出に残る楽しい小旅行であった。
4月8日(木) 曇。
 学食 Citeau で昼、夕食。部屋でデッサンに色付けを試みる。なかなか難しい。
 夕食は沖縄出身の東原君と一緒だった。彼はいつも硬い表情をしていて話しにくかったが、実際面と向って話してみると付き合ってゆける人物であった。これからは親しく話が出来るだろう。彼は今年一杯は家から仕送りがあるらしい。1ヵ月10万円でやっていると言う。部屋代9百フラン、研究所6百フラン、食費(学食)4百フラン、交通費(カルトランジュ)百フラン……これだけで既に2千フランとなる。家は農家。東京に出て働くとのこと。
 夜8時半頃、松田さんを訪ねるが不在。松村さんが訪ねたらしい。神谷君もまだ帰っていなかった。松村さんは主人家族が休みで何処かへ出かけたため暇ができたのだろう。
 イギリス行き、来月にすべきか!…それとも余裕を持って6月にするか?
4月9日(金) 曇時々光、夜晴。 先生に犬の葉書(オンフルールのスケッチ)
 Dareau の学食。東原君と入口で入れ違い。今夜ポンピドーセンターへ黒沢の「はるかなる決闘」を観に行くのだと言っていた。が僕は部屋で眠ってしまい(3時~6時半)、その気になれず、Citeau へ夕食に。誰にも会わず。帰り、松田さんを訪ねるがネパラ。神谷君も同様に不在。昨夜と同じ時刻(9時前)、早すぎたか――。
4月10日(土) 晴、午後より雲はり出す。
 朝10時過ぎ、松田さんを訪ねるが既に出て居ない。神谷君の部屋で少し話した後一緒に出る。Douche の後、Citeau で昼食。Jean Loui さんという32歳の人に出会う。一昨日東原君が声をかけた人だ。昨夜黒沢の映画にも来ていたそうで、終ってからみんなでシトーの学食の近くの中華料理店で食事をした、と神谷君の話。昨夜は神谷君が松村さんに電話して彼女も観に来たとのこと。Jean Loui さんは物理専攻で東大に留学したこともあり日本語が話せる。今 Lysée で物理を教えて暮らしを立てているらしい。これも神谷君の話。
 サン・ミッシェルの旅行代理店の貼り紙、ロンドンまでバスで往復で265フラン。
 帰って部屋で『王道』を読むが、また1時間程眠ってしまう。
 夜、Citeau に行く。東原君に出会う。彼の友達でレストラン「ジェン」で働いている人が来る。「ジェン」は Dareau 学食の傍のビルPLMの中にあるとのこと。彼は秋田君といって、神谷君によれば上智大学の英文科卒、ロンドンに半年位居たらしい。現在は従業員の仕事用衣類の洗濯係。クリーニングに出し、それをアイロンがけする仕事。1日3~4時間で終るとのこと。1ヵ月2千フラン、プラス、チップ4百フラン、悪くない仕事だ。しかし「ジェン」の洗い場の人は1日通しで千7百フランしか貰っていないそうだ。パトロンが警察に顔がきくので主要な人に労働許可証を取っておけばまず心配はないらしい。これは「サクラ」と同じことだ。レストラン「大阪」はミッテランの新政策で方針を変えたらしく、最低でも3千4百フラン出すとオヴニに出ていたとか――。
 夜9時頃、佐々木さんに電話するが、不在らしく応答なし。このような生活は少々退屈だ。早く旅行を済ませ、働いて金を稼いで英国入りした方がいい!
4月11日(日) 晴。
 8時に起きて松田さんを訪ね、仕事のことを頼んでおく。5、6と2ヵ月働けば、少し余裕を持ってイギリスへ行けるだろう。神谷君の家に寄る。松村さんが彼の姉さんがパリに来ると聞いてケーキを焼いてくれたというので、これから Pont de Neuilly の彼女の家を訪ねることに話が決まった。松村さんの手製のケーキをご馳走になり、その後三人で Beauvais へ行こうということになる。Gare de Nord まで行くが、待ち時間が余りに長いので予定を変更。Pontoise(パリの北方約50キロ、片道12フラン)へ行く。約35分で着く。観光客は殆どいない。静かないい町である。 Hotel de Ville 周辺の感じはイギリスの何処かで一度見たような懐かしさを覚え、非常に楽しかった。
 公園で聴いた松村さんの中学卒業以後の話は胸を打つものがあった。神谷君のカンツォーネ、CM模写、学生時代の話など、非常に楽しく、有意義な小旅行であった。
 パリに帰り、Gare de Lyon 近くの中華料理店で酢豚定食。松村さんを家まで送って、帰宅すると11時を少し過ぎていた。
4月12日(月) 薄曇。
 サン・ラザール駅で尋ねると、パリ-マドリッド間は373フランだと言っていたが、これは旧料金かも知れない。オーステルリッツ駅では新料金表を持ってきて教えてくれた。パリ-グラナダ間は553Fと書いてくれた。往復千3百フラン。昨日の日曜は復活祭の休日と重なって、今日は振り替え休日で学食は閉っていた。フランス式サンドウィッチを食べて済ます。
 夜、虫が騒ぎ出し、Spectacle へ。エトワールを2回取るが、……結局百フランの勝ち。これで勝負ゼロとなった訳だ。これで止めに出来るか?……少なくとも旅行に出かける前には、もう行かない!
 神谷君の言う、ジャン・ルイさん推薦の中華料理店は閉っていた。Métro Rambuteau のセルフで夕食。10時頃佐々木さんに電話するが、今夜はいないとのことであった。帰路のメトロで東原君に出会う。
4月13日(火) 晴。  発信:山本君へ航空書簡
 今朝の4時頃まで先生に出す手紙の下書きをしていたので、起床は10時半頃。昼食はマビヨン。誰にも会えず。アリアンスの近くの旅行代理店で割引のことを尋ねたが、ユーレイル割引は26歳までとのことであった。帰って、山本君に手紙を書く。
 夕食にはいつもより早く出た。残っているフィルムを使ってしまおうとリュクサン公園の景色等を撮るが、36枚撮りのフィルムだったので少し残ってしまった。サン・ミッシェル通りでカラーフィルムを買うと、なんと29フラン30と非常に高い。
 マビヨンの学食。いつもの連中に会う。神谷君の仏会話は上達したものだ。感心する。それにひきかえこの僕は、と少し鬱屈した気持……。しかし、彼はそれだけ努力もしている。性格もあるが……。
4月14日(水) 快晴。  受信:先生より10日付手紙 発信:先生へ封書(オヴリ同封)
 自分の愚かしさを書き留めるのは苦しいことだ、が、これも自分なのだから……。負けを70フランにとどめておけばよいものを、カッとなって370フランに膨らんでしまった。金の使い方の下手な男――。誰かを食事に誘えば思い出に残る時間が過ごせたかも知れないのに……。菅野(スガヤ)さんがいた。コロコロに嵌り、相変わらずのギャンブル人生。しかし奇妙な親しさを覚えたことも慥かだ。今日はもう一人の管野(カンノ)さんに出遇う。ダニエルさんが訳した『倒産』がテレビで紹介されていたらしい。神谷君の姉さんが今日パリに来ると聞いていたが、学食では誰にも会わなかった。
 佐々木さんに電話する。受話器が少し変で、彼女の声は聞こえるのだが、こちらの声は届かないらしく、電話を替えてかけ直して、やっと通じた。友達は昨日帰国したとのこと。僕の旅行の話をすると、かなり羨ましそうであった。オンフルールからの自製絵葉書は届いたとのこと。褒められて、その時僕は照れていたのだろう、有難うとも言えなかった。内心うれしいのだが、それを相手に伝えることをしない。これが女性に好かれない僕の欠点なのだが、佐々木さんはそれが解らない女性であってほしくない!…彼女を想うとまだまだ人生捨てたものじゃないという気持になる。だから人生、生きるに値するのだ。どうかずっと彼女とつきあってゆけるように祈りたい!
 サン・ラザール駅で切符を買う。パリ→マドリッド401フラン。マドリッド↔グラナダ148フラン。
 今日は先生に送る為フランスのラジオ放送をカセットにとった。明日送ることにする。
4月15日(木) 晴。  発信:カセット3個とオンフルールのデッサンを送る
 東京堂書店で井伏鱒二の小説を買った後、近くの郵便局から先生にカセットを送る。
 Mabillon へ。何となく落ち着きを失っていたようでバスを乗り違えてしまった。いつものようにメトロにすればよかったのに!。昼食を終え玄関を出ようとした時、神谷君の姿。彼の姉さんと彼女のイタリアでの友達(中国人の姉妹)が一緒だった。また逆戻り、話をする。中国人の姉の方は口調も顔立ちもどことなく佐々木さんに似ているようで、彼女と面と向っているような雰囲気に包まれているようで落ち着かなかった。
 列車は定刻18時2分に発車。東京音大卒、スペインの ALICANTE へギターの個人指導を受けに行くという女性と同じコンパートメントであった。孫を連れたスペイン人。彼は仏語、ポルトガル語、アラビア語も話せると言う。毎年フランスへ心臓の検診に来る。今日はその帰りとか。以前フランスの電気機器製造の会社で働いていたが、心臓の悪化に伴い両手が震えて働けなくなったそうだ。もう一人のスペイン人。彼は Le Monde を読んでいた。冗談を言うのが非常に好きなようだ。しかし時々子供に話しかけ、二回も泣かせてしまった。もう二人はスペインの若い夫婦。彼等は翌朝6時頃 Burgos で降りたようだ。みんなよい人達で楽しい旅行の皮切りであった。
4月16日(金) 快晴。
 殆ど定刻10時5分に Madrid Chamartin 駅に到着。ピレネー山脈の頂は雪で覆われていた。窓から眺める景色は、起伏のある丘がうねり、土地はやせていて木も潅木ばかり、土の色は赤みがかっている。テキサスのような岩ばかりの所もあり、ここでアメリカの西部劇が撮影されるのだと教えられる。グラナダ地方の山の頂きにも年中雪が融けないで残っているそうだ。ちょっと意外であった。
 プラード美術館では疲労の為か眠気を覚え、半時間ほど椅子に座ってうとうとしてしまった。宗教絵画が多く、多少ウンザリ……。印象に残ったのはゴヤくらいか。エル・グレコを観てもあまり心は動かなかった。美術館を出て市内を歩き回る。
 5万円を換金する。2万1千3百ペスタ。   Hostal     … 700 pestas
 1百50フランを換金。2千3百80ペスタ。  Prado 入館料 … 200
 1ペスタは約2円35銭。            夕食       … 300
 地下鉄25ペスタ バス30ペスタ       その他     … 100
 アイスクリーム 60ペスタ           計         1300 pts
4月17日(土) 曇後雨。
 午後より雨が降りだし、街中を歩く気は起こらず、本を読んで時間をつぶす。函館から来たというアリアンスで会った女の人が若い男と連れ立って歩いているのに出会って、意外な気がした。昼食のメニューは安くてしかも量があり味も良かった。あれが Cocido という肉の煮込み料理なのだろう。ソーセージ、ジャガイモ、豆などが入っていた。それに魚の揚げもの、パンと vino で290ペスタとは安い。
 夕方食べた Calamares は275ペスタ。Jerez(ヘレス)は95ペスタ。
 ソニーのビデオで闘牛の模様をテレビで試写していたのをショーウインド越しに観る。なかなか面白く足は暫くの間釘付け状態となる。観客の心を興奮させるものだ。夜の10時迄まだたっぷり時間はあったが、Atochia 駅に向う。駅のベンチで約3時間待つ。少し寒かったが、本を読んでいたのですぐ経った感じであった。     約9百ペスタの出費
4月18日(日) 曇時々光、時々小雨。
 スペインの列車は時間通り動かないから注意!と旅行案内書にあったが、昨夜10時15分にアトーチャ駅を発車した列車は翌朝(今朝の)7時55分に GRANADA 駅に着く。旅行客は少なく、8人入りのコンパートメントを一人で独占。少し不安な感じはしないではなかったが、それでも遠慮気がねなく横になれたので少し眠ることが出来た。
 昨夜アトーチャ駅の列車内で発車を待っていた時、学生風の男が一人突然入ってきて、Almeria までの帰りの切符を買う金がない、百ペスタくれと少し強い調子――つっぱねてもよかったのだが、ポケットに入っていた25ペスタを2枚やった。あまりいい気分ではなかった。
 グラナダ駅を出る。8時過ぎではまだインフォメイションも開いていない。今日は日曜日なので閉っているのかも知れない。1つ星のホスタルに飛び込む。素泊まりで360ペスタとは安い。しかし部屋に入ってみると、やはり値段相応の部屋であることが判る。屋根裏みたいな小さな窓、しかも建物内の階段に向いているのだから日中でも薄暗い。寝るだけだから、まあいいか……。しかし机がないと不便だ。ベッドの頭側の壁板が1枚はずせたのでそれを洗面台の上にのせ、インスタント机を組み立てる。それ程悪くない。アルハンブラ宮殿を見学し、3時過ぎに丘を下り、昼食を終え、部屋に帰り、今これを書いている。ライオンの中庭は写真や絵葉書で見るほど広くはない。それにカラー写真ほど色彩が鮮やかでもない。しかし、柱や壁や天井にまで彫ってあるモザイク模様は、直接現場で目の当たりにした者には素晴らしく感動的であった。時々小雨がぱらついていたが、ひどくはなく、それもすぐに止み、太陽が顔を覗かせたりもした。丘を下りた時、また少し降り出した。今はもう止んでいるだろうか……。午後5時40分。
 入場料           … 200 pestas
 アルハンブラ宮殿物語 … 450
 アルハンブラ宮殿物語 … 325
 絵葉書5枚         … 25
 定食            … 300
 コーヒ、ケーキ等     … 100
 宿泊料           … 360
            計 約 1800
 6時頃部屋を出て、9時頃まで市内をぶらつく。市街の雑踏を見る限り、どこの都市も変らない。ここがグラナダであることを忘れて歩いていた。街の中心の広い通りを歩いている限り、観光化され都市化しているのだから、そう感じるのは無理はないだろう。しかしちょっと横道にそれると、古い家並みの中に紛れ込み、何処からか盗賊の一団がにょっきり出てきそうな不安を覚えるのは、見知らぬ不慣れな土地を一人で歩いている為だろうか……。街角に座り込んでいたジプシーの少年二人が、カフェでコーヒを飲んでいるとやって来て、備え付けの賭博機をガチャガチャやりだした。瞬く間にやられて、さっと飛び出して行った。ジプシーも観光の恩恵を受け、その精神は堕落してしまったのではないか!。カフェの中にまで入ってきて、ねだられると厭な気分だ。しつっこく物をねだる、その心とジプシー精神とは全く異なるのではないのか。他人の施しは有難く受け取る、しかしそれをしつっこくねだったりは決してしない!、そこに流浪の民の哀れさ、厳しさ、切なさの混交した、それでいて何かあるリズムとなって人の心に訴えかけてくるものが生まれるのではないのか!、等と自分勝手に思ってみたりする。
4月19日(月) 晴、曇、時々小雨。 発信:絵葉書(先生、佐々木さん、松村さん)
 もう一泊この安 hostel に滞在することにする。
 佐々木さんへの絵葉書は今朝書いた。3枚郵便局から出す。システムがフランスと少し違うので戸惑ったが―。昨日のレストランは今日は休みのようで、他の店で昼食。傘を部屋に取りに帰り、再出発。今日は違うルートからアルハンブラ宮殿に上る。午後3時から5時までベンチに腰をかけ、サクラモントの丘の方を眺めながらぼんやりと時を過ごす。かなり強い日差しを浴びながら…。その後の1時間は、残っていた『本日休診』を読み終える。ぼんやりと座っていた時、2組の団体がやって来た。僕のすぐ傍でガイドが説明を始めた。初めのガイドはフランス語で。この人はかなり詳しく歴史を語っていたようだ。後のガイドは英語で。僕に「美しいですか」と日本語で訊いてきた。直射日光は強く、凝っとしていると頭のてっぺんが非常に暑く感じられる。赤道により近いのだからそれも当然のことなのだが……。その後、山を下り、街中をぶらつく。リンゴを噛りながら。夜の8時頃観たスペイン映画はグラナダの町を背景にした映画で、とても楽しかった。Manolo Escobar という歌手が主人公で、その歌声に魅了される。とにかく歌が非常に良く、真夏のグラナダを見ることができ、今宵、一人ながらも楽しい夜であった。
 タバコ        …  95 pestas
 仏へ切手2枚   …  46
 日へ切手1枚   …  43
 映画        … 175
 カテドラル入場  …  50
 昼食        … 370
 カフェ・バー    … 200
 その他       … 100
 宿泊         … 360
       計  約  1400

 MANOLO ESCOBAR
en
 TODO ES POSIBLE
EN GRANADA


  Directeur:

  Rafael R.Marchent
 カテドラルへ行く角で、ジプシーの夫人に薔薇をポケットに差し込まれ、買わざるを得ない格好になってしまう。30ペスタ与えると、もうねだってこなかった。それから何か言うので、聴いていると、僕の手の平を広げてどうも手相を見ているようであった。何を言っているのか全く解らない。そのうち金を要求してきたので、逃げ出した。すぐにあきらめたようで追って来なかった。胸のポケットに薔薇を差したままにしていたが、昼食の時、パン籠の中に入れて、そのままにしておいた。
4月20日(火) 快晴。
 2つ星 Hotel Montecarlo に泊ることにする。昨日までのホスタルとは雲泥の差だ。部屋代はぐんと高くなるが、予想したようにフラメンコを予約することが出来た。白川さんが言っていたように大きなホテルでは、ホテルからバスを出して連れて行くようだ。
 アルハンブラの城下から宮殿をスケッチする。まずまずの出来としておこう。その後一昨日のレストランで昼食をとり、グラナダ駅の方へ歩いて行く。暑い直射日光を浴びて疲れてしまった。人混みの中を歩いたところで別段どうということはない。ただ気付いたことはグラナダの町の路地は非常に狭く、それだけ一層ごたごたしている感じ。この町だけでなくマドリッドでも黒人の姿をまだ一度も見かけていない。パリとスペインの違いだ。町のレコード店に入って MANOLO ESCOBAR のカセット LAS CANCIONES DE AMOR を買う。
 まだ時間はたっぷりあるので、宮殿へ上る。5時40分~8時。下りてくる時、「裁きの門」と名がついている城門をスケッチする、輪郭だけだが。10時15分にフラメンコを観に出発する。あと1時間と少しある。
   朝食時    …  200 pestas
   昼食      … 300
   カセット    …  210
   宿泊料    … 1405
   フラメンコ   …  800
     計   約   2900

 ショーは11時頃から始まって12時半頃まで観る。学生の団体客が僕達(各ホテルから予約した者達)より30分遅く入って来た。場内を一層活気付けたようだ。学生達はまだ観るのか、残っていた。
 朝予約した時、カウンターの係が慥か diner も含まれていると言ったようだったので、午後2時に食事した後パン1個しか食べていなかった。飲み物込み、バス代込み、すべて込みと言ったのだろうか。明日は早起きだ。腹に何か入れないといけない。
 フラメンコショーは……踊り手は女性4名男性1名。ギター1名。男性の歌手(掛け声や手を打つ)2名。悲しそうなリズムである。哀調を帯びていると言いたいがちょっと違うかも知れない。葬送曲のような響きのもあった。踊り手の足を踏み鳴らすリズミカルな音、手のやわらかな動き、腰をくねらしスカートを持ち上げ振りながら最後にキッ!と動きを止める。顔の表情はみんなそれぞれ魅力的であった。思い出に残るグラナダの一夜である。ボン!
4月21日(水) 快晴。
 10時にホテルをチェックアウト。腹が空いていた為か、パンを2個口に入れると、それだけ一層空腹感を覚えていくようであった。アルハンブラ宮殿に向う前にリンゴを1個(10ペスタ)買い、噛りながら上る。城門のスケッチを仕上げる。まずまず――。麓へ下りて昼食。肉はどれかと尋ねたが、通じたのかどうか……。これが porc だと言ってくれたので、そのメニューにした。サラダとフリッツとパンとオレンジを全て平らげると、流石満腹感があり、腹も膨らみ、上りの坂道で横腹が少し痛む。
 Generalife へ。凝っとベンチに腰を据え、宮殿やサクラメントの丘を眺める。素晴らしく晴れわたった空、夏の陽気、しかし風は涼しい。昨夜のフラメンコの舞台はあの辺りだったのだろうか……。先生もこのようにこのベンチに座っている――それが実現したらどんなに素晴らしいことだろう……。横に座っているドイツ人夫妻の様に、ガイド本を読み、話し合える連れが横に座っていてくれたら、どんなに楽しい思い出となることだろうに……。一昨夜観た映画 "Todo es possible en Granada" を思い浮かべる……。
   朝食         100 pts
   昼食         300
   彼女への土産   545
   カセット"Granada"  250
   映画         175
   その他        250
          計 約 1700
 夕方6時から再度その映画を観る。切符売り場のおばさんは僕の顔を覚えていたようで、「おや、また来たのかい!」と言っているようであった。"C'est bien, ça. Madame!" グラナダを舞台に、内容的には軽いタッチの男女の恋愛劇が軽快な歌声とともに流れるように進行していく……。観終って外に出る。午後8時。初めて入ったレストランへ行くが、まだ早いようであった。開店は慥か9時からだと言っていたようだ。果物を買って、駅の方へ歩いて行く。今(9時)、喫茶店でこれを書いている。これから駅へ行く。明日はトレドだ。
4月22日(木) 快晴。
 マドリッド行きの夜行列車は定刻より1時間遅れて、23時30分に発車、翌朝20分遅れて8時20分にアトーチャ駅に着く。
 8人入りのコンパートメントの窓際の席を予約していたフランス女性が入って来た時には既に、先に来ていた50歳位の2人のスペイン人男性が向い合って窓際に座っていた。1人が彼女の席を占拠していた1人に席を空けるように注意したようであったが、vino を飲みかなり酔っていたその男は一向に聞き入れる様子はなかった。暫くしてそのフランス女性は通路側に座っている僕の前の席に座り、本を読み始めた。が、すぐに、ちょっと散歩と言って、出て行った。隣の客室へ行った様子。暫くして、隣から若い男性が荷物をさげて入って来て、僕の前の座席の上の荷物置きにその荷物をのせ、出て行った。彼が来るのかなと思っていたところ、予想に反して、彼女がやって来た。その頃からおおよその事情が想像出来るようになった。――兎にも角にも、その2人のスペイン人が恐らくその女性のことであれこれ言いあっていたのだろうか……、遅くまでぺらぺら喋っていた。その話し声が気になって昨夜はよく眠れなかったし、腹が張っているような感じがして、非常に疲れてしまった。
 9時15分発のトレド行きは、20分遅れて発車。トレドには11時頃到着。
   Madrid-Toledo 往復 408 pts
   昼食            500
   夕食            500
   サン・トメ教会入場料   35
   宿泊料(2人部屋)   700
   その他          250
           計  約  2400
 トレドは蛇行するタホ河(Rio Tajo)に囲まれた丘の上に殆ど石ばかりで出来上がった都市である。重い荷物を持って、駅から丘の上まで上りきった頃には疲れが頂点に達していたようだ。出会った2人の日本人観光客にこのペンションを教えて貰う。荷物を置くことが出来て、ホッと一息。街を歩いてみる。食事した頃からもう我慢出来なくなっていた。宿に帰り、3時半から約2時間程仮眠をとる。昨夜から腹を下していて、体調も十分ではなかったのだ。しかし、横になり、2時間の浅い眠りではあったが、身体は大変楽になったようだ。また宿を出る。カテドラル、サン・トメ教会にあるエル・グレゴの最高傑作と言われている「オルガス伯の埋葬」は、プラード美術館で観た彼の作品とは何処か異なる色彩の鮮やかさもあり、それが宗教的な暗さを消しているようであった。 pas mal!
 夕刻太陽が沈む頃(午後9時頃)アルカサルから見た眺めは素晴らしかった!。子供が石壁の上に立ち、長い竿の先に糸を垂らし、恐らく鳥を釣ろうとしているのだろうか……。
 今日は疲れた。早く眠ることにしよう!
4月23日(金) 快晴。
 10時起床。あまり熟睡出来なかったようだ。目を覚ますこと2回。最初は4時頃だったか。身体の調子は良くなっていた。
 Alcâzar と Museo de Santa Crug を見学。Alcâzar は1926年、フランコ軍が70日間人民軍に包囲された所。戦いの傷跡が痛ましい。かなり高齢の男の人で、びっこをひきながら歩いている人や片足をなくしている人を見かける。サンタ・クルツ教会のでっかいタペスツリーはかなり昔の物らしく、ずいぶん古くなっていた。宗教絵画ばかりでまたしてもウンザリ。El Greco の絵は多少ともその暗い宗教色を消しているようであったが、血をたらしているイエス――、クリスチャンでない者にとってはあまり気持のいいものではない。ゴヤのキリスト磔の絵画も1点あった。エル・グレコにとって、天は楽園と本当に信じられていたのであろうか。天を希求するその感じが色彩の明るさとして表現されているようでもある。そこに描かれている人達は皆一様に上の方を視ている。
 昼食は昨日の隣のレストラン。同じ物を注文したが、胃の調子が回復した為だろう、昨夜のように嫌気は覚えなかった。
   朝食       100 pts
   アルカザール   75
   サンタ・クルツ  150
   タバコ       100
   昼食        100
   夕食        700
   その他      300
   宿泊+シャワー 800
        計 約 2700

 2時40分トレド発。4時マドリッド、アトーチャ駅着。先週の金曜日に泊った Hostal Dios に荷物を解く。レティーロ公園を散歩。Plaza Mayor のベンチに腰をかけ、コーヒを注文して日が沈みかける頃まで(7時~8時半)座っていた。学生のグループがそれぞれ手にギターや小さなマンドリンや笛、太鼓等を持ち演奏していた。
 先週の土曜の昼、定食を美味しく食べたあのレストランで、Entrecôfe を注文。(スペイン最後の夜なのだ!)
 マイヨール広場へ引き返すと、学生達はまだ演奏していた。人はまだまだ多い。そうだ、今日は週末の金曜日なのだ。11時に宿に帰る。ドアが閉っていて、少し慌てる。ベルを押し2、3分待つが応答なし。誰も来そうにないので強く押してみる。意外!にも開くではないか!
4月24日(土) 快晴。
   朝食              100 pts
   ゴヤのパンテオン       50
   昼食              300
   cervezas            100
   Tout Granada         600
   夕食(サンド、コーラ、ミカン)    300
   マドリッド-パリ        6451
             計 約  7900
 9時半起床。10時過ぎに荷物を預けて宿を出る。ゴヤのパンテオンを見学。その後 Chamartin 駅で列車の座席予約。例のレストラン El Vinola(?) で昼食。先週の土曜の昼と同じ定食。その後 Hostal Rios へ荷物を取りに行く。マイヨール広場(2時40分~4時)で北野君と山本君に絵葉書を書く。これは明日パリから出すことにする。5時頃にシャマルタン駅に着く。目的の列車は既に来ていた。財布を見ると8百ペスタ残っている。

4月25日(日) 快晴。 発信:北野、山本両君 受信:大橋君からナイジェリア12日付
 国境の IRUN で列車を乗り換えたのは午前2時頃だった。そのままパリまで行くものと思っていて、乗換えがあるとは夢にも想っていなかった。ちょっと驚いた。トーマス・クックの時刻表をよく見ておけばすぐに気付いていたのに!。自分でも迂闊であった。予定より15分程遅れて、10時45分にオーステルリッツ駅に到着。アラブ学食で食事して、我が部屋へ。
 午後4時頃、Spectacle へ行くと、西江さんが来ていた。先月に続いて今月も負けているようであった。彼は2百フラン程負けるとすぐ出て行った。烏山君がこの前の日曜日に顔を見せに来たとのこと。「築地」で働いているらしい。僕は今日は百フランの勝ち。
 Grand Palait で夕食。久し振りに日頃よく見かける人達の顔を見る。食事が終って出て行くと、神谷君と松村さんがやってきた。7時40分頃だったので間に合ったかどうか。
 佐々木さんに電話を入れる。2、3回試みたが通じることはなかった。昨日か今日あたり引っ越したのではないか……。手紙が届くまで待つとするか。
4月26日(月) 晴。  発信:大橋君に航空書簡
 10時起床。よく眠ったようだ。1時間かかって洗濯。
 マビヨンでは鈴木さんに出会う。昼食後カフェで2時半頃まで話す。彼は日本の社会を嫌い、こちらで誰からも束縛されない自由な生活を送りたいらしい。彼は4人兄弟の長男だから、両親の扶養のことが気になるらしいが、パリに永住する覚悟のようだ。少し羨ましい気がしたが、僕の場合、そこまで考えが延びて行かない。自分の<仕事>ということを考えている。独身生活を生涯送るつもりなら、ヨーロッパの方が断然いいに決まっているのだが……。
 先生に出す手紙の下書きをした後、マビヨンへ。
 夕食後、念の為彼女に電話してみる。もし通じなかったら既に引っ越したことになり、待つしか仕方ない……と思い、かけてみると、彼女が電話に出た。引っ越しはこの土日になるらしい。明日の昼、一緒に食事をすることにした。Bon!
4月27日(火) 曇。 先生へ"Tout Granada" "The Alhambra"  先生から23日付封書
 佐々木さんと Glacière のレストランで昼食を共にする。11時半~1時。有益な時を過す。僕がこの部屋を出た後、彼女の知り合いが借りられるかどうかの依頼を受ける。
 仕事探しは困難なようだ。1ヵ月の短期ではどこも受け入れてくれない。「東京」と「マコトランチ」に電話したが、どちらも駄目。「築地」に寄り、烏山君と少し話をする。月曜日が休みなので一緒に食事しようということになる。
 マビヨンで神谷君に出会う。37、8歳の写真家の女性が一緒だった。彼女から今夜シャンソン歌手がセーヌ河岸で歌うことになっているという情報を得、食後出かけて行く。Pont des l'Arma で風に吹かれて待っていると、歌手を乗せた船が上ってきた。Pont des Invalides の間で止り、歌が始まった。凄い人の数!。船は Hotel de Ville まで行き、そこで12時頃終りとなるらしい。寒いので引き上げることにした。ヴァンとチーズを買い、神谷君の下宿へ。深夜2時半頃まで話し込んで、タクシーを拾って帰宅。
4月28日(水) 晴。  受信:兄から初めて航空書簡
 11時半起床。マビヨンで昼食。その後、近代美術館へ。チュイルリー公園内で映画の撮影が行われていた。ギロチンの場面。何回も撮りなおしていた。
 スペクタクルへ。百フラン負けて帰る。もう1回やれば☆が取れたのに!。ついて無い時は得てしてこういうもんだ。
 マビヨンでは神谷君に会う。昼も会った。昼はアリアンスへすぐに行ってしまったが、夕食は彼は既に済ましていたが雑談につきあってくれた。ジャン・ルイが来た。
 その後「写楽」へ行ってみるが、募集の貼り紙はなかった。イギリス語学留学は諦めた方がよさそうだ。来月1ヵ月、何をして過すか……。勿論英語の勉強すべし!
 サン・ミッシェルで映画 "New York, New York" を観る。
 明日の午後、ドフィヌで管野さんに会うことになっている。
4月29日(木) 薄曇。
 JISUに航空券のことで問い合わせに行く。午後1時10分にドフィヌのメトロを出た所で管野さんと待合せ。彼が交換教授している仏女性も来て、一緒に学食で昼食する。その後彼とはカフェで雑談した後、パレ・ロワイヤルまで歩く。5時過ぎに彼と別れて、ラーメン亭でカレーを食べ、マビヨンにちょっと立ち寄るが、誰にも会えずに帰宅。
 何となく「オヴニ」を見ていたら、焼き鳥「MITSUKO」が募集しているのに気付き、念の為電話を入れたが、やはり短期ではダメ――、少なくとも6ヵ月は働いて貰わないといけないとのことであった。そこでまた<アノ虫>が騒ぎだした!。結局、約5百フランの負け。虫のいいことを考えても、そんな考えでは天はとっくにお見通し!。イギリスの学校の門は開けてはくれない。しかし、かえってサッパリした!。日本へ帰れば落ち着いて勉強できる閑暇は無いだろうから、仏語と英語、特に英語の感覚を取り戻す為にも勉強すべきだ。あと31万、航空券が13万。残りは仏滞在費と英滞在費に当てることにする。馬鹿は4月で終りにすることだ――。
4月30日(金) 薄曇。
 20万円をフランに替える。その足でJISUへ行き、英国航空の切符を予約する。出発は5月28日11時30分ドゴール空港発とし、イギリスに2週間滞在後、6月11日の飛行機で帰国することに決めた!。このように帰国日を決めてしまうと、何処からか溢れ出てくる感情があり、少し悲しい気分になった。あと1ヶ月でパリともお別れか――という奴だ。また日本がぐっと近づき、就職のことを想うと少し頭が痛い。
 午後、大家さんのドアをノックする。御主人も奥さんも娘さんも居た。帰国のことを告げる。僕の友達で誰か後に入る人はいないかと向こうから尋ねられる。佐々木さんの友達のことを話すと、彼は学生ではないのでちょっと考えていたようだが、部屋を見に来るように伝えて下さい、とのことであった。夕方、Mazet で食事を終えた後、佐々木さんに電話する。彼女の引っ越しは来週の土日になるそうで、この日曜日に荷物を少し運んでおくとのことであった。またお会いしましょう、と彼女は言ったが、……何故か心が揺れる(不安というようなものとも異なる)……、こんなことなら、彼女とサクレ・クールで再会していなかった方が何事につけても良かったのではないか、と……そんな弱い気持になっている。不思議なものだ、この気持は――。
 D.H.Lawrence の手紙をペンギン版で買う。ペラペラと繰っていて、目に飛び込んできた phrase:
 "One must destroy the spirit of money, the blind spirit of possession."
コロコロに目がくらんだ自分が恥かしい……。








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