上梓【2010.02.19】
パ リ 日 誌

Il y a longtemps que je …


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  2 月  

1982年2月1日(月) 10℃ 8℃
 新しいクラス。27名。先生はまだ30歳代の女性。発音はきれいだ。授業はゆっくり話してくれるので殆ど聞き取れる。ダニエルさんよりずっと聞き取りやすい。日本人は4人程いたか――。
 久し振りに管野さんと図書館で会い、新聞を貰う。税関がスト中とかで最近のはまだ届かないとのこと。いつものカフェで話をする。彼の話を聞いていると少し羨ましい気持になる。しかし彼は彼の途を歩いている。ただ残念で彼と大きく異なるのは、彼は目的を持って着々と生きているのに対し、私の方は閉塞的な感覚でいるという点である。私もル・マタン位は読むように努めよう。
 アリアンスの正門のところで村山君に出会う。彼はもうすぐ帰国するとか。
 今夜も9時頃まで大忙し。カリーヌ来る。キッチンを手伝ってくれる。日本語を覚えることになかなか熱心で、冗談も言い、西さんも楽しそう。時々厭な言葉を使うがカリーヌには通じていない。「日本語を学びたいなら私と一緒に暮らせば早く覚えられるね」と言っても、彼女はすぐには解らない。何回か後にやっと解ったらしく、「あなたこれね」と言って、右手の人差し指でをこめかみ押さえて笑っている。「あなたの考え、まだね、ずっと小さい、小さい」――考えることは幼稚だ――と言っているようだ。西江さんは調子に乗って「私、あなたとやりたいね、前からも後ろからも、そしてこうね、このように横からも」と言う。彼女には全然通じていない。その時アンドレさんが入って来て、カリーヌを後ろから抱きつこうとする。勿論、面白半分、冗談っぽくなのだが――。そんなこともあって、"faire l'amour" と言ってやると、彼女はすぐに解ったようで、またこめかみを指で押さえた。いろんなことが起るが、徐々に私も慣れてくる。カリーヌはコケティッシュではない。
 社長、今夜6時15分頃に来る。そしてすぐに何処かへ行ったようだ。松田さんのようにまた誰かが辞めていないか、と心配していたのではなかったか、等と変な邪推をしてみたくもなる。一昨夜だったが、帰る時私を呼んで、何時まで働くつもりなのかと尋ねた時のこと、急に辞められたのでは私の方でも困るから、とも言っていた。そして昨夜、公休出勤分は3日後にあげますから等と言った。この勘繰りはそれ程大した根拠はないのだが……。しかし、高橋さんを雇わないのだから、キッチンは二人で充分、出来る限り儲けてやろう――という彼の魂胆は黒い、黒い。
2月2日(火) 快晴。春を感じる。 7℃(夕)
 マビヨンを出ると、神谷君に出会った。彼は今月はアリアンスに戻って勉強するとか。一緒に行く。12月の初め頃だったか、管野さんと話していた時に会った日本女性(両親共に日本人だが国籍はアメリカ、まだ日本へは行ったことがない)は、以前彼と同じクラスだったそうだ。
 授業が終って、「京子」へ。すっかり改造されていて、もう食堂はなくなっていた。村山君と近くのカフェで話す。同棲していたフランス女性とは2週間程前に別れたらしい。この3月に帰国の予定だとか。彼は「京子」で2千フランしか貰っていないそうだが、帰国の飛行機代は会社が出してくれるらしい。そのフランス女性は10年間程IBMに勤めたそうで、今は辞め失業中。IBMでは1日5時間しか働いていなかったそうだが、それでも3千8百フランの月給。失業保険は月2千8百フラン、向こう1年間貰えると云う。
 夜、カリーヌ来る。前掛けをし手伝ってくれる用意が出来た時、アンドレさんが彼女をホールの方へ連れて行ったので、彼女が今日で最後ですと言ったことの内容を詳しく尋ねる時間がなかった。新しい仕事に変るのでもう来れなくなるというような事であったが、詳しくは分らない。しばらくすると、「帰ります」と一言。何か腹を立てている様子。後を追うが、「仕事ありません。帰ります」と言ってそそくさと出て行った。
 最初、アンドレさんが何か言ったのだろうと思っていたが、彼に尋ねても知らないと言う。むしろ帰ったことに驚いている様子。後で、江田さんが言ったのだと小声で言いに来た。いつもキッチンにばかり入っていては困るというような事を言っていたと教えてくれる。しかし、西江さんは彼女に気を取られて注文を忘れることがあるので、アンドレさんは以前彼女がキッチンに入っていることに対して少し不満な態度を示した事があった。それで江田さんが本当にそう言ったのか少し疑念を抱いていたが、アビヴが来た時尋ねると、やはり江田さんがキッチンへ行けと言ったのだそうだ。仕事が終った時、江田さんが僕に直接話しかけて来た。「カリーヌに会ったら、また来るように言って下さい。日本語を勉強に来ているのだから、キッチンに行く方がいいよと彼女に言ったんですよ」と弁解じみたことを言う。恐らくアビヴの言葉通りキッチンに行けと言ったことは間違いないようだ。しかし問題はその言い方であろう。何日か前にも江田さんが彼女に強い語調で言っているのを耳にしたことがある。その後すぐ彼女は「今日はみんな優しくない、わたし帰る」と言ったことがあった。慥かにあの時の江田さんの言葉にはトゲがあったようだ。今日も何か腹立ちまぎれに「こちらはいいからキッチンへ行け」と言ったのかも知れない。彼女にしてみれば、キッチンで手伝おうと思っていた矢先アンドレさんに呼ばれ、そして江田さんにこちらはいい!と刺々しく言われ、頭にきたのかも知れない。
 しかし何故なのだろう?。メトロの近くの電話ボックスからカリーヌに電話する。男の人の声がして、カリーヌさんをお願いしますと言うと、間違いですよと言われる。恐らく回し間違えたのかと思い、もう一つ別のボックスからかけ直すと、また同じ人の声。205・2973にかけたのですがと言うと、その番号は私の電話番号ですと言う。何か狐につままれたような感覚に一瞬陥ってしまった。どうしたのだろう?。その番号で今まで彼女に通じていたのに……。
2月3日(水)
 神谷君と別れて、白川さんに会いに行く。約束の時間は4時半。Quatre Septembre に着くと、彼は既に来ていた。5時半頃までいろいろと話す。3月一杯で辞めるつもりであることを彼に告げる。了解してくれる。社長には何時あがるかは一切言わなかった方が給料も上がったかもしれないのにと彼は言うが、果たしてそうだろうか?。僕はそうは思わない。社長は金銭のことについては非常にケチッポク、そんな期待は甘いと思う。白川さんは社長の心情を害するようなことは言わないでおくと言うし、僕も後2ヵ月のこと!これでよしとしよう。白川さんも神経質なところがあるから、あれこれ不満があるようだが、彼は絵の方が本筋だという意識を強く持っていることで、自分をコントロールしているようだ。
 その後、サンジェルマン・デ・プレに出て、そこからカリーヌに電話する。まだ帰って来ていないようだ。後でもう一度電話する。6時15分位だったか、5分位前に帰って来たとのこと。昨夜の声は彼女のお父さんだったのかも知れない。お父さんは彼女のフランス名は知らないか、聞き取れなかったのだろう。今日最初に出た人の声は彼女のお兄さんだったのかも知れない。代って、昨夜の人の声。ネパラと聞こえた。お父さんは仏語は話せないとのことだから、昨夜の人の声は彼女の兄だったのか…、?。
 7時10分頃カリーヌ来る。マビヨンで夕食。神谷君と進藤(?)さんに出会う。進藤さんはやっと日本人会で部屋を探したとのこと。一月千百フランだとか。近くのカフェに4人で入る。進藤さんはしきりに僕に話しかけてきた。カリーヌは神谷君と楽しそうに話している。進藤さんが話す内容やその話し振りが気に入らなくて徐々に苛立ってくる。非常に疲れる。このような自分の性格が厭だと思いながらも、どうしようもない。とにかく空気を変えようとトイレに行く。進藤さんは、一昨日ここでコーヒを飲んだ時は4フランもしなかったのにとギャルソンに文句を言いに行く、彼女はそんな女性――。進藤さんが先に帰った後、カリーヌが彼に中国語を教えている中に入っていくことは難しかった。これが自分の性格の悪い一面。しかし何とか自分をコントロールしてやっと持ち直す。最初から3人で入っていたら、もっと楽しい会話になったかも知れなかったのに!残念であった。それにカリーヌに昨夜の事情を詳しく訊いてみたい気持もあったが、彼等の話に水をぶっかけるのは嫌であった。カフェを出た時はもう10時に近かった。
 カリーヌを BELLE VILLE まで送って行く。やっと二人で話が出来るようになった。カリーヌは今日初めて僕に、間違って話す日本語を訂正して下さい、と言った。その時の彼女の眼差しは本当に真剣そのものであった。昨夜のことの話になっても、何故急に帰ってしまったのか、その理由は彼女は終に話してくれなかった。その代り、自分はとても神経質な性格で、自分でも嫌だと思っていると打ち明けてくる。彼女の繊細なところは以前から少しは感じていたが、彼女自身の口から直接聞くとは想ってもみなかったこと。またお金については、事細かに計算するのはとても嫌いだ、お金の重要性は分るけれど、生活出来る金があればそれで充分で、それ以上のことであれこれ思い煩いたくはない、と言う。これは初めて彼女とランデ・ヴした時にも聞いた彼女の考え方である。友達が集まって話をするような時、嫌なことがあってもそれを努めて表情に出さないようにする、若しそんなことをすればみんな楽しくなくなる――とも。これは今日の僕に対する批判でもある。
 これから3ヵ月間日本語を教えて欲しいと彼女は言った。彼女が自分の性格のことを話していた時の表情は、あの愛らしい微笑みは消え、むしろ厳しいとも思えた。本当の友達はいないとも言っていたようだが、この言葉のニュアンスはよく理解出来なかった。彼女の為に僕の真実をぶつけてみようという気持だ。
 彼女は今日から仕事場が変ったようだ。expédition という単語を使っていたが、政府から派遣された労働者というような意味も含んでいるのだろうか。これからは水曜と土曜に会うことにしたが、彼女の仕事の都合で約束した時間に間に合わない場合は、次の日に――というように取り決めた。電話はかけないで――とのこと。これにはそれ程深い意味はないように思う。お兄さんは夜の仕事をしているらしい。ご両親は仏語は話せない。
2月4日(木) 晴。 11℃ 11℃
 夜間の無料美術学校(デッサンのみ)のリストを受け取る。カリーヌに見せてやるための物。それから Douche へ。
 夜、先月の公休出勤分の賃金を受け取る。「松本さんは昨日いましたか」と訊くので、休みでしたと言うと、「それは残念でしたね」と奇妙なことを言う。そしてその言葉を言い終ると表情が急に冷たく変わったように思われた。こちらがその理由を訊き返すいとまを与えず、すぐホールへ入って行った。意味が解らずよけい不快感が残る。白川さんには昨日の夜払ったのだろう。ただそれだけの意味だったのかも――。昨日いれば昨日払ったのに!と。明細を見ると、12時間分。つまり日曜の昼は4時間と計算してある。問題は白川さんのはどのように計算されてあるかだ。
 皆ちゃんに貸してある千フランはもう少し待って欲しいと言ってくる。昨日白川さんに話したことを聞いていたかのようなタイミングのよさ。はっきりと懇願するような口調であった。彼の家庭の事情も解るからその言葉で僕は気持よく待ってやることが出来る。その時、彼が言うには、2年勤めるとボーナスが出るとか。社長は1月の10日頃に払うと言っていたのにまだ半分も貰っていないとのこと。ずるずると引き延ばしていくのが社長のやり方。それに昨年バカンスを取らずに働いた分は法律上難しく、出せないと言っているらしい。それではモグリで働かせている者への給料はどのように処理しているのか!と問いたい。支払う気持がないからそのように言っているに過ぎないように思える。社長とはそんな人――。カリーヌが嫌うのも当然だ。
2月5日(金) 晴。 13℃ 12℃
 モンパルナス・フナックで Lanque et CivilisationⅠとⅡを買う。語彙力をつける為!。さて、どれだけ持続するかはみもの!
 夜、大忙しで大入り。団体客23人が入ったのでキッチンは天手古舞い。社長は皆ちゃんを気にしてか、三分の一程残っている一升瓶を持って来て機嫌をとろうとしていた。しかし皆ちゃんは満足していない。昨年バカンスをとらないで働いた分の金を払うと言っておきながら、法律がどうのと難癖をつけ本当は出さない腹、それにボーナスを全額払わないこともあり、「サクラ」で働くのも嫌になったと洩らしていた。団体客が、それも突然入ってきた場合、料理のことでキッチンに相談に来るのが当たり前だ、それもしないで、酒だけで機嫌をとろうとする社長の態度に不満だったようだ。終ったのは11時45分頃。11時半に社長はアビブを連れて帰るらしい、キッチンに入ってくる。皆ちゃんにだけ声をかけ、こちらには見向きもしなかった。恐らく、あの男はもうすぐ辞めるのだ、という腹があるに違いない。典型的な商売人。金儲けのことしか念頭にない人。昨日、「昨日はいなかったのですね、それは残念でした!」と言った言葉の意味も今日氷解した。水曜日は大入りだったそうで、西江さんは知らなかったらしい。つまり、大入りだったのに昨日いなかったので10フラン貰いそこなったね、それは残念でした!という意味だったのだ。50歳の壁を越しても、人間があのように小さいままなのは、何とミジメで悲しい人生なのだろう!
2月6日(土) 晴。 12℃ 12℃
 昨夜の疲れがまだ残っているのだろうか、恐らくビールや酒を飲んだことが直接の原因なのだろうが、朝、床を出るのが少し辛かった。
 サン・ジェルマンには11時半頃に着く。カリーヌはまだ来ていない。ベンチに座り本を読んでいると、人が前に立ち止った気配。顔を上げると彼女が笑っていた。
 来週の月曜からドフィヌの近くの新しい職場で働くことになったらしい。西江さんが今夜、彼女が昨日の4時過ぎパレ・ロワイヤルの辺りを友達と歩いている姿を見たと言っていたが、昨日は彼女の最後の職場で、彼女を含めて何人かが辞めるので、お別れパーティの如きものがあったらしい。今日新しい職場の位置を確認しようと思っていたら、急に今日の約束のことを思い出したとか。
 ドフィヌの学食へ行く。正門は閉っていたので、校庭の方から入る。食事を終え、校庭の向かい側の公園のベンチに座りしばらく話をする。祖国ラオスを出てタイで何年か暮らした後フランスへ来たことは以前聞いたが、その間彼女は名前を4回も変えたと言う。ラオス名は 堯阝 郭 。このことは後にカフェに入った時に、いつもの茶めっけをだして、阝堯 阝享 と裏返しに書いて教えてくれた[注:阝の裏返し]。現在彼女の Cart d'identité の生年月日は1962年6月26日となっているが、実際は2、3年早いらしい。両親は彼女の誕生日を正確に憶えていない様子だ。そのあたりのことを話していた時の彼女の表情は非常に険しく、厳しいものがあり、心を揺り動かされた。その公園を出て歩き始めた時、「私かわいそう」と言う彼女をぐいと抱き締めてやりたい衝動に一瞬駆られた。思わず、右手が彼女の右肩を押さえていた。両親や兄弟とも性格が合わないらしい。そして、金銭上の問題もあるのだろう、しかし、そんな苦しい中でも必死に生きてきたし、生きてゆこうとしている彼女を想うと僕の心は激しく揺り動かされてしまった。彼女と初めてランデ・ヴした Belleville 駅近くのカフェで、私の誕生日は今日ですと言った言葉の背後に彼女の今までの苦しい生活体験が秘められていたのだと想うと胸が熱くなる。
 モンソ駅で降りたが開いているカフェは見当たらず、STALNGRAD 駅まで歩く。再び地下鉄に乗り、ANVERS 駅で降り近くのカフェに入る。そこでアリアンスの教科書Ⅰを勉強。彼女は Vin を飲み、僕はコーヒ。今日は彼女がおごると言う。昼の学食の分も払うと言う。彼女の気持解るのでその申し出は素直に受け入れることにした。彼女は徐々にではあるが心を開いてきているようだ。4時半頃そのカフェを出て、地下鉄に乗り COURONNES 駅で降り、Belleville まで歩く。この界隈は外国人が殆どといった印象を受ける。今日は土曜日であるためか、買物をする人の群れで歩道はぎっしり一杯。16区とは大違い、俗っぽさが溢れ、全体に活気があった。恐らく僕一人で歩いていたら決してそのような気分にはならなかっただろう。むしろ俗っぽさに反撥を覚えたかも知れない。カリーヌと話しながら歩いていると周りから圧迫を受ける心の隙は全く生じなかったと云った方がよい。スーパーに入り彼女は乾電池を買った。この前吹き込んだカセットを聞く為だろうか。
 電車に乗っていた時、「若し日本に来るなら大阪に来るといいよ」と言うと、「あなたとても馬鹿ね」と彼女は全然受け合わない。彼女流の冗談を含んだ反語なのだろうか、その真意は分らなかった。しかしこの5月か6月、僕は日本へ帰ることになるだろうと言うと、急に彼女の表情は真剣になったようだ。そして日本へ帰ったら何をするのですかと尋ねてきた。ANVERS のカフェでは日本の部屋代は1ヵ月どの位するのですか尋ねてきた。彼女は日本へ行くことを考えているようだった。
 ともかくこれからは、彼女が日本語を早く上達出来るように指導してゆこうと思う。
 夜、忙し。昨夏アリアンスへバイト教師として来ていたフランス女性(パリ大の学生)と一緒に神谷君が食事に来ていた。仕事が終って帰る際、ちょっと挨拶しておく。彼女は昨夜も日本人と一緒に来ていた。
2月7日(日) 11℃ 11℃
 昼も忙しかった。皆ちゃん、昼の休みにワインを相当飲んだ様子。夜はいつものように6時15分前に入ると、「ヨォー!マッチャン!まだ6時になってないよ!時間通りにやんないの!」ときた。相当酔っていた。後でよく考えると、「サクラ」に対する積もり積もった不満から飲まずにはいられなかったのだろうし、僕に対する言葉もそれほど悪気はなかったのだろう。と思ったが、言われたその時はムッとなった。「いつもの時間通りやないの、何言ってんの」と返しただけ。あまり取り合わずに下へ降りて行った。松本さんと言っていたら少しは違った印象を受けたかも知れなかったが……。とにかく、あれやこれやで、少し長く働きすぎたようだ。帰り、いつものように「お疲れです!」と声をかけたが、社長はカウンターで洗い物をしているようであったが、当然聞こえている筈なのに、何の返答もなかった。とにかく、不愉快な一日であった。
2月8日(月) 10℃ 10℃
 仕事に行く時刻を少し早めて家を出た。「ジュンク」で講談社青い鳥文庫、新田祐一著『ボクちゃんがないた日』を買う。これをカセットに吹き込んでやろうと思っている。両親が子供の誕生日を忘れたというのも、また違った生年月日が役所に登録されているというのも、本人にとっては恐らく悲しいことであるに違いない。
 今夜も忙し。客は11時にはみんな出ていったが――。社長は機嫌ホクホク顔。従業員はみな shit! の連発!
2月9日(火) 12℃ 11℃
 昨夜と今日の午後とで吹き込み完了。とは言ってもあと10頁近く残してしまったが。
 夜、9時頃まで忙し。しかしその後急に客足が止った。アビヴが西江さんに Ça va! と言って入ってくる。女性を紹介してくれるかい?と西江さん。通訳してやると、アビヴ、瞳を輝かせて "Qui, qui. . ."と反応する。「彼は君のフィアンセが欲しいんだって」と冗談っぽく付け加えると、急にびっくりしたように "Non, non. Ça va pas!" と頬を少し紅くした。今夜はこんな一コマがある程に、後半は余裕があった。狂気が去り、一瞬の安らぎか。しかしまた、週末は狂気の再来……。
2月10日(水) 晴。
 午後、サン・ミッシェルでヒッチコックの「サボタージュ」を観に入る。もう始っていた。そしてちょっとしたハプニングが起こった。次期映画の予告の時も場内の照明は消さないで写していたし、それが終って本番の放映に入ったが、画面が裏表になって映っていた。怒った観客が交渉に行った、が帰ってきても最初から映し直さない。場内は騒然となった。結局、3、4名を残し20名近くの観客は入場料の払い戻しを要求し、館内から出て行った。日本でなら文句を言いながらもそのまま観ている人が殆どであろうが……。音頭を取った人は僕の貸してやったライターで落した半券を探しに行ったが見つからなかったようで、払い戻しも受けられなかったようだ。正にここはフランス!。僕も心情的に騒いだ手前、入場料を受け取り映画館を出た。
 帰って来てヴァンをコップに一杯飲んだだけなのに身体全体がけだるくなる。しかし約束があるので出かける。サン・ジェルマン・デ・プレで7時頃から半時間カリーヌを待つが、終に姿を見せず。マビヨンで一人夕食。また戻ってみたが姿はなく、何となく寂しさを感じつつ、帰る。引越しの事や新しい仕事で恐らく忙しいのだろうか……。
2月11日(木) 晴。 12℃(夕刻、夜)
 秦野さんがコンセントが故障して火花が出てヒューズが飛んでしまった、何とかならないかと言ってくる。授業が終って彼女の下宿へ行く。屋根裏部屋の3畳位の狭い部屋だが、窓からはノートルダム寺院がすぐ近くに見え、いいところであった。しかし湿気の為、窓がもう2ヵ月も開かない状態だと言う。開けようと試みたがやはり駄目だった。さて問題のコンセント、ありあわせの道具を適当に利用し、やっとこさ取り外してみると、板がまっ黒に焦げていた。恐らくその板が湿気を吸い、そこから漏電していたのであろう。焦げて板が炭化すれば電気伝導率もよくなり、益々漏電という悪循環の繰り返しだったのだろう。2ヵ月分の電気代として4百50フランも支払ったと言う。大家さんも原因が分らず不思議がっていたそうだ。彼女の友達がしばらくするとやって来た。3人で近くのカフェ(地下鉄モンベール駅の前)に入り話す。2人ともこちらに来てまだ3~4ヵ月位らしい。働かなくてもやってゆける経済状態のようだ。その屋根裏部屋は彼女の友達の夫であるドイツ人が以前そこに住んでいた、今も彼が借りているとのこと。
 4時半頃に彼女達と別れて、Douche へ。そして仕事。今夜は客は少なくて楽であった。昨日は忙しかったらしく、西江さんの言葉を借りれば、白川さんは1日中<ムッとして>食器を洗っていたとか――。
2月12日(金) 晴。 14℃ 12℃
 夜ヴァンを飲んだ翌朝は何となく身体がけだるい。
 Le Mardigras (謝肉祭最後の日)で今日はアリアンスは休み。マビヨンで神谷君とその友達(沖縄出身の32歳の人や中国人)と一緒に食事。神谷君は今週はアリアンスもボザールどちらにも行かず部屋で小説(ヘッセなど)を読んでいるとのこと。仏語かデッサンか、迷っている様子。
 夕刻、先生から手紙が届く。レニエの『ヴェネチア・スケッチ帖』の依頼。東京の北沢書店にはなかったとのこと。
 夜、大忙し。先週と同じ、大入り。しかしまた終りが11時45分であった。
 皆ちゃんが飲む酒の量はこの前程ではなかったが今日も酔っていた。飲むスピードは流石に遅くなってきている。かなりの不満が蓄積している様子。昼間も4時まで一人でやっていたらしい。白川さんは洗い場に専念していたとか。彼も4時までやっていたとは考えられぬ。そんなこともあり皆ちゃんは6時5分過ぎにキッチン入り。今日は仕事中僕をマッチャンと呼ぶことは殆どなかったが、アンドレや社長に対してはかなりの荒れ模様であった。彼は僕と西江さんがうまくいっていないと観測していたらしいが、実際はそうではない。いろいろ複雑な人間の心理関係――。仕事が終り店を出るとホッとする。残業として要求してやろうかという考えが脳裡をかすめたが、まあいい、という気持にもなる。日本人はお人好し。革命を起したフランス人とは異質な民族性を持つ。自分の心の動きを見ても、つくづくそう思ってしまう。噫!日本人よ!
2月13日(土) 曇、夜小雨。 10℃(夕)
 Réduction は今朝の5時までかかってしまう。2時頃に始めたから、約3時間かかったことになる。床に就いてもすぐ眠れず、今日は1日中身体がけだるい感じで良くなかった。
 サン・ジュルマン・デ・プレには11時35分頃から待ったが、終にカリーヌは姿を現さず。新しい仕事や引っ越しで忙しいのかとも想う。電話をかけてみれば事情がはっきりすると思い、電話してみたところ、彼女が電話に出た。引っ越しは家族全体ではなく彼女一人で部屋を探し暮らしたいらしいことが分る。リュクサンブール駅で待合せ。ポール・ロワイヤルで昼食。入口で神谷君達とすれ違う。カリーヌは食べなかった。下のカフェで待っていた。吹き込んだカセットを忘れて来たこともあり、この部屋で勉強――と思ったが、彼女は来るのを嫌がっている様子であった。無理強いはせず、公園の近くの、以前に入ったことのあるカフェで5時半まで話をする。
 この水曜日は、彼女は仕事が早く終り、6時から6時半まで待っていたのだと言う。それから夕食に学食へ行き、そしてまた引き返して僕を探したが姿は見なかったとのこと。その引き返してきた時間を彼女は憶えておらず、曖昧であった。僕が今日電話した時は眠っていたそうだ。「私、怠け者」といつもの調子。やはりそういうことで、僕は何となく不快な気持を持っていたのだろう、それに昨夜の疲れも手伝って、ちょっとしたことで急に僕は気分を硬直させてしまった。どちらでもよかったことなのに、彼女は素直に僕のやり方についてこず、彼女の希望するやり方を主張してきた。言葉の問題もあろう、頼み方を知らない、だからその言い方がぞんざいに聞こえてしまう。以前にもこの部屋で教えていた時にそのようなことがあり、急に気持が冷えてしまった。彼女の今の日本語の運用能力を考慮してやれば、もっと寛容な態度で彼女に接してやるべきだったとは思うのだが、その時は日本語の言語感覚で判断してしまい、疲れていたこともあり、不快感に捕われてしまった。このようなことが今後何回となく起ると堪えられなくなってくるということもあるだろう……。
 店を出て、ポール・ロヤイヤルまで歩いたが、その途中、彼女はフランス語でさかんに彼女の勉強方法を説明してきた。僕は黙って聞いているだけだった。言い終って、彼女は僕の表情を見て思ったのだろうか、迷惑でしょうから勉強は自分一人でやります、je te mercie と言った。そのまま何も言わなかったら、今日が別れ、となってしまったであろう。今日の僕はいろんな点で疲れていた。不愉快であった。心の窓は小さく閉ざされていた。僕は一体何を彼女に求めているのだろう?……。しかし、とにかく……、先週の土曜日、第7大学の前の公園で聞いた彼女の生年月日と変名にまつわる話に心を大きく揺り動かされたことは慥かであり、それ故にこそ、『ボクちゃんが泣いた日』を買い、それをカセットに吹き込んでやったのではなかったか!。それで、来週の水曜日にはそれを持って行くことを念を押して彼女に伝えて、レ・アールで彼女と別れた。カリーヌの心はまた僕の方を向いたようであった。
 夜、管野さんから店に電話があり、明後日、月曜日に帰国するとのこと。それで明日午後4時にオペラ座前で会うことにする。
 仕事は昨日程ではないが今日も忙しかった。抹茶ん、抹茶んで、こちらは渋茶だ、と言ってしまう。とにかく、今日一日は、本当に不愉快な一日であった。
2月14日(日) 晴、午後より曇。 7℃(夕、夜)
 朝方見た夢は、しかし無残(?)にも、目覚し時計の音に邪魔されてしまったが、もう少し、5分でも後に合わしていたならば――と、今となっては少し残念である。
 夢そのものは女性との情交の場面なのだが、その時の感覚が何とも言えないくらいに充実したものであった。ロレンスが描いた肉体と精神の調和の境地、男女間の肉体によるコミュニケイションが正に行われつつあったのだ。彼女は恥らいもなく、かと云って好き者のようにエゴイスティックでもなく、優しさが感じられ、寧ろ僕よりも落ち着いているような感じであった。正に心の通いあった夫婦間の交わりのようでもあった。その女性は僕の従姉のようにも思われたが、やはり何処か違っていた。ともかく、あのような女性となら僕は幸福な家庭生活が送れると確信を持って言えるような、そのような感じの女性であった。が、時計音があの素晴らしい感覚の世界をぶち壊してしまったのだ!
 10時15分前に家を出て、Douche へ。神谷君が入口を出たところで僕に気づき手を振る。それに浮浪者の一人が応えて何か言っている。彼と立ち話をしていると、その浮浪者が近づいて来て金をねだる。断わるが、その時見せた顔がなかなか愛嬌があった。60代男であった。神谷君は約束があるのでオペラ座前には来れないと――。
 仕事は11時ジャストに入る。昼間は客は少なかった。
 管野さんとは4時にオペラ座前で会い、カフェで話す。いつものように新聞を持って来てくれる。「サクラ」の労働条件のことや先日の映画館での出来事、日本人の民族性とか日本の教育の現状について等、今日はかなり熱が籠った語らいであった。彼は明日、エアロ・フロート機でパリを発ち、3月の終り迄には帰ってくるとのこと。
2月15日(月) 曇時々小雨。 5℃(夕、夜)
 授業が終って、レ・アールのフナックに立ち寄りそれからポンピドーの図書館へ。レニエの書物を探す。ポンピドーには彼の書物が3~4冊、小説が5~6冊あった。先生の言う『ベネチア・スケッチ帖』は "La Vie Vénitienne" か "Le Voyage d'amour ou L'invitation Vénitienne" か、どちらなのか分らない。先生に確認の葉書を出そうと思う。
 夜、客数は少なく、まずまず楽な日であった。9時半頃に仏人の客が少し入りちょっと活気づいた程度。――前川氏、今日は機嫌がいいのか、帰り際いつものように声をかけると、「お疲れさん、松本さん」という声。――キッチンにいる岡田君に声をかけると返事がない。口に何か入れたところだったらしいことが分る。――アビヴが鍋を持ってキッチンに入ってきて、"Chef, immédiatement!" と言って急がした後、傍にいた皆方氏と何か話している。"Monsieur Matsumoto, pas gentil." と言う皆方氏の声が聞こえてくる。ちょっと不快な感じ……。アビヴに対して別に何もない、普通にやっているのに、そう判断されるところが少し不可解に思えた訳だが、慥かにその音が耳に入ったのだ。別にどうということはないのだが……。
2月16日(火) 曇。 5℃(夕、夜)
 昨日提出した Réduction、一部の人は返して貰っていた。まだみんな訂正していないらしい。先生は僕に "Vous écrivez très clairement." と言ってくれたようだ。明日返すということであった。Jacques Prévert の詩、"Paroles" を持ってきていた。ディクテはその中の詩の一節。1回しか言ってくれず聴き取りにくかった。
 モンパルナスのフナックにはレニエの本はなく、ブロンテの『嵐が丘』の仏訳を買う。
 夜は大したこともなく楽。ここ数日前川氏の機嫌は良いようだ。早稲田とパリ大のラグビー戦がこの26日にあるらしく、白い大きな紙に墨で書いたのが乾かしてあった。
2月17日(水) 薄曇、夜遅く小雨。
 カリーヌとサン・ジェルマン駅で会い、サン・シュルピス駅の近くのカフェで9時過ぎまで一緒に勉強という感じではなかったが、2課から4課まで訳して、すぐ別れて帰ってきたところだ。やはり、この前に冷えきってしまった心はもう二度と燃え上がらなかった。
 彼女は父親のお古の背広を着ていた。マビヨンで夕食を済ませてきたらしい。7時頃だった。僕の方が15分ほど早かった。最初、カフェに入るまではそれ程心に変化はなかった。今日の彼女はこの前のような支離滅裂な日本語は話さず、終始仏語を使った。そして笑顔も以前ほどには見せなかった。それが彼女の普段の姿なのだろう。少し頭痛がすると言った。少し意外な感じがしたのは煙草を吸い出した時だった。尋ねると、病気になる前まではよく吸っていたこと、身体に悪いからと医師に止められたとのことである。気分がすぐれないから吸いたい、ということであった。彼女は既に以前の彼女ではない。それを感じると一層僕の心は冷えてくる。僕が訳している時の彼女はあまり熱心に聴いていないし見ていない。何だかそわそわした感じだと思っていたら、ギャルソンにビールを注文したかったからだと分る。しかしその時の僕の気分は、先週の土曜の気分に陥りつつあった。あまり熱が入らない。努めて冷静さを保とうとした。しかし言葉に熱が籠らないのはどうしようもなかった。『ぼくちゃんが泣いた日』とそれを吹き込んだカセットを見つめている彼女の表情には、「東風」で初めて一緒に食事をし、折り鶴を手渡した瞬間に見せた表情とは少し違ったものがあった。店を出る時、勘定は彼女が払ったが、僕は6フラン彼女に手渡した。いいと言う彼女に無理に僕の意志を通すと一瞬嫌な顔をしたが、案外素直に彼女は受け取った。この前は君が出してくれたのだからと言って自分の意志を通そうとする僕には優しさの一かけらも無かったのではないか! <善意の押し売り>のようなところが僕にはあったのではないか!
 彼女の中にある僕と同質なものに僕は嫌悪感を抱いてしまったのだろうか……。先週の土曜日、宿題のつもりで彼女に2課を訳してくるようにと命じたことに対して、何故彼女は素直に応じなかったのか!。そう思うと急に僕は心を硬化させてしまったようだ。勿論そこには僕の寛容の無さが証明されてはいる。しかし彼女にも片意地なところがあって、自分の主張を押し通そうとした。あの議論の中で僕の心は完全に冷えきってしまったのだ。今日カセットと本を渡して彼女と別れて帰って来た今、心残りはそれ程ない。しかし、何処か悲しい。僕の縺れに縺れ切った心理が悲しくもあり、哀れでもあるのだ。カリーヌの過去を想像すると、同情の心が湧き上る。しかし、ドフィヌのあの公園で彼女の変名のことを聞いた時ほどには、心は感動を覚えないのだ。あの時の共感や同情は、神の広大な愛からすれば、何とちっぽけで利己的なものであったかということが理性ではよく解るのだが、僕の心、いや、このどうしようもなく歪んでしまっている心理からは、彼女の気持をそのまま受け入れてやれないのだ。ここが悲しいところでもある。サン・シュルピス駅へ下りて行く階段のところで彼女と別れたが、その時の彼女の表情は1年2組のあの生徒のような子供っぽい顔に変わっていた。笑顔を作っていない彼女の表情には彼女の過去が映っている。そこには本当の彼女がいる。しかしその表情は僕には好きになれない。彼女の笑顔には僕が無意識に求めている女性の優しい心が映し出される。しかし、それは本当のカリーヌではない。カリーヌの笑顔に偽りの彼女を視ていた自分は利己的な自分であった。そして僕は今、若い頃の柔軟な気持を失いつつ、徐々に利己的な心に硬化しつつあるのだ。管野さん達のグループに近づかないのは、他人の為に献身できる器ではないことを既に自覚していたからなのかも知れない。この利己的な心をどう処理しつつ生きてゆくか、これは僕の大きな課題だ。
 次の土曜日は、彼女は税金の申告で来れないとのこと。来週の水曜日に会うことを約したが、はたして彼女は来るか、そして僕も行く気になれるか、よく判らない。カリーヌは邪魔にならないかと僕の気持を推し測るような表情をした。「あなたは5月に日本へ帰るのだから、それまでにアリアンスでフランス語を静かに勉強したいと思っていらっしゃるのでしょう」と――。今日のような気持で彼女に会うのなら、寧ろ会わない方がよいのかも知れない。今後どうなるのか、どのようにしようとしているのか、今は自分でもよく判らない。この不可解な自分!……。
2月18日(木) 曇天。 7℃(夕、夜)
 明日はアリアンスの教師達の grève とかで授業はお休み。今日のディクテは提出、先生が訂正してくれるらしい。それに作文の宿題、テーマは何でもよいとのこと、ストライキとでもするか……。
 マビヨンではやはり今日から若い男が2人立っていて、学生証の提示を要求していた。アリアンスの学生証を見せたが、よく見ようとはしなかった。本気で見ていないような感じであった。あれはポリスなのだろうか。制服は着ていないから私服警官の卵か、それとも学生の自主規制なのか。出口の所にも今日は若い男が1人座っていた。
 Vavin 通りからちょっとそれた所、11 Rue Jules-Chaplain では、黒沢、溝口両監督の映画フェステバル。溝口監督の「新平家物語 Le Héros Sacrilège」昭和33年制作を観る。平清盛は市川雷蔵が熱演していた。昭和33年といえば安保の2年前、――京都の小川の水は非常に透き通っていてきれいであった。
2月19日(金) 曇天。 5℃(夕) 3℃(夜)
 マビヨン駅で降り、電報を打ちに行くが、24日に打てば25日の朝に着くとのことであった。それから学食へ。今日も2人立っていた。アリアンスの学生証を今日はちゃんと見ていたようだ。神谷君達はどうしているのか?
 昨日の映画館へ行く。溝口監督の「山椒大夫 L'entendant Sancho」を観る。山椒大夫役は進藤英太郎、安寿は香川京子、厨子王は誰がやっていたか?、母役は田中絹代、ハナヤギヨシアキ、シミズ??……。非常な感動を覚えた。二度涙を流す場面があった。鷗外の小説では人買いの残酷さをあれ程リアルに描いていたであろうか。最後、佐渡の海岸で盲目になった母に厨子王が再会する場面は、白黒映画の効果もあり、グロスターとエドガーが再会する場面を想起させる程に、世の残虐性を非情なタッチで観客に訴えかけてくるものであった。"O world, world, world!" 1954年の作。
 帰り、アリアンスの前を通る。先月の先生に出会う。何時の授業を受けているのかと尋ねられる。ストのことを知らないと思ったのか――。映画を観てきたところだと言うと、フランス映画かと訊く。日本映画だと言うと、さも残念そうにフランス映画を観ないといけないと言ったようだ。多少の冗談も含まれていたのだろうが……。
 JETAに寄り航空券のことを尋ねる。片道の場合、今購入しても乗る日の運賃を払わないといけないとのこと。今だと、北回りの British Airway では2千8百フラン。アエロ航空だと往復で5千2百フラン。英国航空も日本で買うと高いが、こちらだと安いようだ。大韓航空は南回りは2千5百フラン。しかし大韓はヒースロー発はない(?)とか。ユーレルパスで欧州を旅行してイギリスから帰ろうかと思っている。5月の中頃か――。
 夜はそれ程忙しくはなく、終ったのは10時40分。金曜日は早く帰れたことはないというジンクスは、今日破られた。
2月20日(土) 曇天。 3℃(夕、夜)
 先生の手紙を読んで多少驚いてしまった。簡単に書いてしまった非はこちらにあるが、あの文面から僕が既に仕事を辞めた、と受け取られているようだ。先生はヒゲのことに触れて、「又、元のヒゲに戻ったのですね。何か意図があってのことですか、伸びるに任せてあるだけ、なら罪がなくてよろしいが」と書いている。後の語句を読んで何故か不安な状態になってしまった。この感じは以前先生との付き合いの中で何度も経験したことだ。そういう気持で読み進んでいったから、先生の引っ越しの助っ人として帰国するという僕の意図を先生が鋭敏に察して反撥を示されているように感じながら、手紙の文面を追っていった。恐らく、先生は「早く一人になりたい」とは言っているが、息子さんの心配を敢えて無視してまで家を出ることはないだろう。きっと、息子さんの奥さんが承知しないだろう。先生が先便で述べていた「夫婦間の密約」とは、決して親父を一人にするな、ということだろう。先生はそれを察しているようだ。若し僕が先生の助っ人を買って出て勇ましく帰国したところで、それは息子さんの意図に反することになるだろう。そして息子さんを心配させることだろう。僕も慎重にするのが賢明のようだ。男一人、気楽に下宿生活を送っている者には、この複雑な事情は解らないのか!と多少なりとも先生はお腹立ちなのではなかろうか。もっと言葉を客観的に用いなければならないと痛感する。
 今帰国したところで、すぐ仕事のアテがある訳でもなし、僕を待っているものは心労ばかり!。本格的に仏語をぺらぺらと喋れるようになるまでは、やはり惜しいという気持があるのかな――。これはあまり意識しなかった。僕は今迄でも、あまり自分の欲するままに自分を中心に行動した事はなかったのでは――。自律的ではなく、他律的!……、愛する者の為とか、恩を受けた人の為というような、自分のエゴを意識しないで済むことに対しては、案外容易に行動に移れる性格なのではないか!。もっと自分のエゴと葛藤させて考えを出した方が、世の常識に沿ったもの現実性を帯びたものとなり、その方がいいのではないか、と反省する。
 1時間ほど勉強して部屋を出る。Bain et Douche へ。その後、大橋君を訪ねる。運よく丁度彼がホテルを出てきたところに出くわす。カフェで話す。ナイジェリア行きは4月初めとなり、「サントリー」は3月14日に上がるとのこと。随分忙しい準備となりそう。
 夜、20名の予約客があると言っていたが、何とか気違い沙汰にはならず、まずまず。大橋君と会って話していた時は労働許可証も申請し、もっと続けようと思ったが、しかし「サクラ」の店の空気にも嫌気がさしてきた。昼間は忙しかったらしく、白川さんはムッとして働いていたとか。石井さんが洗い場を頼んだらしいが、白川さん、それを断ったようだ。それで、菅谷さんも石井さんも彼のことを「ヒラメチャン」と言ったりしていたようだが、その言い方が本当に厭な感じに聞こえてくる。皆ちゃんも今日は西さんに対して批判があるような口振りであった。気分転換に店をサッと辞めるのも一つの方法だ――。
2月21日(日) 快晴。 6℃ 4℃
 昨夜帰宅して気づいたが、右手を上げるとひどい痛み。その為か、昨夜はすぐには眠れず、少し寝不足の感。
 昼は大忙し。西江さん立腹。皆ちゃんに対しても「私に話しかけないでちょうだい!」と強い調子。明日の天ぷらのエビの準備とか、焼き鳥の準備などがあり神経はピリピリ。それを察してか、皆ちゃんは西江さんにコーラを持って来たりアンコを持って来たりと機嫌取り。西さんは僕に気を配ってくれていることは感じるが、こちらも3時半まで手伝っていると気が苛立ってくる。睡眠不足の為か、少し頭痛がした。夜は少し遅れるよと西さんに言うと、「アイヤ!、ヤ-」と返ってきた。そう言う自分は気の小さい男。「サクラ」は3月末で切り上げるのが賢明策。あとは状況に任せることにする。
 夜はそれ程忙しくはなく、西江さんも明日のエビ天や焼き鳥の準備が出来まずまずであった。若し混んでいたら、また昼間以上の狂気が再現していたであろうが……。
 今日初めて耳にしたのだが、石井さんは今月一杯で店を辞めるとのこと。知らなかったのは僕だけか――。新しい所が決まったの、という西江さんの問いかけを耳にして、はて?と思い、問い直してみると、果たしてそうであった。石井さんも先月はかなり頭にきていた様子だった。
 今日はギャルソン達も早く終ったよう。店を出たのは10時40分。もう客は居ない。
2月22日(月) 快晴。 5℃(夕) 4℃(夜) 発信:先生へ手紙、安藤君へ葉書
 アリアンスから帰り、先生への手紙を清書し終えると、もう5時前であった。サン・ジェルマンの郵便局から安藤君宛の葉書と一緒に出す。
 夜、8時半頃から忙しくなる。団体12名が入っていた8時半頃までは他の客はなく、よかったが、あれが一緒になっていると、今日もまた狂気――。
 白川さんと石井さんの間で何か葛藤があるらしい。石井さんも意地になったようだ。鍋をきれいに洗え等と言ったらしいのだが、白川さん、意地でも洗わない。それじゃ、ということで石井さんがやりだした。西江さんも傍で見ていられないので、一緒に鍋を磨いてやったらしい。白川さんは何もしないで傍で見ていたそうだ。白さんも大分困惑していたらしい、と西江さん。
2月23日(火) 快晴。 4℃(夜)
 試験、ディクテの内容は易しかった、それで前回のディクテよりは多く聞き取れたが、されどうか――。あまり期待しないこと。それより日々の努力が肝要。
 昼、マビヨンの学食で久し振りに出会う。彼、顔が日焼けしたように赤かった。情報の交換。彼等も何も言われないとのこと。彼が言うには、学生証明証なら何でもよいとのことであった。彼も心配だったようで、ほっとしている様子が窺えた。パリで心を割って話せるのは彼と管野さんと大橋君くらいか――。
 アリアンスを出て、あまりに良い天気なのでリュクサン公園を歩く。ベンチには人がたくさん座っていた。部屋に帰り、それからブローニュの森の湖を見たく思う。初めて見る森の中の泉。Trocadéro まで歩き、地下鉄に乗り仕事へ。
 昨日は大入りだったとか。早稲田OBのパーティがあって社長は機嫌がよかったから大入りになったのだ、というのがもっぱらの見方。僕が店を出る11時まで社長は店に姿を見せなかった。これは珍しいことだ。
 オヴニによると、国立美術館の入場料が2フラン値上がりして11フランになるとか。その代わり水曜日は全館無料となるらしい。水曜は1日フリー、大いに利用するべき!
2月24日(水) 晴。 卒業式・祝電
 サン・ジェルマン・デ・プレの郵便局から電報を打つ。普通電でも充分間に合うとか。Expresse にする必要はなかった。約60字で56フランであった。
 サン・ザラール駅見学。それからポンピドーセンターへ。5階の Musée は無料でなかった。チュイルリー公園にある Musée du jeu de paume「テニスコート美術館」と訳されるが、きっとこの場所で「テニスコートの誓い」が行なわれたのだろう。ここは無料であった。モネ、シスレー、ルノアール、ドガ、ゴッホ、ゴーギャン、セザンヌ、ロートレック等の近代の画家達の傑作が並べられてあった。ルノアールの有名な絵画は殆どあったようだ。写真で見るのとは違い、実物で見ると光の微妙な感じが直に肌に感じられるような印象を受けた。僕のような素人にも、違いが何となく分る。5時閉館で追い出されるように出ざるを得なかったのが残念であった。もう一度訪ねようと思っている。いや、何度でも――。これからは水曜日は美術館訪問の日にしよう!
 マビヨンで夕食を済まし、7時から35分迄、今日「ジュンク」で買った『素顔のヨーロッパ』を読みながら待ったが、終に Karine は来なかった。もう、これからは電話しないことにする。先週のような感じで会ったのでは、お互い楽しくはないだろう。
2月25日(木) 晴。 5℃ 3℃
 学校、Douche 、読書、仕事(夜は客少なし)。
 何故か、疲労感がある。身体も少しだるい。精神的な理由もあるのかも知れない。もっと心を奮い立たせて頑張らないといかん!
 そうだ、今日は彼等の卒業式――。昨夜眠っている間に卒業式は終ったのだ。こんなふうに考えているところが感傷的になっているのかも知れない。彼等に負けないように、頑張らんとアカン!
2月26日(金) 薄曇、深夜小雨。 6℃(夕、夜)
 L'examen、なんとか合格(juste!)した。いずれにしても来月はⅢを受けようと思っていたが、やはり合格したほうが気持がいい。もうⅡをやり直すことはあるまい。Ⅲで頑張るつもりだ。
 ニューヨークから来た女性(両親は日本人、しかし日本へまだ行ったことがない)は、やはり神谷君に会いたかったのかも知れない。今日言葉を交すと、彼に会って話したいことがあるからと伝言を頼まれた。
 モンパルナス・フナックへ Petit Nicolas の本を買いに行くと、秦野さんに出会う。彼女も同じ本を探していて、一緒に探していたが知らない間に声もかけずに何処かへ行ってしまった。ちょっと変ったところがある。本が見つからないので店員の婦人に尋ねてやっと見つけたのだが、その時はもう彼女は何処かへ姿を消していた! 部屋で第1章を読む。
 夜は国際警察の人達18名の団体客。しかし寿司があまり出ず、大入りとはならなかった。11時20分に仕事は終る。社長はキッチンの2人には大入りを持ってくる。皆ちゃんは地下に下りていた。社長は地下まで行ったようだった。皆ちゃんは僕に貰ったかとは訊かなかったが――。終ってからキッチンで彼と少し話をする。結局彼はボーナスは貰わなかったとのこと。昨年も角ちゃんと皆ちゃんにそう言ったのだそうだが、今回はその時よりももっと具体的で、12月に決算をし1月の10日に払うとまで言っていたそうだ。半分もなかったらしい。ほんの手付金ですよと言っていたから、そうなのだろう。また高橋君を断った理由として今人手が余っているとまで言ったそうだ。これにはアキレル。「サクラ」もこの状態では従業員は辞めていくばかりで新たに入ってくる人はいないだろう。特に昨今、労働許可証が必要となり、以前のようにコックさんの移動も少なくなるだろう。それに「サクラ」はあまりよい評判は立っていないようだ。皆ちゃんは奥さんがこちらで子供を産むとなると、難しい状況に立たされていくかも知れない。
2月27日(土) 曇。エッフェル塔の上部が霧に包まれる。 6℃ 10℃
 神谷君を訪ね一緒に学食へと思って出かける。やっとのことで Victor Hugo 通り35番地の屋根裏の彼の部屋の前に着く。返事がない、その時はっと、今日は土曜日で彼はボザールだということに気付く。何としたことか!……一人で Grand Palais へ行き昼食。検問は立っていなかった。まずい食事。1時20分にサン・ジェルマンに着く。来ていないことを確かめて、サン・ミッシェル界隈をぶらついて、帰る。
 ブルターニュ地方は、イギリスに侵攻したゲルマン民族に追い出されて逃げてきたケルト民族が住み着いた所。4、5百年前にフランスに併合されたが、古い文化伝統を持つ民族でありブルトン語を話す。しかし現代の若者はもう殆どその言葉を知らなくなっているとのこと。アリアンスのⅠの教科書に出ていた coiffes blanches(レース編みの高い帽子)はブルトン人の古い衣装に着けるもの。フランスの陸の孤島、ブルターニュに興味を抱く。
 夜、石井さんと感情的なクイチガイ。僕も少し感情的になっていたようだが、彼はこの2、3日前からちょっと神経に障るようなことを言う。今日も何でもないこととして聞き流しておけばよかったものを、――僕も意地になった所がある。親指を切る。西江さんも左手の人差し指をかなり深く切ったようだ。「煙草を吸う暇がないのに、手を切る暇があるとは」と冷やかすように言う彼の言葉は許せなかった。しかしそれ以前に感情的になっていたから、余計にそうなったのかも知れない。西江さんが指を切ったのも、感情的なことが原因だったかも知れない。石井さんが夕食にテンプラを揚げて欲しいようなことを西江さんに言った。西江さんはそんな手間もヒマもないとその申し出を蹴った。「マッチャンがいるじゃない」と石井さん。彼のやらせればいいじゃない!――とは言わなかったが、そう言っているのと同じことだ。彼にそう言う権利はないのだ!と僕は内心ムッときた。それでかどうかは知らないが、僕が右手の親指を切ったのはその後すぐのことだった。そんなことがあったので、煙草を吸うヒマがないのに手を切るヒマがある、という彼の言葉は皮肉に聞こえた。いや、彼はそれを承知の上で言ったのだ。寿司場は今日は早く終ったが、彼は洗い場に声をかけずに先に帰って行った。こんなことを繰り返していては進歩はない!しかし、彼のような男には絶対に負けないぞ!という闘志が湧いてくる。
2月28日(日) 曇。 12℃(夜)
 昼、殆ど客なし。久し振りの日曜の昼。ゆったりとした気分で仕事。昼の仕事が終って Spectacle(通称コロコロ)の横のカフェへ西江さんに誘われて行く。昨年10月、労働許可証を申請に行った時に警察にいた(西江さんお気に入りの)女性が若い男性と一緒に入ってくる。西江さんは声をかけたそうだったが、僕は止めた。その後コロコロヘ。日曜は3時15分から開くとか。普段は2時45分。結局、金曜日に勝った5百フランはすべて負けてしまったらしい。西江さんと別れて大橋君に電話するが、ネパラ。部屋に帰って Nicolas を読む。昼間皆ちゃんがキッチンに来て西江さんの仕事を30分程手伝った時、恩を売っておくよとズケズケ言うところが気に掛かった。その言葉がなかったら皆ちゃんに対して嫌な感じは起きなかっただろうに。前川氏の下で長らく働いているとあのようになるのか?。しかしあれが現実の姿かも知れない。彼も、そうズケズケ言うだけ陰湿さがないと思ってやるべきか――。何だか西さんが可哀想になったことは慥かだった。
 夜、忙しい。石井さんは今日で終り。みんなドラッグで彼を待ったがなかなか来ない。江田さんは先に帰ってしまう。「オグラ」の店主と話していたようだ。多分そこで働くのだろう。辞めた理由は、1年したら給料を上げると言っていたのが、一銭も上がっていなかったらしい。7千フラン位貰っていたのだろう。アンドレさんも来る。「オグラ」ではボーナス7千フラン出たと聞いて、アンドレさん、目を白黒させていた。
 皆ちゃんが深野さんに遊びに来てくれと声をかけていたが、私を少し無視するような感じだった。昨夜のことが原因だろう。
 3、4日前、石井さんは白川さんに鍋を洗えと言ったが、白川さんはそれを拒んだ。石井さんはどうしても洗わしてやろうと、白川さんの前で当てつけるように鍋を磨く、西江さんは見ていられなかったから一緒になって磨いたのだ、と。二つの鍋はきれいに光っていた。しかし、その話を聞き、また石井さんの口調から、僕は白川さんに同情したものだ。その時から石井さんには、こんな人だったのかと思い、いい気がしなくなった。白川さんに直接聞いてみないと判らないが、同じ洗い場の仕事をしているという気持もあるからなのだろう、白川さんの肩を持ちたいとその時思った。勿論、最初はちょっとした事がきっかけで、お互い感情的になってしまったのだろうが…。それからだ、石井さんに対して以前とは少し違った気持で接するようになったのは――。
 石井さんが帰った後もドラッグで皆ちゃん達と話した。皆ちゃんの家庭も複雑なようだ。彼は父親が19歳の時の子だとか。両親は離婚し、新しい母親にはうまく馴染めなかったようだ。異母妹、異母弟とは年齢が違いすぎ、兄弟としての感情はあまり湧かないらしい。彼の料理人としての自信や少しつっぱったような感情の動きは、恐らくそのような彼の家庭環境からきたものだろう。彼を少しは納得することが出来たようだ。
 岡田君は本当に物書きとしての才能があるのか?、まだ納得がいかない。実際、彼の作品を読んだことがないのだから――。今日は久し振りに彼とも話す。悪い時間の過し方ではなかった!。岡田君のことから、何か刺激を受けたようだ。
 朝、Douche に行って仕事に廻ろうと思っていたのが、――歯を磨いていた時、前歯を洗面の中へ落してしまう。一瞬冷や汗が出た。歯抜けでは仏語の勉強にもならないし、恥かしい。どうなることかと自分の不注意を歎いたものだ。昨日も危ういところで落してしまうところだった。そして、今朝!、――しかし取り出すことが出来てホッとした。人生とは常にこの前歯のように、気にかかる問題を抱えながら生きて行くことを意味する。――と思えば、それほど神経質になることもあるまい。








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