上梓【2010.01.18】
パ リ 日 誌

Il y a longtemps que je …


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  1 月  

1982年1月1日(金)
 大人である辻ただし君がいる。彼に誰か(親父かおふくろのよう)が小さい頃の僕のことを話している。「あの子は負けん気の強い子でしたからね、外で誰かと喧嘩して負けても決して泣きはしなかったんですが、家へ帰ってきて、こっそりと、両眼からポロポロ涙をこぼしながら泣いたものです」と、そんな内容のことを話している。それを聴いている僕はそれほど心の動揺は感じていなかったようだ。この後、僕の<ひねくれた心>の現れと思えるような態度を僕はとっている。玉を針金から糸へ通す仕事の場面――しかし今はその情景の細かなことは憶えていない。そこでの僕は辻君に対して勝ち誇った満足した気持でいる。ところが……続いて次のような夢を見たようだ。
 性の衝動に駆られて腰を動かす真似をしたが、その事実をおふくろが健ちゃんのおばちゃんに興味本位に暴露している。それを聴いて凄く恥かしい思いに捕われ、一瞬気が動転してしまい、おふくろの片手をつかみ、右手でおふくろの背を叩き、倒してしまう。それを見た親父が「親に何をするか!」と言って、逃げる僕を追っかけてくる。おふくろは何か言っている、……「障子の隙間から覗くと、この子、一人で右手でゴシゴシとあれに耽っている」というような内容のことを面白そうに喋っている。僕は必死になって親父に訴えている。その親父というのは、小さい頃玉通しを嫌がっている僕に暴力を振るった父であるから、凄く怖い存在である。その親父の怒りを鎮めようと僕は必死である。右手の人差し指を左手で握って見せ、「お父さんもこうゆう時があったでしょう!解ってくれるでしょう!」と言っている。親父の剣幕は静まり、多少狼狽と羞恥の表情に変る。しかし僕は必死でなおも訴えている。そこで目が覚めてしまった!。時計を見ると午前7時を少し過ぎていた。3時前に眠りに落ちたようだから4時間位しか眠っていない。その眠りも浅かったようだ。あまりにも衝撃的な夢だったので、そして僕の心の動き方の核になるようなものがありそうなので、こうして書き留めようと思った訳であるが、しかし、目が覚めた時のあの衝撃は、今は殆ど完全に薄れてしまっている。今8時15分。外は少し白み始めたようだ。
1月2日(土)
 昨夜の夕食にお節料理と日本酒。しかし仕事前でもあるし新年の感じは全くない。昼間も忙しかったようで、夜も案の定大忙しで大入りとなった。大橋君をドラッグに30分よけいに待たせてしまう。11時30分。ラーメン亭で食事して、サン・ミッシェルまで歩く。「愛のコリーダ」を観ようということになる。上映時刻に30分遅れる。まだ入れたので入る。しかし入口を間違えたのだろう。新聞記者の日常を追ったドキュメント風の映画がかかったていた。観客は6~7人。昨年の10月頃の政治家の動きを追っていたので、大統領選挙に至るまでの動きを追ったドキュメントものか?と想って観ていたが、そうでもない感じで、うとうとしてしまう。2時前(午前)にそこを出て、カフェに入る。彼のホテルに泊まる。朝の7時半頃まで外大時代の回顧談。午後1時頃起きる。彼はまだ眠るとのことで、彼の部屋を一人で出る。アラブ学食で昼食後、帰宅。手紙は着ていない。
1月3日(日) 曇。 11℃ 13℃
 ドゥシュを浴びてマビヨンへ。食事は神谷君と同席。その後大橋君のホテルへ。彼の隣の部屋に泊っている日本女性(40歳位)は中近東を旅行して先月の中頃フランスに入ったとか。以前神戸で学校の教師をしていたらしい。大橋君が主に聞き役をしていたが、横に立っている僕を殆ど無視しているような話し方で、それほど気が乗らなかったが、聞いていてその話の内容に少し興味を覚える。労働許可証を取得したいとかで料理店のカウンターの仕事をしていたが、とてもキツク勤まらなかったようで、パトロンと喧嘩して辞めたとのこと。そのパトロンがこの3月までに申請すれば労働許可証の取得は可能であると言っていたということだが、少し疑問を持つ。しかし聞いていてやはり疲れた。大橋君も最初は乗り気になっていたが徐々に退屈してきたようであった。角のカフェで彼は食事。その後この部屋に来る。彼はここに来るのが今日が初めて。
 菅野さん、コロコロで千三百フラン負けたとかで、しょんぼりしていた。石井さんはツイテいるようだ。西江さんはそこそこらしい。
1月4日(月) 晴後曇、夕方小雨。 13℃ 12℃
 寝過ごした。目覚まし時計を止めた記憶がない。朝方はいつものように浅い眠りではなかった証拠だ。10時過ぎに起きる。マビヨンで管野さんに出会う。彼はカトリックの語学学校に入ってみるとかで、アリアンスまで一緒に歩く。その学校はアリアンスの近くにあるらしい。彼と話していて、やはりⅢの続きを受けることにする。クラス変更希望の者や、新しく入学手続きをする者達で受付は黒山の人盛り。並んで変更手続きを終えるのに10分もかかる。12時半からのクラスは4百フランで50フラン安い。但し時間15分短い。学生数は10名で少なくてよい。佐々木さんは見かけなかった。宝利さんは不合格のようで、合格者の欄に名前は載っていなかった。宿題だけを済ませ図書室を出る。ジュンクへ行くが内装工事中。白川さんに出会い、一緒に東京堂へ。店の前で以前JISUにいた女性に出会う。彼女は先月そこを辞め、現在ジャポテックの旅行関係の仕事をしているとか―。フランスの政治状況を書いた書物は既になくなっていた。1時間近く立ち読みをして時間をつぶす。夜、客は少なく忙しくなかった。安藤君、仕事は明日で終り。
1月5日(火) 雨。 11℃(夜)
 「築地」の近くで学食へ行く神谷君に出会う。彼は今月はアリアンスは休み、デッサンに打ち込むらしい。非常に筆が伸びると話していた。彼と別れて学校へ。先生は休みとかで、代りに男の先生がやってくる。先日図書室で見かけたことのある人だ。言葉を出すのに苦しそうな感じ。発音はよくないが、非常に熱意があり、教師然としたところは全くなく、生徒を笑わせ自らも笑い、気のよさそうな人のようで好感が持て、面白かった。日本語も少し知っているようで、「もしもし」「むつかしいですか」「あすきますか」等と話しかけてきた。生徒から結婚していますかと尋ねられ、独身であなたを待っていますと応え、みんなを笑わせていた。
 カトリックの女性に話しかけ、国籍を尋ねると、devinez と言うのでちょっとこんがらがってしまった。韓国の女性であるという。言い当てて下さい、の意味であることが解るのに多少の時間がかかった。佐々木さんは今月は授業を受けていないのかも知れない。
 夕食時、9月頃働いたことのある韓国の女の子が店にやって来る。失職し、またここで使って貰おうとやって来たらしい。アンドレさんは彼女に同情したようで、食事を食べさせていた。8時頃まで社長を待っていた。社長に駄目だと断られたようだ。西江さん曰く「みんなに無視されているのを見ると、可哀想になってくるんだなぁ……」と。2時間近くも待っていたことになる。以前の彼女と打って変って、沈鬱な表情をしていた。アンドレさんや西江さん、人情が豊かなのだ、少なくとも僕を含めた他の者達よりは。
1月6日(水) 曇。風が冷たい。
 管野さんは図書館に姿を現さず。恐らくカトリックの語学学校で勉強しているのか、何か別の用事があったに違いない。モンパルナスで映画 "Le Professional" を観る。ジャン・ポール・べルモント主演のアクションもの。学生証を見せると授業料を納めてあるかどうかまで確認される。学割がきいて17フラン。マビヨンで夕食をして帰る。何か物足りない休暇……。
1月7日(木) 曇。今日も風が冷たい。
 昨夜は眠れず、3時半頃まで小説を読んだり、テキストⅠを読み返したり。
 先生から便りがない。少し気になる。山口さんに転居通知が届かなかったのだろうか。
 10月の先生 Mme MAGLOIRE とすれ違う。昨日もそうだった。今テキストは何処をしていますか、先生は誰ですか等と訊いてくれる。有難いことだ。今の先生は気はよさそうで、先月の先生のように複雑な性格の持ち主ではなさそうだ。しかし黒板に書く回数は先月の先生よりは少なく、聞き取りにくさは同じ。これは<時>と<努力>が解決する問題か?
 Pl.de la Contrescarpe の近くの公衆浴場へ。帰宅し、宿題。
 安藤君がいなくなり、今夜から洗い場に戻る。昨夜はカテリーナさんが洗い場を手伝ってくれたそうで、西江さん元気一杯。今日位の入りなら、それ程苦にならないが、さてこれから、人手は減ってどうなっていくか……。
1月8日(金) 昨夜雪、朝一面に薄化粧。
 授業は殆ど聞き取れなくなっている。これはどうしたことか。しかしⅡをやっていた時は聞き取れていたというのか!。実際はⅡをもう一度やり直し、聞き取りの力をつける必要がある。友達と積極的に仏語を話す練習を避けてきたことの結果でもある。来週からⅡをやり直すか!
 午後先生の手紙が配達された。心待ちにしていた日本からの便り!。いよいよ日本が近くなってきたか。問題は、家族の人達が何時頃フロリダに出発するかだ。先生は息子さんが出かければ何としても力をかき集めて行動を起すつもりのようだ。しかし、若し息子さんの奥さんたちの出発が夏頃になるのなら、まだ当分はいい。しかし今春だとすると、僕もゆったりとはしていられない。その点をはっきり確認する必要がある。それに山本君のことも知らせないといけない。この手紙には山本君のことは全然触れられていない。彼は年賀状も出さなかったのだろうか。
 今夜は皆ちゃんと仕事。それ程忙しくなく、彼の意見をいろいろ聞く。白川さんが水曜日、僕が日曜を通して働けば、西さんはキッチンで一人になる日はなくなる、と云うのが彼の案。流石、皆ちゃん、よく考えている。西さんに対する不満、批判も理にかなっている。僕はそこまで考えたことはなかった。年長者としてその位の考えは脳裡をかすめてもよかった筈。その点我輩はまだ子供か!
 カリーナが手伝いに来る。いろいろと話す。話すと手の方が留守になった。深野さんの橋渡しもあって、話をするきっかけがうまく掴めたようだ。以前交換教授をしたことがあることはそれ以前に知らせてあった。彼女は乗り気を示した。深野さんにも先日交換教授を希望したらしいが、断られたそうだ。深野さん「俺も本当は引き受けたかった」と本音らしき言葉を付け加えたところがいい。……、と云う訳で、明日の朝10時、キャトル・セプトンブルで会う約束をする。
1月9日(土) 曇、夕方より小雨。 2℃(夕)
 カリーヌとキャトル・セプトンブルで会う。6~7分遅れる。彼女はベンチに座って待っていた。メトロ Bourse 近くのカフェに入り12時頃まで話し、ゴン・パレの学食で昼食。ALMA MARCEAU までセーヌに沿って歩き、そこから地下鉄でモンソー公園へ。メトロを出ると外は小雨がぱらついていた。雨に濡れながら公園を抜け、再びメトロに乗った。BELLEVILLE という駅で降りる。彼女はこの近くに住んでいる。ここから少し見えますと彼女が指を指した方向は二つのビルに挟まれた辺りであった。近くのカフェで5時過ぎまで話す。ゴン・パレで夕食を終え外に出た時「私はお金を第一に考えない、食べて着るものがあり住む場所があれば、静かな生活を好みます……」という意味のことを仏語で話し始めたが、その時の彼女の顔は真剣であった。hypocrie は嫌い、とも言っていた。3年前タイからこちらへ来たらしい。一人の兄はカナダにいる。彼女はいま65歳位になる両親と3人暮し。姉さんはパリに住んでいるらしく、ブティックのような店を経営しているとか、暇な時はそこへ手伝いに行くようだ。彼女の給料だけで両親を養っているらしく、生活はあまり豊かではないようだ。傘はなく、それでも気にしていない様子だった。
 日本人は心が小さい云々、と言ったのが少し心に引っかかっている。大男人主義、これは中国語で、それに相当する仏語 orgueilleux を教えられる。日本の男性は大男人主義と思っているのかも知れない。愛嬌があって話好きで、時々冗談も言い、退屈することはない。日本語はまだまだ下手で、間違って発音したりするので、その言わんとするところを推し測るのに多少頭が疲れたが、僕は無口のほうなので気が合うらしく、退屈することはなく楽しい一日を過すことが出来た。昔好きだった女性のことを話すと、興味を持ったようで、会話は楽しく進んでいったようだ。彼女には特定の男性はいなかったようだし、現在もいないようである。アリアンスの教科書はⅢの3課位まで勉強したとか。
 社長がジーンズ姿を嫌うようで、スカートにして下さいと言ったとか。スカートは寒いので今晩手伝いに行けるかどうか判らないと言っていたが、やはり今夜彼女はサクラに来なかった。菅家さんは風邪で今夜も休み。何人かはNHKの事務所へ紅白歌合戦を観に行ったようである。西江さんは非常に楽しかったようだ。(望郷の思いが胸に込み上げてきて?)何回も涙がこぼれそうになったとか――。
1月10日(日) 昨夜雪、朝一面に真っ白い雪景色! 2℃(夕)
 洗濯後、ドゥーシュを浴びに行く。12時10分前に滑り込みセーフで入ったので急がされた。出ると、ホースで各部屋に水を吹きつけ掃除を始めている。もう少し早く入った方がよい。しかしこの次の日曜日からは一日通しの仕事となるだろうから、どうなるか? 早く出かけて、湯を浴びてから仕事に行くとするか……。アラブ学食で昼食。
 リュクサンブール駅でカリーヌを待つ。1時半に姿を見せた。少し遅れたと詫びていたが、約束の時間内。リュク公園は白く化粧されて、また違った趣があった。彼女はよくこの公園に一人で来て本を読んだりしたそうだ。昨秋僕に日本の秋の趣を感じさせてくれた辺りが彼女も好きだと言った。「君の写真をここで撮りたい」と言うと、「わたし以前カメラ二つ持っていた。何処か忘れてしまった。二つとも今はない。わたし、よく忘れる」。カメラを取りに行こうと言い、彼女をこの部屋に連れてくる。途中の電車の中で、彼女は自分の Cart d'identité のことを喋りだした。何を言っているのか解らなくて何回も問い返し聞き返しして、やっとおおよその見当をつけることが出来た。身分証明証の彼女の名前が間違って書かれてあったのでその訂正を申し出たが、すぐに出来ない、後6ヵ月かかると言われたらしい。
 カリーヌを部屋に入れほんのしばらくすると、ドアをノックする音。開けると一人の若い女性が立っていた。Bonne année! と言い、une cadeau (アメ玉の入った袋)を手渡された。彼女が行った後で、誰だか判らなくて、Qui est-elle? と言って考え込んだ。大家さんのお嬢さんは以前見たことがあるのだが、その時の顔とまるで違っているように思われた。しかし部屋の chauffage はどうですかと尋ねてくれたのだから、彼女に違いない。後で、その時の僕の顔が可笑しかったとカリーヌは僕をからかった。贈り物を貰って嬉しいですか、と言い、わたしの誕生日、わたしの誕生日と冗談っぽく何回も繰り返した。彼女にお茶をいれ、パンにジャムを挟んでやると、本当に嬉しそうに食べていた。そして終に5時過ぎまで話し込んでしまい、写真を撮りに出かけることは出来なかった。
 J'étais passé mon examen. と彼女が言ったので、そういう形はない、J'avais passé mon examen. となるのだと言い返す。彼女は中々承知しない。すったもんだの末、やっと間違いを認めたが、そのあたり頑固なところがあるようだ。[後記-あまり自信がない。Je suis(J'étais) passé à l'examen. となるのかも知れない。]
 courage - courageux(se) に勤勉なという意味もあることを彼女に教わる。bien travaillé! という意味で bon courage! という言葉をよく使うらしい。"Au revoir! à demain, bon courage!" と彼女は立ち上がり、自ら実演して見せた。
 彼女の生活は苦しそうである。彼女の現在の給料は3千フラン位らしいが、部屋代だけで1ヵ月2千5百フランかかるとか。両親は働いていない。もうすぐ結婚する兄が金を入れていたのでこれまで何とかなってきたらしいが、来月から彼女だけの給料で親子3人生活していかないといけない。昨日彼女が僕に「あなたオペラ座の前で人々に1フランくださいと言っているのを見た」とか、今日会ってすぐに「シャトレで可愛い子供がアンフォン!アンフォン!と言って来た」と言ったのも、彼女の生活状況から実感として出てきた言葉なのだ。カナダで生活している兄は、先頃バカンスで帰って来たらしい。その時両親にいくらか金を与えたが、わたしには何もくれなかったとか、この前そのカナダの兄から電話がかかってきて、両親をカナダに呼び寄せたい、恐らく今年の終り頃に、と言っていたが、カナダへ行く旅費のことがまた問題だとか、そのようなことを話していたようだった。一人になったら、スイスか日本に住みたいらしい。
 彼女は専門学校で簿記とタイプライターの試験に合格し、去年の9月から政府の紹介で働いているが、それも6月までだとか。その時点で簿記とタイプライターの国家試験を受けるつもりのようだ。しかしその試験はかなり難しいらしく、彼女の生活がかかっているので、かなりシビアーなものとして彼女は感じているのかも知れない。いや、そうだと想う。彼女が時々見せる真剣な眼差しやあの頑固さは、必死で生きている者に特有の表情や心の動き方のように想われる。
 最後に彼女の電話番号を尋ねると「あなたかしこいね」と言う。最初その意味が理解出来なかった。彼女にしてみれば、わたしに電話があることをどうして解ったの?と訊きたかったのだろう。しかし僕は、君の電話番号を知っているといろんな点で便利だ、例えば……云々と言ったのだが、まだその時僕はまるで解っていなくて、多少不愉快な気分であった。しかし彼女は、兄が電話してきたと言ったことから電話があることを知ったのは、頭が良い、賢い、と思ったのだろう。しかしそれは論理的に当然で誰でも判ることだと言ったが、彼女は「わたし、ばか。あなた、かしこい」と言う。彼女にしてみれば、教えたくなかったのでそう言ったのではなく、電話のあることがどうして判ったのか、多少不思議に思ったからなのだろう。今はそう思っている。別に他意はない。
 今日は本当に楽しい時を過ごした。
 今夜、社長が西さんに薬を持ってきた時、Convocation のことについて相談すると、行ってみたらよい、まさか帰れ!とは言わないよ。そんな場合私に電話すれば何とかしてあげますと言う。しかし僕は4月頃に帰国しなければならないし、行くつもりはないと言うと、それならそれでいいでしょう、パスポートさえ持っていれば大丈夫ですよと言ってくれた。それで当初の通り、呼び出しの13日にはシテ島へは行かないことにした。
1月11日(月) 曇、夜晴。仕事の帰り、星は煌々と輝いていた。 0℃以下
 テキストⅡの授業に変える。18課から。先生は廊下でよく見かける男性。発音は比較的解り易い。明日は会話の試験があるので授業はすべてなし。
 折り紙を探すが、日本の折り紙はなく、東京堂へ。しかしそこにもなく、ジュンクへ行くがない。東京堂で鈴木さんに出会い、カフェで話す。一昨年の5月頃から10月頃までスペインのグラナダ等を旅行したときの写真を見せて貰う。また初めて彼のデッサンも。彼の道のりはこれからまだまだ長いだろうと想うが、しっかりした目標を持っているだけに、少し羨ましくも思う。彼は今モンパルナスのレストラン「東京」で働いている。夜の5時30分から12時まで、月2千フランにチップが加わる。パトロンは韓国人、しかし日本レストラン協会に加入しているとのこと。仕事は以前の「東風」(1ヶ月昼夜通しで千6百フラン)に比べれば格段に楽で給料もよい。
 彼と別れて、オペラのドラッグで贈り物の包装紙(papier de Luxe pour cadeaux)を買う。これで折り鶴を作って、昨日のお礼返しにするつもり。
 夜、カリーヌが店に来る。洗い場を手伝ってくれる。精神的に疲れる。この意味は既に二度彼女と rendez-vous したことからくる。他の誰よりも彼女に近づいた者の感じる疲れで、これから先思いやられる(?)……とかなんとか。岡田君が彼女をレストランに誘っていた。その時の我輩の動揺がどうであったか!。少し偽善的であったかも知れない。ゴミを出してきた我輩とカリーヌが話しているところへ彼がやってきて、「もういいです!……」と言う。我輩はカリーヌに "Il t'a demandé. Est-ce qu'il peut aller au restaurant avec toi?" と彼の前で通訳すると、彼女は Non! と言った。彼女は帰り道が同じだから一緒に帰るつもりだったのかも知れない。それが我輩の visage から反対の応えをしたのかも知れない。彼がカリーヌにレストランに行こうと誘っているのを耳にした時、彼女はみんなと一緒ですか、と訊き返していたが、彼はそれを打ち消していた。それを彼女が理解していたのか……、その後彼は鮨場で待っていて下さいと言ったが、カリーヌは待とうとしていたのだ!。"Ça c'était mon 狼狽" という訳である。
 カリーヌは以前、7月か8月に(恐らく昨年だろう)1ヵ月アリアンスに通ったらしい。学費は払わずに、一日中何処かのクラスに潜り込み勉強したらしい。それを話す彼女は全く悪びれず、こちらも可笑しくなってくるような話し方だった。また少し惹かれたようだ。しかし彼女の家庭状況を知っているから、多分に同情の気持もあるのかも知れない。噫! Pity is akin to love!
1月12日(火) 雲ひとつない晴天。 0℃以下
 昨夜は4時か5時頃まで起きていただろうか、今朝目が覚めたのは10時半頃。主人に学生証を見せ、その後、昨夜折った折り鶴をお嬢さんにあげてくださいと言って手渡すと、主人は C'est trés joli! と言って顔をほころばせてくれる。
 マビヨンでは、警官が入り口や出口に立っていると知らされる。昨日だったか、出口の所で誰か警官に訊かれていた、呼び止められたのだろうか。なんとく気にかかる。なに!大丈夫だとは思うが……。
 帰り、自由の女神像を見に行く。あまりに天気がよいので部屋に引っ込んでしまうのが惜しかったのだ。セーヌの水かさが増し、水位がずいぶんと上がっている。遊歩道を歩く。雪が凍っていてよく滑り歩きにくい。風が冷たかったが楽しい散歩であった。Passy から La Muette まで歩き、メトロに乗り帰宅。部屋で明日提出するデダクションを書く。あともう少し残る。
 夜、カリーヌが店に手伝いに来る。客は少なく、「鮨けん」には一人も入らなかったそうだ。岡田君はキッチンには姿を見せなかった。彼も苦しいところか――。
 やはり何だか苦しい。精神的に疲れる。暇だから他のギャルソンもカリーヌを相手に時間を潰しに来る。彼女は愛嬌がある。また軽く見られているところもある。足で蹴る素振りをしてみたり、彼女の頭を指でつついたり、アンドレなどは抱く真似をして見せたり、が、とるに足りぬ些細なことと言えばそれまでだが、僕を苛立たせるのだ。
 アビヴが入って来て15分程カリーヌと話していたが、西江さんは全く拗ねたような素振り、話の内容が解らないから尚更なのだろう。アビブは以前船乗りの仕事をしていた。彼の叔父さんがそうだったかららしい。しかし病気を患い船から降りた。フランス語は彼の国の学校で4年前から習い始め、今はもう殆ど理解出来るとか。慥かにいい発音をしている。彼は1ヵ月4千フランも給料を貰っているらしく、それを聞いた時は驚いた。
 カリーヌの右手の小指の傷はアビヴの悪戯が原因だと彼女が言ったが、彼は否定した。その時はカリーヌが冗談っぽく話しているのだと判断して気にしなかったが、やはり今そんなことも気になってくる。
 僕がアビヴに質問していた時、西江さんがカリーヌに「明日は彼よりフランス語が話せる人が来るからね、日本語勉強しようね、明日は楽しいね……」等と言っていた。そんな言い方は僕に対する挑戦的な言葉なのだ。云々、云々、等等。これがカリーヌが僕の心に引き起こしつつある精神的混乱の一端なのである。そんな中で、他人に対する寛大さとは一体何だと言うのだ!。愛とは何だと言うのだ!。所有欲とは愛の夾雑物なのか、それとも必然的に付随するものなのか。僕の気持はこれからどのように動いて行くのか。彼女にとって幸せとは何か。そして、僕はカリーヌに一体どこまで責任を持てると云うのか。
 明日午後6時半~7時に地下鉄リュクサンブールで会う約束をする。これは仏語で話した。西江さんには何も解らない。少し罪悪感と優越感を抱きながら。これが人間なのか。彼女と一緒に世界を舞台に人生に揉まれて行ってもいいではないか!
1月13日(水) 晴天。相変わらず寒い。
 カリーヌを Métro Républic まで送って、今帰って来たところ。今日は充実した休日であった。いつもの水曜日と違って、より人間的であった。
 午後は先生に手紙を書き、そこのタバコ屋で切手を買って出した。少し早かったが、その足でリュクサンブール駅へ。20分程待っていると、カリーヌが来る。6時45分だから、約束通り。彼女は一度家に帰ってまた出て来たらしい。ポール・ロワイヤルの学食で夕食。食事中彼女から何故韓国女性が店を辞めたのかとやや詰問調の質問を受ける。先日その韓国女性がまた働かせて欲しいと言ってきた時、彼女は奥で天ぷら紙を折っていて二人の話を聞いたらしい。前川氏は今日は客は少なく人手は余っているから雇えないと断ったらしい。韓国女性は9月の終りに「サクラ」を辞めてからずっと働いておらず、職探しは外国人には難しい、先日訪ねた店のパトロンからは、以前何処かで1年以上働いたことがあるか、若しそうでなければ駄目だというようなことを言われたらしい。あの時の韓国女性の顔は相当深刻そうに見えたとか。2、3日働いてみるかと前川氏は最後に言ったらしいが、韓国女性はあれ以来店に来ていない筈。カリーヌは社長の心は大きくないと直感したようだ。彼女の日本人を視る目は相当厳しいようだ。
 オデオンまで歩き、そこからメトロに乗る。電車の中で彼女に僕の住所(大阪の)を書いてやる。彼女の住所も教えて貰う。冗談っぽく、カリーヌが亭主と一緒に日本へ旅行に来る頃は、僕はまだ一人でいるかも知れないな、そしたら、je serai triste, n'est pas? というようなことを言うと、彼女、何か感じ取ったような表情をした。
 部屋で彼女が持ってきたカセットに『仏作文の練習』の中の日本語の例文等を録音してやる。交換教授は10時40分頃に終ったが、大層満足げな顔。それから彼女を送って出る。
 電車の中で店の従業員のことを話す。彼女に名前を教えてやった時に、西江さんや岡田君は今夜は少し pas contents だと言うと、ポール・ロワイヤルではその意味は解っていなかったようだが、この時はすべて理解したようだった。しかしそんなに心配することでもないと言ってやると、その言葉もそのまま受け入れたようであった。彼女にしてみれば、みんな友達として話していたのだが、僕がいらぬ心配をしたのかも知れない。しかし今日の彼女との心の交流から、そこは是非とも彼女に少しは感じ取らせておきたいと思った。
1月14日(木) 晴、午後より曇。 5℃ 2℃
 ダニエルさんから封書が届く。正午過ぎ、彼女に電話する。(後で電話番号を確認すると、彼女の隣の人の番号とは違っている。――ということは、彼女の部屋にある電話ということになるのか、翻訳料が入り経済的に楽になったのだろうか……)懐かしい声が聞こえる。まだブローニュの日本人に仏語を教えているらしく、明日はその仕事で駄目、土曜の午前10時にポンピドーの図書館で会うことにした。アリアンスの状況をフランス語で話すと、うまくなったと言ってくれる。しかし以前はフランス語で話すことはあまりなかったのだから……。彼女は今日は会えないこと、明日の予定等を言っていたようだが、細かい点は解らなかった。仏語習得に良い本があるというようなことを言っていたようだ。手紙には Caen の或るリセで10週間、le stage d'enseignement を終えたと書いてあったから、恐らく彼女が以前言っていたように、仏語の教え方の講義を受けていたのだろう。土曜日が待ちどうしいような感情もある。今朝届いた郵便物は先生からのだけかと思ったが、彼女の名前が目に入った時は、何だ今頃!という感情が沸き起こったことも事実である。手紙には、Bonjour! Comment allez-vous? の書き出し、距離は遠のいたように思った。しかしこの機会を通して会話の力を伸ばす必要がある。
 帰り、犬のカレンダーを買う。表紙の犬の絵葉書(にもなるように作ってある)を先生に送る。
 夜6時半頃に店にカリーヌから電話があり、7時頃手伝いに来る。昨日彼女と rendez-vous したことが僕と彼女の関係を決定づける印象を店のみんなに与えたようだ。西江さんも苦しいところ――。少し心が痛むが、仕方がない。彼も認めてくれたようだ。しかし昨夜の西江さんを想像すると、やはり心に痛みを感じる。昨夜彼女は疲れたと言っていたので今夜来ないと思っていたが、僕の予想は外れてしまった。カリーヌの日本語熱は相当高いようだ。菅家さんにメモに書いた日本語を訂正して貰っていた。彼女なら、前の韓国女性と違って、店のみんなに受け入れられ、みんなと一緒に働くことが出来るだろう。
 西江さんの話によると、社長は韓国女性を雇うつもりだったとか。しかし皆ちゃんが反対したので駄目になったらしい。皆ちゃん本人の口から直接聞いたとか――。
1月15日(金) 晴天。 5℃ 1℃
 Rue Lacépésde へ Douche。帰りミラボーのカフェでロットの当り番号を確かめる。西江さんがマダムから教えて貰った番号だと、3 numéros が三つ、4 numéros が一つ当り、2百フラン位ふところに入る勘定だが、やはりそれは間違い、石井さんの言う番号が正しかった。全くもってヌカ喜び――。
 部屋で今日のディクテの訂正。
 夜、今日の料理人は皆ちゃん。カリーヌ、7時過ぎに来る。電話連絡はしてこなかったようだ。今はまだ精神的に疲れるが、徐々に彼女、サクラに溶け込んでゆくようになるだろう。カリーヌの表情が多少違って見える。最初の頃はもっと大人っぽかったが、水曜日の夜に感じたあの子供っぽい表情が今日はよくちらついて離れない。名前は忘れてしまったが、1年2組にいた生徒の顔によく似て見える。ちょっと不思議な感じだ。
 まだ江田さんなど、少しイヤラシイ言葉を彼女にかけることがある。彼女がその言葉の意味が理解出来ないだけに、傍で聞いていて少しムラムラとくる。男のイヤラシサ、クダラナサ、江田さんなどそのあたりのケジメが出来ない人だ。
1月16日(土) 晴天、暖かい。 10℃ 9℃
 約束の10時に10分遅れてポンピドーに着く。職員がストで閉館。10~15分程待っているとダニエルさんが来る。久し振りに見る彼女の顔は何処か疲れた感じ。以前に見られた可愛らしい表情は、恐らく疲労の為だろうか、見られず、ずっと大人っぽい表情をしていた。カリーヌとは違って知的な感じがあり、会話が途切れる時が少し気になる。カリーヌのように感情の起伏がそのまま言葉や表情になって表に出てこない。Boulbard de Sebastopol に面したカフェ Le Rambeau に入る。手紙に書いてあった電話番号は彼女のものではなく、月火木金の8時半~12時半までアルバイトとして医者の受付をしていて、そこの電話番号であることが判る。彼女の仕事中に電話したようで、道理で彼女がすぐ出た訳だ。例の翻訳は今月の終りに出版されるとのこと。日本へ行くのは、リベラシオンという新聞社から依頼されて鎌田慧氏のインタビュー記事を書く為らしい。東京に住んでいる日本の友達に手紙を書いて彼女の家に宿泊可能ならば出かけるらしく、返事の届くのを待っている段階らしい。今誰か他の人と交換教授をしているかと訊くので、カリーヌのことを少し触れておいた。今日は出来る限り仏語で話した。彼女も仏語で応えてくれ、以前とは違い少しは解る感じ――。Le Matin は読み易いから、水曜日に木曜日付けのを買いそこに載っている記事について議論しましょうと云うことであった。彼女は今は日本語について教えて貰う必要はないと言う。大学卒業後、今年の10月頃、日本へ仏語教師として可能ならば行きたい、との希望を持っているようで、ジャーナリストの道は断念したようである。彼女は正午過ぎにデフォンスで人に会う約束があったようだが、東京堂書店のことを話すと、行ってみたくなったらしく、電話を入れ約束の時間を延ばしたようで、一緒に行くことになる。日本企業のアジア進出が現地でどのように評価されているのかという問題に興味を示したが、その種の書物はパリまで届いていない。また日本の新聞は15フランと高く、買うのを諦めたようだ。その後ラーメン亭に行き、僕はカレー、彼女はラーメンを食べる。彼女と別れて、セーヌ河沿いにフランクリンまで歩く。それから部屋に戻る。
 今日は土曜日。それに気温も高く、大勢の人が町に溢れ出た。我が「サクラ」も予約客が20名近くあり、夜だけでスキヤキの肉が19人分出る。大入り。洗い場の流しの管が外れて地下へ水が落ち、ボロ切れで何とか修繕。西江さんも僕も少し苛立っていたのでつまらぬことで口論となる。その修繕途中、しっかり押さえていないからまた外れたじゃないか!とヒステリックに怒鳴ったので、ついこっちもカッとなり怒鳴り返してしまう。しかし大したことではない。あんなことで従業員同士が喧嘩しても始まらない。人手不足の状態を続けている「サクラ」の経営方針に問題があるのだから。石井さんが入って来たとき、「サボタージュしにセーヌの岸へでも行きますか?」とこの状況をぶちまけると、彼の口からパトロンに対する反撥の言葉が出てきた。岸のことを仏語で何と言うのかと訊くので grève だと言うと、セーヌ河岸へ行くことはストライキを意味すると説明したこともあってか、成程ねという反応が返ってくる。帰りは昨夜と同じ様に久保田さんと電車が同じであった。彼女はフランス在住はかなり長いようだ。「オグラ」の店主は5年前まで今の鮨ケンの場所でうどん屋をしていたとか。勿論前川氏に場所を借りて。また前川氏が8年前「京都」の支配人をしていた頃、毎日店の売り上げから百フランずつ自分名義の預金通帳に振り込んで財産を蓄えたということは人の口によく出る話だそうだ。また日本レストラン協会が発足した当初、労働許可証の振り分けにおいて自分のレストランだけたくさん取ったということで協会を追い出された話も有名であるとか――。久保田さんの愛犬、昨年の11月頃から風邪をひき、現在までその治療費に約6千フラン使ったそうで、やっと治り始めたらしい。
1月17日(日) 晴。 10℃ 7℃
 今日は一日通して仕事。運悪く昼も夜も大忙し。三越依頼の鮭を切る仕事があり、アンドレさんがいろいろと注文をつけるので西江さんが怒り出す。僕が間に入って通訳してやれば良かったのだが、そう思った頃には二人ともカッカと頭に血が上ってしまっていてどうしようもなかった。
 10時半に店に着く。アンドレさん以外誰も着ていない。日曜日は特にみんな遅いのだと江田さんが後で言っていた。それでも11時10分前頃には全員来たようだ。昼が終ったのは3時を少し過ぎていた。夜もいつもより少し遅くなった。部屋に帰り少し勉強。しかし一日通すと本当に勉強をする時間がない。これじゃ何も出来ないという感じだ。カリーヌのことで西江さんを少し意識している。前川氏という人間――。昨日西江さんが休み時間に弁当何人前かを作ったらしいが、時間外手当は全く無視している様子で大入りの20フランしか持ってこなかったと不満を洩らしていた。先月だったか、皆ちゃんが僕に早く出て来て欲しいと言った日、金曜だったか、彼には金をいくらか渡していた。あの時は馬鹿らしくなったものだ。皆ちゃんも変な顔をしていたが…。西江さんは、前川という男は冷たいイヤな奴だと、今日本当にそう思った様子であった。
1月18日(月) 晴天。 10℃ 9℃
 春を想わせる陽気。空はやわらかく、朝、ミラボー橋を渡る時、薄い霞がエッフェル塔の鉄の感覚をそぎ落し、全体がふんわりと宙に浮かび上がっているような雰囲気であった。教室でも窓から差し込んでくる光が部屋の中の空気を燃やしていた。
 今の教師は提出物は右を少し空けておかないといけないようだ。訂正の為に。金曜のディクテを提出したら、そうしていないのでサーと線を引き突き返される! ムッとくる。
 ル・マタン紙を買い部屋で読む。今日は少し早めに家を出てジュンクに立ち寄る。9月と11月アリアンスで教室が一緒だった女性に偶然出会う。11月途中で来なくなったのは風邪の為だったらしい。今二人のフランス人と友達になり交換教授をしているとか。彼女は3月の始めに来たと云うから僕とあまり変らない。ヴィザは無く、持っている金が無くなれば日本へ帰るとのこと。パリは日本の女性にとって一度は来てみたい所なのだ。
 夜、まずまず。西さん一人でやれる量。カリーヌは来なかったし、気は楽であった。
1月19日(火) 晴天。 11℃ 11℃
 Écrit の試験の為今日は授業はなし。いつもより少し早めにマビヨンに着く。神谷君達に出会う。彼等は5人位のグループ。ボ・ザールで一緒に学んでいる連中。久し振りに話してみたく思っていたが、彼は僕の横の席には着かず、窓に面したカウンターのような所に座った。少しはぐらかされたようで気分はよくなかった。僕はこのような心の動き方をする。小さい頃とあまり変っていないようだ。話したければ自分から積極的に声をかけるなりすればよいのに!
 サマリテーヌでキャンピング用ガスを3個買い、レ・アールのフナックにちょっと立ち寄り、帰路につく。
 『いきの構造』を読み始めるが、眠くなり1時間ほどウツラウツラ……。外に目をやれば春の日和、散歩には持って来いの陽気。それでもウツラウツラ……。
 夜、仕事が終って、カリーヌに電話する。部屋で勉強していたらしい。明日リュクサンブール駅で会う約束をする。
1月20日(水) 薄曇。今日も暖かい。
 サン・ミッシェルで映画 "Ragtime" を観る。1930年のアメリカの風俗を映しながら一人の黒人ピアノ弾きのアメリカ社会に対する反抗を描いた作品。白人に車を汚された黒人。子供を産んだばかりの彼の妻も警官に棍棒で殴られ、終に死ぬ。死んだ彼女に花嫁衣裳を着け結婚式を挙げた後、数人の黒人と一緒に警察の建物を占拠。最後は他の仲間に逃亡され、彼一人となり降参、両手を上げて出てきたところを警官に狙い撃ちされて終りとなる。当時の音楽がふんだんに流れ場面に律動感を与えていた。
 リュクサンブール駅でカリーヌに会う。7時丁度。ポール・ロワイヤルの学食で夕食。この部屋に来る。この気持は複雑だ。どうして急に不機嫌になってしまったのだろうか。彼女の理解し難い日本語に耳を傾けるのに疲れたのか、彼女は冗談のつもりで言っていることを、そしてその言い方を日本語の語感そのままに受け取ってしまうからなのか、それとも先日テープに吹き込んでやったテキストを勉強しようとする気持が彼女になかったことに対してなのか、――異文化間の壁に疲れるというのはあの感じなのかも知れない。とてもじゃないがこんな調子で毎日一緒にいるとしたら、たまったものじゃない!とその時そう感じながら、必死に自分をコントロールしていた。
 彼女をナシオンまで送って行く。その電車の中であれほど苛立っていた気持も徐々に鎮まっていったようだ。この5月頃には日本に帰らなければいけないと言うと、彼女はその理由を当ててみましょうかと言う。彼女の言い方は常に冗談っぽく、逆の言い方をするようだ。そんな時の顔はあの2組の生徒の顔に似てくる。日本にいる彼女が呼んでいるからでしょう……等というような言い方をした。別に悪い気持がしないから不思議だ。ここ数日店に来なくなった理由を尋ねると、社長が嫌いだと言う。他に理由は?と更に尋ねると、何か理由があるような素振り、しかし説明するのは非常に難しいと言って明らかにしなかった。これからはあまり来ないかも知れない。別れる時、次回のランデ・ブの話になると表情は真剣である。一緒に勉強することは別に嫌っている訳ではない様子。土曜日の11時にリュクサンブール駅で会うことにする。握手を求めてくる。強く握り返したのは女性の扱い方を知らない野暮な男のギコチナサ――。このような感情はもっと若い頃に男は経験しているべき筈のものなのに!
 無意識の内にダニエルさんと比べてしまっている。彼女は知性が強すぎて感情の襞まではまだ解らない。このように書く男は、罪深いのか――。
1月21日(木) 晴。 9℃ 9℃
 学校―― "Vous aimez mon riz ou mon lit?" と今のクラスの先生は面白い。
 Douche を浴び、帰宅すると3時半。しばらくル・マタンを読む。それからダニエルさんに電話を入れ、明日3時にドフィヌで会うことにする。
 夜、西江さん、コロコロで1時間位の間に千4百フランも勝ったとかで非常に機嫌が良い。あまり客はなかったが、それでも食器は返ってきて、休むことなく身体は動かしていた。少し疲れる。
1月22日(金) 曇。 9℃ 6℃
 3時少し前にドフィヌに着く。階段を上がるとそこにダニエルさんがいた。図書室には席はないと言う。空き部屋を探すが見つからず、下のカフェで立ち話。先日は寝起きのようであまり冴えない顔だったが、今日は薄く口紅をつけ、大分違った感じ。彼女は口紅はつけない方がいいように思う。しかしそんなことが最初から気になっていた訳ではない。まだこの心のモヤモヤが治まらない。何故なのか。そして今度の月曜日になったら、"Si vous n'avez pas beaucoup de temps, vous n'avez pas besoin de m'apprendre le français!" 等と言おうと思っているのだ。"Si vous voulez discuter sur la France ou sur le Japon avec quelqu'un, vous le pouvez avec le étudiant japonais." …とか何とか。その方が結構面白いのだから。
 4時頃にカフェが閉ったのを機に終りとなる。シャトレで誰かと会う約束らしい。急に仕事までの時間をどう使えばよいか決めかねたこともあったろう。長い間仏語を勉強してきたのにスラスラと仏語が出ないモドカシサもあっただろうか。何故に彼女今頃になって手紙をくれたのか。転居通知は届いたのだから、何故その時事情を書いてよこさなかったのか、等々、疑念が湧き出してくる。僕はパレ・ロワイヤルで降りる。東京堂書店で仕事まで時間を潰すつもり。電車の中で無口な僕に「松本さんは日本とパリとどちらが暮らし易いですか」等と質問をかけてくるが、それに応えるのも何かおっくうに感じられた。実際どうなのかよく判らないのだ。これは精神が疲れている証拠。何時だったか、カフェを出た時だったか、彼女、黙っている僕に言い訳のような感じで、非常に忙しいのです、今日はまだ昼食は食べてないのですと言ったようだった。また明日は教授と一緒に勉強、日曜日は研究生と一緒に勉強、彼は仏語がぺらぺらで面白い、云々……。「サクラ」の従業員にインタビューに来るとか。これは卒論の材料にする様子。何だか不機嫌な状態になってしまうのだ。
 今夜の仕事も気が重かった。客数はそれ程でもなかったのに10時を過ぎてからも客があり、最後のオーダーは10時半を過ぎていた。客入りが少ないので、社長が店に入れたのに違いない。仕事が終ったのは11時半。「今日はまた早く帰れなかった。これじゃギャルソンと同じや!」とは皆ちゃんの愚痴。「白さんと共同戦線を張って、社長に値上げを要求するか、僕も言った以上後へは引けないから、しかし、僕が辞めた後、すぐ代りの洗い場が来ないと、西さんが可哀想だ……」こんな状態で精神を擦り減らされるだけではどうも腹の虫が治まらないし!。いい加減「サクラ」にも飽きがきたし――。今日の僕の心はひどい荒模様……。
1月23日(土) 小雨後曇。昨日より少し寒い。
 Il y avait beaucoup de choses aujourd'hui.
 11時10分頃にリュクサンブール駅に着くがカリーヌはまだ来ていない。30分程待つが来ない。電話しても通じない。仕方なくアラブ学食で一人昼食。ひょっとしてして10時と彼女は間違えたのかも知れない、そうも思いまた電話する。今度は電話が通じ彼女が出た。今日が金曜日だと思っていたと言う。その時は彼女を疑う気持があったようだ。1時20分頃に会う。公園を横切りマビヨンから地下鉄に乗り我が部屋へ。
 人を疑う心、人を素直に信じない心、気の小さいのは我が性質。神経質で潔癖症(特に金銭に関しては――)。しかしこれは裏を返せば寛容さに欠け、優しい心を持ち合わせていないとも言える。カリーヌはこの僕の性格を直感的に感じ取っていて、時々<神経病>という言葉で表現した。「あなたの caracère、小さいね」とも――。
 彼女は本当に忘れていたのだろう。物をよく忘れる性格のようで、自分の部屋の鍵を何処かに置き忘れたのか、無くしてしまったらしい。以前にもカメラや傘を無くしたことがあったようだ。小さい事に拘らないところがいい。私は今まで怒ったことがない、とも言っていた。彼女にしてみれば、僕と一緒に勉強しているからといって僕だけを特別に考えていないのかも知れない。「サクラ」の他の人と同じように単に友達だと――。とも言えないだろうが、他の日本人とも友達の関係を保ちたいと思っているのだろう。来週は忙しくて、水曜日は一緒に勉強出来ないかも……。土曜日ならいい。また来週は店にちょっと顔を出す、と。その辺りがすぐに了解出来なくて、Quatre Septembre で別れるまで喋り続けた。
 夜は「サクラ」へ来ないと思っていた。それで石井さんが「カリーヌが鮨を食べに来ているよ、彼女が来てパッと明るくなった感じだよ」と言った時は僕をからかっているのだろうと思っていた。が、鮨ケンを覗くと彼女が一人座っていた。後で尋ねると、友達に電話したが居なくて、それでここへ来たと言う。先日からみんなにどうして彼女は来ない!来るなと命じているのだろう、等と邪推されていた時なので、それもいいだろうという気持であった。しかし何だか疲れたが――。
 仕事が終ってみんなでドラッグへ行くことになった。寿司場は今日は早く終ったので石井さんと菅野さんがカリーヌを連れて先に行っていた。西江さんと僕は少し遅れて店を出た。岡田君も一緒についてきた。石井さんは僕をカリーヌの横に座れるように配慮してくれているようであった。西江さんが彼女の横に座ると、こちらへ来いよ!と言っていた。だからカリーヌの横には誰も座らず、右横に僕が座った訳である。彼等はアイスクリームを注文していたので、僕達もアイスクリームを注文する。西江さんは例のイヤラシイ視線でカリーヌを凝視めていたのが僕を少しいやな気分にさせたが、大方において、まずは楽しい一時であった。問題は最後の L'addition の時に起った。岡田君は自分の分をテーブルの上に置いた。僕も彼のそうした動作がなくてもそうしたであろうが、カリーヌの分と一緒に50フラン紙幣を置いた。菅野さんは、いいよマッチャン、と言ったが僕ははらうつもりでいた。すると菅野さんはカリーヌにその紙幣を持っていいよと手渡した。カリーヌはいつもの茶目っ気を出してポケットに入れ、岡田君の置いた金までポケットに入れる仕草をしてみせたが、すぐに紙幣をポケットから出してテーブルの上に置いた。支払を済ませて帰って来た菅野さんは、そんなにいらない、お釣りだよと言って20フラン返してくれる。実際は120フラン払っていたようだから一人20フラン、だから10フラン貰いすぎだが、その時は気づかなかった。カリーヌと僕はみんなに別れを告げ先に出た。もう12時15分前位になっていた。外に出てからカリーヌと口論が始まった。彼女は菅野さんがみんなの分を払おうと言っているのだから何故そうして貰わない、友達の間はそんなに形式ばらない、次の機会にその借りを返せばよい、あなたの caractère 私好きでない、あなたの心小さい、というのが彼女の考え方のようであった。そして僕の気持を理解しようとはしなかった。Républic まで一緒に歩く。説明する。うまく我が意が通じなくて、一時は心が激しく騒ぎ始めたが、それを抑え、むしろ諦観にも似た気持で話す。途中 parce que je t'aime と二三回言ったようだ。その時の僕は内に怒りを秘め、そしてまた諦めのような気分で、硬い表情をしていたのではなかったろうか。その言葉を囁く表情では決してなかったようだ。
その間、菅野さんとはそれほど親しい友達ではないこと、西江さんは彼と一緒の部屋に住んでいるし、石井さんとも親しい仲、また岡田君が彼の分を払ったのだから当然僕も払わなければいけないと思ったということ、更に僕は人からおごって貰うのは好きでないこと、等々を繰り返し説明したようだ。それで少しは解ってくれたようであった。しかし、僕の心は小さい、彼女はそう思っているのだろう。僕は言った。これが僕の性格だ、たとえ小さいと言われても、人からおごって貰うのは好まない、これが僕の性格なんだ――と。岡田君が自分の分を払ったのは彼女は当然だと思っているようだ。彼は最初行かないと言ったらしい。少なくともカリーヌはそう判断していたようだ。だから彼は払うのが当然、しかし僕が払うことはなかったのにと彼女は言いたいらしい。今日は菅野さんの好意を素直に受けて、次の機会にそれを返せばいい、それが友達ではないのか!と。そんな小さいことに気を使うあなたは、つまり気が小さいのだ、私は気の小さい人は好きでない、と彼女は僕の欠点を鋭く批判した。時には、その日本語解らない、フランス語で説明して下さい、と真剣な顔をした。とにかく、何処まで彼女は僕を理解したかは判らないが、最後、明日また「サクラ」へ行きますと言った頃には、「フランス語で説明して下さい」と言った時のあの真剣なこわばった表情は和らいでいたように思ったが……。若しカリーヌを単なる友達と考えているのなら、僕は君の分は払わなかったよとも言ったが、その辺りについては彼女は実際どう思っているのだろうか?……。とにかく、"C'est mon caractère." と言ったからには、後のことは彼女の気持次第。深追いはしない。あの言葉は今日のような状況で言うべきではなかったのかも知れないが。
 とにかく今日は、Il y avait beaucoup de choses !
1月24日(日) 曇、午後より晴。 4℃ 4℃
 仕事を一日通しでやると殆ど自分の時間が持てない。仕事場での人間関係がうまくいっていないと、とてもじゃないが続けられないだろう。競馬やコロコロに時を浪費する気持も解る。昨夜あの後、菅野さんと石井さんはコロコロへ行ったらしい。西江さんは弁当(NHKの磯村氏)の注文があったので行けなかったらしい。今日の昼の休みに行き、最初エトワールが2回入り、すぐ1千フラン近くまでいったが、その後ツキが落ち結局とんとん。夜の仕事が終ってからまた行ったようだ。コロコロに行きたくて行きたくてウズウズすると仕事中繰り返し言っていた。
 西江さんも僕とカリーヌの関係をあっさりと認めてくれたようだ。「そうか、マッチャンは先生やったんやな。それじゃ私みたいにオ・・コだけやりたいというふうにはいかんな……」。皆ちゃんがそれを聞いて「そうや、昨夜はマッチャンの一人舞台や、私の出る幕などなかったよ!ホンマニイイキナモンダッタヨ!アホラシ!」。菅野さんにはカリーヌの僕に対する批判をかい摘んでそれとなく言っておいた。勿論詫びる気持で。
 昼の休みは部屋に帰り、ル・マタン紙の記事のレジメ。これは明日ダニエルさんに見て貰う為のもの――。ダニエルさんとは距離を置いて付き合えばよい。
1月25日(月) 小雨後曇。 5℃ 5℃
 マビヨンは正午になってやっと開く。約半時間待たされる。
 今日は待たされる日だ。ドフィヌに4時15分前に着いたが、4時半まで待ってもダニエルさんは姿を現さなかった。この前も30分遅れてきて、平気な顔をしていた。腹立たしい気持になる。カフェに入り、彼女に出す手紙の下書きをする。
 夜8時過ぎ、カリーヌから電話があったとアンドレさん。"Est-ce que je peux venir jeudi soir? Oui, oui, Monsieur Matsumoto vous attendez." と言って笑っていた。本当にいい感じの笑い顔だった。
1月26日(火) 曇、午後より晴。 9℃(夜)
 今日のディクテの試験はほとんど出来ず。その他は何とか―。多分 perdu だろう。これが本当の力。しかしどうすればよいのか? ダニエルさんに吹き込んで貰ったカセットでも繰り返し聴くことにするか!
 そうそう、昼の食事が終って「築地」の前を歩いていた時、鈴木さん、神谷君、それにあの感じのいい中国人に出会う。僕も頑張らんとアカン!
 ダニエルさんに手紙を出す。
前略
 今日は4時15分前に着き、下のカフェや図書館やその前の廊下で4時30分過ぎまで貴方をお待ちしましたが、終に会えず、残念でした。何か急用があったのでしょうか。昨年転居通知を貴方に差し上げましたが、その後何の便りもなかったので、もう二度とお会い出来ないものと思っていましたところ、先日お手紙を頂戴し、大変嬉しく思いました。しかしながら、貴方は大変忙しいご様子。また貴方は私といろんな問題について議論をお望みのようですが、御存知の通り、私のフランス語は一向に上達しておらず、よき話し相手ではなさそうですね。それに大学にはそのような議論に相応しい優秀な学生がたくさんいることでしょうから、そちらの方に時間を割く方がどれだけ有意義な事か――。
 私としては、貴方の貴重な時間を無益に浪費させる事は心苦しいことです。それに、今日のようなことが起こるのも、私としては好ましいこととは思えません。
 お貸ししてある歌のカセットは、貴方の友達に差し上げるか、貴方が保存するか、好きなようになさって下さい。貴方に差し上げますから。
 貴方がフランス語の教師として東京に就職出来ることを祈っています。何時の日が、偶然日本で会えるかも知れませんね。頑張って下さい。
 お身体にはくれぐれも注意して――。それではさようなら。草々。  (1月25日)
 夕方、カリーヌに電話。明日は仕事が遅くなるかも知れないので7時迄には行けないかも知れないと言う。午後は、彼女に贈る papier cranes を作って時間をつぶす。
1月27日(水) 曇、一時ヒョウ、晴れたり曇ったり。
 サン・ミッシェルの6区側の映画館で、小津安二郎監督の「小早川家の秋」を観る。昭和36年度芸術祭参加作品とあった。仏語のタイトルは、"Dérier(?) Caprice" 中村雁治郎、浪速千恵子、原節子、新珠三千代、小林圭樹、加藤大介、森繁久弥、等主演。昭和36年と云えば、僕が中学1年生になった年。安保騒動が終り、日本のGNPが急上昇し始めた年――。古い京都のたたずまいが映し出され、急に懐かしさが感じられた。大阪の町のネオンも今程のドギツサにまだなっていない。小早川家の大旦那の死は、良い意味でも悪い意味でも戦前の日本の死を象徴しているようである。途中から入る。2時からのも、4時からのも、50~60人の観客が入っていた。
 リュクサンブール駅でカリーヌを待つが、やはり来なかった。次の仕事のことで今日は忙しかったのだろう。マビヨンで夕食をとって、帰る。少し寒い。
1月28日(木) 晴後曇。
 今月の教師は以前から時々 M.Japonais という呼び方をするので少し気になっていた。今日、真珠湾攻撃(最初は良く分らなかったが)について触れ、それがきっかけで仏国はドイツと戦闘状態に入った等と言っていたようだ。そして最後に Merci 云々――と。この言葉に皮肉をこめて言ったように思った。昨今の貿易摩擦や失業問題等々、日本に対する風当たりが相当強く、彼からもそのことを感じた。来月から受講する学生を毎日チェックせよということになったそうで、これが社会主義者のやり方だと不満そうににやり――。仏人の中で生活するようになると、いつも彼のような感覚で日本人は観られるのであろうか。日本人が神経衰弱に陥る気持、何となく解るような気がした。
 クラスのカナダ女性が音頭を取って、教師が教室に入ってくる前に une cadeau を贈るのだということで金を集めていた。サインを求められ、好きなだけでいいというので10フランを袋に入れた。10月の先生にこそ感謝の気持を贈るべきだったという思いがして、多少複雑な気持になった。カリーヌに言わせれば、これも心が小さいからか?……。
 夜カリーヌが店にやって来た。精神的に疲れた。アビヴとのあのような挨拶の仕方、それにアンドレとも。カッ!と頭に血が上る。岡田君の投げキッス。西さんと将棋をしている時も本当は心穏やかではなかった、白状すれば――。8時半頃から、ハン押しの仕事を皆ちゃんと一緒にやっていた。皆ちゃんなら-という安心感もあった。しかし――どうだか。こんな心の動き方は不思議だ。若い頃に恋愛経験のない中年男の恋は危険なものだ。その過程を慥か松本清張氏が短編で見事に描いているのを読んだことがあるが、正にそんな感じ――。それに言葉の障壁もあり、どうやら我輩の一人相撲に終りそうだ。そう言えば先週の土曜日、彼女が忘れたのは水曜日のことが心に残っていて気が進まなかったのではないだろうか。そうだとすれば、帰りに土曜日に会う約束を取ろうとしたが、「わからない」と言って逃げる(?)ように出て行った彼女の素振りも理解出来る。帰りの地下の着替え場で「まっちゃん、あまり深追いしない方がいいよ」と忠告してくれる。僕の態度にアリアリだったとか。それで、何か "écaille" が落ちた感じ!。自分を見失っていたのだ。ダニエルさんに対しても、あれは正しく<心の小さな>男のイヤミであった。噫!何と俺は小さな、そして馬鹿な男であることか!。明日の夕刻、電話しない方がいい。三十路過ぎの男に儚く咲いた狂い花!とくとゴロウジロウ!
1月29日(金) 曇。
 学校へ出かける前に、家賃を払う。マダムが顔を見せ、手を差し伸べてきた。顔を合わすのは久し振りだ。マダムもそのようなことを言っていた。学校のことを話すと、若し解らないことがあれば子供に質問しに来てもいいんですよと言ってくれる。sonner という言葉を使っていたからベルを押して訪ねて来て下さいと言っていたのだろう。部屋の具合はどうですか、不満なところはないですか等と尋ねてくれ、いい感じであった。何となく気分が晴れやかになる。
 メトロ Mirabeau へ行く途中、年の頃なら70歳位か、老マダムが声をかけてきた。ベトナム人ですか、いえ日本人ですと答えると、日本のプレディデントは誰でしたかねとかディスカールデスタンが私に話してくれたのよ、……、南アフリカの何がこうなんですよ云々――よく聞き取れなかった。ちょっと珍しいことではないか。もう少し聞き取りができていたら、面白い内容のある話が聞けたかも知れないのに。
 今月最後の授業。現代の家庭生活のところ――。この授業では今日初めて僕は仏語を一番よく話したようだ。日本も夫婦共働きが多くなり、離婚も徐々に増えてきていること、またフランスでは家の経済について、お金は夫と妻はどのように使っているのか、と質問すると、少しゆっくり目に話してくれ、大方は理解でき少し嬉しかった。彼は、以前にも感じたことだが、かなり家庭に退屈しているようで、スウェーデンの何組かの共同生活のことを羨ましそうに語ったり、ヴァカンスに出かけても毎日同じ顔を突き合わせていることは何とつまらないことか等と言ったり、いろいろ面白いことを話していたようだった。イギリス女性に、夫に飽きないですかと質問して、ノーと返されていた。現代のフランスの退廃を少しかいま見たような気がした。時間がきて生徒の一人がボールペンを贈ると、流石に嬉しそうな表情をした。そしてその女性にフランス式に頬の合わせキスをした。
 さて、来月はどのような仏人教師だろうか。
 夕刻、カリーヌに電話しないでいたら、7時半頃やって来る。今日は昨夜と違って自分を取り乱すことはなかったように思う。カリーヌはみんなと話をするように努めているようにも感じられる。みんなの名前を憶えるのだと、それぞれに紙に書いて貰ったりしていた。皆ちゃんはうまく相槌をうつのでカリーヌも面白いほどよく喋っていた。僕にはあまり視線を向けないで――。僕の表情を気にしているような気配は感じたが。
 彼女は面白い娘だ。陽気でユーモアがあって。二回ほど岡田君が海老の吸い物の注文に来たが、彼の彼女を視る表情を観ると、何だか可哀想になって、僕も罪作りな男だと思う。
 カリーヌがみんなで中国レストランへ食べに行こうと言った。彼女が金を出すつもりなのか、彼女ならしかねない等と思っていたら、アビヴが金があるのかと彼女に訊くと、私はいつも1フラン1フランと言っているでしょ、分っているじゃないの。だから銀行を襲おうよ!と云う言葉が返って来た。本当に面白い娘だ。明日電話してみて駄目だったら、彼女と一定の距離を置くしかない。それが30歳を過ぎた男の分別ある態度だ。
 彼女が帰り際、"Est-ce que tu aime continuer travailler avec moi?" と訊くと、わかんない、でも、と手で電話する所作をして見せた。どういう気持なのかよく判らない。変った娘だ!
1月30日(土) 曇。 10℃ 10℃
 朝10時過ぎにカリーヌに電話する。お父さんの友達が来ているので忙しく、判らないけど、12時にリュクサンブール駅で待っていて下さい、若し12時に行けなければ帰って下さいということであった。12時になっても来ないので、やはり来る意志はないものと思い、この電車に乗っていなければ、一人マビヨンへ行こうと思い心を決めた。その時は12時10分を過ぎていた。しかしその電車に乗っていた! 顔を会わすなり僕は彼女に握手を求めた程だった。
 彼女は遠慮している様すだったが、「東風」へ昼食に誘う。鶏から揚げ定食とお茶。彼女は嬉しそうである。例の鶴を贈る。開けて見て、私これ知っているとのこと。3年前に出会った兵庫県の男女に貰ったことがあるらしい。食事を終え、リュク公園のベンチに腰掛けて少し話す。風が冷たくてすぐ近くのカフェに入ったが、その公園での彼女の話が面白い。「サクラ」に初めて来た頃の話をして一人面白そうに笑っている。よく聞くと、客が多く混んでいた、彼女は何も分らないのでお茶くみの仕事をしていたらしいが、一人の客が1時半に入り長いこと待たされていたらしいが、その客に彼女は何回もお茶を入れてやったそうである。最後にはもういいです!と言ったとか、その客にやっと料理がきて、凄いスピードで平らげて出て行った、それが彼女には大変可笑しかったようで、聞いている僕もつられて何だか可笑しくなってしまったものだ。
 カフェでは勉強。彼女が持ってきたアリアンスの教科書には中国語の訳がついていて、そこへ日本語訳を書いて欲しいということであった。出る時、折り鶴は家に持って帰るけれど、捨ててしまうわよ!といつもの冗談。レ・アールで別れるが、それ迄社長のことが話題になり、本当に彼女は嫌っているようであった。
 夜、カリーヌ来る。今日は凄い忙しさ!。彼女が洗い場を手伝ってくれたので本当に助かった。ところで、キッチンにきていた菅野さんに社長がやって来て「菅野君!納豆が無いからって、それどういうことなんだね!なけりゃ作ればいいじゃないか!困るよ君!」と凄い剣幕。「なんだね西江君!何が可笑しいんだ!何も君が笑うことないじゃないか!」と西さんにもとばっちり。その少し前、社長がキッチンに飛び込んで来て「納豆が無いって、どういうことなんだね!」西さんも頭にきたのだろう「何も私はそんなこと言いませんよ!キッチンには納豆はありますよ。私は無いとは言ってませんよ社長!」とやり返した。社長にすればそんなことも引っ掛かっていたのかも知れない。西さんは菅野さんに対する言葉を横で聞いていて、社長に対する腹立ちもあって笑ったのであろう。
 本当に凄い表情であった。カリーヌもその顔を観ていて、非常に気分を害したようであった。以前にも何度か社長のあのような顔を見たことがあるらしく、心の小さなイヤな人ね!と不快感を顔一杯に表していた。
 帰り際、社長が話しがあるというので行ってみると、僕が上がるのはいつ頃か訊きたかったらしい。私としてはいつまでいてくれてもよい、コントロールも2月か3月頃来るだろうが、夜や日曜日は来ない、それに彼女(シテ島の警察のセジュール係のエライサンらしい――白川さんの件を処理した――)がやって来ますから、大丈夫ですよ、とのことであった。
1月31日(日) 曇。 11℃ 11℃
 Douche に行ってから仕事へ。忙しく、西江さん一日中不機嫌。そのあおりもあり、僕も急に不機嫌になり、腹が立ってきた。特に今夜社長が給料を持ってきた時だ。公休出勤の分は3日程後にアゲマスから、と言う。何という言い種なんだ!と思う。ひょっとして松田さんのように、明日から来なくなるのではないかという疑念が彼にあるのではないかと勘ぐりたくなる位だ。夕方、ここで働きたいと言っていた高橋さんが店に来ていた。社長は明日来て下さいと言ったそうだ。皆ちゃんの見方によると、社長は雇うつもりはないらしい。つまり彼を雇うつもりがないので、昨夜僕にあのような確認を取ったに違いない。今夜、公休分のことで不満な場合、はっきり言ってやろうと思っていたのが、肩すかしを食らわされたようで、それもあり、仕事も忙しく、今夜はずっ-と不機嫌であった。








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