【上梓 2014.11.17】

梶川大力の粗忽
 元禄の都は花の薄化粧
 千代田の城に霞立ち
 世は太平の春なれど
 吹いた嵐は心なく
 恨みのこもる鐘の音に
 今を名残りの桜花

梶川 さぞ待ちわびたであろう 来客のためにひまどりしは許せよ してまた汝 今日は何用あってこの 土屋の屋敷に参ったのじゃ

ははッ 過日 松の廊下に於きまして 浅野長矩殿 吉良様に刃傷の際 抱き止めましたる功により 上様にお取り計らい五百石の御加増 これひとえに  御老中さまのお骨折りと 本日遅ればせながらお礼に参上致したる次第

うむ その事で礼に来たと申すか うむ 汝 此度(コタビ)の振る舞い 其方(ソチ)なればこそ あの働きが出来たものと予は思うておるぞ 他の者ではとてもとても  あの場合に松の廊下で浅野を抱きとめる様なことは出来まい うむ ようとめた あゝようとめた ようとめた 梶川 そちゃ まことの武士(モノノフ)じゃ喃(ノウ)  フフフフ
時に梶川 話は余談に移るが 汝は曾我物語を存じておるか うむ 何 知らん うむ さもあろう さもあらん 汝は曾我物語を心得ておるよう な武士ではないと 予は思うておった 今日は 幸いつれづれの折からじゃ 予が其の方に 十郎 五郎 曾我兄弟が富士の裾野で父の仇討をいたした  かの有名な曾我物語を 詳しゅう其の方に語ってとらす 苦しゅうないぞ梶川 近う寄れ! もそっと近う進め 離れておっては話に情が移らん 苦しゅうない梶川  近う 近う もそっと近う!

ははッ! ははッ!

 建久四年五月雨の 富士の裾野の狩鞍に
 この時外して仇敵(カタキ)は討てぬ 兄が二十二で弟が二十
 降り来る雨のその中を 五月雨しのぐ蓑と笠
 富士の裾野に来て見れば 聞きしにに優る陣ぞなえ
 一の木戸越え二の木戸越え 三の木戸とに差しかかれば
 仇敵工藤の内縁にて 宮潟八郎重房が 三の木戸をば固めたり

兄上 あの三の木戸をご覧(ロウ)じませ 四の塔一の豪の者 あの宮潟に悟られたなら 我等兄弟所詮逃るる術(スベ)はなし

 十八年の艱難も 只一葉のもに帰すかと
 木戸の表に兄弟は 雨に打たれて嘆息の

折から後の方よりも 駒のいななき 蹄(ひづめ)の音!

 南部の名馬栗鹿毛に 銀覆輪(ぎんぶくりん)の鞍をはき
 南蛮鉄さとうね形の 鐙(あぶみ)を釣り張り
 白と紺と一段返しの大鎧(よろい) 草ずり長くゆりおどし
 鎧通しは前半(マエハン)に 陣刀流儀にたばさんで
 兜(かぶと)もかぶらず鉢金(はちがね)入りの
 後鉢巻(ウシロハチマキ)目のつる如く 十八人の部下を連れ
 陣中見廻る荒武者は 鎌倉方の勇将で
 五所のとねりは五郎丸 馬足をとどめて大音声(オンジョウ)

こりゃ!その物影にひそみたるは

何奴だと 咎められたるその時の 曾我兄弟の心の内は 如何であろうか喃(のう)梶川

前は仇敵の内縁宮潟八郎重房 後は五所の五郎は大とねり この時さすがに兄十郎

はっ! 我々は御館の雑色(ぞうしき) 弥源次 弥源太の兄弟にて候 御用に出でましたる所 この大雨のために松明(たいまつ)の灯(アカリ)は消え  御門通行の門鑑(モンカン)も 粗忽のあまり取り失い 通りかねたる 三の木戸にて候

 夜目に透かして大とねり 曾我兄弟と見てとったり
 さてこそ今宵仇敵 工藤の陣屋に忍ばるるか
 今の言葉の切なさは 空頼みにはあらずして
 慈悲も情も有明の 月を頼りのほととぎす
 今は闇路に踏み迷い 血を吐くよりも悲しかろ
 ご安堵(アンド)あれよ御兄弟 かかる難儀を助くるが
 弓矢とる身の習いでござる 若年なれど大とねり
 情(ナサケ)を知ったるまことの武士

御兄弟 駒の両脇に付きそわれよ 者共! 松明(タイマツ)の灯(アカリを消そうぞ! うむ これでよし!

 越すに越されぬ三の木戸 首尾よく越えたる曾我兄弟

ここまで来ればもう大丈夫 以後は心して行かれいよ

重ね重ねのご厚恩 我ら兄弟 死すとも忘却は仕らん! では これにて失礼 御免

あいや 待たれい 御兄弟

 降るかと見れば又晴るる 定めがたきは五月雨の
 月は無けれど 雲間をもるる星あかり
 我が指す方をご覧あれ それ正面にありありと
 総白に笹りんどうの幔幕(マンマク)は 鎌倉殿の御本営
 もしあやまって入(イ)る時は 善悪問わず大罪にと処せらるべし
 続いて見ゆる紫地に 輪印の紋所は
 御一門足柄数佐之介 常為殿の陣屋なり
 宿り木に鳩のつがいは熊谷一家 稲穂の丸は稲毛の三郎
 いたら貝が岩永左衛門 その岩永の紋所かならず
 かならず忘るるなかれ その岩永に引き続き
 それ それ それ 左の角にひき廻す
 白地に黒く現わした いおりの中に横もっこは
 時の天下の御愛臣 工藤滝口武者所
 左衛門祐経(スケツネ)の陣屋なり 殊(コト)に今宵のこの水で
 万が一にもあやまって 工藤の陣屋に入り給うな
 これさえ言えば用は無いと 駒の頭(カシラ)を立て直し
 後も見ずして大舎人(トネリ) さらばさらばと急ぎ行く
 この時曾我の兄弟は 雨の大地にひれ伏して

感謝の涙で 五郎丸の後姿を伏し拝んだ

さぞ嬉しかったであろう喃(ノウ) 梶川 武士(モノノフ)はものの情を知るという

 武士と生れた上からは かかる情を知りたいものじゃ

虎少将の手引きによって 見事工藤の陣屋に忍び込み 首尾よく本懐を達したのじゃ 祖父伊東次郎祐親(スケチカ)の仇敵(アダガタキ) 鎌倉公をもいざ恨まん  兄弟は降りしきる雨の中 背中合わせで打って出た

 不意を打たれた鎌倉武士 狩場の狼藉何奴なるぞと
 右左より斬ってかかるを曾我兄弟
 ことともせずに斬り合う内 いつしか離れて弟五郎
 迷い込んだる御本営 先ず正面には鎌倉殿
 和田に稲葉に畠山 北条佐々木の一族が
 ずらり居並ぶその前に 遅れもやらず時致(ときむね)が
 鎌倉公に見参と 獅子奮迅の時も時 続く隣の陣屋より

仁田(ニッタ)の次郎忠常が 曾我の十郎 討ち取ったり

 呼ばわる声に時致(ときむね)は 頼りに思う兄者人
 忠常ために討たれしか 我らの武運も早やこれ迄
 涙に露を含む間も 裾野の嵐吹きそゆる

この時 正面の幔幕の内らより 白の被衣(かつぎ)で面(オモテ)を隠し 小走りに タッタッ!タッ! 逃げて来ました一人の女 女とみてとる五郎時致

そば杖くらって怪我するな 早く通れ!

と 見逃せば 後に廻った件(クダン)の女 白の被衣(カツギ)をかなぐり捨て

時致! 待て!

と 羽交い締め

ええいっ! 離せ! 離さぬか! 何奴だ!

と 互いに競う力わざ 時致力まさったものか 相手の胸元ぐっと取り 顔見合せたその瞬間

 持ったその手は早くも離し 抜身は大地にガラリと捨て
 尻えにどう 我れと我が手を後に廻し
 何卒御縄頂戴

と 言うも道理じゃ 梶川 ここが武士

 越すに越されぬ三の木戸 通してくれたその上に
 仇敵工藤の狩舎(カリヤ)まで 導きくれた勇も情も大舎人
 何で刃(ヤイバ)が向けられよう

曾我物語はこれまでじゃ さて これからが其方じゃ 梶川 この物語にひきくらべ 此度松の廊下の刃傷 汝は浅野を不憫とは思わぬか いやさ  哀れとは心得ぬか 一度ならいで二度 三度 上野(コウズケ)ために恥かしめられ こらえこらえた十四日 折もあろうに殿中で犬侍とののしられた  早これまで帯半の小さ刀に手が掛り 吉良上野に刃傷の 額の金輪が邪魔となり 「己れ! 上野逃がしはやらじ!」 追わんとするを其方に  抱き止められて長矩は 御場所柄もわきまえず 五万三千石の家も家来も身も捨てましたる此の刃傷(ニンジョウ) 武士の武士の情を御存じあらばそこ離していま一太刀  恨ませ下され梶川殿 頼んだ時の長矩の心の内は如何であろうか 哀れなり その際そちが武士なれば いやさ 情けを知る者なれば  パッ!と離して上野を見事討たしたその後で 改めて 改めて長矩をば抱き止めても 梶川! よもや遅くはあるまい!
情を知らぬは人ではない 犬じゃ 犬じゃ 犬侍じゃ! 犬は当家に出入りはならん もの共 犬侍を裏門から放り出せ!

 放り出されて梶川は 天を仰いで呆然と
 梢に宿るその花は 夜半(ヨワ)の嵐にさそわれても
 また来る春を待ちわびて 花と梢はあいおいの
 時待つ風の楽しみあり 人の盛りは只一度
 三十二歳つとめ盛りの長矩が 恨みをのんで田村邸
 露と消えたも誰の為 みんな我が身の粗忽から
 初めて悟る身のおろか さしもに大きな梶川も
 袴の七重に手を入れて むせび泣きつつ戻り行く
 それから丁度五日目に 心にかかるむら雲も
 晴れて嬉しや御仏の 御手にすがって黒髪も
 されば光風清月の 身に墨染めの袈裟衣
 水晶の数珠に悔恨の 涙をはらう梶川が
 露と消えたる長矩の 菩提弔い行く雲や
 流るる水の行脚僧




【 == CD:KING RECORDS 蔵出し浪曲名人選(13) より == 】