その後、春恵さんから来るメールには大阪弁が多用されるようになった。自分ではだんだん馴れ
馴れしくなって失礼じゃないかと思うのですが、親しみを込めようとすると大阪弁になる。親しみを感じてくると、ついつい笑いを
とりたくなる。今日の私、結構アクセル踏んでるでしょ。ちょっとハイですよね。でも時々、くくっ、って笑っていただけたら幸いです!
このような調子で、彼女も自身の「青春日記」を幾つかを話してくれた。その内で印象的だった一つ。 学園祭で、彼女
たちの国文クラスは浴衣を着て「和風喫茶」をやることになった。他大学の男子学生が浴衣姿でうろうろしていたクラスメイトに尋ねたそうな。
「背がこれくらいで、髪がこんなで、顔の形がこういう風な子の名前分かる?」 候補が二人思い浮かんだので、「和風か洋風か、
どっち?」 「ん―、和風」 「ほんなら、はるえやな」 それを聞いた他のクラスメイトも「的確な質問やった」と感心したらしい。
つまり、私は和風なんだなあ、と結んでいた。 それで、次のメールで、その時春恵さんはどんな柄の浴衣を着ていたのか
訊いてみた。 山百合、透かし百合、それとも鉄砲百合、どころか、ライフル百合、散弾銃百合… おお、
こわ。 実はわたくし、鬼百合でした〜。 実際あるのよね、これが。 …と、まあ、こんな調子の返事だった。
あれは何時だったか。秋とは思えぬほど、急に寒くなった日があった。その頃貰ったメールに「秋はどこへ?」という題が付いていた。
金木犀の香りも一瞬のうちに消え去り、後は寒い冬が来るのを待つだけかと思うと、気分は灰色……、確かこのような書き出しで
始まっていた。職場でのタバコの煙のことや上司のいい加減な態度など、腹立たしく思えることが度重なったのだろうか。或いは、
フランスの彼との事など、不安や心配ごとがあるのだろうか。とにかく、文章のトーンがかなり下がっているような印象を受けた
メールであった。
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- [10/21 10:41] 冬きたりなば、春遠からじ。
春恵さんへ。
急に寒くなって、気分はちょっとブルーになっちゃたのかな?
(そりゃ、一足飛びに春!てぇ訳にゃいかねえよ、はる姉。クリスマスにフランスへ行くってぇ話はどうなったんだい?
いくら嫌えでも冬がこなけりゃ春は来やしねえや。おや、開き直ったね。嫌えなもんは嫌えってんだな。いくら好きになれー
てぇ言われてもそりゃ無理だ。道理だ。開き直りの、鬼百合娘! それでこそ、春の恵みだーい!)
冬が来る、冬が来る。私にとっては、ピーンと張りつめた冬が来る、って感じですね。冷たい北風に頬を向けていると、最初は痛い
けど、徐々に火照ってくる感じもある。冬は黒白のブラマンクの絵の世界。或いは荒れ狂う日本海の荒波を背景に聞こえてくる
津軽三味線の音色! 昨年亡くなられた盲目の津軽三味線師、高橋竹山さんのCDを聴きながら山に向かって武庫川堤を歩いた日の事
を思い出します。 松本清張原作、映画『砂の器』を観たときもそうでしたが、どうやら私には冷たい風に吹かれながら放浪する旅人の
イメージに心惹かれる傾向があるようです。厳しい自然に立ち向かって行こうとする心の緊張感が好きなのかも(嫌な奴だねぇ、
ええ格好しい!)。
そうです。春恵さんが私のHPを一歩進めてくれたのです! 多謝。HPを開設して2年半。今年に入って、『青春日記』、グラハム
さんのメールが契機になり英語版の作成、そして貴方との出逢いにより『百合野ヶ原』の誕生。行き詰まりかと思いながらも、少しずつ
発展してきたようです。
あの私の知人とは、以前勤めていた塾の主宰者です。彼はネットワークビジネスをいろいろ考えているようで、あれもその一つの
試みなんでしょう。莫大な数の登録者を募らないとビジネスとして成立しないでしょう。善意の仲人役として趣味でやるのなら面白い
かも知れないですが、ね。枯れ木も山の賑わい、とか何とかで、まあ義理で登録したようなもんです。年収の項目欄には、嘘は書きた
くないし、正直であればあるほど自分がわびしく思えてくるしで、空白のままにしちゃいましたよ。それで、最初から、
適当な相手を見つけてメールするつもりはなく、またメールが来るのを期待していた訳でもありませんでした。ところが、メールは
想わぬ方向からやってきた、という結果となりましたよね。今後、何らかの偶然でまた春恵さんのような素敵な人に出会えたら報告
します、ね。
今、このように貴方とメールの交換をしていることを思うと、何故か不思議な感慨を覚えてしまいます。実は昨年、私が初めて
受け持ったクラスの生徒(フランスへ出発に際して見送ってくれた)数名に匿名でVAGABOND'HomePageを知らせる葉書を送ったこ
とがあります。たとえ本人達に届いたとしても、何だこりゃ程度で捨てられた可能性大です。はかない感傷でした。
しかし春恵さんにこのようにメールを出す気持ちの中には、彼等に
対するような気持ちで書いているときもあるのです。頼りない教師だったのを棚に上げて、ですがね。
煙草の煙って本当に嫌ですね。私も以前吸っていたくせに、なんですが、自分が吐き出す煙は自分に返ってこないんだよねぇ、本当、
分かっちゃいない。気遣っているなあって感じるときは許せる気もするが、そうでない奴ときたら、うーんん、いい加減にせえ!ですよ。
煙草とは別に、嫌な奴は何処の社会にも居るもんです。居る、居る、うちの会社にも。人の上に立つ器量も能力もない奴が・・・。
それに安い給料や。休みが多いから(宿直の明け休みが入るからそのような感じがするだけやけど)居てやっておるのじゃ。
>今は割り切って居座るつもりです。・・・いても後半年。
>もらうものもらって、おさらばじゃ。
(いよう!鬼百合の姉御。その意気!その意気!)
フランスの話はそっちのけで、ようまあ、脱線してしもうたもんですね。
>初めてフランスへ行った時の感想など、聞かせてもらえますか?
フランス入国は二度目の異国体験だったので、どうしてもイギリスと比べてしまっていたようです。パリで最初最も強烈だったのは
”石の文化”から受ける圧迫感でした。友人とは入国した日の夜に再会しましたが、それまでの時間、パリ市内をぶらぶら歩いてみた
んです。石の山がドカッ、ドカッと聳えている感じなんです。異邦人としての不安感があったからなんでしょうが、ね。そして、
そのときは他者の視線を非常に意識しましたね。神経質なほどに。実は、フランス入国時、風邪をひいていてマスクをかけて
いたんですね。フランスではマスクをかける人などいませんよ。それで、変な奴がいるよ、ってな感じで、実際、見詰められ
たのでしょうね。不安感からくるんでしょうが、疎外感を強烈に感じてしまって、本当、心細かったです。しかし、これには徐々に
慣れていきましたが。生活圏内の人々との意志疎通がスムーズにいけば、日本国内でも同じ事でしょうが、問題とはならないでしょう。
しかし、私の場合パリ市日本人村で暮らしたので、その点どうなんでしょうか…。
私などよりもっとフランス人の日常に入った体験記を紹介しましょうか。
『63歳からのパリ大学留学』 藤沢たかし著 =新潮文庫=
フランス語の授業、毎週行くことにしたのですね。半年後を目指して、ですね。来春にフィリップさんの職が決まりそうだと言って
いましったけ? パイロットへの転職なんですか。彼はもう少し歳は若いのかな。新居はパリになるのですか。それともパリ郊外、
それとも地方ですか? 挙式はフランスの教会でですか?(見送る者の立場からすると、気になることが多い。しかしこれこそ本当の
老婆(爺)心なんでしょうが)立て続けの質問の嵐のようで、恐縮ですが・・・。
まだまだ秋です! 素敵な小さい秋を見つけてください。
私は今日もこれから武庫川へ行ってきまーす!
梵信
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クリスマスに渡仏する話は、安い往復航空券は見つからず、会社に長期休暇は望めそうになく、
結局ボツにしてしまったのだそうだ。 フィリップさんの免許はアメリカだけのもので、欧州の免許取得の為勉強中とのこと。そ
れに、この免許切り替えが相当難しいらしい。 最初はアメリカの航空会社に勤めるつもりでアメリカのパイロット養成学校に
入ったのだろうが、途中で欧州の航空会社で働きたいと思うようになったのだろう。
とにかく彼は、遅まきながらも目標が見つかり、パイロットへの転職を模索中らしい。年齢はおそらく二十歳後半くらいだろうか。
状況がその都度その都度変るので、春恵さん自身も将来の生活のヴィジョンがうまく描けないのが、不安の原因の一つなのだ
ろう。それにお母さんは、彼女が外国に行くことには賛成ではないらしい。息子さんがいるとしても、やはり母親としては一人娘は
手元においておきたいと思うのは人情だろう。 フィリップさんの職が決まらない今の状況では、結婚は認めても母親として
一つや二つ、愚痴をこぼすことは想像に難くない。
しかし春恵さんは想像したほど落ち込んではいないようだ。彼女、冬は苦手なようだ。それで寒さにちょっと心が負けそうになって、
弱気になってしまったけれど、今はもう元気を取り戻したので、安心してくださいとのこと。
アメリカではハロウィーンを二度体験し、忘れがたい思い出になっているらしい。今日はこれから大阪環状線へお祭りを見に
行くとのこと。仮装した人達が毎年大阪環状線で、乗ったり降りたりしながらお祭り騒ぎをしていると、昨年ECCで聞いたのだそうな。
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- [11/5 11:50]うつうつ改めうとうと
春恵さんへ。
ちょっと、うつうつとしてしまっている間に眠り込んでしまったらしく、目が覚めると、ひぁ!、もうこんな時間だ。いけねぇ、
早くしないと。私の大切なヴァーチァルフレンドへの返信が遅れてるー。 てなわけで、うつうつ改めうとうとから醒めて、
今こうしてメールしている次第であります、はい。
環状線のハロウィーンはどうでしたか?(ちょっと、いや、大いに間の抜けた質問ですね) それより、春恵さんは本物のハロウ
ィーンを経験したのですよね。春恵さんのホームステイ先のご夫婦は、教会関係のヴォランティア活動もされておられ、とてもいい
方だと言ってましたよね。そのような環境の中で楽しいハロウィーンも体験されたのでしょう。
ちょっと調べてみると、Halloween は Hallowmas の宵祭りのこと。Hallowmas は古語となり、今は All Saints' Day(萬聖節)
という。そして翌日の11月2日が親しき死者の霊を慰める日、All Souls' Day なのだそうです。
イギリスでは昔(今はどうかしりませんが)萬聖節や萬霊節の日に、貧困な家庭の子供達が歌をうたいながら近くの農家や金持ち
の家々を巡り、菓子や林檎や金銭などの恵みを乞うという風習があったそうです。
それで思い出したのですが、私が小さい頃(小学校へ上がる以前)子供達が、 ♪いのこ、いのこ、いのこ餅ゃようつかず、新藁
(しんわら)まいて祝いましょ♪ と大声で歌いながら、その年に結婚した人の家へ押しかけお菓子などを貰う行事がありました。
子供達は今のアメリカのハロウィーンのように仮面を被ったり仮装したりはしませんでしたが、お菓子が貰えるというので、子供達
にとっては楽しい一夜のお祭りでした。秋の収穫を祝う農家の年中行事の一つとして続けられてきたのでしょう。しかし私が小学生
の頃にはなくなっていましたが。
雨の日など、家に籠もっていると気が滅入るばかり。観たい映画も浮かばない。(いい映画があれば教えて下さい)
幸い今日はよい天気。六甲に登るにゃちと遅すぎる。なら、いつものメニュー通り、武庫川通いと相成りました。
うとうと
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春恵さんの環状線ハロウィーン見学は、どうやら失敗に終ったらしい。環状線は天王寺から
乗って二周したのに、それらしき集団に出会わなかった。彼女のおばさんが昨年、そうした一団に乗り合わせたと聞いているので、
もっと遅い時間帯だったなら、出会えたかも、と思っている様子。残念でしょうが、ご苦労様でした。
彼女が体験したアメリカのハロウィーン。各家庭ではチョコレートやガムなどを籠に入れて待っていると、仮装した子供達が
やって来て、"trick or treat!" 「お菓子をくれないといたずらするぞ」と叫ぶのだが、最近は危険なことが起るので、親が
車で知人の家にだけ連れて行き、親が見守る中、お菓子を貰うようになってきているそうだ。若者は変装パーティーなどを開いて、
飲んで、歌ったり踊ったり、大いに盛り上がるのだろう。
映画については、私の観た映画などたいていの人が観てそうで、お奨めと言うほどではないのですがと断った上で、三つ教えて
くれた。 "The Preacher's Wife"「天使のおくりもの」、"Babe"「ベイブ」、"Dr. Dolittle"「ドクタードリトル」ぐらいかな。
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- [11/9 20:17]Enjoy your movies, please.
Hi, Harue. C_a va bien?
今日は映画談義といきましょうか。と言っても、それほど観ていませんので大きな口はたたけません。おてやわらかに、
と初めに言っておきますね。パチンコやパチスロに現を抜かしていた結果だろうと嘆いています。(嘆いてみても過去の
愚かな自分の姿が消える訳もないのに、ねぇ。)確かにパチスロから足を洗って以来、その時間を何で埋め合わすかが問題となり、そ
の解決策の一つが映画鑑賞になりつつあるようです。家の近くに会員になれば600円で観られる映画館があり、今年の3月頃から比
較的よく観に行くようになりました。訊いてみると、過去1年くらいの間で上映された映画でまだビデオ化されていないのが選択の
条件らしい。 その映画館で観た中で、"City of Angel" でメグ・ライアン、"Ever After" でドリュー・バリモア、細めとやや
太めの二人の素敵な女優を知ることができ喜んでいます。D.バリモアは、「25年目のキス」の中で喜劇も充分こなしており、
注目しています。 男優ではロビン・ウィリアム。彼が主演している「奇跡の輝き」を9月に観に行きました。・・・目を奪う
ような美しい夢と思い出に満ち溢れた天国と、・・恐ろしい暗黒の地獄、愛によって永遠を約束された魂たちの物語・・・とコピー
にあったのですが、途中から居眠ってしまい、良かったのかどうなのか、眠ってしまうくらいだから良くなかったのでしょう。
まあ、そんなこともある。うとうと。
ロビン・ウィリアムを知ったのは5,6年前、 "Dead Poets Society"「今を生きる」で生徒達に青春の輝きや素晴らしさを教える、
型破りで魅力的な教師を見事に演じていました。 さあ、みんなこちらに集まって。静かに、こうして、じっと耳を傾けるんだ。
聞こえてくるだろう。今を生きよ、若者達。素晴らしい人生をその手に掴め。 ・・・結末は人生の辛さや困難さを思い知らされ
る味わい深い映画でした。
青春の輝き、特に思春期の女性の美しさを映像化できる監督といえば、大林宣彦。3,4年前、失業中に彼のビデオをたくさん観ま
した。その中で、特に印象に残っているのは「さびしんぼう」。女優、富田靖子の初々しい少女の美しさを映像化してくれていて
よかったです。女の人は美しい女性には女性だからあまり惹かれることはないのでしょうか、ね。
昨年観た「タイタニック」や今年観た「スター・ウォーズ」なんか、ホラーやアクションものと同じで、観ているときは引き込ま
れ、結構楽しめたけど、後に何も残っていません。これは私が年を取ってしまっているせいかも知れないですが、ね。もうこの歳に
なると、観終わった後、何かジーンと、人生の味わいを感じさせてくれる映画でないと、・・・なんて思ってしまいます。
春恵さんのお奨め映画3本、残念ながら観ていません。"The Preacher's Wife" は面白そうな気がしました。ビデオで観る機会が
あれば、いやその機会をつくって、観てみることにしましょう。
イギリス映画の中にもいい映画はたくさんあると思うのですが。知的で、ユーモアに富んで、それでいて人生の味わいを感じさせ
てくれる。これはイギリス映画についての私の偏見で、そのように思い、決め込んでいるのですが。
そのような偏見を私に抱かせてくれて印象深かった映画。確か、"Follow Me" という題だったと思うのですが、大分昔なので自信
はありません。 人妻役を演じたのはミア・ファロウ(?)、不倫調査を依頼された、いつも汚らしい白いよれよれのコート
を着た探偵役を演じたのは残念ながら覚えていません。
探偵はその人妻の尾行を開始する。数日尾行してみたが、どうも愛人と会っている様子はない。ある日、人妻は自分がつけられて
いることに気付き、最初不安を覚えるが、どうも危害を加えるような男には思えない。その男の動きには何処か笑ってしまいそうな
ところもある。いつもいつも私の後をつけ回したりして・・・。 次第に二人の間では、つけることつけられていることは暗黙の
了解のようになり、言葉は交わしはしないけれど、目配せや身振りでお互いコミニュケーションが計れるようになっていく。毎日が
二人にとって楽しくなってくる。お互い好意を抱き会うようにすらなってくる。しかし探偵は自分の仕事を忘れてはいけないと思う。
探偵は依頼主に奥さんと最近言葉を交わすことがあるか、と訊く。いや、仕事が忙しく妻と話をすることは最近滅多にない、と。
どうやら人妻は寂しさを紛らすために出歩くようになったのだと探偵は推測する。そこで探偵は依頼主に、私が今までしたように、
奥さんの後をつけなさい、そして奥さんの気持ちを感じてやりなさい、これが私の調査報告書です。・・・。 さて、その後、
その夫婦はどうなったのでしょうか?
Enjoy your movies, please. A biento^t, A biento^t. さよなら、さよなら。
今日はちょっと冬を感じさせる天気でしたね。北風にお弱い(?)春恵さんでしたっけ。お身体には十分注意してくださいね。
梵信
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春恵さんに映画談義のメールを出して六日後にやっと返事が届いた。ご無沙汰しています、お
元気ですか?―と。そうだ、一週間も間があくとご無沙汰感覚なんだ、なんて思ってしまった。彼女、仕事に行きだしてもう二ヶ月
が経つのかな。疲れが出だしているのだろう。家に帰るとなんか疲れて、また明日でいいやと怠け心が出てしまいます。で、今日は
日曜日、久々の登場です、とあった。
今回のメールのタイトルが「苔むす間もなし」となっていて、どういうことだろうと思ったが、アメリカ滞在に変更になった、と
言うのだ。航空会社のパイロットとして働くことは相当難しいらしく、今の所ヨーロッパでは望み薄なのだろう。それで、まずは
アメリカで働く機会を見つけようということになったらしい。その方が早く一緒に暮らせるから、というのがその理由らしいのだが、
だけどすぐに結婚できる訳ではありません、とも書いてあった。いくばくかの不安も抱えているようだ。
そのような状況の中で、ちょっと明るいこともあった。安い航空券が見つかったのだ。約十万円でフランス往復チケットが買える
ことが分かり、すぐ社長に交渉し、三週間の年末年始休暇の許可を取ることに成功したとのこと。 それで、気分が一転。
春恵さん、今は帰国後の後片付けの準備に思いを馳せているようだ。ちょっと未来に希望の光を見出したような感じなのかな。
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- [11/16 12:03]Bon vayage!!
春恵さんへ。
なにやら事態が急展開し始めたようですね。これからは気忙しくなりそうですね。もうそのモードに入ってしまっているのでしょう。
安い航空券が手に入り、本当に良かった良かった。 久しぶりに彼氏と異国の地パリで再会、そしてクリスマスと新年を迎える。
観光客でごったがえすノートルダム寺院は避け、他の小さな教会に入ってみるのもいいでしょう。そして新年の時を刻み始めたとき、
シャンゼリゼでその歓びと希望を思いっきり大声で叫んでみる! ロマンチックじゃないですか。勿論、春恵さんの心の中には
このような甘っちょろい気持ちは無いかもしれないですが、将来アメリカの地に居を構え落ち着いたとき、良き思い出となるような
旅行であることを祈っています。 最初の異国への旅立ちは逃避(?,違っていたらゴメン)、今回のは前進への力強い旅立ちの
第一歩でありますように! Bon vayage!!
文面から推察して、彼のアメリカの航空会社への就職はほぼ決定(?)、しかし勤務地は未定だし、経済面のことや法律面のこと
など未確定な要素も多く、それ故に「すぐに結婚できる訳ではありません」という春恵さんの言葉となるのだろうと理解しました。
おそらく貴方のお母様のご心配もその辺りにあるのかもしれませんね。また、お母様はまだ直接彼に会ったことはない(?)から、
彼の人柄も判らない、それに遠く離れてしまってはすぐに会えないという心細さもある、等々・・・。これは春恵さんがオクラホマ
から帰国後は彼とはメールだけで、彼はまだ日本へ来たことがないだろうという私の勝手な想像で話していることで、違っていたら
どうか許して下さい。 いずれにしても、春恵さんは久しぶりに彼に会うわけでしょう。メールだけでは、ましてや母国語でない
言葉でのやり取り、ニュアンスが伝わらないこともあるでしょう。直接面と向かって、お互いの表情も交えての会話でこそ伝わるもの
もある筈です。春恵さんがお決めになった春恵さんの人生、他の者がとやかく言えることじゃない。しかし、特にご家族の方へは、
理解してもらえるに越したことはない。その為にも、春恵さんご自身の不安を払拭し、新しい人生が希望で満ち溢れたものである
ことを、或いはそれに向けて進んで行ける勇気と確信を掴むことができる旅となるように、心から祈っています。
先日レンタルビデオ店に行ってみました。本当に久しぶりです。「Babe」がありました。何年か前マスコミがペットとしての豚の
ことを報道していたことを思い出しました。この映画の影響もあったのでしょうか。春恵さんのお奨めであったればこそで、店で見た
だけでは観てみようという気にならなかったでしょう。動物の表情を実によく撮っていますね、動物好きの人にはたまらないでしょうね、
感心しました。 今回のお奨め「ニューシネマパラダイス」も観ていません。若い頃は比較的よく観たように思うのですが・・・、
これからは徐々に観ていこうと思っています。
前便での名前の訂正をしておきます。ロビン・ウィリアムズ(Robin Williams)ですよね。彼の主演映画もたくさん置いてありました。
ちょっとした驚きでした。私が知らなかっただけで、大変人気のある俳優なのでしょう。
「刑事コロンボ」のピーター・フォークもなかなか味のある俳優ですね。はまる所まではいかないまでも、非常に好感が持てます。
他の映画にも出てるんですかね。 昔、テレビ「逃亡者」で人気を博したデヴィット・ジャンセンをご存知ですか。あの知的な
憂い顔のキンブル役のイメージが定着してしまって、役者としての幅が出せなかったですね。P.F.もそんな感じなのかな。でも他の
映画での演技も観てみたい役者です。
この前の便箋、ススキなんですよと言えば、笑っちゃうでしょう、きっと。枯れススキのつもりだったのですが、枯れるのを拒否し
てしまって、櫛ススキになっちゃいました。しくしく。 さて、今回は空を飛ぶ鳥にしました。希望に向かって羽ばたいている
ように見えるでしょうか? 本人はそのつもりなのです。嗚呼、解説の要らないイラストを描きたい!
今日は宿直と宿直の間にある休みです。今日の風は冷たいですね。いよいよ冬の到来です。私の闘志をかき立てる冬。私の季節です。
お元気で。ご自愛して下さい。 梵信
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フィリップさんはアメリカの航空会社に就職が決まったのかなと思ったのだが、どうやら
そうではないらしい。パイロット養成学校の教官の仕事のようだ。春恵さんがフィリップさんと初めて知りあった頃、彼は養成学校の
生徒のように何となく思っていたのだが、そうではなく、その頃から教官の仕事をしていたようだ。 フィリップさんのパイロット
志望の意志は相当固いらしく、日本で語学の教師として働いてみてはという願いは通じず、結局春恵さんとしては彼に従うしかない
と思っているようだ。
今までに訊く機会がなく、また訊いていいものかどうか等と思っていたことを春恵さんは打ち明けてくれた。
フィリップさんは昨年大阪に来て、数週間滞在したのだそうだ。春恵さんがアメリカ語学留学から帰ってきた年なんだろう。そして、
その期間中、春恵さんのご両親や親戚の人達から温かく向かい入れられたようだ。春恵さんがフィリップさんをフィアンセと呼ぶのは
このような背景があってのことなのだろう。そして、その後(今年なのかもしれない)春恵さんもフィリップさんを訪ねて、再度
アメリカへ行ったことがあるようだ。
今、春恵さんはフィリップさんとの新しい人生をアメリカから始めようと固く心に決めているようであるが、母親の顔を思い浮か
べると、急に不安な気持に襲われることもあるのだろうか…。 昔、烏有先生が旧制高校のトイレに「愛、人生、苦悩」という
言葉が落書きされていたという話をしてくれた数日後、こんな詩ができたよと見せてくれたことがあった。 詩では、神社の白壁
にその言葉が刻まれていたことになる。恐らく一人の若者が、これから襲い来るであろう人生の荒波を乗り越えてゆこうと、固い決意
を記したのだと詩人は想像する。愛を知り人生を実感する、そんな若者を励ます詩となっていた。 春恵さんを応援する意味を込めて、その詩を彼女に贈る
ことにした。
私のHPのアクセス件数は一日二、三件くらいだったのが、急に十件以上と増え、不思議に思っていたが、『生きがいの創造』
の著者、飯田先生のHPに私の書いた「母への手紙」が紹介されていた為であることが判明した頃であった。
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- [11/28 6:44]烏有(うゆう)先生
春恵さんへ。
「母への手紙」を読んでくださったのですね。そして涙まで流して頂いて・・・、母もきっとあの世で喜んでいると思います。
それに母親の子供に与える影響という観点からもお読み頂いたようで、大変嬉しいです。ありがとう。
烏有先生のあの英詩では、語順が少しおかしいと思われるかも知れませんが、韻律の関係からだと思います。先生は大学では
シェリーを研究されたそうで、英詩について話してくれたことがあるのですが、わたしに解るのは脚韻くらい、英詩のリズムは
よく分かりません。でもあの詩の意味は解って頂けると思い、春恵さんの未来に祈りを込めて贈りました。
烏有先生は機械科や化学科の生徒に英語を教えていて、電気科の私は普通なら出会うことはなかったのですが、高校二年生に
なった頃、数学の先生に英研に入部するように勧められ、紹介されました。当時、烏有先生は黒眼鏡をかけていて、一見
近寄り難い印象を持ちましたが、私を見つめる目が非常に優しく、母親の愛情のようなものを感じたことを覚えています。
その後(『二十歳の頃』で述べているあの当時)、烏有先生はご自分の生い立ちを話してくれました。先生は船場の裕福な家庭の
次男坊に生まれたのですが、生まれるとすぐに里子に出されたのだそうです。 夏目漱石は養子にやられたことはご存知ですか。
先生が漱石を小学校の高学年の頃から愛読したのは、同じような境遇に共感するところがあったのだと思います。実際、先生の口
から「わしは母親の愛情を知らない」と言ったのを聞いたことがあります。 もう一つ驚いたことは、先生は母親の葬式に
参列しなかったそうです。 また、精神的に成熟していない女性が子供を産み育てることについては先生はかなり厳しい意見を持って
いたようです。その反面、先生の心の中には理想の母親が居り、心を鬼にして子供を叱り、陰で涙を拭う、そのような母親像の話を
何度か聞かされた覚えがあります。 ・・・もうこのくらいで止めておきましょうか。でも烏有先生の詩を贈ったのですから、
少しくらい知ってもらった方がいいかな、と思いましたので。
お仕事の方、いろいろ大変なようですね。上の方針がいい加減で、しかも人間を物としか見ないような経営者の下で、この不況
・・職を求める人の心も荒んでいる、そうした人達に対処していかなければならない、これはかなりきついですね。 罵声を
浴びせかけてくる奴には、品位のない役者だなあと聞き流し、忘れてしまいましょう。そうでなく、本当に困っている人を見る
ことは辛いです。でも自分に出来ることには限度がある。その限度を見極め、人間として精一杯のことをすれば、その気持ちは
通じるはず、と割り切るしかないんじゃないかな・・・。 上のいい加減さには非常に腹が立つ。しかしその職に留まる限り
我慢するしかない。我慢も修行の一つだと心得ましょう。それしかない!・・・のか・・・。
実は先ほど(午後10時を過ぎた頃)、接続し「号外」を受信しました。テレビで、ピーター・フォーク出演映画があったので
すね! 残念、無念! 観ることはできませんでした。感動するところがあったら、教えてください。 それから、「グース」
ですか。ビデオで観られるようでしたら是非観てみます。
今、「さびしんぼう」と "City Of Angels" を借りています。何時か、感想を書いてみようかなと思っています。
「母への手紙」を書いたのは、十月の暮れ武庫川沿いを散歩していたとき、はやばやと飛来していたユリカモメが急に「お母さんに
お便りを出してみたら」と言ったからなのです。それで、それじゃ出してみようかという気になり、それから二、三日後にHPに
載せたのです。彼女の助言もさることながら、何と言っても「生きがい」を教えてくれたのは春恵さん。あなたに一番感謝しなけ
ればと思っています。
先便であなたは、心の友(?)はるえ より、と結んでおりましたよね。私もあなたの良き心の友で
ありたいと願っています。あなたも私の良き心の友になってくださることを願いつつ、この辺りで。おやすみなさい。
ぼんしん (明朝送信します。明日は宿直です。)
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春恵さんがフィリップさんとアメリカに合法的に住むには、どちらかがグリーンカードの抽選に
当たらなければなりません、と書いていた。そして、その為にフィリップさんがパイロット免許を欧州用に切り替えようとしたのだが、
それは想像以上に難しく、諦めざるを得なくなった、と文面は続いていた。ということは、グリーンカードの抽選にはアメリカの
パイロット免許よりヨーロッパのパイロット免許取得者のほうが有利なのだろうか? 論理的にはそのように読めるのだが、その点は
どうなのだろうか。 どうもよく理解できないところだが、春恵さんとしては何とかしてアメリカに住む手段を考えてくれ、一緒に
なりたいと言ってくれる彼の気持が嬉しいのだろう。春恵さん自身にしてもその辺りの事情を十分理解している訳ではなく、両親には
不安にさせないようにと配慮して具体的には何も話していません、と書いている。
アメリカに住むに当たって、少々危ない
橋を渡らなければなりません、と述べているということは、多少の不安や危惧を春恵さん自身感じているようだ。 時々不安が
波のように襲ってくると述べている。何とかなるわと思う時と、もしもと思う時が交代でやってくるらしい。
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- [12/07 20:14]Fly Away To Him.
春恵さんへ。
急に寒くなってきましたね。早くから綿入れ半纏で用心怠りのない春恵さんのこと、風邪などひいていないでしょうね。私は危うい
ところ、早い目に市販の薬服用で、何とか回復したようです。身体には気をつけましょう。特に春恵さんには大事な、そして楽しい旅行
が目前に控えているのですから、お身体は大切にして下さい。
グリーンカードについては Web で検索してその概要を知りました。抽選確率は3%位でしたか、でもそれしか無いのですね。
フランスでは、結婚観の多様化に対応して、婚姻届を出していない夫婦も公的サービスが受けられるようになっていると聞いたことが
ありますが、アメリカはまだそこまではいっていないでしょう。でも、フィリップさんの仕事がきちっとしたものであるならば、
ビザを取得する方が早いかも知れませんね。つまり春恵さんがフランス国籍取得後に、就労ビザで滞在している彼のもとへ春恵
さんが行くという形・・・。ちょっと思いついたことで、どれだけ現実性があることやら? しかし、ここは門外漢の出る幕では
ない。お互いに充分話し合うことですね。その為にこそ: Fly away to him!ですよね。不安など吹っ飛んでしまうでしょう。
不安感というのは厄介なものです。私は二十歳の頃、こいつと随分付き合いました。私の場合、書くことで何とか蹴散らしていた
ようです。書くことで自分が置かれている状況を少しは客体化する、というか、その不安が出てくる元を把握できるのではないですか。
そして、今対処出きることと出来ないことを見極め、あとは楽天的に考えた方がいいように思いますよ。いい意味での開き直り。
オクラホマは春恵さんにとって良き思い出の地。良き人達の住む所。
昔習ったドイツ語の教科書にこんな諺が載っていました。「喜びは分かち合えば倍加され、悲しみは分かち合えば半減する」
不安は分かち合えばどうなるでしょう? 無くなってしまうのじゃないですか。そうです!Fly away to him! 冬のパリを楽しん
でいらっしゃい。私のパリ日記を見ると、1月7日の夜雪が降り、翌朝一面に薄化粧、とあります。雪のパリもいいですよ。
烏有については、「いずくんぞあらんや」という意味だと聞いています。つまり nothing 、何処にも存在しない。烏有先生は
わしは all or nothing 主義だとよく言っていました。
先生にとって、戦前は all 戦後は nothing だという見方もできると思っています。先生にとって戦後の人生は無、つまり無私の
生き方というか、縁の下の力持ちだったのではないか。進学校の校長から来てほしいと請われたことがあったそうですが、進学校の
生徒は言わずとも勉強する、わしが工業高校に来たのは勉強させるためだと言っていました。勿論冗談っぽくですが。
先生の希望は小説家として世に出ることだったらしいです。同人雑誌を出し、横光利一に送ったところ、褒められ激励の手紙を
貰ったこともあったそうです。しかし、先生の父親は儒教的規範の強い人で大反対、身体が弱かったこと、それに太平洋戦争へと
向かっていく暗い困難な時代背景などがあり、家を飛び出し東京で筆一本の生活を断念せざるを得なかったようです。
それにロマンスも成就しなかったらしい。クラブで英英辞書の使い方の話のとき、"elope"「駆け落ちする」という単語を引き合
いに出した理由は二十歳の頃先生宅へ足繁く通っているときに納得しました。つまり先生にとって恋人と新しい生活を始めることと、
親の反対に逆らって文筆生活を送ることは何処かで繋がっていて、その二つとも果せなかったことが先生の人生最大の悔いとなった
のでしょう。
私は小さい頃の読書体験は希薄で、小説を読むことに興味を覚えたのは高三の時が初めてで、春恵さんが想像しているほどの読書家
ではありませんよ。先生との出会いは、『生きがいの創造』でいうところの人生の設定を文筆業で生きるとしていたならば、
先生の果たせぬ夢を私が・・・、しかしそういう設定ではなかったようですね。私にはそういう文才はないようです。
ところで、"Fly Away Home"「グース」は店にあったので借りたのですが、私のビデオデッキが悪く、スムーズに映らなくて・・・、
しかし内容は掴めました。いい映画ですね。春恵さんが感動するのも納得できます。
先日近くの映画館で観た映画はお奨めです。イタリア映画、「ライフ・イズ・ビューティフル」:ロベルト・ベニーニ監督・主演
の夫婦愛と親子の情愛をテーマにした素晴らしい映画でした。第二次大戦下のイタリアのユダヤ人、と言えば暗いイメージになりま
すが、この映画ではそれがかえってこの映画の主題を強く印象付ける結果となっている感じでした。ラテン系民族の明るさが暗い
時代背景と十二分に拮抗していて良かったです。機会があれば是非観て下さい。
カリメロは知りませんでした。世代の差を感じちゃいますよ。これも Web で検索してカリメロに関するHPを探しました。そこ
には次のような記述がありましたよ。「イタリアで生まれたアニメキャラクターです。日本で放送されたのは1974年のことです。
その後、新しいカリメロアニメも日本で製作され、1992年に放送されました。原作者はニーノ・パゴットとトニー・パゴットと
いう兄弟の方だそうです。」
とても可愛いですね。一度そのアニメを観てみたくなりました。この便箋はそのHPに載っていた画像を拝借して、それに春恵
さんが描いたどんぐりを合体させました。どんぐりと戯れるハルメロちゃんで〜す。
心の友
梵信
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