平々梵述

2008年


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 6 月 

6月25日(水)
 今日は私の仕事の最後の日。次のようなことを述べた様に思う。
 この会社にお世話になって十二年と六ヶ月になります。それ以前とは違って、少しは大きな組織の中で、色々な経験をし、私なりには色々と勉強させて貰いました。感謝しております。得られた教訓は、今後の私の人生に生かしていきたいと思っています。
 「月に群雲、花に風」と人生を喩えることがありますが、ここ一二年、痛感した言葉です。人生、突然、何か起こるか 判りません。ご存知の様に、私達の同僚の奥さんが突如癌に襲われ、沈黙の中に引きずり込まれた彼の姿を私達は目の当りにしました。私は二十歳代の自分の精神状況のこと思い起こし、彼も今、必死に自分と対話を続けているのだろうな…、見守るしかすべはありませんでした。
 そんな中、一方で私は素晴らしい笑顔の持ち主と一緒に仕事をしていました。その人の笑顔には本当に邪気がないのです。人は苦しい日常を背負い込むと、ついつい愚痴をこぼしたり、内部に溜った鬱屈を晴らすために物事を茶化して見たりしがちですが、彼は決して苦しい日常を、重度の介護老人をかかえた大変な日常を、他人に感じさせない方でした。彼からも色々と学ぶことが多くありました。感謝しております。
 昔の中世に生きた庶民は、その願望として、「遊びをせんとや生まれけん…、」と唄にうたいましたが、人生六十年を迎え、その後を長いと見るか、短いと見るかは、人により、また人生観により様々でしょうが、私としてはこの言葉を拠り所に、多少とも心に”ゆとり”を常に持って生きていけたらなあ、と思っております。その為には健康でいることがなによりです。皆様も、日常の生活において、自愛なさってください。
 最後に、「ハナニアラシノタトエモアルゾ」という言葉、気持を引き締める時に思い起こす言葉なのですが、この言葉を私の最後の言葉にしたいと思います。それでは皆様、お元気で、サヨナラ…。
 話し終えて、一人の同僚が握手を求めて駆け寄って来た。ちょっとした事で、何となく齟齬が生じていたが、氷解したように感じられた。
6月26日(木) 曇
 『カラマーゾフの兄弟』が新訳され、かなり読まれているらしい。苦い思いが甦ってきた。丁度八年前の夏、読破してやろうと岩波文庫四冊を買い求め、読み始めたが、第一巻の半ばで退却してしまったからだ。よし、今度こそ!と新たな闘志が湧いてきて、先日その一冊を買い求め、今日から読み始めている。前回は自分の集中力が足りなかったせいかもしれないが、なかなか話の中に入っていくことが難しかった印象が残っている。今回は読みやすそうだ。同じ箇所をちょっと比べてみよう…。
くりかえしていうが、決して馬鹿という意味ではない。かえってこういうわからずやの大多数は、かなり利口で狡猾である。つまり『わけがわからない』のである。しかも、そこにはなんとなく独特な国民的なところさえ窺われる。 岩波文庫 =米川正夫訳=

念のためにいっておくが、これは愚かさというのとは少しちがう。それどころかこういう非常識な手合いは、大半がなかなか頭も切れる抜け目のない連中で、ちなみにここでいう分別のなさというのは、なにかしら特別の、ロシア的なといってもよい資質なのだ。 光文社文庫 =亀山郁夫訳=
 何故作品の中に入って行きづらかったのか、これで判ったような気がする。文章がよくこなれていて、リズムがあり読みやすい。これなら残り四冊を一緒に買ってもよさそうだ。今度こそ読破するぞ!
6月29日(日) 曇&雨&曇
 朝、テレビを観ながら、何となく文庫の整理をし始め、昼食後、止めようかどうしようかと思いながらも、やってしまう。
 松本清張&司馬遼太郎を箱に入れ、藤沢周平を押入れの棚に載せ、これでかなりのスペースが空いたので、残りを全てあいうえお順に整理し直す。汗は出るわ、背中の筋肉は痛めるわ…、午後4時過ぎまでかかってしまう。やれやれ…。
 7 月 

7月1日(火) 晴 風有り、比較的涼しい
 昨夜、就寝後一時間も経たない内に目が覚め、気分が悪く、嫌な予感がしたが、案の定、今日は調子が悪い。眼がやはり重かった。午後、大泉緑地の「樹のみち」を歩いたが、フラフラ感が少しあり、あまり楽しくはなかった。
 「カラマーゾフの兄弟」第一部読了。話の中に入り込めたようだ。面白く読んでいけそうだ。
 「ナスカの地上絵の不思議」:先祖崇拝、祖先の魂を天に送り、また地上に迎える儀式、魂が帰ってくるとき上から見えるように…、この発想が面白かった。日本のお盆との関連性??…。
7月4日(金) 晴 …昨日から暑くなる…
 昨夜は寝苦しく、四〜五時間の浅い眠り、汗をびっしょりかいていた。クーラーのファンの掃除をし、早速今夜から使えるようにする。
 案の定、頭の冴えはなく、本を読み出しても眠気が襲ってくる。カラマーゾフは今日は止めておくことに…。風があったので、部屋にいてもそれほど暑さはなく、何とか本を読んで過す。
 今年は昨年より梅雨明けは早いようだ。本格的な猛暑がやってくると、家でダラダラと過していられなくなるだろう。身体もなまってしまう。身体を動かすことも考えに入れておかないといけないと思う。図書館通いを日々の生活の中にどのように溶け込ませてゆくか、そこが問題だ。
7月5日(土) 晴 本格的な夏到来…!?…
 クーラーの切り時間を早めたからだろう、寝覚めた時(6時頃)、枕がびっしょり汗で濡れていた。
 睡眠は充分とったと思っていたが、昨日ほどではないにしろ本を読んでいてちょっと眠気に襲われる。内容の難しさか、主題(自分なりの)がまだ把めていないことによるのか、眠たくなるとは何とはなくなさけない…。頭脳の冴えは意識によって磨くことができるはず、なのだから。
 昼過ぎに家を出て、15分位歩いて、喫茶店に入り軽食。そこで3時間位過す。北図書館に寄り、周五郎賞作品を調べてみる。全て貸出中。その後、買い物をして帰宅。このようなパターンの日もあってもよいと思うが、これでは今日のような猛暑日は、歩く時間をどのようにとるか、そこが問題だ。
7月7日(月) 晴
 午前中は、昨日のハイキングで撮った写真を選び、HPの更新作業で過す。
 午後、本を読もうとしたが少し眠気を感じた。昨日のハイキングではかなり汗をかき、水分は二リットル以上補給したはず、それに疲れもまだ残っているようだ。寝ることした。部屋には風が少し入ってきていたので、それほどの抵抗感もなく横になる。13:00〜16:00。二時間半位で目が覚め、その後うとうとしながら…。
 熟睡できたようで、目覚め後の気分はよい。宿直開けの日の仮眠でこんなことは絶対なかった。それだけに満足感もある。健康にとって熟睡できるかどうか、それが重要なポイントだと思っている。
7月9日(水) 曇
 カラマーゾフは第三巻に入る。段々と面白くなってきている。
 昨日は雨のため取り止めにしたが、昼からは大和川堤防沿いに自転車を走らせる。石川が大和川に合流する地点を過ぎ、少し先のJR高井田駅まで1時間15分位かかった。駅のすぐ裏手、北側の丘陵地は高井田横穴公園となっていた。公園内には柏原市立歴史資料館があり、無料なので中に入ってみて半時間ほど過ごす。この辺りの古墳からの様々な出土物が展示されている。この地域には多くの渡来人が住み着いたと言われているが、当時の豪族達の生活を想像するのもまた愉し…。
 これから暑くなる時季なので、河べりで本を読むことはできないが、春や秋、この辺りまで自転車でやって来て、本を読んだり、または近くの寺社や古墳を訪ね歩く…という一日の過し方もある。
7月18日(金) 晴 明け方大きな雷鳴で目が覚める
 本を読んでいると、睡眠が足りない日はたいてい決まって眠くなる。今日もそうだった。
 起きて、朝食をとって、本を読む。この流れでは脳の夜から昼への切り替えが、睡眠が足りない時は特に、難しくなるためだろうか。夕方にやり始めたウォーキングを早朝に変えてみてはどうか…、と思う。試してみる価値はある。
 『カラマーゾフの兄弟』を読了する! 法廷の場面を読み終え、エピローグは明日にしてもよかったのだが…。もう少しだ! 午後気温が上昇していく部屋の中、クーラーは入れず窓は全部開け放し、少し我慢して、読み終えた。テレビを入れると、白鳳が土俵にあがっていた。
 《父親殺し》がこの小説の主要テーマ。一人の女性をめぐって親爺と息子が争う19世紀のロシアの家庭に起った事件…。
 愛情が無い、あっても歪んでいる家庭に起る様々な悲劇。子殺し親殺しそして家庭内暴力などなど…。金が絡んで変質する愛情や憎悪…。現代の社会にも通じる人生の問題が、人間の心理描写なども含め深く掘り下げられた地点から描写されているように思われた。
7月25日(金) 晴 猛暑
 三日前から朝、ウォーキングをしている。家から10分位で大泉緑地に着く。樹林の中に道が造られていて、「樹のみち」と名が付けられている。普通に歩いて40分弱かかる。そこを1周して帰ってくるので、1時間位の朝の軽い運動となる。朝から気温が30度をこえていて、汗びっしょりとなるが、歩いていて気分は悪くない。この時ぞとばかりに精一杯声を張り上げているクマゼミに負けてはいられない。できるだけ続けていきたいと思う。
 今日は本を読んでいても眠くなることは一度もなく、体調は良かったように思う。夕方、樹のみちを1周することに何のためらいもなかった。運動面ではこれから、毎日朝夕2回、ウォーキングを続けていくことを目標としたい。頑張ろうと気をはることなく、気軽に自然とできるような体調でありたいと願う。
7月27日(日) 猛暑
 『モンマルトルの陽と風』を読んだ。今からちょうど30年前のパリを舞台にした小説だ。むかしパリで1年と少し生活したことがあるが、その頃とほぼ同じ頃だ。帰国後、烏有先生が最近読んだ中ではいい本だったよと言っていたが、1ヵ月前、BOOK・OFFで見つけた時にその記憶が甦ってきて、買って置いた。先生がそう言った時、その本をお借りして読んだのどうか定かではないが、おそらくは読まなかったように思う。
 29歳になる主人公、ヒデはパリの安宿に寝泊りし、もぐりの皿洗いをして生計を立てている。唯一の心友はアルジェとニガーの混血、ルコだ。ルコはヒデと違って、帰るべき故国を持たない根無し草、それでもルコはパリの清掃人として真面目に働いている。社会の底辺で蠢くように生活していても、悪魔に心を蝕まれることなく人間として生きている。ヒデはルコのような孤独なニガーの横顔を見ると胸が締めつけられる思いがする。しかしそれは帰るべき祖国の在る者の心の余裕が感じさせるものであり、むしろ傲慢だと反省する。
 ヒデは裏社会に入っていけば金が儲かるところをぐっと堪え、こつこつと真面目に働いて金を貯め、ルーレットでの幸運も有り、何時でも帰国できるようになったところで、決意を固める。
 俺は確かにあの当時、もぐりの皿洗いで、明日の生活に怯えていた。だが俺の心の何処かで観客席に座っている自分を知っていたのだ。それこそある意味で、人間に対する侮辱ではないだろうか。 (略)   俺は何時か思ったことがある。日本に戻り金を儲けたなら、パリに来てルコを救けてやろうと……それこそ鼻持ちならない日本人の傲慢さだ。ルコはルコ自身の力で生きているのだ。
 著者の黒岩重吾氏は『どかんたれ人生』などの随筆からも窺えるように、釜ヶ崎でのどん底生活の体験があり、そこで人間を視る眼を磨いたのであろう。黒岩作品の中では、人間の心の奥底に潜む悪魔に屈することなく、それを観る眼を持ちながら、前向きに生きていこうとする主人公がよく描かれている。最近は著者の古代小説ばかりを読んできたが、著者が主人公に乗り移った形で物語られる文体は変わっていない。黒岩文学の原点は彼の釜ヶ崎体験にあり、この小説は外国を舞台にして、著者自身の原体験を再確認する小説でもあったように思う。
 ぼくにとっては、ぼくのフランス体験をもう一度あらためて考える糸口を与えてくれたように思える小説であった。
 8月 

8月28日(木) 小雨
 長い間書くことを怠ってきた。わかってはいたが、猛暑とオリンピック観戦のせいにして…、そして無理して書く必要があるのか…等と反問もして自分を赦してきたのだ。ある程度義務の気持がないと続けていくことができないものだ。…そんなこんなで、やっとこの様にパソコンの前に座ったのである。
 昨夜は大阪城西の丸庭園で行われた薪能を観に行った。5時開場、6時開演なのが、4時半に着くと既に長い列ができていた。生憎の曇り空であったが、梅原猛作『河勝』が上演される7時半頃には空に星がうっすらと輝いていた。風があり、蒸し暑さは感じなかった。薪の炎が四ヶ所で燃え上がり、ライトアップされた天守閣を背景にして、『半蔀(ハジトミ)』、狂言『舟(フネ)船(フナ)』、梅原新作能『河勝』が上演された。
 この歳になるまで能にはあまり関心もなく過してきたが、梅原さんの著作を読む中で、能とは怨霊鎮魂の芸術形式でありことを教わり、世阿弥への関心も呼び起こされつつあった。がしかし、梅原さんの新作能が上演されることがなかったならば、観に行ってみようという気持ちが起らなかったであろう。
 『半蔀』は夕顔の怨霊を鎮めているのだろうとは判るが、言葉の意味が全く聞き取れず、胡坐をかいているので足の痛さもあり、いい加減早く終ってくれないかな…と少し苛立つときもあった。しかし『河勝』のワキ方の台詞は今言葉でよく解り、シテ方の秦河勝の怨霊やそれを諭す聖徳太子の霊の言葉も何となくではあるが理解でき、能芸術の面白さを再認識できて、大いに有意義な面白い時間を過すことができた。
 怨霊が鎮魂されてゆく過程において、謡と笛や鼓の奏でる音楽もまた能芸術において重要な要素になっているのではないか…、そしてそうした謡や音のリズムや流れ等を楽しめなければ能を鑑賞したことにはならないのではないか…と思った。勿論、怨霊が何故現世に出現しなければならないのか、それが解っていなければその怨霊がどのように鎮魂されていくのかという過程も解らないだろうけれど…。
 秦河勝は聖徳太子の舎人を勤めたことから太子に信頼され、推古朝では重要な役職に就いて活躍したのだろうが、太子の没後は重職から徐々に外されていったのであろう。また、太子一族がみな法隆寺で殺されるという事件を目の当りにしたときの彼の悲痛な思いは想像に難くない。新作能『河勝』の舞台は怨霊鎮魂の趣味を持つ男(ワキ方)が、赤穂の大避(オオサケ)神社を訪ねたところ…と設定されているから、河勝は晩年、赤穂の辺りへ流されて、非業の最後を遂げたのであろうか…。このような想像を働かせて観ていくと、能もまた面白く観ることができたし、謡や笛と鼓の奏でる音楽も耳に心地よく響いてくるような感じがした。
 9 月 

9月10日(水)
 昨日坂越の大避神社を訪れた時に撮った写真を整理しようと思い、その作業を始める。テレビではネット上の 人気動画の話をしており、「最後の授業」という動画が話題を集めていて、その一部が放映されていた。興味を覚え、作業を中断して 早速アクセスしてみる。
 昨年の9月18日、アメリカのカーネギーメロン大学、バーチャルリアリティ関連技術では有名な、 癌を宣告された一人の教授が行った最後の授業が全米600万人の涙を誘った…とある。彼の名はランディ・パウシュ。46歳。
 その動画は九つに 分割されていて、テレビではその最後を放映したのだと分り、初めから観ていると、ついつい引き込まれて最後まで観てしまう ことになってしまった。
 若い頃からいろんな夢を持ち、その実現に向って生きてきた前向きな46年間の彼の人生が熱く 語られる。夢の実現に邁進する中で、他人の存在を忘れ傲慢になったこと、そのことを気付かせてくれた人に感謝をする、 失敗からいろんな教訓を引き出し次への肥やしにする、ときにユーモアを交え聴衆の気持ちをほぐし、そして信頼で結ばれた 或いは信頼を基に築き上げた交友関係の豊かさを感じさせる。ときたま一瞬の間をとり、余情を滲ませる。話し方そのものが 彼の前向きな人生の証左のようだ。
 失敗をして、落ち込んだこともあった。そんな時、こんなことを言ってくれた人がいた。
《経験とは失敗して何も得られなかった時に得られるものなんだ》
 彼はいろんな教訓を述べていたようであるが、この言葉が 特に私には印象強く残った。
 最後に、この「最後の授業」は彼のまだ幼い子供達に向けて、父親が行なう最後の講義 であったことが明かされる…。
9月30日(火) 雨
 最近心の状態が不安定になりがちだ。頭の働きが鈍くなり、心は不安な渦の中へ巻き込まれていきそうになる。 それほど大きな渦ではないが…。理由は一応分っている。将来の生き方についての関係付けがはっきりと心の中 にその輪郭を描くことができていないのだ…。もっと自分を見つめる眼をしっかりと持たなくては、と思う。
 久し 振りにペンを握ってみようと思い(今はキーボードに向おうと思い、と書くべきか…)、書けなくて、昔書いた文章を 何とはなしに見ていて、偶然次のようなものに出くわした。
若し

若しあの時・・・・・という感傷に
自分を解放出来るならば
きみはきみの心の故郷へ帰れるかも知れない
家なし子のような素朴な淡い心の世界へ

日光写真に夢中になった――庭先
不思議に心は充実し ていた
家の仕事の手伝いも気にならず
弁当箱を開ける震える心も忘れていた

弁当のおかずは 五円のおかず
一日のおやつは五円のおやつ
学校の宿題は五分でやってのけ
チャンバラごっこに 熱狂した時期もあった

学校で急に悲しくなって家に帰ると
<おかえりなさい!>と鬼の顔をした御仕事 様が
にこにこ顔に迎えてくれた
きみの顔はその時から考え深げになったんだ

若しその時、君の 家に書物があれば
きみは哲学者になっていた筈だ
漫画本を買って貰うのがやっとだったので
哲学者 にならなくて済んで、本当によかった

現代の全世界の苦悩が 若し・・・
若しきみの双肩にのっかかっ ているならば
大変なことだよ、生き続けてゆくのは!
何事もなくても 人の心を悲しくさせるのは

 高校の教師になった年の9月28日に書いたものだ。あの頃はこのようなことを書いて自らの心を慰めていたの だろうか…。
 10月 

10月17日(金) 曇&晴
 北図書館で借りていた陳舜臣著、『諸葛孔明』を読了する。後漢末の動乱の世に、一般の人達が日々平穏 に暮らせることを価値の根本に置き、そうした社会の実現のため、先ずは天下三分の計を政治の理念として生き た、人間味豊かな人物…諸葛亮孔明…。
 邪馬台国の女王卑弥呼が生きた時代は、お隣の中国では後漢が滅び、曹操の「魏」、孫権の「呉」、劉備の「蜀」 の三国時代に当たる。黒岩さんの小説、『鬼道の女王 卑弥呼』を読んで、当時の中国の様子に関心を持つように なっていたので、図書館で陳舜臣著『秘本 三国志』を見つけ読んでみた。最初、地名や人物名が一杯出てくるの で読み難かったが、毎日少しずつ読み進めていくうちに徐々にその魅力に取り付かれていくようになった。
 孫権は印象が薄いが、曹操や劉備に人間としての魅力を感じ取ることができた。特に劉備や彼と義兄弟の契り を結んだ猛将関羽など、義に篤く、良きアジア的政治家としては典型的な人物だろうと思う。
 これまで、諸葛孔明という名前は、何となく記憶に入っている、という程度でしかなかったが、『秘本 三国志』を 読み進めていくなかで、彼に対しては興味という新鮮な清水が、じわじわと湧き上がってくるような思いに包まれて いったのだった。
 『秘本 三国志』ではあまり詳しく語られなかった三顧の礼の場面は、『諸葛孔明』では当然 のことながら、詳しく語られていて興味深かった。孔明自身、臥竜(ガリョウ)先生と呼ばれ、読書に明け暮れ天下の 情勢を分析していた時代、孔明はどうしても曹操に好意を持つことはできなかった。彼は曹操を天下国家を治める 人物として認めることはできない。小説では孔明が幼い頃目撃したように記述されているが、曹操は親の敵討ち とはいえ、関係のない人々を無闇に虐殺したことがあったからだ。
 こうした戦乱の世の中を一刻も早く鎮め、 民の暮しを安定させるにはどうすればよいか。孔明は考える…。今、曹操が天下を治めつつある勢いだ。一方孫 権は、それに対抗しつつ勢力を伸ばそうとしている。そうだ!…その孫権と盟を結び曹操に対抗するもう一極の勢 力を作り出すことはできないか。そして、天下を三分に分かち均衡を生み出すことができれば天下は鎮まるだろう、 …それを実現できる人物はいないか!……
 孔明はその人物は劉備以外にはいないと思うようになっていた。 そうした折、親友のとりなしもあり、劉備が孔明のもとにやってくる。三回も足を運んでやって来る。所謂三顧の礼の 場面だ。これより孔明は、義に厚く情にもろいところのある劉備を知略をもって補佐していくことになる。
 孫権 が曹操の船団を揚子江の中域に迎え、これを撃破した赤壁の戦いでは孫権側に組して戦う。しかしその頃はまだ 孫権と対等という所まではいっていなかった。その後孔明は益州に着目し、第三極としての勢力拡大を進めていく ことになる。
 孔明は、軍命に背き独断専行して街亭山の戦いで敗れた馬謖(バショク)を、信頼していた部下と いえども心を鬼にして斬ったことからも判るように、法治思想を治国の根本としていた。公事の理性と私事の情との 葛藤の中で苦悩する人間孔明が魅力的に描かれている。
 小説『諸葛孔明』の中で、印象に残った箇所はい ろいろあるが、その一つを引用してみよう。
 だが、人間の生命を、賭けるというのは、孔明の胸にたえがたい軋みをおこさせる。そもそも曹操 に天下を取らせてはならぬと彼が考えたのは、漢への反逆者、簒奪者というだけでなく、曹操が徐州で大虐殺を したからだった。人間の生命を冒涜する人物に、天下を渡すことはできない。
 法家思想を治国の根本にすることで、孔明は曹操とおなじ方向を歩む。ただ人間の尊厳にたいする認識に大き な差があった。
 曹操死去のしらせを受けた日の夜、孔明は曹操と論争する夢をみた。
 ―― 法家思想 は徹底しなければ意味はない。人間を尊重するのは、わしも反対ではないが、一人の人間を生かすことで、一万 の人間が救われない場合、貴公はどうするつもりか?
 曹操がそのようなことを言って、孔明に詰め寄り、 孔明は半ばうなされながら、
 ―― 一人を殺して万民を生かすとき、わしもためらわずに殺そう。だが、曹公 が徐州でやったことは、これとはちがうではないか。誰を生かすための殺戮だったのか?
 ―― あれは父の無念をはらすためであったのだ
 ―― 父上はそれで生き返ったのか?
 ―― おう、 生き返ったとも、このわしの胸の中で。
 ―― 曹公、おまえは妖魔だ!
 孔明は夢のなかで叫ぼうとし た。だが、声が出ない。綬(注:孔明の妻)に揺りおこされて、
 ―― 孟徳(曹操)がわしを眠らせないのだ。
 と、強いて笑顔をみせた。
 11月 

11月10日(月) 曇
 熊谷達也著『はぐれ鷹』読了、感動。
 山本周五郎賞受賞がきっかけて、初めてこの作家の存在を知った。以来ずっと読み続けている。今回も期待を裏切られることはなかった。

 未熟さ故に神室号を死なせてしまった鷹匠の杉浦岳央(タケオ)。今度どのように生きていくべきかを決められず、月山麓の山小屋で一人、深い喪失感の中で悶々として過す毎日…。
 小学校の同窓生で、今テレビ局に勤めている小山内久美が撮影クルーを連れて、角鷹(クマタカ)の雛の撮影にやってくる。音声も一緒に収録したいと撮影クルーの一人が、岳央の知らぬ間に、巣まで登って行ったために親鳥を驚かせ、飛び立つ時に二羽の雛のうちの一羽を引っ掛けて落下させてしまう。
 幸いにして生きていた雛を岳央は巣に戻したが、親鳥がそれを拒否し巣から落としてしまう。瀕死の状態ではあるが、親から捨てられてもなおも命のある角鷹の雛を岳央は育てることとなる。鷹狩りの鷹としてであっても獲物を追う喜びを与えてやろうと思って……。
 巣から落ちた雛を自分の山小屋に運び込んだ時から一年と十ヶ月が経過した。月山号と名付けられたこの雌の角鷹は気性が非常に激しく、岳央の手を煩わせることが多く、目をつつかれ危うく失明しそうになったこともある…。
 これは小説の後半部の、最後のクライマックスの描写までの大まかな纏めだ。

 久美との恋愛の描写も面白く読めたが、それ以上に読者の心を打つものがあった。
 野生動物の本能を捉え、理解しようとする鷹匠の有様を知ると同時に、鷹匠として野生の大自然の中で生きていこうとする主人公の生き様に強い感動を覚えた。
 この小説のクライマックスであり、鷹匠と野生動物との荒々しく且つ痛ましい愛と憎しみの葛藤劇…、そして手塩にかけて育ててきたはぐれ鷹との別れの場面でもある、この小説の終結部をもう一度じっくり味わいたいので、ここに書き写すことにする。
 見事に狩を成功させた月山号は、まるで岳央の到着を待っていたかのように、抗う獲物にとどめを刺すべく、野兎の腹を嘴でついばみ始めた。
 たちまち雪が赤く染まり、腹腔から引きずり出した内臓をがつがつと飲み下していく。
 岳央の目から、熱い涙が堰を切ったようにあふれていた。 これまでのすべての苦労が報われたという思いに、涙を止めることができなかった。
 涙でぼやける月山号に向け、
「よーし、よくやった」と震える声をかけながら、獲物を取り上げるために近づいていく。
 が、そこで月山号は、予想もしていなかった振る舞いに出た。
 近づく人間の気配を察知した月山号は、 野兎の腹に突っ込んでいた頭を上げると、ぐるりと首を反転させ、爛々とした目つきで岳央を睨んだ。そして、間髪置かず捕らえた獲物を放棄し、軽くジャンプして羽ばたくと、岳央の前から逃げた。
 一度捕らえた獲物に対する角鷹の執着心を考えると、あり得ない行動だった。
 なぜだ? と混乱した岳央は、 月山号を追って視線を上げた。
 そこで見たものに、岳央の全身が硬直した。
 月山号は逃げ出したのではなかった。
 狩のために餌を減らしていたことが信じられないくらいの力強さで羽ばたいた月山号は、ブナ林の先端まで急上昇したところで百八十度方向を転じると、岳央を目がけてまっしぐらに降下してきた。
 明らかに岳央への攻撃だった。
 身構える暇もなかった。
 頭と顔をかばうためにかろうじて上げた籠手を避け、月山号の爪が、岳央の右肩と肩甲骨の真中にめり込んだ。
 痺れを伴った激痛が走り、岳央は、足をもつれさせて雪の上へと崩れ落ちた。
 あああーっ、という弱々しい声が、壊れたふいごから 漏れ出るみたいに口からこぼれる。
 殺される!
 そう思い、全身から力が抜けそうになる。捕食者に捕らえられた動物が、その瞬間に生きることを断念し、諦観の世界へと逃げ込むように、岳央の心は折れかけた。
 が、肩甲骨に加わっていた握力がふいにゆるんだところで、われを取り戻した。角鷹が、つかむ位置を 獲物の首筋に移そうとしたのだと察知したからだ。
 首をつかまれたら本当に命を落としてしまう。
 岳央は、籠手をはめた左手を首の後ろに回して爪を避けた。かろうじて間に合い、籠手の表面を引っ掻くガリィという音が耳元で上がった。
 とにかく立ち上がらなければ、と思った。雪の上に腹這いになった状態は、餌食と なっている野兎とまったく一緒だ。この姿勢では、絶対に攻撃をやめてくれないと、本能的に悟った。
 片腕を首の後ろに回している不安定な体勢で懸命にもがき、雪上で立ち上がろうとする。が、カンジキが邪魔になって、なかなか思うようにいかない。
 それでもどうにか、膝立ちになることだけはできた。
 痺れが 走り続けている右腕を曲げ、手探りの状態で、籠手を引っ掻いているほうの小足縄をつかもうとする。
 怒った角鷹が、嘴で岳央のこめかみをつつきだした。それを避けようと、左腕の位置を変えたのがいけなかった。右の耳たぶが、気味の悪い音をたてて食い千切られた。
「うぎゃあ!」
 岳央はあられもない悲鳴を上げた。
 それに驚いたのかもしれない。ずっと右肩に食い込んでいた爪が一瞬離れた。
 膝立ちの姿勢から立ち上がった岳央は、角鷹を振りほどこうと闇雲に両腕を振り回しつつ、雪を蹴散らして当りかまわず走り回った。
 耳朶にまつわりつくバサバサという激しい羽音を少しでも遠ざけようとしているうちに、左腕に嵌めてある籠手が抜けた。
 その際、籠手が角鷹を直撃したらしい。加えられていた圧力が消え、岳央に背を向ける形で角鷹が雪面へと飛び降りた。
 後先考えず、岳央は角鷹に飛びついた。
 背後から素手で両足をわしづかみにする。
 つかみ損ねていたらどうなっていたかはわからない。だが、幸運なことに、一度で成功し、抗う角鷹の自由を 奪うことに成功する。
 ぜいぜいと肩で息をしつつ、角鷹の右足、続いて左足と、順に自分の左腕まで持っていき、小足縄を指に絡めて、角鷹を据え直した。
 この状態になればこちらが有利になる。いくら激しく抵抗しようと、角鷹に勝ち目はない。
 実際、月山号は、翼をばたつかせ、嘴をかっと開いて抵抗しようとした。しかし、 一切の抵抗を無視して、岳央は怒りに燃える山吹色の瞳を見据え続けた。
 乱闘めいたさっきの格闘で、今の岳央の左腕は、籠手によって保護されていなかった。だが、いつもの習慣のせいか、嘴での攻撃に意識を集中しているせいか、月山号の爪は腕の肉にまでは食い込んでこない。
 目に爪をかけられたときと同様に、 鷹との根競べが始まった。
 前回ほど時間はかからず、徐々に月山号は落ち着きを取り戻してきた。冠羽を相変わらず逆立てたままであるが、岳央に向って前傾に乗り出していた姿勢が、ようやく真っ直ぐになった。
 ふうっ、と安堵の溜息をついたときだった。
 ぎらり、と山吹色の目が光り、赤味が増したように見えた。
 直後、籠手を嵌めていない腕に、両足の爪が深く食い込みだした。岳央の左腕がぶ厚い籠手で守られていないことに気づいたとしか思えない。
 腕のみならず、肩から首筋、さらには脳天まで激痛が突き抜ける。角鷹の爪には、人に対するありったけの憎しみが込められていた。
 なぜそれほどおれを憎む。
 答えの 返ってこない問いを発して、岳央は角鷹と睨み合った。
 爪の先が肉の内側へと食い込むにつれ、小足縄を保持している指先の感覚がなくなっていく。
 奥歯が割れるくらい顎を食いしばり、万力みたいな圧力に耐えながら、岳央は、右手を自分の腰へと伸ばした。
 腰に吊り下げている鞘のスナップを外し、登山ナイフの柄を握る。
 ナイフを握った手をゆっくりと月山号の胸へと持っていく。
 すかさず月山号は岳央の右手をつついてきた。しかし岳央は、ひるむことも躊躇することもせずに、胸の羽毛の奥へとナイフの切っ先を潜り込ませた。
 切っ先が、胸の肉にかすかに触れた瞬間、月山号はそれまでの激昂が嘘だったように、ぴたりと抵抗をやめた。 そして、頭をもたげると、岳央をじっと見つめてきた。
 時が止まった。
 人間と角鷹は、身じろぎひとつせず、ただ一心に見つめ合った。
 互いの肩に、うっすらと雪が積もり始めた。
 やがて、人間のほうが先に視線を逸らした。
 岳央は、止め処なく雪が舞い落ちてくる空を見上げた。
 雪の結晶が顔に落ちて溶ける都度、 体内にこもっていた熱が静かに引いていく。
 詰めていた息をゆっくりと吐き出し、視線を戻した岳央は、月山号の胸元からナイフを外した。
 刃先を角鷹の足先へ持っていき、二本の小足縄を慎重に切断した。
 握っていた左手を開けると、鷹の自由を束縛していた小足縄がはらりと雪面に落ち、ふりしきる雪がたちまち覆い隠していく。
 気がつくと、あれだけ強く食い込んでいた爪の圧迫が失せ、架に留まるのと同じ程度の握力で、月山号は岳央の左腕に留まっていた。
 それだけではなかった。不思議なことに、月山号の目の色が薄れ、いまは若鳥のものへと戻っていた。
 一歩、二歩、と足を踏み出しても、月山号は大人しく岳央の腕に留まっている。
 喰いかけの野兎の骸のそばで立ち止まり、左腕を軽く煽ってやる。
 雪面に舞い降りた角鷹は、己の食欲を満たすべく、翼の下に隠すようにして、自らが捕らえた獲物をついばみ始めた。
 小足縄を切断し、月山号を自由の身にしたのは、自分の手には負えないとあきらめたのではなかった。
 一瞬だけでも殺意を覚えたからだった。
 互に憎みあうのはかまわない。どんなに憎みあおうと、その壁を乗り越えたところになにがあるか、岳央は知った。だから、この若くて気難しい雌鷹を、時間さえかければ、鷹狩り用の鷹として立派に仕上げられる自信はある。
 だが……。
 一度でも殺意を覚えた以上、この角鷹とは鷹匠としての関係を結べない。いや、結んではならない。
 それが、杉浦岳央なりの鷹匠としての美学であると、いまこの瞬間、自分に対して誓いを立てた。
 一心に獲物を食いちぎっている雌の角鷹に、岳央は背を向けた。
 雪に埋もれていた籠手と雪ベラを拾い上げ、下りてきた斜面を登り始める。
 しばらく歩を進めたところで、背後を振り返ってみた。
 相変わらず角鷹は、わき目も振ら ずに肉を貪り続けていて、こちらを振り返ろうともしない。
 それを見た岳央は、軽く頬をゆるめ、誰も待つ者がいない山小屋へと向かってカンジキを踏み出した。
 独り雪山を行く岳央が、背後を振り返ることは二度となかった。






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