上梓【2010.03.19】
Il y a longtemps que je …
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3 月
- 1982年3月1日(月) 12℃ 10℃
- 春到来! Plein de soleil、風強し! 俄雨、止み――澄み渡った空! 雲が走る!
神谷君達に出会う。彼は今月は2時からの授業とか。 会話、しかしⅢに挑戦?。ニューヨークからの女性の伝言を伝える。
Ⅲのクラス、人数が多い。12時30分はクラスは一つしかない。27、8名もいる。10月の先生が授業の聴講に来ていた。先生が言うには、宝利さんも現在Ⅲを勉強しているとのこと。電話してみるが不在。
今夜は予想に反して、客少なし。bon!
朝、部屋代を渡しに行く。いつもながら愛想がいいマダム。彼女によれば、娘さんが何回か、例の折り鶴の御礼を言いにこの部屋を訪ねてくれたのだそうだ。マダムからも礼を述べられる。御主人のスランさんも姿を見せた。Lettre, Parents と言っていたが、意味はよく解らなかった。先生からいつも来る手紙を両親からのと想っているのかな?
春到来! 風はやわらかい。
- 3月2日(火) 晴。 12℃ 11℃ 受信:先生から郵便書簡
- 春めいてきた。今日の授業でも先生が、いつもより早い春だと言っていた。
最近どうも心の張りを失いつつあるようだ。要注意。アリアンスで出会うどんな奴とも気楽に話すように努めなければと思いながらも、それが出来ない。それで余計に心がイジケてくるのかも知れない。――余り気にしないで、普段の自分を出せばよいのだ。
近くの電話ボックスに入っていると、誰かが近づいてくる。3号室のおばあさんの顔が現れる。笑っている。こんなちょっとしたことでも心があたたまる。もっといろんな人と話すべきだ。勿論、不快感も与えられることもあろうが、またそれ以上に心の交流がかわされ、生きている実感も得られるのだ。
夜はヒマ。暇すぎて西江さんから不快感を与えられる。急に彼が「ひどいことになってるね!」と僕の頭髪を見てカンラカンラと笑いだした。全く意外な言葉だった。人を侮辱して平然としているような感じ。彼はそのことに気づかずに言っているのだ。神経に障ったので、不快感をそのままぶつけてやった。それでやっと自分の言った言葉の意味を悟ったようであった。――考え直してみれば、彼はそういう人――。しかし、全く今夜は不愉快であった。
店を辞めることは明後日に言うことにしている。帰る時呼び止められ、先月の休日出勤分を貰う。どういう計算をしているのか。1月は12時間で155フラン、2月は16時間で202フラン72サンチーム。これは矛盾している。1月の計算からすると5フラン少ない。こんなことをいちいち言うつもりはないが、サンチームの細かい単位まで出して計算しているのに違いが出るとはどういうことだ。全くいい加減な人柄がここにも出ているようだ。「サクラ」は後ひと月!の我慢。よく自分をコントロールして、取り乱さないこと!
大使館から電話が10時頃入り、6人来ると言う。しかし、僕が店を出た11時10分頃にもまだ来ない。スペクタクルの手前であった6人連れが彼等だったのかも知れない。
- 3月3日(水) 晴後曇夕方小雨一時驟雨後曇。 発信:レニエの書物の問い合わせ
- 3時頃まで図書室で勉強。神谷君とちょっと言葉を交す。
家の近くまで帰り、宝利さんに電話していると、昨日と同じように3号室のおばあさんが通る。今日は在宅、電話通じる。昨日は子供さんを Madame Margroi へ連れて行っていたとか。彼女は1月末の試験に合格して、現在Ⅲの7課位とか。教室は新館の方なので出会わなかった訳だ。負けん気が彼女を駆り立てて勉強させているようだ。ディクテは例の如く問題であるのは僕と同じこと。5分は充分話したよういだ。50サンチームであれだけ話せるとは!もっと話せたかも知れない。とにかく長電話。
部屋に着くともう4時半近くになっていたので、美術館行きは今日は止す。勉強後マビヨンへ。鈴木さんや神谷君達が来る。鈴木さんは髭を生やし始めた様だ。神谷君はこちらの生活に自然と溶け込み、いろんな人と気楽に付き合っている様子。あんなふうに何故なれないのかと思ってしまう。鈴木さんは少し感じが違った様に思った。しかし、それは僕の気持、気分が変化していることからなのか、等と考えてみたりする。
彼等と別れて、溝口健二監督の「西鶴一代女」を観る。7時15~9時30。お春は田中絹代、三船は若くて、あれが三船かと目を疑ったくらい。1952年作品、白黒。一人の女の一生の哀れさや生活上のヴァイタリティを通して現実の重さがよく映像化されていた。波乱多き人生の様々な局面から局面を降り落ちて行く女性の哀れさ、それはいいのだが、しかし場面から次の場面への移り行きが自然さを欠いているような感じもした。
少し喉が痛い。身体も少しだるい。風邪の前兆だ。要注意!
- 3月4日(木) 晴。 2℃(夕)
- 空がすごく淡青色。白い雲の動きが激しい。パリはもう春!
……………、こんな良い天気も、風邪の為楽しめないとは!
昨夜は殆ど眠れず、いや、眠っていたが浅い眠りで、同じ場面の夢をずっと見続けていたような感じ。4時過ぎに一度目を覚ます。7時起床。腰が痛く、身体全体がだるい。正に風邪の症状だ。昨夜の映画館は暖房が効いておらず、寒かった。その為もあろう。
マビヨンに着く頃にはすごい空腹を感じた。昨夜熟睡出来ず、エネルギーをかなり消耗したからのように思ったりもする。今日は「クスクス」、あまり食べられなかったが、無理に腹に入れると少しは楽になる。最後の改源の包みを開ける。授業が終った頃には大分楽になっていた。神谷君に出会う。土曜日はドフィヌに行けなかったら、風邪で寝込んでいると想ってくれと言うと、その場合果物を持って見舞いに行きますと言ってくれる。彼の人柄の良さに接して、ほのかな感動を覚えた。
夜、15人の予約客(フランス人)があり、昼も忙しかったようで、大入り。11時20分に店を出る。微熱がある為か、今日は疲れた。帰る時、前川氏に今月末で店を辞めさせて貰いたい旨を告げる。「ああ、そうですか。分りました」……それで終り。
玄関に入るのが丁度大家さんの上の息子さんと同じだった。何処からか自転車で帰って来たところ。彼はいつも感じのいい応対をしてくれる。髭をたくわえていた。それを指摘すると、少し恥かしそうな表情をした。
- 3月5日(金) 快晴。 10℃ 6℃
- 風邪は心配したほど悪化せず。快方に向いつつあるようだ。ただし、喉のあたりが痛む。リンパ腺が腫れているようだ。腰の痛みは今朝はなく、学校へ通う道、既に春の気配の中で青空を見上げながら快適な気分であった。
アリアンスの図書室で部勉強後、リュクサン公園のベンチに少し腰をかけてから仕事へ。地下鉄が来るのが遅く、6時5分前に「サクラ」に着く。皆ちゃんと菅野さん、もう来ないのではと話し合っていたとか。=== 私は紳士道からそれないつもりだ ===
今夜は金曜で覚悟していたが、客の入りはまずまず――で良かった。前川氏がキッチンに入って来てネギを刻み始めた。洗い場の水道でそれを洗いにきた時、ちらっと僕の表情を窺っている様子だった。言葉は交さなかった。
廊下がいつも汚いと、建物の住民が署名を集めて今朝「サクラ」へ抗議に来たと、アンドレさんから聞く。前川氏はカンカンだったとか。それで、昼夜とも仕事終了後、廊下を拭くように、とのアンドレさんからの伝言。<Ça c'est l'aumentation que le patron m'a donnée.(注:意味不明、aumentationと読み取れるのだが…)>
帰り、いつものように挨拶したが、江田さんや深野さんの声が返って来たが、前川氏は黙っていた。
- 3月6日(土) 快晴。 5℃ 7℃
- 喉の方の痛みも大分よくなってきたようだ。風邪には襲われず、ホッと一息といったところ。今日は素晴らしい天気!。久し振りに洗濯。1時間かかる。
1時前にドフィヌの学食で食べていると、神谷君と彼の連れがやって来る。彼等は少し離れた別のテーブル。僕の横に座った女性はちょっと風変わりで印象深かった。連れの二人の男性に御代りを取りに行かせ自分は親分気取りで食べていた。二度目には流石に連れの男(どちらもスペイン人か?)渋っていたが、結局従ったようだ。
神谷君と彼の下宿まで歩く。彼の部屋で少し話をした後、BOIS DE VINCENNES へ散策に出かける。ビンセンヌは初めて。城を見学した後、彼が今の住家に来る前はこの辺りに下宿していたらしい。その建物がある前の公園のベンチに腰掛け、彼が買ってきたビスケットにチーズを挟んで食べる。美味しかったこと!。春到来!の歓びを彼は全身で感じ取っているようだ。そういう彼の若さに少し羨望を覚える。春甦るトキメキ……そのときめきを全身で感じるには、少し努力が必要な状態にある僕自身の気持を説明すると、彼はうまい言葉でうまく表現していると言って、僕の気持を理解してくれたようだ。僕の年齢になって、このような嘆きが出来るだけ出ないようにする為には、今の歓びを存分に味わうことだよ!と言っておく。見かける人の数は多く、春の到来を歓迎する空気があたり一帯に満ち溢れていた。本当に楽しい午後の一時であった。
今夜は忙しかったが、それ程の混乱はなく無事に終える。西江さん、今夜は頑張って働いていた。あまり手伝うことはなく、大根おろしを手伝ったくらいか。昼は非常に暇で、オーダーは1つきりだったとか。西江さん、昨日の休みは熟睡出来ず、テーブルに頭をぶつける等、コロコロでも大損、いい休暇ではなかったようだ。
- 3月7日(日) 晴。 6℃(夕)
- Douche. いつものように10分超過。ドアを敲かれる。出ると文句を言われた。チップもやらず、時間超過では怒られても仕方がない。
昼の休みに大橋君に電話して、彼のホテルへ行く。彼の職場にいる22歳の背の低い、しかし頭が切れユーモアのある青年の話は印象深かった。つい最近日本に残してきた女性からその青年に手紙が届き、ひどく落胆してしまい、すっかり無口になってしまったとか。大橋君はその青年に慕われている様子で、同じような家庭的苦悩(その青年は話したがらなかったそうだが――)を体験した者の間の共感のようなものが二人を結びつけているようだ。大橋君はここ2、3年の間に大きく成長したようだ。
大橋君とは、仕事が終って、オペラのドラッグで待ち合わせ、ルーレット賭博(俗称コロコロと呼ばれている)に行く。初心者は誰か既に行ったことのある者に連れて行って貰わないと入れない仕組みになっているようだ。菅野さんや「オグラ」の人達も何人か来ていた。大橋君は6百フラン位勝つ。僕も百フランの儲け。見学料としてマイナスをつけたのだから、まずまず。その後、サン・ミッシェルで食事して、彼の部屋に泊る。
- 3月8日(月) 快晴、午後より曇。 6℃ 7℃
- 朝10時に大橋君の部屋を出て、教科書を取りに帰る。
図書室で12月のクラスで僕の横に座ったアルジェから来た青年に出会う。彼はアリアンスの後、ソルボンヌで経済学のドクトラーを取るため勉強するのだとのこと。左の糸切り歯が抜けている。表情は穏やかで、知的な感じの男、以前から好感を持っていた。外国語を習得するには自国語は全て忘れないといけない!と彼は強調していた。
サン・スルピス教会の裏手には歯科大学があった。パリ第7大学(?)。受付で尋ねると、今日は予約一杯なので明日の朝9時~11時の間に Inscription に着なさいと言われる。Carte d'identité が必要のようだが、さて、パスポートだけでやって貰えるのだろうか?
夜、忙し。アンドレさんが「マツモト!」と呼び捨てにしたので、彼の言わんとすることが耳に入らず、ノン!と言って、怒ってキッチンに入る。彼は僕の後を追って来て、どうして怒った(fâché)のかと訊いてくる。あなたはマツモトではないのか?――と。以前にも呼び捨てで、キッチンの床が汚い、モップがけをしろと言われたことがあった。あの時は7時迄に弁当を出さないといけなかったので、キッチンはゴタゴタしていた。が、そのことも頭の何処かにあったのだろう。悪意のないことは彼の表情から分った、しかし、ムッとしてしまった。彼に説明すると、日本語は難しいね、と言う返事。そうかも知れないが彼、以前はサン付けで呼んでいたのに最近急に変ってきたこともある。先週の日曜日11時に店に入ると、遅い!と文句を言ってきた。これが普通だと返答すると言葉を引っ込めたが――。また昨夜帰る時、皆ちゃんがチップを計算していたので声をかけると、横からアンドレさんが「あなたチップいらない」――恐らく冗談だろうが、そう言った。しかし冗談にしては顔の表情はくずれていなかった。そんなことやらで、アンドレさんには特に近頃は不愉快な感情を抱いていた為であろう……。
- 3月9日(火) 朝みぞれ雪、すぐに小雨に変る、午後晴。 6℃(夕) 先生より封書
- フランスの31回目の(1801年より実施)の国勢調査票と一緒に先生より手紙が届く。先生は引っ越す覚悟でいるようだ。まず空き家を探し、それから引っ越しの準備にかかる方針に変更したらしい。空家賃を覚悟しています、とあった。荷物の整理が捗らず、多少苛立ちもあったのかも知れない。しかし、僕の手紙を読んであのような気持に落ち着いたものと想われる。独語習得のため南ドイツの農家に住み込みでアルバイトに出かけた梶並さんの話が書かれてあった。それを読んでイギリスの農家に住み込みで働けたらいいのに!と想う。今後のことは4月のバカンス中にじっくり考えることにする。
パリ大学の歯科へ行く。すぐ治療して貰うことができた。教授が3、4人いて学生の技術指導にあたっていた。今日は残っていた根を抜いただけ。学生(女性)が手間取っているのを見たらしく、教授が来て簡単にさっと抜いてくれる。その学生、後でいろいろと注意されていたようだ。レントゲン室の技師(学生風)は日本語が話せ(4年前から学び始めたとのこと)、後で彼が通訳してくれたので大分助かった。昨年10月の岡山大学の新接着剤開発の事を彼に話すと、僕の説明がまずく全てを詳しく伝える事が出来なかったのだが、フランスではその方向を採用していると言っていた。ブリッジにすると3千9百フランもかかるとのことであった。高くてとても払えないと言うと、治療にあたってくれた女学生が他の人に相談してくれ、抜いたり挿したり出来る入れ歯だと190フラン前後で出来ることが分る。明日の夜8時の予約を取る。当分は安物の入れ歯で何とか持たせるしかない!。根を抜いても日本では事後処置として消毒液(?)をつけてくれたり、いろいろと細かくやってくれるものだが、こちらでは何もしなかった。それが少し疑問に思っている。Inscription の時、27フラン、治療後55フラン、計82フラン支払う。
- 3月10日(水) 小雨、夜になって晴れるがすぐに雨。
- 昨夜は満月、月光が部屋に射し込んで、電気をつけずとも結構明るく、ビスケットにチーズをはさみ、コーヒーを飲みながら、静かな春の夜を過した。
授業後、Jeu du Paume 美術館へ(二度目)。今月2回ほど授業に出て、それ以来来なくなっていた女性(やはり日本人)に出会う。彼女は1ヵ月の予定の語学研修、Clithy の方のアリアンスの寮に入っているらしい。大学の3回生。東京の日仏学院(?)と同じような授業内容だからパリ見学に方針を変えたとのこと。今月末に帰国する駆け足研修生。
ポンピドーの現代美術館に初めて入る。シャガールが5点、藤田1点、その他ピカソ、マチス、ブラック、ブラマンク、モジリアニ等、大勢の現代画家の作品が展示されてあった。しかし、近代美術館のセザンヌの村を描いた絵が今日は強く印象に残った。あの色彩の配合は素晴らしいと思った。
歯科大学には7時半頃に着く。8時になって尋ねると、誰も知らない様子。受付の人に事情を話す。そしてそこで立っていると一人の若い婦人(歯科医さんであった)が近づいて来て問いかけてくれる。説明するとすぐ了解してくれた。20分程待たされたが、彼女が他の男性の歯科医に紹介してくれる。彼は60歳位の婦人にかかっていたが、僕を先に診てくれる。僕の場合は歯型を取るだけだから、ということであったのかも知れない。しかし rendez-vous は8時だったので、先に診てくれたのかも知れない。婦人は少し不満そうであった。次は来週の水曜日夜8時の予約。来週で全て終るとのこと。あと1週間、恥かしさを我慢しなければならない。Tant Pis!
- 3月11日(木) 晴。 6℃ 9℃ 発信:先生へ犬の葉書
- (参考に:)
Météo ( Jeudi 11 Mars 1982 )
SOLEIL : lever, 7 h 15 ; passage au méridien, 13 h 01 ; coueher, 18 h 48 ; durée du jour, 11 h 33.
LUNE : ( 17 jour ) lever, 20 h 44 ; passage au méridien, 2 h 02 ; coucher, 8 h 18.
Température : 6・C à 7 heures, le 10 mars. 8・C à 13 heures, le 10 mars.
昨夜4時迄かかって書き上げたレダクション、先生が病気でお休み、提出できず残念。
下宿に帰り、坂上先生に葉書を書く。一昨夜の感慨、春宵一刻直千金のこと――。
昨日は大入りで大忙しだったとか。怒り狂っていたとか!。今夜は普通、別に大して変りなし。「サクラ」を出るのも。いよいよ秒読みの段階に入ってきたか!
- 3月12日(金) 午後より晴。 8℃(夜)
- 教師が今日も休み。昨日来た代理の教師が今日も来た。レダクション提出出来ず。ディクテがあると、後で気分が悪くなる。
リュクサンブール公園のマロニエの新芽、ほころび始めたのが目立って来た。Bon!
村山君を「京子」に訪ねたが、また旅行に出たとのこと。16日に帰って来て、19日の飛行機で帰国するようだ。仕方なく部屋に帰る。
夜、それ程でもなかったが、10時を過ぎてマダム・クレールがやって来る。しかし仕事は11時に終った。
- 3月13日(土)
- 付け忘れ。マビヨンの帰り、セーヌ河中の白鳥の遊歩道(Allée des Cygnes)のベンチに腰をおろし、しばしパリの早春の気配を呼吸した。
- 3月14日(日) 晴。 11℃(夜)
- 一日通しで働くと、自分を危うく見失ってしまいそうな感じになる。
昼の休み、Spectacle(コロコロ)へ。エトワールを一度取ったが、後がよくなく、結局50フランしか勝てなかった。煙草の吸い過ぎで気分が悪くなる。夕食時すごく空腹感を覚える。9時頃から気分は良くなり、帰宅した今は普通の状態に戻っている。
チップ分け、皆ちゃんが持ってくる。「マッチャンはこれ、ハイ!」――と。彼は無意識的なのかも知れないが、あのような状況の時と物事を頼む時とでは、人の呼び方を変える。意識的にそうやっているのならちょっとした悪だが、そうではなさそうだ。こんなことを気にする自分を一面、恥かしいとも思うが、しかしこの感情はどうしようもない。早く「サクラ」を辞めてしまうことだ。彼は別段悪意は持っていないと分っているだけに、このこだわり方は多少複雑になってくる。
- 3月15日(月) 快晴、午後より薄い雲の膜。 14℃ 13℃
- 起きたのは10時。先生から手紙が届いていた。
最近は少し paresseux. しかし今日は仕事も忙しくなく、身体の調子は元に戻ったような感じ。ボン!
今日マビヨンの学食で隣に座った仏人学生が読んでいた書物が、サン・ミッシェルの本屋「シェイクスピア・アンド・カンパニー」の店頭に出ていた。中国の占術に関する本であった。彼が読んでいたのは恐らくその仏訳で、僕はその英語版を買った。興味深い。偶然が重なって<占い>に出会ったのだ。
リュクサンブール公園のマロニエ、蕾が膨らみ始めたようだ。先端から光を放っているように見える。スタートラインに立った短距離走者達の緊迫感が想起される。春がもうすぐ、飛び出しそうだ!
- 3月16日(火) 快晴、午後より曇、深夜近くから小雨。 6℃(夕)
- 授業が終って図書室へ行くと、昨年5月同じクラスだったトルコの学生に出会う。彼も僕の顔を憶えてくれていた。今、Ⅱの教科書をやっているとのこと。この3月22日にパリ大学入学試験があると言っていた。社会学と経済学を勉強するとも。Ⅰの最初を一緒に勉強した仲間は、会うとやはり懐かしさが湧いてくる。
少し勉強して、リュクサンブール公園へ。テニスコートでは、ヒゲもじゃの先生がが20名位の小学生に走り高跳びを指導していた。<quatre-vingt-quinze>と聞こえたから95センチの高さなんだろう。4分の3位の生徒が1回でクリアしていた。
東京堂に寄る。読んでみたい小説はあるが、何も今、高い本を買って読むこともあるまいと思う。もう少し金に余裕があれば……とも思う。
夜、少し忙しい。西江さんの怒声は少なくなってきたようだ。昨日暇だったのを機会にその点に関して少し僕の意見を述べておいた。
10時頃、それ程忙しくもないのに西江さん少し不機嫌になる。(何故してか解らない……。大根おろしは彼に頼まれていたのですりおろしてやる。彼は明日私がやるからと言ったが、それ程時間もかからないのでやってやる。その後の仕事は彼に任せたが、まさか、そのことが原因だとは想われない。自分で頼んだことに対して怒っていたのか?――)それが気にかかる。しかし大したことでもない。だが、彼の方が早く終り先に下へ降りて行った。やはり愉快なものではない。何でもない、ほんのちょっとしたことなのに!――彼に助太刀しているのに、何の配慮もなくサッ-と自分だけ先に終ってしまう!――という不満が湧き起こってくるのだ。若し反対の立場なら、僕は決してそんな態度はとらないだろうという気持がある。まして、彼はシェフではないか!――と。
こんなふうに心が動くとは、人間とは面白いもの!――神に近づけない平凡な人間の心がこれだ!
- 3月17日(水) 晴。 6℃(夜)
- アリアンスから帰ると、急に verglas(氷雨)が降りだす。しかしほんの束の間の事。バルザック記念館を見学(8フラン)。
マビヨンで夕食、終る頃、神谷君達が来る。彼等と話をして時間をつぶす。ボ・ザールの女子学生の話題、青春の真っ只中にいるという熱気のようなものが伝わってきて、多少<envie>を感じる。この感覚は、しかし僕固有のものなのかも知れない。既に高校時代から<時機を逸してしまった!>というふうにいつも感じてきたのだから……。
その後パリ大歯科へ。針金がうまくはまらなくて、時間がかかり、終ったら9時を少し過ぎていた。来週もう一度行かないといけない。もう1週間、歯無しを我慢しないといけないとは!。彼は技術的にはまだまだといった感じ。指導教授(と想われる)が彼に何かアドバイスをしていた。またあの婦人(40歳前後)も彼に何か言っていた。恐らく彼女は仕上げをもっときれいにして欲しい、と言ったのだろう。184フラン50支払う。
オペラのコロコロへ行く。大橋君に遭う。彼はコロコロから出て来たところだった。今朝の占いによると、予期しない女性に出会うが、その女性(男まさりで気の強い)とは結婚はしない、長続きしない、とでていた。女性ではなかったが、大橋君に出会うとは予期していなかった!。彼は一昨日80フラン負け、昨日は2千2百フラン買ったとのこと。ナイジェリア行きはヴィザの関係で5月の中旬まで待たないといけないらしい。予定が狂って憮然とした気持でいるらしい。
カフェを出て、コロコロへ。僕は百フラン負ける。リュクサンブールのハンバーグ店で、12時過ぎまで話をして、別れる。村山君は先週の土曜日に旅行から帰って来たとの事。明日、彼に連絡を取ってみる。彼もその気持でいるらしい。
- 3月18日(木) 晴。 6℃(夜)
- 最近、自分の心がエゴイスティックになってきているように感じる。エゴといっても凸形エゴではなくて、凹型のようで、はなはだ気分が良くない。自分の心の狭さを痛感して苦しい。他人の話、特に感動した話とか少し得意げに語る話に共感を示せないのだ。もっと大きく心を開いて、素直に聴き入れてやれば良いのに……と思う。別に取り立てて反撥や反論をする訳ではないのだが、すごくこだわってしまう。自分を見失いかけている証拠だ。Human Bondage から自分を解き放つ日は何時になったら訪れてくるのか?……
村山君が「京子」にいると思い電話するがいなかった。夕方彼から「サクラ」に電話があり、明日の朝10時の飛行機でオルリを発つので――という事であった。会って、旅の話などをゆっくり聴いてみたかったのだが……。 Tant Pis!
- 3月19日(金) 曇、夜小雨。 6℃ 3℃
- 別段変った事もなく、今日も一日が終る。Je me barbe! しかしこれが日常だ。
仕事に行こうと部屋を出ると、管理人の奥さんに出会う。国勢調査は月曜日までに記入して持って来て欲しい、と言われる。
夜、金曜日だが、それ程忙しくはなく、11時には終る。社長が機嫌が悪く、江田さんがそのトバッチリを受けたとかで、少しショゲカエッテいた。菅野さんも気分があまり良くないようで、岡田君がその受け皿のような役割をしていたようだ。パリの中の日本人社会は1世紀遅れているようだ。
- 3月20日(土) 曇。 6℃ 7℃
- ドフィヌの学食で昼食。誰にも会わず。
帰宅後4時まで勉強。Douche ヘ行き、「サクラ」へ。
近頃、客の入りが少なくなったようだ。今夜も西さん一人で何とか頑張っていた。バンチが止ると急に目が痛くなる。そして、社長が憎らしくなる。社長、キッチンにたまたま入って来た。西さんがみんなに入れた紅茶を見て、「これは何ですか?」と言う。「俺はまた、酢かと思ったよ」――と。レモンが入っているのに、誰が酢だと思うものか!
食事時にいつも出ていた<オシンコ>も止められたようだ。変った人だ!――とアキレカエル。
- 3月21日(日) 薄曇。 9℃(夜)
- 昼はそれ程忙しくはなかったが、夜は客数が多く、ずっと追われっぱなしであった。
昼の休みにコロコロへ。皆ちゃんが「松本さん頑張ってよ!」と声をかけてくれる。出で行く時の気分は悪くなかった。3時からだと聞いていたので5分過ぎに入ったが、まだ始まっていなかった。カフェに石井さんがいた。
アラブのヒゲと西さん達が呼んでいる男が打ち手。勝負の回数が進み、1列目から2列目、3列目へと進んで行く。2列目にエトワールが3回も出たがそれを取れなかった。しかし、色が入っていたので持ちこたえ続け、4列目の初めのエトワールを取り、気が楽になる。それを機にエトワール狙いに方針を変えたのだが、今度は色が全く取れず、すぐに減っていった。帰ろうかと思ったが、石井さんに10フランでコインに交換して貰い、それをエトワールに賭けた。外れても150フランの勝ちなので、それを最後と帰るつもりでいたのだが、ナント!狙い通りエトワールが来た。もう暫くする事にし、それからもう1度エトワールを取り、トータル500フランの勝ち――。西江さん、僕の話を聞き悔しがる。オグラに電話し、石井さんに貸した金の催促。社長が今月の20日に石井さんに払うと言っていた昨年のヴァカンスの月の賃金(石井さんも休みを取らずに働いていたので)はまだ払ってくれないらしい。
夜、忙しかったが、西江さんを助けて、よく働くことが出来た。気分は悪くない。しかし、少し疲れた。あれだけの客が入ると、キッチンは2人では無理だ。
帰り、オペラのドラッグで日本から輸入された<Rice-Snacks>を買う。10フラン70。高い買物だ。
- 3月22日(月) 7℃(夜)
- 休んでいた先生来る。彼女はこの27日から4月11日迄 Pâques vacances との事。
ジュンク堂で西江さんと白川さんに出会う。白川さんとは近くのカフェに入り、彼のスペイン旅行談を面白く拝聴する。
明日は団体24名の予約とか。明晩は荒れ模様(?)か……。
来月の旅行の事、その後の事で頭が一杯。Exeter の The International School の住所を調べる。
- 3月23日(火) 曇。 6℃(夜) 発信:山本君へ葉書、Ex. へ入学案内請求
- サン・ミッシェルで靴を買う。最初、solde の200フランのを試してみる。革が硬く、また少し serré だったので止めにする。値下げ靴は値下げするだけあって、やはり良くない。隣の店でイタリア製のを買う。265フラン。
夜、23人の予約客。それ程追われることなく、西江さんも狂うことなく、何とか無事終える。しかし、やはり疲れる。残りの日数を数えるようになる。角ちゃんは1月前から辞める日を心待ちしていたが、僕の場合もあと1週間といくら……、流石に意識し始めている。
- 3月24日(水) 快晴。 10℃(夜)
- 11月12月と同じクラスだったイタリア(?)女性とアリアンスの近くの街角ですれ違う。教室では一言も言葉を交したことがなかったのに、向こうも憶えていたのだろう、声をかけてきた。今どのクラスにいるのですか?と。彼女は仏語はよく出来た。12時15分頃にきまって教室を出ていった。仕事をしていたのだろう。もう一人アメリカ女性で仏語のよく話せる女性(大学にいた頃新聞部に所属したことがあったようだ)がいたが、その女生徒とは大いに異なり、彼女は誰からも好かれそうな表情の持ち主であった。そんな印象だけしか残っていなかったが、今日ほんの少しの間だが言葉を交すと、何か心がなごむのを感じた。孤独……、一人自分の殻に閉じ籠るのは、人生の楽しみの最大の敵!
一先ず部屋に帰り、カバンを置き、オデオンで映画 "Pablo Piccaso" を観る。眠気に襲われ、内容ははっきりと憶えていない。晩年のピカソを中心にした彼の作品と生活の記録映画。ゲルニカは出てこなかったようだ。
マビヨンでは彼等に出会わず。多分彼等は1階だったのだろう。
歯科は今日で終り。僕の後にされた婦人とも少し言葉を交す。彼女より先に診て貰うことに対しては、彼女は不満を抱いていたが、それは僕の責任ではないと言っていた。
担当技師は20分も遅れてやってくる。彼はまだ見習いで、教授に仕上がりをみて貰っていた。指示を受けてヤスリでこすり始めたが、うまくいかない様子であった。結局いい加減にしたようだった。僕もこの程度だろうと思っていたので、それでもよかった。本心は早く出たかった。しかし、口の中に異物を入れたのだから感じはいい訳はない。舌が非常に窮屈な感じだ。口の中の空間が少し狭くなったような感じがしている。気にかけ過ぎる為か、アゴが疲れ、自分の歯の大切さを思い知らされる。なあに、慣れてしまえば、少しは楽になるだろうが……。
コロコロ、今日はツキなく、90フランの負け!。すぐに出てくる。
- 3月25日(木) 晴、ほんの少しうっすらともやがかかる。 10℃ 12℃
- アリアンスの図書室で神谷君と話していて、来月僕が旅行に出かける前に、ルアン辺りへ二人で一泊のスケッチ旅行に行こうと話が決まった。若し僕がイギリスに長期滞在することになれば、彼も来ると言う。なかなか楽しい日々となりそうだ。
オーステルリッツ駅へ行きパンフレットを貰ってくる。ジェッタに寄り、飛行機の運賃を調べて貰う。パリ-マドリッド間は千8百フランもすると言う。片道だから高いということだ。マドリッド-ローマ間はよく分らないとのこと。やはり飛行機利用は高くつくようだ。旅行案内書をよく読んでみると、Eurailtariff と名が付けられている普通切符がある。これは日本の周遊券のようなものだろうか。これだと案外安くいけそうだ。近頃は旅行のことで頭が一杯!。それにイギリス語学研修のことと――。
- 3月26日(金) 快晴。 受信:先生から22日付け郵便書簡
- リュクサンブール公園のマロニエの黒い小枝がほんのりと緑がかって見える。今日は気温も高く、初夏を思わせる陽気。カフェの前の歩道にはテーブルが出され、食事をしている光景が見受けられた。
今の先生は明日から来月の10日まで Pâques 休暇を取るそうな。昨日提出したレダクションは終に corrigé して返してくれなかった。来月、8課から受けたいと言うと、渋い表情。彼女はもう一度1課からやらせたかったようだ。彼女は不機嫌を時々顔に出す。今日の授業の初めもそうだったようだ。教師としての情熱はあまり持っていないようだ。昨日は組合の用事で休んだ。その前も用事があったのか、はなはだ疑問だ。ハタノさんは顔を見せず、Musée de Jeu de Paume で会った人も終に顔を見せなんだ。今日は生徒数11名位だった。
夜、大忙し。終ったら丁度12時になっていた。馬鹿を演じる。終った後、そんな自分が厭で、気分が悪い。しかし、もう今日のようなことはないだろう。12時を越えたのはこれで二度目か――。皆方氏に対する感情のわだかまりが、やはり、あのような状況の中では出てくるのだろう。とにかく、あと少しだ。
- 3月27日(土) 快晴。 16℃(夜)
- ドフィヌへ昼食。帰って、先生へ手紙の下書きを終える。
Douche へ。少し嫌な感じのおじさん。チップをコンマ5フランあげるとメルシとにっこり顔。階段ですれ違った時、オ・ヴァと挨拶したが、返事はなかった。
夜、6時30分から団体客。昨夜よりも忙しく、大入り。
西江さん、休み明けでもあり、元気で仕事がやりやすかった。10時半頃、キッチンに皆ちゃんが入ってきて西さんを助ける。西さんは「誰も助けてくれないでやっている者の気持わかる」と僕に当てつけて言っていた。彼はあのような、どろっとしたものを持っている。真実、どろっとしているのかは判らないが、少なくともカラッとした透明感はない。何か反論してやろうかとよっぽど思ったが、抑えた。後で、西江さんに昨夜のことを少し説明しておいた。それで気分は少し良くなった。そこは西江さん、年長者で、うまい具合の受け皿である。なんとかかんとか言っても後3日だ。来週の月曜から洗い場に1日通しで、三田という人がやってくるとのこと。帰り、店主に呼び止められそのことを聞く。「それは良かったですね」と言うと、少し表情が曇った(?)感じ。月火水と3日間一緒にお願いしますと言うので、水曜は休みですから、2日間ですね、と言っておく。今日は大入り、5フラン多かった。
- 3月28日(日) 晴。 14℃(夜) 発信:先生に封書
- 今日から夏時間。
昼はそれ程客は入らなかったが、夜は全く気違いの如く入ってきて、苦しめられる。西江さんは月火と2日連続の弁当が入っており、その仕込をしなくてはならないという心理的圧迫感もあり、相当頭にきていた。無理もない。「オグラ」に変ろうかな、と一言洩らした。それには実感が籠っていたようだ。皆ちゃんが明日の仕込みを11時から手伝ってやっていた。僕も洗い場、深夜までかかる。大入り。店主は僕に15フラン手渡そうとする。1日通しだというのを忘れていたのだろう。30フラン。1時間残業したのだから当然。
昼の休み、コロコロへ行くと、3時半、まだ始っていなかった。店に戻り4時半まで横になるが眠れず。また出かける。勝つような気がしなかったが、時間つぶしの意味もあった。他の連中はアビブも加わり、キャッチボール。一緒にやる気も起らず、出かける。今日はアラブのヒゲが打ち手。昨夜は最後の6列7列にはエトワールは1つもなかった。それで今日はもう出ているかも知れない。先週の日曜日と同じパターンになるかも、等と思いながら入る。2列目の2回目が始まる。結果を見ると1列目にエトワールが1つ出ている。2回目を外して3回目から始める。それが成功!エトワールが来る。その後2回エトワールを取り、5百フランの勝ち。神谷君とスケッチ旅行に行く費用ができた。深入りは警戒しないと!
皆ちゃんの僕に対する呼び方には、引っかかる。ごくたまのことなのだが、やはり引っかかるものを感じてしまう。最近は腹立ちも感じるようになっている。不思議なものだ。
江田さんと話す。ロンドンの「人参チェーン」店(大屋政子女史が経営していた)を知っているとのこと。
- 3月29日(月) 薄曇、夕刻より小雨。 6℃(夜)
- 代りに来た先生は学生。しかし新鮮な印象を受ける。生徒は6名だったか。非常に勉強がしやすかった。教える人によってあれだけの違いが出るとは!。ギリシャの青年は先生は僕のことを<ハタナ>と呼びますが、ハタナではなく<タナス>ですと先生に訴えるような口振りで言っていた。彼のそういう気持、よく理解できる。
5時頃チュイルリー公園をりんごを噛りながら歩いていた。急に風が強く吹き始め、公園は砂煙に包まれた。続いて雨!が激しく降り出した。そんな中をジュンク堂からメトロへ向って走った。「サクラ」へは何とか間に合う。
今夜も大入り。しかし僕の後任が今日から来ていたので、西江さんと二人で何とかこなすことが出来た。店主は何故か不機嫌な表情。
店を出ると大橋君が待っていた。今日スイスから戻ったと言う。この前会った翌日、会社から電話があり、ナイジェリア行き(Bauchiという町)は4月2日に早まり、村山君が帰国した同じ日、すぐスイスのお兄さんの家に行って、今日帰って来たとのこと。ヴィザが意外に早くおりたらしい。
新しく洗い場に来た三田君とは「サントリー」の人を介しての知り合いだとか。パリ広しと言えども、日本人社会は狭し!の感ヒシヒシ。彼はスペインに1年半ほど居たが、車を没収され逃げ帰って来たのだと言う。フランコ将軍が配置していた秘密警察のイヤガラセのように感じているようだ。
三田君と別れて、大橋君と「コロコロ」へ。彼はついていたが、僕は140フランの負け。ナイジェリア行きの事務所がサン・ポールに在り、そこに泊めて貰う。社員が出勤して来ないうちにそこを出る(午前8時45分)。熟睡できず、少し眠い。
- 3月30日(火) 受信:The International School から案内書
- Marie Chantal Manset という名前であった、神谷君と「サクラ」へ食事に来たことのある Student Teacher は-。3人でカフェでしばらく立ち話。彼女の両親は僕が住んでいる Rue La Fontaine に住んでいるとのことであった。案外楽に仏語が口から出る。もう1年滞在すると、会話はもっとスラスラ交せるようになるかも知れない。やはり暇と金――。資金にもっと余裕があれば……、でも Tant Pis!
やっと仕事が終った!。もう何も言うまい。前川氏の悪口を書いたとて、彼は平然としているだけだから。鯖のタタキを作って夕食の膳を少しは豪華にしてくれたのは西江さんの気持と解したい。彼は普段とは少し調子が違っていたが。それに膳にはチョコレイトがあった。マダムが持って来てくれたらしい。多謝。
大橋君と会い、コロコロへ。彼は今日は既に負けていると言う。僕はそばで見ていることにした。百フランで2時間位待ったが、エトワールが1つしか出ず、それも取れず残念!。――僕の今迄の戦歴を振り返ってみると、結局トータル6百60フランの勝ち。この辺りで手を引くこと。悪戦身につかずとも言う。
St.Honoré の彼の事務所で泊る。4時頃まで話す。女性のこと、家庭のこと云々と毎回同じ話題の繰り返しだが、内容が深まってきている。大橋君はずいぶん変った。勿論積極的な意味において。彼のナイジェリアに関する話を聴いていると、大変な所へ行くのだなあと心配になってくるが、彼の幸運を祈るしかない。砂漠のど真ん中に飲料水をくみ出す設備を作り上げる。彼はその工事に従事する人達のまかないの仕事をする。勇気のいることだ。 Bonne Chance!
- 3月31日(水) 曇時々小雨。 6℃(夜)
- 授業終了後部屋に戻る。半時間ほど横になるが眠れず。日本交通公社に電話する為に小雨の降る中へ。電話は通じず。コロコロヘ。菅野さんが来ていた。僕は百フラン負ける。マビヨンで夕食。帰る頃神谷君達が入ってきたが、こちらの席には来なかった。恐らく沖縄から来た人が先に他の席に座ったので、それに従ったに違いない。
サン・ミッシェルで "Les femmes de la nuit" と溝口監督作品を観る。しかしまたしても睡魔に襲われる。映画館を出て「サクラ」へ行き、皆ちゃんから貸していた千フランを受け取る。彼は「松本さん、はい、これ」と言っただけ。その時は別になんとも感じなかった。気にしなかった。菅野さんの給料は上がっていなかったと彼が言っていた。キッチンに入って、白川さんとカフェ・ド・ラ・ペの向い側のカフェで会う約束をする。
時間があるので再びコロコロヘ。高橋君が来たが顔を合わせずにすます。しばらくして石井さんが来る。彼のそばに座る。今日はエトワールが1回しか出ていなく、ひょっとしたら菅野さんは負けて帰ったのかも知れない。僕は幸運にも2回目のエトワールを取り、また色も入り、230フランの勝ち。これでトータル約800フランの勝ち。もう止めにすべきだ!
10分程遅れて行くと、白川さん、深野さん、江田さんが待ってくれていた。遅れて恐縮する。しかし、楽しい時を過ごすことができた。皆ちゃんは来ていなかった。前川氏が西江さんに5月から1千フラン上げますと言ったとか。白川さんにも5月から上げると言ったらしい。しかし菅野さんの例もある。眉唾ものだ。
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